風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

ミスマッチ

2016年02月16日 | 出版
最近視力の低下を感じるので、某日メガネ屋さんに行き、視力の測定をしてもらった。すると、近視が以前よりも悪化し裸眼だと0.1を切っているようだ。さらには乱視もひどくなっているらしい。「パソコンをけっこう使うお仕事ですか?」とお店の人にたずねられたので、「そうなんです」と答えたところ、中近用メガネなるものを勧められた。それを使えば、パソコン周りのものには不自由しないということだ。
幸いなことに遠視はさほど進んでいないので、辞書くらいの文字を読むのに老眼用のメガネを必要とするほどでもない。要するに遠くが見えにくくなっているだけなのだから、それで中近用メガネを購入するのもヘンだなあと考え、その場では態度を保留することにした。老眼がもう少し進んだら、メガネのことを考え直すことにしよう。しかしねえ、お金のかかることばかりだ。乱視の補正が入ると、レンズ代が高くなるんだよね。
某土曜日、渋谷のユーロスペースで「死刑映画週間」が始まった。そこにちょうど妻が、「気分転換にどこかに出かけたい」と言うから、大島渚の『絞死刑』を観に行くことにした。ところが妻にはまったく気に食わない作品だったようで、終わってからずっと文句を聞かされる羽目になる。「なんなのよ、あの下品な映画は!」というわけだ。べつに下品ではなく、下ネタで笑いをとっているだけじゃないかと思うのだけれど、趣味が合わなかったものはどうしようもないだろう。
佐藤慶、小松方正、渡辺文雄といった実力派俳優の若かりしころの存在感も面白いし、Wマサオも熱演しているじゃないか。特に、最後の最後の小松方正は喪黒福造みたいで見ごたえがあると思っている。しかも、国家権力の非情さや滑稽さも上手に描いているから、低予算でよくこんな傑作を大島渚は撮ったなあとこちらは感心しているのだけれど、そういう理屈を妻に述べてもしょうがない。妻の文句は適当に聞き流すことにする。
以前、酒を飲みながら旧友のN氏と話していておかしかったのだけれど、N氏の美人の細君が「映画を観たい」と言い出したので、お供することになったそうだ。そこで、連れていかれた映画が『相棒』。N氏の趣味とは程遠いところにあるだろう(『相棒』がダメと述べているのではない)。二人とも映画館から出て黙りこくってしまったそうだ。細君もN氏の変態性をウスウスは感じ取っているだろうけれど、えてしてこういうミスマッチは起きてしまうものなのだ。「それから映画の話をしなくなったんだよねえ」とN氏が語るから小生は爆笑していたのだけれど、そのお鉢がこのたびこちらに回ってきたというわけだ。
その日の晩だっただろうか。国際的に有名な大学の公開講座の授業を流しているNHKの人気シリーズをたまたま眺めることになった。テーマは「サイコパス」のようだ。妻と一緒に観ていると、サイコパスにもいいところがあるという説明になる。要するに、ある行動を起こすことをサイコパスな人々は躊躇しないそうだ。正常な人ならば、ある行動を起こす前にどういう結果になるかウダウダ悩むわけであるけれど、サイコパスはそんなことを気にしない。したがって起業家系にはサイコパスが多いというような話だったけな(忘れちゃった)。
それを観ていて、なるほどなあと感心してしまったわけである。出版という事業はその昔、電話と机さえあれば始められるといわれたものであった。電話をかけてどこぞの作家さんに原稿の依頼をし、その原稿整理を机上ですませ、あとは印刷所に放り込むだけであるから、それ以上のインフラを必要としないという意である。つまり、小資本でも起業できる業種であったわけである。もちろん、その揶揄は単純化したものであって、当時からそんなわけもないし、現在に至ってはそれなりの資本がなければ参入できない業種となっている。
しかし、その出版が元気であったころに起業されている社長さんたちを見ていると、やはりサイコパス系が多いなあとはこれまでの経験から感じていたものであった。書き手にもサイコパスは多いことだろう。講談社学術文庫の鶴見俊輔著『埴谷雄高』の解説を加藤典洋氏が書かれていた。それを読んでいたら、次のようにあった。
「思い出す。/一九七九年秋にカナダのモントリオールで鶴見と会ったとき、私はこの高名でリベラルな哲学者のよい読者ではなかった。当地の友人とともに空港に迎えに出たが、きっといかにも『リベラル』な温厚で聡明な紳士が、到着ロビーに現れるのだろうと思っていた。そのとき、ひめやかなあきらめめいた軽侮の念が少しはまじっていたことを白状したい。しかしやってきたのは、『温厚な紳士』ではなかった。それどころではなかった。数ヵ月後、気づくのだが、この人はリベラルどころではない。キチガイなのだ。ただ、そのことを一般人を前に恥じ、正気なふりをしている……」
この一文にはいたく感動してしまったのである(最後の三点リーダーは小生の趣味ではないけれど)。おかげで、埴谷雄高と鶴見俊輔はいっそう好きになり、加藤典洋氏も尊敬することになった。ただし、こうしたサイコパス系の人々と身近に接したいかと言われれば、それは別ものとなる。小生もそれなりにサイコパスなんだろうとは思うけれど、サイコパスと付き合うのは大変なんだよね。

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