風塵社的業務日誌

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米国連邦刑務所声紋認識事情

2017年02月19日 | 出版
本日も「ブタ箱物語」はお休み。近日出さなければならない某ミニコミ用に送られてきた原稿の入力が終わったので、これまた勝手に転載。後半部、〓マークばかりにしているの少々わかりにくいと思うが、苗字には従前新字を使っていた著者が、最近になって旧字(異体字?)を強制されているという話を記している。おかげで、こちらもこの著者に差し入れを郵送するときなど、かなり面倒な思いを強いられている。日本って、バカな国だとつくづく感じさせられる。(腹巻おやじ)
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 シャバでは風邪が流行っているとか。わが舎房区の主任担当は、ほぼ一年前にはゴホンゴホンとやっていたが、今冬はそのようなことがないので、風邪の流行という情報にはびっくりだった。ということもあり、書こうと思って少し準備していたトランプ―アホ政権のことはやめて、前回に続く形で風邪に関連したことを書きたい。
 連邦刑では55歳以上ならインフルエンザの予防注射を受けれたので、ちょっと熱っぽいな、のどが少しいがらっぽいな等と思うことが幾度かあったけど、風邪にはかかっていない。
 ある年、同房者(二人房の相方)がかなりひどい風邪をひき、ゼイゼイ、ゴホゴホとやっていた。そんな状態だったので、声はかすれ、話すのもしんどそうだった。その同房者とはレバノンの出身のモスレム・シーア派でハズバラー(神の党)(日本ではヒズボラとも表記、腹巻)の支持者であることから「テロリスト」とみなされ、第一審では150年余りもうたれてた。が、ある新聞報道ではせいぜい5年とも言われていた。当然彼は再審を請求し、再審では35年の判決だった。しかしそれを承服できるわけがなく、再度の再審を請求していた。
 この同房者とはボーマントの重刑で知り合い、次にかのブッシュシット政権があみ出したインディアナのテレホートのCMU(通信制限特別房区のことで、かつて死刑囚房区だったところが、重刑が広大な連邦刑の敷地の別のところに敷設され、死刑囚房区もそこへと移った後、その特別・特殊な施設を活用する形で開設された。元重刑は中刑となったのだが、このCMUは一般房区とは遮断された特別区となった)でも一緒だった。さらにそこを出て一般房区へ移ったところで同房者となったという不思議な縁のある男だった。その同房者は週に一度レバノンのおふくろさんに電話をしていた。その風邪の日々にもその定期連絡の日が来たので、彼はベイルートの南郊にあるブルジ・パラージナ(同じ名前のパレスチナ難民キャンプがあるが、おふくろさんが住んでるのはシーア派住民が圧倒的な街)へ電話するために電話があるところへ出掛けていった。
 電話は15分間の制限時間を用いての通話。なのに同房者は5分かそこらで戻ってきた。ブスッとした顔をして。別の囚人たちが長い長い列をつくっていたとか、何かの都合でおふくろさんが外出してたとか、その他の不運な理由が生じたとかのせいだろうと私は思ったので「一体どうしたのだ?」と尋ねた。すると彼は、「コンピューターにこの声を拒絶したのだ」ゴホゴホと答えた。
 当初は、個々に与えられているコード番号をプッシュし、通話可となったら登録してある相手の番号をプッシュすれば、それで通話がOKだった。だが、多分09年だったかと思うが、コード番号ではなく個々の声紋で判断するようになった。そのために、ロックダウンして個々に電話機に出かけて声紋登録がなされた。大体は、2、3回自分の名前(苗字)を言い、それをコンピューターが当人の声紋として記憶するというのがそのシステム。これだといくら記憶力がある者だって、他人のコードを用いて電話を使うということは不可、というのが当局の言い分。実際にどんなことがあったのかは知るよしもないが、個人情報の流出じゃないけど、他人の電話を借用するということがあったらしい。
 その声紋登録の際に、私は何度も何度もやり直しをさせられた。というのも、私は一語一語しっかりと発音したのだが、これがやり直しの理由。これでは当人の特徴が掴めないらしい。そういうことを知らなかったために、私は一語一語はっきりと「〓・〓・〓・〓」と発音し続け、「やり直し」の連続だった。そもそもその当時私は、誰一人電話対象を登録していなかったので、「なんじゃいこれは。ムダじゃ!」と思いつつ同じことを繰り返した。
 もう一人、何度もやり直しをさせられた囚友がいた。といっても私の回数に比べれば四分の一程度だが、「やり直し!」を繰り返されて彼は怒った調子のアラビア語風発音をしたら、それでOKになったという。この同囚はイエメン系で、通常の米語ではなく怒った感じのアラビア語風発音が問われるんだ、と笑っていた。だから私には、「日本語風の発音をすれば良かったんだよ」と言っていた、とは後の話。
 実は私があまりにも何度も「やり直し!」をさせられるのを見かねて担当職員が、「お前、ちょっと外の運動場(ケージ)でリラックスしてこい」と言った。本当はコンピューター操作の職員が「もういい」と言ったのだが、担当職員はそれを聞き逃した。おかげで、私はしばらくの間ロックダウンを逃れて、外のケージで鉄棒をやったりしていた。
 話を戻すと、ともあれこの日わが同房者は電話使用不可。当然ながらレバノンのおふくろさんは彼に何か発生したのじゃないかと、気をもんでいたという。勿論、彼の方もそれが気になる。幸い彼にはわりと近くの都市に兄がいたので、のどの調子が少し良くなってからすぐに、そのことを兄貴に告げ、おふくろさんに伝えてもらったとか。次の週には問題なくおふくろさんと話せたのだが、一週間ずっと心配させ続けなくて良かったと、その時に苦笑していた。
 これは声紋でも指紋、掌紋でもないが、連邦刑で重視されるのは連邦刑登録ナンバー。先日、知人が私あてに手紙を送ってくれたのだが、私の名前が登録されてるのと違うと問題になり、送り返しになったとか。
 私は70年代に捕まった時は〓〓と登録され、判決文も全てその書き方だった。3年程前の警察の文書もそういう書き方だったし、メディアも同様だった。強制送還で三里塚に着いた時、その逮捕状では〓〓となっていたが、「なんじゃこれは!?」と思っただけだった。
 勿論、USでは〓か〓かなんて問題になるわけがないが、ShiであってもSiでもOKだ。というよりはスペルの綴りなんて全然問題にならない。笑い話めくが、私があっちへ連行されて入れられたところがアーリントン拘置所(アーリントン郡にある拘置所、アーリントン市にはあらず。腹巻)。で、そこから手紙を出そうと思って看守氏に住所など尋ねたら、Arlintonだと書いてくれた。これは誤りで、正式にはArlington。かの戦没者墓地、ペンタゴン、ナショナル空港、イオージマモニュメントなどがある郡で、ワシントンDCからはポトマック河をはさんでヴァージニア州にあるのだが、全国のほとんどの人はワシントンDCの一部だと思っている。それはいいけどgが抜けてるかどうかなんて、土地の看守氏でもどうってことはないのだ。問題なのは番号。囚人番号もそうだし、ZIPといっている郵便番号もそう。
 ということもあって、私は自分の番号を発信の際に書いたのだが、「これは不要。消せ!」と言われた(東京拘置所当局に。腹巻)。いやはや、これもカルチャーショックの一つなのかね?

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