ピカソ・マニマニア

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" クリスマスの思い出 ” トルーマン・カポーティ著

2020-04-07 18:47:21 | 

 

”感謝祭のお客” と並び、カポーティが アラバマ州の田舎で育った 6才から10才までの自伝的作品です。

 

バディの親友は 秋の気配がすっかり失せたころから クリスマスの30個ものフルーツケーキ作りに取り掛かる。

バディはこの家へ預けられている。 

親友は従姉妹なのだが 60才は越えていてバディの祖母のようだ。

 

テリアのクイーニーと三人は 森へピーカン(クルミのような木の実)を拾いに行ったり 一年かかって二人でためたお金を持ってケーキの 材料を買いに行ったり、とびっきり立派なクリスマスツリーを伐りにいったりする。

荷車は バディの使っていたおんぼろの乳母車だ。

ある時は (禁酒法時代だったので)ちょっといかがわしいインディアンの経営する店にこっそりウイスキーを調達に行った。

強面の大柄な店主は にっこり笑って 酒代にフルーツケーキが欲しいといった。それから ケーキ作りは31になった。

 

バディの親友は 若いころの長患いで 腰がひどく曲がっていて とても内気だった。

なのに何で30個ものケーキを作るのか。

 

親友は 例えばローズベルト大統領のように 一度も会ったことのない人にも 彼女の琴線に触れた人にフルーツケーキを送るのだ。

そしてその誰からもお礼状が来る。

 

バディが母の家に引き取られてからは ニューヨークに送られてきた。

一番よくできたケーキだった。紙に包まれた10セントは 彼の映画代だ。

親友は一度も映画を見たことがなかった。映画を見た彼から その内容を聞くのを楽しみにしていた。

 

テリアのクイーニーも死んだ。

13日は縁起が悪いと ベッドから降りなかった親友が 13日以外にも起きない日が多くなり

11月のある朝、訃報が届いた。

電報が届くずっと前にバディにはわかった。

 

 

 

     

     クリスマスプレゼント

 

ごめんね

今年もクリスマスプレゼントは

手造りの凧

 

あら わたしもよ

と 親友は言う

 

よくできているわ

と 親友が言う

 

親友の凧は

ずっとずっと素敵だ

 

二人で

広場に駆けていく

 

親友は 

凧あげの名人

 

風がなくても

誰よりも高く揚げることが出来るのだ

 

 

 

1956年に発表されたこの ”クリスマスの思い出” には 親友の名前は明記されていません。
1967年の ”感謝祭のお客” には ミス・スック とあります。

 

 

この物語は カポーティの葬儀で 友人のジョーン・カーソン(彼女の家で亡くなった)によって朗読されたそうです。

 

 

     by  風呼     

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