1918年まで 650年にわたって オーストリアとその周辺に君臨した ハプスブルク家が 最も権力を持っていた 16世紀からの美術収集品の展示です。
戦争ではなく 姻戚関係で支配を広げようとした 神聖ローマ皇帝 マクシミリアン1世(1459-1519)。
自身は ブルゴーニュ女公と婚姻し 女公の死後 その地を統治。
孫の カール5世は カルロス1世として スペイン王となり 以後、1700年まで ハプスブルク家は スペインとオーストリアの2派に別れ 婚姻関係を結びながら 良いライバル関係を築いていました。
マクシミリアン1世の蒐集は 甲冑が多い。
スカート状のものもあり こんなんじゃ重くて 身は守れても戦えないでしょう と思わせます。
絵画の戦士は 殆ど上半身裸なのに。
徒歩槍試合用甲冑
神聖ローマ皇帝 ルドルフ2世(1552-1612)は(カール5世の娘の母マリアとその従弟のマクシミリアン2世の子) プラハに在住していました。
そこでの蒐集は 神話を基にした絵画が多い。着衣最小で 煽情的。
従弟の フェルディナンド2世(1578-1637)と 競うように美術蒐集したそうです。
オディッセウスとキルケ
スペイン王でもあった カール5世が 弟フェルディナンド2世(1503-1564)に神聖ローマ皇帝の位を 長男のフェリペ2世(1527ー1598)にスペイン王位を継承させて 1555年に退位した。
スペインハプスブルク家は 冒頭の有名な 王女マルガリータ・テレサ像に象徴されるように 今でいえば写真代わりの肖像画が多い。
フェリペ2世のひ孫にあたる 王女マルガリータ(1651-1673)の肖像画は 母マリアナの弟、許嫁の神聖ローマ皇帝のレオポルト1世に成長の記録として贈られた。
ベラスケスが描き 3才、5才、8才 の時の物が残っているそうです。
王女が15才の時に結婚、二人の仲は円満だったようですが 王女は20才そこそこの若さで亡くなります。
ティロルを統治していた フェルディナンド・カール(1628-1662)は妻アンナがメディチ家出身だったので フィレンツェの絵画を多く収集した。
クレオパトラ
フェルディナンド3世の弟の レオポルド・ヴィルヘルム(1614-1662)は 美術絵画館の基礎を築いたと言われています。
ローマ皇帝の兄に代わって 絵画だけでも1400点以上購入したそうです。
使徒パウロ レンブラント作
マリア・テレジアの父、カール6世(1685-1740)の時代に 各地の美術品が ウイーンに集められました。
マリー・アントワネット、マリア・テレジアの肖像画が有名です。
そしてハプスブルク家の実質的な最後の皇帝、フランツ・ヨーゼフのコレクションです。
美しい妻、エリザベートの肖像画です。
どの肖像画も ほぼ等身大なので 迫力も半端なく見ごたえがあります。
会場は当然暗く、近眼と老眼の混ざった私の目では 説明書きの読解は不可能。
イヤホーンガイドだけではとても理解できなので カタログを買いました。
2800円。 左、マリー・アントワネット。
重い。
1月26日まで
by 風呼