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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

KENNY BURRELL/Have Yourself A Soulful Little Xmas

2009年12月24日 00時01分32秒 | JAZZ
 こちらは1966年にケニー・バレルが作ったクリスマス・アルバムである。リチャード・エヴァンスの編曲によるオーケストラ(弦も入る)に、ベース、ドラムスを加えたスタイルで収録されている。ケニー・バレルといえばブルージーで、ややダークでアーシーなセンスが横溢するギターワークということで、ジャズ・ギターといえば、ウェス・モンゴメリーやバーニー・ケッセルだったりする私には、内容的にはどうだろう....と思わないでもなかったが、これがなかなかの出来であった。先のジミー・スミスのようにビッグ・バンドでガンガン迫る、あるいは通俗路線のポップさでノリノリみたいなところがなく(いや、ないではないが)、これみよがしなことがほとんどなく、しっとりと落ち着いて、センスよくリラクゼーションを誘う....とまぁ、私のような独身オヤジが今日みたい夜に、安酒でも飲みつつ耳を傾けるのにぴったりという感じの音楽なのだ。

 なにしろ、やや斜に構えたような編曲がセンスもいい。冒頭の「Little Drummer Boy」はラヴェルのボレロのハイライトのとこを拝借したような感じで始まり、そのまま例のブルージーなギターが縦横に歌うあたりは聴き物だし、お待ちかね「Have Yourself a Merry Little Christmas」と「Christmas Song」は、ストリングスをバックにしみじみと歌っているのがいい。暖かみのあるヴァイブや木管の響きもいいアクセントになっている。同曲の演奏としては久々のヒットという感じである。「White Christmas」はオーケストラなしで、ピアノ・トリオ+ギターの編成でもって、これまたしっとりとまさに「真夜中のギター」した演奏となっている。また、「Silent Night」はゴスペル風、「Twelve Days of Christmas」ではバロック風なオケを帯同、「Mary's Little Boy Chile」はカリプソ風、「Children Go Where I Send Thee」はゴーゴーと音楽的ヴァリエーションも豊富で実に楽しめる。ラストの「Merry Christmas, Baby」はオルガンを従えての、モロにバレルしたブルージーな演奏で彼の面目躍如である。

 そんな訳で、ジャズ系のクリスマス・アルバムとしては、かなり気にいった。もう間に合わないが、来年はカーコンポへ録音など、個人的にはクリスマス物の定盤になりそうである。実を云うと、これ先日のジミー・スミスと一緒に2,3年前に購入したものだが、なんでももっと早く聴かなかったのだろう....という気がしている。ちなみに何故だか3曲目にコルトレーンの「My Favorite Things」が入っていて、3分半と短いながら、ビッグバンドを従えて、実に気合いの入った演奏を展開しているのだが、これクリスマスに由来する曲なのだろうか。
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JIMMY SMITH / Christmas '64

2009年12月21日 21時24分10秒 | JAZZ
 1964年に製作されたジミー・スミスのクリスマス・アルバム。1964年当時、ジミー・スミスといえば、ヴァーブ・レーベルのドル箱アーティストであり、それ故の企画だったのだろう。同じ頃、ヴァーブで彼と並ぶ両雄といえるウェス・モンゴメリーがこの種のアルバムを残さなかったのは不思議だが、ジャズでクリスマス・アルバムといったら、ヴォーカリストの専売特許だったところに、こういうインスト・アルバムでそれをやってしまえるのは、ジミー・スミスという実に華のあるアーティストゆえのことだろう。もっとも、内容的には特に気を衒ったところはなく、完全なヴァーブ・スタイルだ。つまりビッグ・バンドを従えたダイナミックなサウンドに、コンパクトにまとめたソロ・パートを配置したイージー・リスニング・ジャズである。身も蓋もない言い方をすると、「キャット」あたりのサウンドで、クリスマス・ミュージックをやっているというだけという感じである。

 収録曲は「ジングルベルス」「クリスマス・ソングス」「ホワイトクリスマス」「サンタが街にやってくる」「サイレントナイト」などなど有名曲8つで、今の感覚からすると、ちとひねりがなさ過ぎるガチな選曲な気がしないでもないが、これは1964年という制作時期ゆえだろう。さて、1曲目は「ゴッド・レスト・イ・メリー・ジェントルメン」、イントロはちょっとどんくさいトラッド調だが、40秒くらいのところから一転ビッグ・バンド・スタイルに雪崩れ込むところがカッコイイ。スミスのオルガンも例の手癖、崩し癖全開で、全盛期のジミー・スミスの豪快さが堪能できる。クリスマスだからといって、いつもペースを全く変えたりしないのはさすがだ。「3人の王」も同パターンでガチなスタイルから一転してスミス調になる。「クリスマス・ソングス」はそれこそ「ザ・キャット」的なアーシーでブルージーなアレンジ(もっともアレンジはラロ・シフリンではなく、ビリー・メイヤーズだが)、「ホワイトクリスマス」は、この有名曲をなんとボサ・ノヴァにアレンジして演奏している。ひょっとしてワルター・ワンダレーでも意識したのかもしれない、いずれにしてもヴァーブならでは演奏だ。

 一方、「ジングルベルス」「サンタが街にやってくる」、あと最後に入っている「ゴッド・レスト・イ・メリー・ジェントルメン」の方はオルガン・トリオ(オルガン、ギター、ドラムス)による演奏となっている。この中では「ゴッド・レスト・イ・メリー・ジェントルメン」が6分強の比較的長い演奏で、冒頭のビッグ・バンド・ヴァージョンに比べると、比較的淡々とした演奏だが、アドリブに入ってからの「濃さ」はさすがだし、とにかくテーマからアドリブまでスミスが活躍しているのはちょっとうれしい。あとの2曲はけっこう軽くポップなアレンジだが、「サンタが街にやってくる」では、ちょっとしたギター・ソロ(クウェンティン・ウォーレン)などもフィーチャーされている。
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ウィントン・マルサリス/スタンダード・タイム第3集

2009年12月16日 23時46分39秒 | JAZZ
 マルサリスのスタンダード・タイム・シリーズ、第3弾。前2作は第2期マルサリス・バンドによるパフォーマンスだったが、こちらは第3期マルサリス・バンドのレジナルド・ヴィール、ハーリン・ライリーのリズム・セクションに、ウィントン・マルサリスの父親でピアニストのエリス・マルサリス(ついでにプロデュースはデルフィーヨ・マルサリス)という布陣になっている。こう考えると第2期マルサリス・バンドはけっこう短命だったことが分かる。1990年に出たこのアルバムの時点で、マルサリスは既に次のセクテットの構想に入ってたことを伺わせる。だからといって、このアルバムその後のブルースに入れ込んだ作品群を予見させるようなところもあまりない。スタンダードを扱っているシリーズの一枚だから、当然といえば、当然だかもしれないが、それにしても先行した2枚のアルバムに比較しても、マルサリスらしい音楽主義的、技術至上主義的な点は影を潜め、スタンダード・ナンバーをスタンダードらしく、ある意味イージー・リスニング的というか、ごくまっとうな形で取り上げている点がおもしろいというか、このアルバムのワン・アンド・オンリー的特徴かと思う。

 これはやはり父親のエリス・マルサリスの影響と見るべきだろう。エリス・マルサリスという人がどんなジャズ・ピアニストだったのか、私は歴史的にはよく知らないが、このアルバムを聴く限り、レッド・ガーランド的なカクテル風なところ、ケニー・ドリュー的な洗練を持ったピアニストのようで、そのあたりをマルサリスは慮って、つまり親父の音楽性に合わせて作られたのだろうと思う。曲はどれも2分から5分程度、アップテンポで豪快のドライブするような作品はほぼ皆無で、「スリーピング・ビー」や「波止場にたたずみ」のようなミドル・テンポで快適にスウィングするもの、あるいは「いつかどこかで」、「スカイラーク」、「イッツ・イージー・トゥ・リメンバー」といったバラード・タイプのもので絞められている。もっとも、こういうアルバムなのに親子揃って、どことなく楷書体な演奏に終始しているのは、たぶんに血筋を感じさせて微笑ましいが、今聴くとそれはそれで悪くない。以前はマルサリスのアルバムというと、新主流派風のドライブする演奏ばかりをマルサリスに期待してしまって、こういう作品には全くピンとこなかったものだが、こちらも歳をとったのだろう。久しぶりに聴いたら、特にバラード系の作品での、端正な美しさな聴き惚れてしまった。
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ウィントン・マルサリス/スタンダード・タイム第1集

2009年12月16日 00時01分16秒 | JAZZ
 都合第6集まで続いたウィントン・マルサリスの「スタンダード・タイム・シリーズ」だが、1989年のこれがその最初のものとなる(個人的には、これらに先駆けてウィズ・ストリングス物として製作された「スターダスト」をこのシリーズの0番としたいところだが....)。メンツはマルサリスの他、ロバーツ、ハースト、ワッツという第2期マルサリス・バンドの面々、つまり「ライブ・アット・ブルース・アレイ」「Jムード」と同じ最強のワン・ホーン・カルテットである。この時期はある意味マルサリスがストレートにジャズしていた頃でもあり、音楽的には悪かろうはずがない....といったところだろう。しかも、このアルバムでは全面的にスタンダードを取り上げているという点が、すくなくとも私にとっては、非常にポイントが高い。今改めて振り返ってみると、この時期のマルサリスのアルバムは、本作に加えて、これに続く第2集、そして「ライブ・アット・ブルース・アレイ」の三作あたりにとどめを指すのではないか。ジャズ名盤集みたいなセレクションがあったとすると、この三作はそれにラインナップされる価値が十分にある傑作だと思う(だいたいこの人、アルバムを作りすぎたと思う-笑)。ハイライトとなる曲を拾ってみたい。

  ラテン・リズムとよくスウィングする4ビートを交互に使う「キャラヴァン」は、こねくり回した印象になる直前でオーソドックスなジャズに収まっているバランスがいいし、マイルスを思わせる中間部のインプロヴィゼーションの段取りもいいムードだ。「パリの四月」と「枯葉」は、この時期特有のテンポの増減がマルサリスらしいテクニカルさを感じさせるが、やはりスタンダード作品ということでジャズ的ムードを逸脱していないのがいい。私の好きな「グッドバイ」は、この曲にありがちな、情念だの哀感といった側面でみると、今一歩真に迫ってこないうらみはあるが、それでもここまで美しく洗練され、非の打ち所がないバラード演奏となっているのもあまり例がないだろう、ロバーツのゆらめくようなピアノ・ソロも良く、これはこれで十分に傾聴に値する名演だ。ガーシュウィンの「霧の日」と「ザ・ソング・イズ・ユー」は軽快で都会的な演奏。例によってテンポの増減させる部分があって、そこは妙にテクニカルだったりするが、まぁ、ここでは隠し味程度だ。あと、2ヴァージョン収録された「チェロキー」はどちらも2分余りで終わる短い演奏だが、短いからこそ、マルサリスのスタイリッシュで洗練された完璧なトランペットが凝縮されているともいえ、すべからく堪能できる演奏になっている。
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FREDDY COLE / Music Maestro Please

2009年12月13日 16時51分42秒 | JAZZ
 ビル・チャーラップのカタログをいろいろ調べていくうちに発見したのがこれ。フレディ・コールという人は名前から見てピンと来る人もいると思うが、ナット・キング・コールの実弟である。ナット・キング・コールが46歳で亡くなったのが、もう半世紀近くも前の1965年だから、いくら弟とはいえ時代的に無理があると思ったが、彼は末っ子でナット・キング・コールより13歳下(1931年生)ということで、ぎりぎり今の時代に間に合っているというところだ(とはいえ、今年で78歳だが)。彼はレコーディング・アーティストというよりは、多分、超一流のキャバレー・アーティストとして活躍してきた人で、調べてみると出したアルバムはたいした数ではないが、単に兄貴のブランドを借りただけの人ではなく、ボーカル、ピアノともなかなか高い評価を得ているようだ(実際、一聴すれば、ナット・キング・コールの弟とか半ば頭から消し飛んでしまうくらい、その確固たるヴォーカルの個性が伝わってくる)。

 このアルバムではそんな彼のボーカルを、なんとビル・チャーラップのレギュラー・トリオが担当しているということで興味津々で購入してきた。レーベルはHigh Noteという聞いたこともないニューヨークのマイナー・レーベルだが、エンジニアはルディ・ヴァン・ゲルダーが担当している。さて、フレディ・コールのボーカルだが、なにしろ1曲目の「I'll Never The Same」が、「アフター・ミッドナイト」を彷彿とさせる、ほぼ完璧なナット・キング・コール・スタイルでもってチャーラップ・トリオが演奏しているので、そこにこういう「血縁の声」が乗れば、そりゃぁ、かなりナット・キング・コールに近い感じがするが(すとーんと語尾を落とす歌い方とは確かに似ている)、フレディ・コールは年齢のせいもあるだろうが、兄ほど甘さや都会的な感じがなく、もう少しアーシーで渋い歌いかたをする。声も多少いがらっぽい感じもある。全部で11曲の収められた作品は全てスタンダード作品だろうが、あまりに選曲が渋すぎて、ほとんど知らないものばかりであるが、とにかくフレディ・コールの圧倒的存在感と巧みな語り口で、すべからく名曲として聴かせてしまうといった感じだ。

 チャーラップ・トリオについては、かつてのアルバム「スターダスト」で何曲か歌伴をしているけれど、今回もあれと同じパターンで、シンガーの背後でなにげに品とセンスいい伴奏をを務めているという感じ。とにかくフレディ・コールのボーカルに圧倒的存在感があるため、チャーラップのことは聴いているうちに忘れてしまいそうになるのだが(笑)、時にボーカルの狭間でセンス良くボーカルを引き立てているチャーラップの腕はやはりなかなかだ。歌伴というのはそもそもそういうものだろう。ちなみに、2曲だけチャーラップに替わってフレディ・コール自身がピアノを弾いていて、いつもは自身がトリオを率いているだけあって、これも実に堂々たるプレイ、ある意味、チャーラップより華麗なくらいだ。
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メリー・ジャズマス -ノーバス・フォー・クリスマス- / various artists

2009年12月08日 00時05分00秒 | JAZZ
 ウィントン・マルサリスが新伝承派と旗手としてもてはやされた後、彼に続けとばかりに、ジャズの伝統に根ざした非フュージョン系の若手のジャズ・ミュージシャンが大挙して登場した。覚えているだけでも、ラルフ・ピーターソン、テレンス・ブリッチャード、ジュリ・アレンなど私もちょこちょこつまみ食いしたものだが、そんな中でノーバスというはそうした若手ジャズ・ミュージシャンを多数擁していたことが特徴のレーベルだった(ように記憶している)。このアルバムはそのノーバスから1990年に出たクリスマス・アルバムである。登場するミュージシャンは当時のウィントン・マルサリスの片腕として頭角表していたマーカス・ロバーツを筆頭に、ロイ・ハーグローブ、スティーブ・コールマンといった若手(メインのクレジットではないが、クリスチャン・マクブライド、ブラッド・メルドーといった名前もみえる)の他に、このレーベルの専属だったかどうかは知らないが、カーメン・マクレエ、スティーブ・レイシー、マル・ウォルドン、ジョン・ヒックスといった大物も参加している。

 メンツとしてはそれほど豪華という訳ではなく、レーベル内のアーティストをけっこうやり繰りしているからところもあり、アルバムの構えとしてはそれほどゴージャスな感じはしないが、ピアノ・ソロ、デュエット、ボーカル、コンボ・スタイルと編成はいろいろだから、けっこうヴァリエーション豊かな内容にはなっている。気がついたところを拾ってみると、まずアルバムの額縁という感じでトップとラストに配置されているのが、マーカス・ロバーツがソロで弾いた「レット・イット・スノウ」と「サイレント・ナイト」である。前者は彼らしくラグタイム的な解釈で楽しげに弾き、後者はゴスペル風なアレンジで真摯な表情を見せている。どちらも聴いていると、マルサリスは彼のピアノからにじみ出るこうした「黒いセンス」をかったのだろうなと思わせる。ジョン・ヒックスの2曲はピアノとベース(クリスチャン・マクブライド)のデュオで、例によってマッコイ・タイナー風を地味したようなプレイだ(ちなみにこの人2,3年に亡くなった)。ヒルトン・ルイスはオーソドックスなよくスウィングするハードバップ・スタイルのピアノ・トリオで「サンタが町にやってくる」「ジングル・ベル」を演奏。

 ポーカル物としては、バネッサ・ルービンが私の大好きな「ハブ・ユー・セルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス」を歌っている。彼女はたぶん当時若手だったように思うのだが、一部ソウル的なテクニックを取り入れた歌いっぷりだ。これも大好きな「クリスマス・ソング」はなんとカーメン・マクレエが貫禄たっぷりに歌っている。実はマクレエの歌というのはあまり聴いたことがないのだが、ジャズ初心者の私には、これなどあまり崩しすぎな感じに聴こえてしまうのだが....。その他、ロイ・ハーグローブの「神が喜びをくださるように」は新主流派風のエキサイティングな演奏。アントニオ・ハートの「ウィンター・ワンダーランド」は上品でよくスウィングしている。あっ、あとレイシーとウォルドンのデュオにボーカルが入った「メリアー・クリスマス」は、モンクの曲らしいが、いかにもレイシーっぽい乾いた情感とモンク的なものが良くマッチしている演奏だと思う。という訳で、このアルバム、まだバブリーなクリスマスが巷にはびこっていた発売当初の頃は、あまりに地味に感じたが、ここ数年ようやっと楽しめるようになってきたというところである。
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ウィントン・マルサリス/ライブ・アット・ブルース・アレイ(Disc.2)

2009年12月07日 00時24分40秒 | JAZZ
 ディスク2はチャーリー・パーカーの「オー・プリヴァーブ」からスタート。この曲は多分初めて聴くと思うのだが、たぶんオリジナルはビバップ風の曲なのだろう。この時期のこのバンドにしては珍しくストレートで、かつリラックスして演奏している。ミドル・テンポなのがいかにも都会的センスを感じさせるが、マルサリスは5以上のロング・ソロだが、リラックスした中にも自在に吹いている闊達さが印象的だ。後半を担当するマーカス・ロバーツは、なにやらレイ・チャールズを思わせる黒いソロで-これも数分に及ぶ長いソロ-けっこう「濃い」。インターバルにピアノ・トリオで演奏される「ノーズ・モウ・キング」を挟んで演奏される「なつかしのニューオリンズ」は、叙情的なバラード演奏で、ちょっとトミー・ドーシーを思わせる甘いムードがいい。

 同じくインターバル的な「ホアン」に続く「枯葉」は、「スタンダーズ・タイム vol.1」でのヴァージョンとほぼ同パターンのアレンジで演奏される。テーマの部分でテンポが自在に増減させるところや、全体にかなり高速で一気呵成に進むところなど、全く同じ趣向である。もちろん、こちらはライブだからして、ワッツの高潮ぶり、ロバーツの自在さなどはスタジオ録音に比べて数段エキサイトであるが、あくまでも完成したアレンジをライブで敷衍しているという雰囲気は、秀才マルサリスならではあろう。さて、終盤は4度目の「ノーズ・モウ・キング」からメドレーで「スケインズ・ドメイン」、そして「マッチ・レイター」へ突入していく。ほぼピアノ・トリオで演奏される「ノーズ・モウ・キング」の終盤にマルサリスのトランペットが乱入して、そのモチーフがそのまま「スケインズ・ドメイン」のテーマになっている趣向は、いかにもライブらしいカッコ良さがあり、マルサリスらしい気取りも感じられて、思わずにやりとしてしまう。

 この2曲はディスク2のハイライトだが、まず「スケインズ・ドメイン」は、あまりこねくり回したところがないストレートな作品なせいか、マルサリスがホットでワイルド、かなり粘るソロを展開しているのが珍しい。ワッツも4ビートをきっちりキープしつつ、お得意のアフリカ的なドラムを随所に披露している。「マッチ・レイター」は「スケインズ・ドメイン」と同様「Jムード」に収録された作品だが、スタジオ・ヴァージョン同様、比較的軽めの4ビートでもってリラックスして演奏されているようだ。前半のマルサリスのソロ・パートは、ロバーツがバックをつけないトリオ編成で前半吹いているのがおもしろいところだ。という訳で、満点のライブである。あまりにも破綻がなさすぎて逆につまらないみたいなところもないではないが、とりあえずこれだけやってしまったら、もう新主流派風なジャズではもうやることはない....となってしまうのも納得できようものだ。
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ウィントン・マルサリス/ライブ・アット・ブルース・アレイ(Disc.1)

2009年12月06日 22時50分30秒 | JAZZ
 「Jムード」のカルテットで86年12月に収録された2枚組にライブである。これまでのアルバムからのベスト選曲、アルバム未収録曲、そして充実したインプロヴィゼーションとライブ盤に必要な要素が全て完備した内容になっている。マルサリスはこれ以降、「自分探しシリーズ」を敢行、また大編成指向、作曲家指向などが強まることもあり、こうしたオーソドックスな新主流派風の音楽はしばらくごぶさたしてしまうこともあり、このアルバムでマルサリスは「初期5年間の総決算」をやらかしたという趣も感じられる。ロックの方では活動のひとつの区切りとして、ベスト選曲のライブ盤でそれまでの活動を総決算するというのは、一種の常套パターンだが、ジャズの方ではけっこう珍しいのではないか?。とにかく、マルサリスのジャズ・トランペッターとしての実力が遺憾なく発揮された作品であり、どこを切っても「これでどうだ!」的な自信に満ち満ちた、威風堂々たる内容になっている。

 1曲目はバンド・テーマともいえる「ノーズ・モウ・キング」、この曲はスタジオ版も凄い出来だったが、このライブはそれを上回ること数倍といった感じの凄まじいパフォーマンスになっている。なにしろマルサリスの超高速な「トランペット版シーツ・オブ・サウンド」が凄い。並のプレイヤーなら決めやハイライトでこうした高速フレーズを使ったりするところだが、マルサリスは最初から最後まで、ギターもかくやと思わせる早さで吹ききっている。アラン・ホールワーズと同じで、あまりにスムース、あまりに当たり前に吹いているので、うっかりすると速いことすら感じさせないのだ。2曲目の「ジャスト・フレンズ」はスタンダード・ナンバー。マルサリスはミュートをつけて、都会的な雰囲気で吹いているが、ここではジェフ・ワッツのブラシがなかなかいいグルーブ感を出している。途中、テンポが自在に増減させていくのは、この時期のこのバンドの特徴的アレンジだろう(今聴くと、古いスタイルをそのままやってると思われたくないがために、一種のアリバイ作りみたいな感じで、ちょっとあざとい気もするが)。間奏曲的な「ノーズ・モウ・キング」をはさんで、4曲目の「ホワン」はミディム・テンポのブルース・ナンバー。途中のマルサリスのワイルドな展開するソロもいいが、こういう曲だと後半を受け持つマカース・ロバーツのピアノが若さに似合わず味があっていい。ちなみに「ノーズ・モウ・キング」と並んで「ホワン」も、途中何度も顔を出すが、これも当時のバンドのテーマ曲のようなものだったのだろうか?。

 「チェロキー」は「スタンダーズ・タイム」に収録されたのとほぼ同じアレンジで(テーマがポリリズムというか複音楽的なアレンジ)、2分半ほどで終わる。続く「デルフィーヨのジレンマ」と「チェンバーズ・オブ・テイン」は、文句なくディスク1のハイライトだ。どちらも「ブラック・コーズ」の収録曲で、オリジナルにはブランフォードが入ってがいたが、ここではワン・ホーンで彼が居ない分、ロバーツの存在感が大きくクローズ・アップされた格好だ。前者は奔放なマルサリスのソロのバックで、かなりホットなプレイを展開しており、両者がヴィヴィッドに触発しあっているのが良く分かる。後半のソロは前任にケニー・カークランドに比べると色彩感のようなものは劣るが、その分ブルース的なフィーリングが濃厚なプレイとなっている、個人的にはケニー・カークランドのアカデミックなプレイが好みだが、こちらももちろん悪くない。後者は15分にも及ぶ長尺演奏で途中ジェフ・ワッツのドラム・ソロがフィーチャーされている。前曲でもそうだったが、このパフォーマンスでのジェフ・ワッツのドラムは相当にハイテンションだ。冒頭のアフリカ的な導入から込み入ったリズムをものともせずに、バンド全体を鼓舞しているのはさすがだ。マルサリスもアルバム冒頭の「ノーズ・モウ・キング」並の超高速フレーズで応えている。これまたすさまじい。
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WYNTON MARSALIS / Crescent City Christmas Card

2009年12月03日 00時44分24秒 | JAZZ
 師走に入って、街の風景もそろそろクリスマス気分になってきたところで....、いや、不況下の昨今、巷はかつてほどクリスマスだかといって華やいだムードにもなっていないのかもしれないけれど、今年も例によって25日まで、何枚かのクリスマス・アルバムをレビュウしてみたい(何枚できるかな?)。まず今年最初の一枚はウィントン・マルサリスのクリスマス・アルバムだ。ラックを探してみたら、こんなのが出てきました....などというつもりはない(笑)。ここ何日かにわかにマルサリスを聴き返しているところであり、彼のディスコグラフィをあれこれ調べているうちに、こんなアルバムを出していることを発見したので、早速ポチっとしたものが、先ほど届いたという訳だ。

 さて、このアルバムだが製作は1989年、キャスリーン・バトルとか入っているとの情報もあったから、ひょっとすると彼のクラシック系の作品に収まるべき作品とも予想していたのだけれど、内容的にはほぼジャズ的な音楽といってもいいようなものである。ただし、1989年といえば、マルサリスがブルースだの、ディキシーだのの、「自分のルーツ探しシリーズ」をどっぷり漬かっていた時期でもあり、それを反映してか、このアルバムも内容的にはこうした古風なオールド・ジャズをベースにしたスタイルでもって、クリスマス・ミュージックをマルサリス流に料理してみた....という趣の作品になっている。とはいえ、いくらここ何日か集中的にマルサリスを聴いているといっても、私は基本的にこういうオールドスタイルのジャズは得意でないので、このアルバム、今まさに聴いているところだけど、正直にいうとあんまり楽しめているとはいえない。

 1曲目は私の好きな「Carol of the Bells」だが、クラリネットを中心としたディキシー風のアンサンブルによるイントロからして私にはダメである。モダンな4ビートを使ってアレンジした作品もないわけではなく、モダン・ジャズ風にアレンジした「Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!」「Winter Wonderland」は悪くない出来だし、キャスリーン・バトルがゴスペル風に歌う「Silent Night」、マーカス・ロバーツによるピアノ・ソロ(私の購入したアルバムにはなぜかクレジットがないので、実は誰が弾いているのか不明だが)「O Come All Ye Faithful」や、これをイントロに始まるラストの「 'Twas the Night Before Christmas」はマルサリスのMCをまじえた、ブルージーな「クリスマス走馬燈」的作品で、こういう作品はけっこう楽しかったりしたから、この手の曲がもう少し多かったら....と、個人的には惜しまれるところである。
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ウィントン・マルサリス/Jムード

2009年12月01日 01時05分12秒 | JAZZ
 「ブラック・コーズ」からほどなく発表された、第二期マルサリス・バンドの第一作(通算では第4作)である。このアルバムから管はウィントン・マルサリスのみのワン・ホーン・カルテットとなり、ピアノはマーカス・ロバーツ、ベースはボブ・ハーストにチェンジしている。いろいろと外的な理由もあるだろうが、音楽的にはアルバム3枚作ったところで、レギュラー・バンドはもやは自分のホーンだけで十分という確信を持ったというところだろう。で、ワン・ホーンともなれば、それまでの二管に比べ、色彩感やバラエティ、あるいは単純に物量という点で明らかに多少劣ってしまうから、ともすればバリバリと吹きまくって、その欠落感を埋めたくなるところだろうが、さすがに英才ウィントン・マルサリスである。このアルバムは意外にもしっとりと落ち着いた風情のアルバムになったのだ。恐るべき自信である。内容をざっとメモってみたい。

 1曲目のタイトル・チューンはスローなブルース・ナンバーである。イントロのリズムやスコアとインプロの配置は例によって手の込んだところはあるものの、一聴かなり淡々としていて、スロー・ブルースらしいビターな味わいをよく醸し出している。マルサリスのソロも淡々とした中にも、しっかりメリハリをつけているところはさすがだし、新加入のマーカス・ロバーツが前任のカークランドはかなり趣の異なるブルージーさを持っていたせいで、こういう曲では曲のムードにぴたりとハマっている。2曲目の「プレゼンス・ザット・ラメント・ブリングス」はマルサリスがミュートをつけて静かに歌う都会的なスロー・バラード。3曲目の「インセイン・アサイラム」はやっと出てきたかという感じのアップ・テンポの4ビート作品だが、例によって多彩なリズム、錯綜するモチーフなどかなり複雑な構成になっているが、どうも仕掛けのトリッキーさが過ぎたのか、ソロ、バンドのテンションともに今一歩燃焼度に欠けるような気がしないでもない。

 5曲目の「スケインズ・ドメイン」は、新主流派風で軽快なビートを伴った作品。こちらは込み入ったリズムもある種のトリッキーさも、ひとつの流れに収束していて、聴いてとても気持ち良い。ちなみにマルサリスは力8分のという感じだが、何故かジェフ・ワッツのドラムスはものすごいテンション。6曲目の「メロディーク」は2曲目と同じくマルサリスのミュートをフィーチャーしたアーバンなスロー・バラードだが、ここではマーカス・ロバーツがいいムードを出している。次の「アフター」はマーカス・ロバーツのピアノから始まるやはり、全曲以上にスローなバラード演奏。ラストの「マッチ・レイター」はアルバム中、もっともストレートな4ビート作品。ジェフ・ワッツとロバート・ハーストがよくスウィングしたリズムを刻み、マルサリスがスピーディーかつスマートなソロを展開していく。
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ウィントン・マルサリス/ブラック・コーズ

2009年11月30日 21時01分44秒 | JAZZ
 ウィントン・マルサリスが85年に発表した第3作。本作ではウイントン・マルサリス、 ケニー・カークランド、ブランフォード・マルサリス、ジェフ・ワッツに加え、ベースがレイ・ドラモンドからチャーネット・モフェットに替わり、一曲のみロン・カーターが参加する形で収録されている。ちなみに本作は、2管を擁した第一期マルサリス・バンドの最終作でもあり、収録された7曲はいずれも新主流派~新伝承派の完成型として、素晴らしい充実した演奏を展開しており、ラストに相応しい完成度を感じさせる作品ともなっている。ちなみに、ケニー・カークランドとブランフォード・マルサリスは、このバンドの後、スティングのバンドに加入するが、これなど、1985年というミュージシャンがジャンルを越境する現象が常態化してきた時期を象徴する出来事だったと思う。

 さて、本作が先に書いたとおり、どの曲も非常に充実しており、アルバム全体の完成度が極めて高い。前作の「シンク・オブ・ワン」もなかなかの仕上がりだったが、ジャズ的感興、あるいは聴き応えという点で、ジャズこちらの方が一段上を行くと思う。1曲目の「Black Codes」はかなりエキセントリックな非ジャズ的なテーマで始まるあたりはいかにもウィントン・マルサリスという感じなのだが、前作まであったような「とってつけたような」ところがなく、曲のダイナミズムを拡大していくために、有機的に曲に配置されているのがいい。4ビートへとリズムチェンジするプロセスも実に自然だ。要するにこなれてきているのである。2曲目の「For Wee Folks」は新主流派的な色合いを感じさせるミディアム・テンポの作品だが、適度に思索的でムードの中、多彩なインプロヴィゼーションが展開されていく。その完成度はなかなかだが、ジャズ的なリラクゼーションを忘れていないのもいい。ラクに聴ける....そういう点もジャズには大切だ。「Delfeayo's Dilemma」はよくスウィングしたダイナミックでスポーティーな4ビート作品で、妙にこねくり回さずストレートに演奏しているところがいい。こういう曲ではバンドメンが非常に優秀なのが如実に表れているとも思う。たぶん、アルバム中のハイライトとなる一曲だ。

 4曲目の「Phryzzinian Man」は「For Wee Folks」と同様、新主流派的な色合いを持った作品。5曲目の「Aural Oasis」はバラード的作品で、アーシーでけだるい感じが印象的だが、こういう曲だからこそロン・カーターが呼ばれたのだろう。確かに彼のベースの重量感や粘りはこの曲にある都会的倦怠感のようなものに、いまひとつリアリティをあたえていると思う。6曲目の「Chambers Of Tain」は「Delfeayo's Dilemma」と並んで、このアルバムのハイライトだろう。演奏は黄金時代のマイルス・クインテットがデジタル録音で甦ったような趣だが、ソロの合間に背後にイントロのモチーフを循環させるアレンジは、フュージョン以降のモダンさであるし、ブランフォードのソロが4ビートに転じた後の、スリリングな展開は素晴らしいの一語につきる。ラストの「Blues」は、このアルバム唯一のルーツ系の音楽で、トランペットとベースのデュオで演奏されている。こういう音楽は苦手だが、いささか長目のアルバム、クロージング・ナンバーとして聴くなら悪くない。
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ウィントン・マルサリス/シンク・オブ・ワン

2009年11月27日 00時45分38秒 | JAZZ
 こちらは82年の第2作。諸先輩方に招いて多少顔見せ的なところがないでもなかった前作の内容からすれば、こちらが実質的なデビュー作といえるかもしれない。出来の方も前作より数段良い仕上がりだ。メンツはブランフォード・マルサリス(サックス)、ケニー・カークランド(ピアノ)、ジェフ・ワッツ(ドラムス)、レイ・ドラモンド、フィル・ボウラー(ベース)という、第一期マルサリス・バンドの面々だが、おそらく当時はマルサリスを筆頭に「60年代の新主流派の後継者」たらんとして、音楽的な理念を共有していたのだろう。マルサリスの音楽だからあくまで理知的だが、それでも今このアルバムを聴くと、当時のこの世代の持っていた意気軒昂さがけっこう伝わってきたりして、実にフレッシュである。

 1曲目の「ノーズ・モウ・キング」は久々に聴いたが改めて圧倒的された。短いモチーフをテーマに即座にインプロに移行、ここでのマルサリスの超高速フレーズ、バンド全体のスピード感、パワーは凄さまじく、この時期のマルサリスの音楽の持つ「無敵な人」ぶりが良く伝わってくる。音楽はいったんテンポを落としブランフォードがソロを担当、その最後にピアノが入ってくると、再びテンポを上げて本格的なカークランドのソロへと雪崩れ込んでいくテクニカルな構成もいうことなしだ。2曲目「フューシャ」はトランペットとサックスが微妙なハーモニーを織りなすまさに新主流派的作品で、カークランドの印象派風なピアノがいい。3曲目「マイ・アイディアル」は比較的オーソドックスでリラックスした4ビート作品。4曲目「ホワット・イズ・ハプニング・ヒア」も「フューシャ」同様新主流派的作品、ピアノ~ベースとソロが続くと一旦テーマが回帰して、ウィントンとブランフォードなソロを同時進行しつつフェイドアウトするちょっと変わった構成だが、このままあと2分くらい続けてもよかったかな。

 5曲目のタイトル・チューンはその後マルサリスが折りにつけ開陳することになるブルース、ルーツ系(ディキシー)の音楽的要素を見せた曲。どことなくユーモラスでハードボイルドな表情はマルサリス独特なものだが、個人的にはこういう作品のおもしろ味を未だに感じることができないのは残念だ。6曲目「ザ・ベル・リンガー」は、新主流派的作品で、どことなくトロピカルな曲調のせいか、「処女航海」の頃のハンコックの影響がちらつく。ベースがやけにオールドスタイルな8ビートやボサノバに接近したりするポップな感触は60年代のジャズロックの線だろうか。7曲目「レイター」はイントロこそルーツ系な感じだが、本編はばりばりとソロが展開する正統派の作品。 ラストの「メランコリア」はもろにマイルス風のミュートをフィチャーしたバラード作品。こういう曲でのマルサリスはほぼ文句のつけようがないソロを展開する。

 という訳で、こちらは久しぶりに聴いたらこちらの作品は実によく楽しめた。ひょっとすると十数年前より楽しめたかもしれない。きっと、あの当時はこちらが求めている「マルサリスのジャズ」が、例えば「ノーズ・モウ・キング」みたいなテクニカルでスピード感ある4ビート作品ばかりだったのがいけなかったのだろう。今ではこちらジジイになって(笑)、彼がやっている音楽にもう少し寛容になったのが幸いしているのかもしれない。ともあれ、しばらくウォークマンにでも入れて、繰り返し聴いてみようと思う。
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ウィントン・マルサリスの肖像

2009年11月26日 23時47分52秒 | JAZZ
 ここ数日、ウィントン・マルサリスの2枚のアルバムを聴いたことで、なにやら彼に対する興味が再び沸いてきてしまい。昨夜、ラックをあれこれ探したところ、幸い売り飛ばさずに残っていたレギュラー・アルバムがCDが数枚でてきたので、昨日、今日とiTunesに取り込んでいるところである。なにしろ、彼のアルバムはもう長いこと聴いていなかったので、多分、「ソウル・ジェスチャーズ・イン・サザン・ブルー」の三部作とかエルヴィン・ジョーンズと「至上の愛」をやっているライブ盤とかも、購入しているはずだから、探せ出てきそうだが、とりあえず彼の活動の本流ともいえるアルバムは出てきたので、昔を思い出しつつ聴いているところなのだが、とりあえず今夜は、彼のデビュー作をメインのオーディオ・システムでじっくりと聴いてみた。おそらく10年ぶりくらいである。

 よく知られているとおり、このデビュー作(81年)は、当時のウィントン・マルサリス・バンドによって録音されたトラック3つを額縁にして、ハンコック、カーター、ウィリアムスというVSOPのリズム・セクションとのトラック4つを間に置いた構成になっている。ちなみ前者は東京録音、後者はニューヨークである。どうしてこういう構成になったのかは、実はあまりよく覚えていないのだが、マルサリスはジャズ・メッセンジャーズの後、VSOP絡み人脈で名前を上げたこともあり、デビュー作にはそのお墨付きを与える意味で、こういう変則的なものになったのだろう。なぜ東京録音だったのかといえば、当時ハンコックがCBSソニーに日本サイドから発案によるアルバムを何枚も製作していたことから(VSOP、ピアノ・トリオ、マルサリス入りのカルテットなど)、おそらくそれらに合わせて録音したのだと思われる。

 まぁ、そういう経緯で製作されたせいもあって、オリジナル・バンドの演奏が1,2,7曲目に配置されているせいもあり、全体としてはマルサリスのアルバムという体裁は整っているものの、その後のマルサリスの出していく一連のアルバムに比べると、彼らしさという点ではやや薄味な印象もあのはいたしかたないところだろう(中間の4曲がいかにもVSOPIIの音である)。ちなみにマルサリス・バンドによる3曲はどれも、テクニカルな仕掛けを隠し味にした複雑なアレンジ、高い演奏力、ある種のシリアスな音楽的な趣など、この時点でほぼマルサリスの音楽は7割方出来上がっていたことを伺わせる。この時期のマルサリスの音楽というのは、フリー・ジャズで一旦壊れ、フュージョンという形で生きながらえたジャズを、今一度伝統的なスタイルで再生していく....みたいなコンセプトを本人自身が使命感として感じていたフシがあって(笑)、この3曲は単に伝統をそのまま再生させるのではなく、なにがしかのコンテンポラリーさを加味した上で再構築していこうという意図が強く感じられるのだ。

 具体的にはいえば、「ファーザー・タイム」はトリッキーなリズムとオーソドックスな4ビート・ジャズをシームレスにつなぐアレンジ、「アイル・ビー・ゼア....」は切れ切れのモチーフやインプロで印象派風な空間を形成、「トワイライト」はブルース的なリフの繰り返しの中、アブストラクトなソロを点描的に配置していく非常にモダンな作品といったところか。まぁ、よーするに60年代の新主流派の音楽の続きを15年後に再開したような音楽なのだが、ここでは未だ新伝承派としてのコンセプトが勝ちすぎて、音楽的感興が伴ってない憾みがないでもない。ちなみにいえば、80年代にこれを聴いた私は「これって絶対考えすぎな音楽だよなぁ、もっと素直に普通ジャズやればいいのに」とか思ったものだったが、今回実に久しぶりに聴いても、残念ながらそのあたり印象はかわらなかった。
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ウィントン・マルサリス/ザ・マジェスティ・オブ・ザ・ブルース

2009年11月23日 15時54分26秒 | JAZZ
 1989年、その頃飛ぶ鳥も落とす勢いだったマルサリスは、たぶん「ウィントン・マルサリスと名前があればとりあえず売れる」という状態だったのだろう、ジャズといっても様々なスタイルのアルバムを発表し、非常にヴァーサタイルな活躍をしていた。スタンダード、クリスマス、ウィズ・ストリングス、新伝承派風のオリジナルなどなどだ。あの頃には年回数枚のペースで出していたのだから凄い。ついでにいえば、当時のマルサリスはクラシック・アルバムも何枚か製作していたはずで、ジャズとクラシックで同時にグラミー賞をとってしまう神業をやらかしている。さて、このアルバムはそうしたマルサリスの量産時代の作られたアルバムで、いってしまえばマルサリスの先祖返り....いや、今時の言葉でいえば「自分探しシリーズ」とでもいいたい一枚だ。

 この一連のアルバムは自分の音楽的ルーツであるブルースを、マルサリスなりのフィルターで通してリスペクトしたもので、この時期、彼はこの種のアルバムをずいぶん沢山作ったものだが、若くしてジャズ界のメインストリームを制覇してしまった彼が、その溢れる創作意欲でもってこういうアルバムを作るのは、リスナーとしては理解できないでもなかったものの、なにしろ肝心の音楽が当時の私にはほとんど理解不能の代物で、どのアルバムも一応購入してはみたものの、どれも2,3回聴いて、「あぁ、こりゃ、オレの守備範囲越えてるな」と、長らく放置されたままでいた。今回、連休で暇ができたせいか、にわかにマルサリスのことをあれこれ思い出したせいで、いい機会だから、怖いもの見たさ....なんていったら、彼にぶん殴れるかもしれないけれど(笑)、20年も経てばまた違った聴こえ方をするのでは....などと、とりあえず手元にあったこのアルバムを聴いてみた。

 収録曲は3曲、1曲目のタイトル・チューンは比較的オーソドックスなブルースである。けだるいリズム、アーシーなムード、オールドスタイルなリフなど古い衣装をまといつつ、実は1960年代後半の新主流派風の理知的なスタイルのアンサンブルやアレンジでまとめたといった仕上りの作品。15分にも及ぶ長尺演奏だが、ソロはマルサリス、マーカス・ロバーツのピアノ、ウェス・アンダーソン(アルト・サックス)、トッド・ウィリアムス(テナー・サックス)の順、これは久しぶりに聴いたらけっこう良かった。2曲目の「ヒッコリー・ディッコリー・ドック」はユーモラスな雰囲気のある黒人マーチ風の曲で、全編に散りばめられた各楽器のインプロの理知的なバランスはさすがだが、こういうアーシーなムードが覆い尽くしている音楽であればもう少し全体に愉悦感があってもよかったように思う。

 3曲目「ニュー・オリンズ・ファンクション」は、全三部からなる30分にも及ぶ大作だが、これは今回も聴き通すのしんどかった。真ん中のパートはナレーションが入ったりして、ジャズというより舞台随伴音楽みたいな感じだが、なにしろ最初のふたつのパートがジャズといってもアルカイックな様式をベースにしているためか(しかも長い)、単調なリズムにあれこれ古臭いフレーズが散りばめられて、辛気くさいだけでも、いまひとつおもしろみが感じられないのだ。まぁ、3つ目のパートになると霧が晴れたように明るいムードになり、なにやらドラマの終わりを感じさせたりするのだが、そもそもドラマ自体が意味不明では、ちょっと話にならない気もするのだが....。
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ウィントン・マルサリス/スタンダード・タイム第2集~四月の想い出

2009年11月23日 02時25分03秒 | JAZZ
 昨晩、ウィントン・マルサリスの「スターダスト」を聴いたところ、あれこれ文句はつけたものの、けっこう良かったので今夜は彼のスタンダード・シリーズの第2集を聴いてみた。さっき調べたところ、彼はこれまでスタンダード・シリーズを様々な趣向で第6集まで出しているようだが、私の聴いた第3集までは....という留保付きだが、これが一番好きな作品だ。ハーリン・ライリー、ジェフ・ワッツ、マーカス・ロバーツ、レジナール・ヴィール、トッド・ウィリアムスという、第二期のレギュラー・バンドを率い、奇を衒わずスタンダードを演奏するというコンセプトのみで、あの時期のバンド・スタイルをそのまま流用しつつ、ストレートに王道ジャズを展開しているところがいい。もともと飛び抜けて実力のある秀才が集まっている訳だから、こういう8分の力くらいで演奏した方が、考えすぎでこねくり回したような演奏になるより、ずっといいのだ。

 収録曲では、やはり馴染みの曲がいい。「恋をご存じないのね」は非の打ち所がない程に整った端正なバラード演奏で、マルサリスのミュートが冴え渡る。これを聴くと「新時代のマイルスは彼をおいて他はない」みたいな当時いろいろなところで読んだフレーズを思い出す。タイトル曲の「4月の想い出」は当時のマルサリス・バンドの新伝承派風のところがよく出た演奏で、複雑な構成の中にインプロをはめ込んでいくアレンジに、錯綜するリズムいう具合に当時の先鋭的なフュージョン的な方法論を4ビートでやったような感じの仕上がり。こういうのはオリジナルでやると、「やってる方は楽しいだろうね」的な独善的なものになってしまうけど、ここではスタンダードという足枷が適度な開放感を生んでいて実に気持ちよく聴ける。「エンブレイサブル・ユー」はコード進行は-多分-そのままだが、明確なテーマが出てこない絡め手のアレンジだ。「ラバー」はアップ・テンポで快調に進む、これまた新伝承派風の演奏。こういうスポーティーな演奏はさすがにこのバンドは完璧だ。

 「イエスタデイズ」はさしずめアルバム中のハイライトか?。9分半に渡るバラード演奏で、「恋をご存じないのね」と同様、マルサリスのミュートが堪能できる。例によって洗練の極をいったような演奏だが、ここではマルサリスもさることながら、後半のソロを受け持つマーカス・ロバーツのソロがいい。マーカス・ロバーツといえば「イース・オブ・ザ・サン」はトリオ演奏で、これはマイルス・クインテットでレッド・ガーランドのフィーチャーした作品を収録した故知に倣ったのだろうか。個人的にはここ数年ダイアナ・クラールの歌ですっかり馴染みになっていた作品で、「ああ、この曲か」って感じでちょっとうれしくなった。という訳で、やっぱこのアルバムいい。このシリーズ、第3集がつまんなくて、それ以降は購入していないのだけれど、こういうアルバムは作ったりしているのだろうか。
 
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