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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

AL DI MEOLA / Anthology

2007年10月23日 17時35分30秒 | JAZZ-Fusion
 2000年に発表されたアル・ディメオラのベスト盤。ディメオラといえば、最近はテラーク・レーベルからワールド・ミュージック寄りのアルバムを出しているが、本作はディメオラが一番バリバリと引きまくっていた70~80年代のCBS作品からのセレクションとあって、AORとシンクロしたフュージョン・ブームの中にあって、チック・コリアから引き継いだと思われるテクニック至上主義的なシリアスさ、ギクシャクしたリズムと早弾きのオンパレードといったゴリゴリ感たっぷりのフュージョンが楽しめる....などと知ったか振りをして書いているが、実は私が持っているディメオラのソロ作品といえば、これしかない。70年代中盤以降、「白夜の大地」「エレガント・ジプシー」「カジノ」「エレクトリック・ランデブー」といった名作群は、当時からけっこうな興味はあったものの、聴き逃していたせいで、そのあたりの欠落を埋めるの格好の存在ということで、確か数年前に購入したのだった。

 その時、一聴した印象としては、「音が古い」「当時は凄かったかもしれないが、今ならなんてことない」といったものであまり芳しいものではなかった。これはロックなんかもそうなのだが、技術的に高度さで受けた作品は、後続の作品にどんどん抜かれてしまう運命にあり、当時、リアルタイムで聴いた記憶でもあれば話は違うだろうが、80年代、90年代のテクニカル・フュージョンあたりで、この手の音楽を親しんだ私としては、この音楽はちと基本過ぎて....みたいなところはあるし、デジタル・リバーブ導入以前の生っぽいドラムス音なども、とち古くさい音に聴こえてしまったりもするのだ。ただ、アルバムを通して聴くと、初期のゴリゴリ感から無国籍アコスティック・サウンドを経て、徐々にワールドミュージック的なところ音楽性が徐々にシフトしていくのは、幕の内弁当的に構成されたこのアルバムからもよく伝わってくる。

 ただ、変化はわかるけど、問題なのは後の曲にいけばいくほど、どうも面白味も減っているように感じることだ。テクニカルな初期の音や、アコギを主体とした無国籍サウンドは、フュージョン・シーンではそれなりに歴史の残るスタイルだったと思うが、ディメオラの場合、その後とったスタイルがちと地味過ぎたというところなのかもしれない?。今度、テラークで出した作品でも聴いてみようかしら。
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LEE RITENOUR / Wes Bound

2007年10月13日 22時14分07秒 | JAZZ-Fusion
 リー・リトナーってなんとなく軟派なイメージがあって、ソロ作品はほとんど聴いたことないんですが、95年頃、当時在籍していたフォープレイでのプレイで、彼にのプレイに対する認識をけっこう新たにしていたところ、どウェス・モンゴメリー・トリビュート的な企画ということで購入した作品です。3曲ほどリトナーのオリジナルが入っていますが、あとはほぼウェス・モンゴメリーのゆかりの曲のカバーとなっています。内容的には良くも悪しくもGRPといった感じであり、ゴリゴリ感の全くない、都会的で洗練され、適度にポップでBGM的なジャズといったところであり、サウンド的にも非常にゴージャスな質感の録音もとてもリッチです。つまりスムース・ジャズですね。

 リトナーのギターはほぼ全編ウェス風なオクターブ奏法や分厚いポイシングで通していますが、これはフォープレイなど近年のプレイでほぼお馴染みになっているので、特に違和感なし。特にオリジナル曲でボブ・ジェームスやハービー・メイソンが参加している曲になると、ほとんどフォー・プレイのスピンアウトのような音になっていますし、やはりこのふたりが参加した「Wes Bound 」「Road Song 」「West Coast Blues」といった有名曲もかなりフォープレイ的なスムース・ジャズになっています。おもしろかったのはオルガン・トリオ+ビッグ・バンドというフォーマットで演奏された「4 On 6」ですかね。「ウェス・アンド・ジミー」のオマージュかもしれませんが、今時なオルガンとリトナーの絡みも楽しく、ジャズ的感興とフォー・プレイ流のスムースさがうまく合体してなか聴き応えかありました。あと、オリジナル曲では「West Coast Blues」の意表をついてAOR風なゆったりとしたアレンジに変身させたありも楽しかったかな。

 という訳で全体としては決して悪くないものの、どこかに突き抜けたようなポイントが欲しかったですかね。アレンジにせよ、ヴァリエーションにせよ、もう少しヘソになるような部分でもあればアルバムの印象もかなり鮮明になったのかもしれませんが、よくも悪しくもスムースに流れ過ぎてしまい、リトナーのギターワークもウェスの曲もそれに埋没してしまったような感じるのは、とどのつまりリトナーの中庸さというものなのかもしれませんが。
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松岡直也/スプラッシュ&フラッシュ

2007年08月23日 23時20分57秒 | JAZZ-Fusion
「夏の旅」に続いてリリースされた1985年の作品。前作のレビュウを書いたのはもう一昨年のことになってしまったが、その時書いた「日本人による日本人のためのラテン音楽」がこのアルバムでは更に洗練された形で演奏されていく、前作ではいささかドメスティックな「夏の風景」だった訳だけれど、本作からはいよいよアルバム・ジャケその他にわたせせいぞうを起用して、彼の描くイラストがいわば松岡直也の音楽の「見出し」の役目を担うことになるのだが、これがまた見事にハマったのだった。松岡の音楽にはウォームでウェットないかにも日本人が好みそうな情緒を少しモダンな手法(ラテン+テクノとでもいったらいいか)で表現することに、わたせの描くちょっとバブリーでナルシスティックなイメージと見事にクロスオーバーしたというところなのだろう。

 結論からいってしまうと、個人的にはこれが80年代に松岡直也が残したアルバムの最高傑作だと思う。収録曲は全部で6曲、それまでやってきたテクノ風なリズムやハード・ロック的なサウンドなどトリッキーなところは、ひとまずは隠し味程度にして、どの曲も「日本人による日本人のためのラテン音楽」という王道路線を貫いており、1曲目の「On A Summer Day (Part 2)」の哀愁路線、2曲目「Splash & Flash」、カリプソのリズムと松岡らしい伸びやかな旋律との組み合わせが、いかにもこの時期の彼らしさを感じさせる3曲目「A White Oleander」、また、4曲目の「Driftin’ On The Waves」は、前作「夏の旅」のパースペクティブを受け継いだようなサウンドだし、5曲目の「Movin’ With The Wind」の涼感をさそう遠近感あるサウンドは松岡そのものといえる、その他の曲も松岡らしい、独特のカラフルだが淡彩なリズム、情緒溢れる旋律、よく練り込まれたサウンドとなっている。

 という訳で、要するにこのアルバム捨て曲のようなものが一切なく、非常に完成度の高い、名作が多い松岡のアルバム群の中でもひときわ印象深いアルバムになっているのだが、文句をつけるとすれば、アルバムの1曲目は12インチ・シングルとして発売された「On A Summer Day (Part 1)にして、オーラスに「On A Summer Day (Part 2)」をもってきた方が、アルバムとしての完成度が更に高くなったように思うのだが、どうだろう?。このアルバムはアナログ最終期に発売されたので、収録時間的にこのような構成は無理だったろうが、今ならCDで余裕で収録できるハズだから、せめてボーナス・トラックとして、前述の12インチ・シングル分を収録してくれないだろうか?。
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CHICK COREA / Tap Step

2007年08月20日 18時03分57秒 | JAZZ-Fusion
 80年の作品。前回取り上げた「シークレット・エージェント」からほぼ2年振りの作品ということになる。ことコリア自身の名義による作品だけに絞ってみてから、70年代中盤以降、ほとんど乱発といってもいいくらい作品ラッシュだったことを考えれば、2年というインターバルはかなり長いとみてもいいのではないだろうか(もちろんこの間もゲイリー・バートンやハービー・ハンコックとの共演盤なども忙しく出してはいるのだが....)。おそらく、この数年間でコリア流のフュージョン・スタイルというものをやり尽くしてしまい、これから進むべき方向性を模索してし始めてたという事情もあるのかもしれない。

 まぁ、そういう意味でこのアルバムは、ワーナーに移籍第1作ということではあるが、70年代中盤以降のコリアの活動のある意味、総集編的な作品といっていいと思う。メンツはこれまでのアルバムに頻繁に登場したお馴染みの面々であり、出てくる音やフレーズもほとんどブランド化しているというか、安心して聴いていられる反面、正直いってモランのボーカルとか、ブラス隊、シンセ・オーケストレーションとか出てくると、「あぁ、またかい....」という感じもある。全体の仕上がりとしては、「シークレット・エージェント」の流れを受け継いだのか、あまりゴリゴリとしたところは表に出さず、比較的口当たりの良いサウンドになっていて、どことなく穏やかな風情があるのはひとつの特徴かもしれない。

 収録曲は全部で7つ。1曲目はといつもの序曲風なところと浮遊感のあるボーカルをプラスしたような作品。2曲目はAOR風なフュージョンで、バニー・ブレルのベースがフューチャーされたいかにも70年代後半の香りがする作品。タイトル曲は、シンコペしたリズム・パターンを延々と繰り返しながら、様々なソロを繰り出す、アルバム中ではもっとジャズ的スリリングさある作品となっている。4曲目はスペイシーなシンセ・オーケストレーション、ピアノ、ブレルのベースなどの絡みで進むアブストラクトな作品。5曲目は再びサンバでコリアらしいエレピをフィチャー、6曲目はエピローグのようボーカル作品、ラストはいつもの「バルトーク風にシリアスさ+スパニッシュ調」の大作を自らパロディ化したような仕上がりで、このあたり、本作のフットワークの軽さが良くでているところだと思う。
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サマー・ナーブス/坂本龍一&カクトウギセッション

2007年07月12日 22時58分21秒 | JAZZ-Fusion
 坂本龍一の音楽は時にワールド・ミュージックにかなりクロスするせいか、個人的には「夏向きの音楽」が多いと思う....というか、ポピュラー・フィールドでの作品の大半はそのままサマー・ミュージックになってしまう音楽だと思う。代表的なところでは「未来派野郎」「ハートビート」「スウィート・リヴェンジ」などがそうだ。この「サマー・ナーブス」もそういう作品のひとつである。もっともこの作品の場合、ジャケの柄にもないポップさ、通俗味からして、どうもソニーがお膳立てした、当時流行のポップ・フュージョンの企画物っぽい作品という色彩も濃厚だから、全面的に坂本の意向が反映したアルバムというより、歌謡曲のアレンジみたい「お仕事」だったのかもしれないという可能性はあるのだが(当時、松任谷、井上、細野といった面々がこういうアルバム沢山だしていた)。

 さて、ちなみにこのアルバムだが、個人的に全体を通して聴くということはほとんどなくて、もっぱら夏に聴くのは最後の2曲「スウィート・イリュージョン」「ニューロニアン・ネットワーク」だけである。まず前者だが、このアルバムを代表するフュージョン・ナンバーである。というか、このアルバムでフュージョン作品といったら、実はこの曲くらいしかなく、後はレゲエだったり、ファンクだったりする訳で、その分、この曲はゲストに渡辺香津美を呼んで、ホットでスムース、清涼感とゴリゴリした感覚がごっちゃになったまさにKylyn的なフュージョンなっていてアルバムでも最大の聴き物だと思う。後者はトロピカルなアンビエントといいたいような作品で、個人的にはアルバムで一番好きな曲となっている。シーケンサーと高橋が刻む単調なリズムにのって、脱色したリチャード・ティーみたいなエレピとスペイシーなサウンドが快適だし、全般にかなりYMOに近づきもするが、ぎりぎりでフュージョンの枠に留まっているあたりのバランスも悪くない。また、終盤近くでリズム・チェンジするあたりはこの曲ハイライトともいえる心地よさがある。
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チック・コリア/シークレット・エージェント

2007年06月21日 23時30分01秒 | JAZZ-Fusion
 76年に続く、「乱発の年」であった78年に出したアルバムのひとつ(ソロ名義だけでも他に「フレンズ」「マッド・ハッター」を出している)。比較的ポップでリラックスした表情を見せ、当時のフュージョン・ブームに目配せをしたような「フレンズ」、コンセプト・アルバム指向の強い大作指向の「マッド・ハッター」に対し、このアルバムはどちらというと、「フレンズ」のナイト・ミュージック版のような仕上がりだ。具体的にいえば、音楽主義的な面、テクニック史上主義なところは割と抑制されて、その分都会的なファンキー色やAOR風味が強いといったところだろうか。また、リズム・セクションが常連のスティーブ・ガッドやスタンリー・クラークが消え、当時コリアが発掘したドラムスのトム・ブレックライン、ベースのバーニー・ブルネルが登場しているあたり、サウンド的にはこれまでとは微妙に色合い変えてきている。

 1曲目「ゴールデン・ドーン」はシンセ・オーケストレーションをフィーチャーした序曲風なファンファーレだが(このパターンも「またかい」と感がかなくもない)、シンセだけでオレが、オレが....となるのではなく、しっかりとバンド・ミュージックになっているし、ピアノがいかにもポップなフュージョンしているのも楽しい。2曲目「スリンキー」はファレルのフルートとエレピをフィーチャーした基本的にRTF風な作品なのだが、リズムがファンキーでキレが良いのでアップ・トゥ・デートな感触も不足はない。3曲目「ミラージュ」はトロンボーンとシンセのデュオによるリゾード風な空間サウンドだが、バルトーク的な表情も見せる。4曲目「ドリフティング」はモランをフィーチャーしたボーカル作品、彼女が登場する時にありがちな意味不明な無国籍的情緒でもって仕上げられた作品だが、正直いうと彼女のボーカルをフィーチャーした作品を私はあまりおもしろい思ったことがない、この作品もご多分にもれずそうだ。一方、5曲目「グレープ・ストリート・ブルース」はモランのボーカルをフィーチャーしつつも、タイトル通りブルージーなAOR的としてまとめてあるのがおもしろい。

 6曲目「フィックル・ファンク」は、タイトルとおりファンキーな作品だが、いかにもチック・コリアらしいシャープなリズムのキメが連打される、スポーツ的な快感が充満したテクニカルな作品だ。リズム・セクションはさすがにやや大人しいものの、ガッドとクラークと比較してもそれほど遜色がないはさすがだ。コリアはこういう新人を発掘してくるのが本当にうまい。7曲目「バガテル第4番」はバルトークの作品。コリアの音楽的指向の中にバルトークというのが確実にあって、彼が比較的なシリアスな音楽をつくろうとするときまってバルトーク臭くなったりするのだが、こちらはピアノとシンセでシンプルに仕上げている。8曲目「ホット・ニュース・ブルース」はなんとアル・ジャロウをフィーチャーした作品だがAOR風な訳でもなくややテクニカルさ不発に終わった感じ。9曲目の「セントラル・パーク」は、この時期のアルバム同様ラストを飾るストリングスなども導入大作指向の強い作品で、例によって最後に相応しくスリリングな場面も用意されているのだが、ラテンのリズムとトラッドなストリングスがいくぶんリラックスした雰囲気を醸し出しているのがむしろ特徴か?。
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スタンリー・ジョーダン/虹の階段

2007年06月13日 23時40分59秒 | JAZZ-Fusion
 80年代後半にタッピングというギター奏法で話題になったジャズ・ギタリストだけれど、これはその彼が90年日本のブルーノートで繰り広げたライブ・パフォーマンスを収録したライブ盤だ。私はギター奏法について全く詳しくないのだが、タッピングとはロックでいうライトハンド奏法のことであろう。例のヴァン・ヘイレンで有名になった、あのフレットのところで現を右手で叩いて、トレモロのような効果を出す奏法である。スタンリー・ジョーダンの場合、これを更に推し進めて、両手でギターを2本弾くというようなことまでやってしまうらしく、このライブでもそのそうした奏法が大々的に披露されているようだ。確かにこのアルバムではソロとバッキングを同時にやっているようなところが多数聴かれる。

 ただ、テクニック的に斬新なだけでは単なる音楽のサーカスになってしまう。実際、この彼のアルバムではそういうところもあったらしいが、このアルバムではギター・フュージョンとして聴いても音楽的になかなかのものであると思う。このアルバムで聴ける彼のギター・ワークは良く歌うし、例のテクニックも、別段これみよがしなところがなく、至極音楽的で、センスもなかなかなものだと思う。また、曲の方もレッド・ツェッペリンの「天国の階段」に始まって、コルトレーンの「インプレッション」、ロッド・テンバートンの「レディ・イン・マイ・ライフ」と続き、「枯葉」「ストールン・モーメンツ」と4ビート、ロック、ブラコンと、実にヴァーサタイルな選曲で楽しませてくれるし、予想に反し、4ビート&スタンダード系の作品の方がむしろ楽しめたりするのは(ウェス・モンゴメリーの名演をモダンにリファインしたような「インプレッション」などなかなか快演であるし)、彼の素性の良さを物語っているようにも思える。

 ただ、これは彼のために惜しんで書くのだけれど、いかんせん、弦を指で叩くという奏法の限界なのだろか、タッピングを駆使したギターの音色はとても細く、ともすれば貧弱に聴こえてしまうのは遺憾ともしがたい点かもしれない。もう少し太い音色、あるいは強烈な個性のようなものがあったら、もっと良かったと思う。今やスタンリー・ジョーダンといえば、既に「忘れられたギタリスト」かもしれないが、このアルバムの後、彼の音楽はいったいどうなったのだろう。ひょっとすると私が期待するような個性を醸成してくれていたりするのかもしれないが、あまり消息を聞かないところからして、どうもそうした方向で進化もしていないようだ。残念なことである。
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スティーブ・カーン/ザ・ブルー・マン

2007年05月25日 23時29分42秒 | JAZZ-Fusion
 スティーヴ・カーンというギタリストにはどうも縁がない。いやもちろん、いろいろところで名前を見かけるし、彼がセッションで参加したアルバムは沢山もっていたりもするんだろうけれど(例えば黄金時代のボブ・ジェームスの作品には常連だったし、先日取り上げたマイニエリの作品にも入っていたし、スティーリー・ダンなんかにも関わったはず)、いまひとつ「スティーヴ・カーンってこういう人」ってイメージが持てないのである。ギタリストというよりは、よくわからないけど、プロデューサーとかアレンジャーみたいなイメージが強いせいかもしれない。

 このアルバムは1978年のソロ第2作で、ちょっと硬派だが典型的なフュージョン・ギター・アルバムといった仕上がりだ。カーンのギターはよく伸びるちょっと官能的なトーンが特徴で、こうして彼を全面的にフィーチャーしたアルバムを聴くと、ああホブ・ジェームスの「白鳥」とかスティーリー・ダンの「グラマー・プロフェッション」で聴えてくるあのギターね.....という感じになる。曲としては1曲目の「デイリー・ブルス」がもう70年代後半のギター・フュージョンの美点を7分に集約したような曲で、聴いていて懐かしくなるやら、その豊富な情報量に感心するやらで、あっという間に聴き終わってしまう。ストリング・シンセの懐かしい響き、いかにもAORなシンコペが効いたリフ、都会的なクールさとホットなスピード感の混在などなど、実に聴きどころ満載なのである。ちなみに渡辺香津美の「トチカ」あたりは、このアルバムの音にかなり近いものがあるけれど、そう考えると「典型」ではなく、「典型をつくったパイオニア」なのかもしれないなどと考えたりもした。

 参加メンバーはブレッカー、サンボーン、ガッド、グロルニック、リーとステップス周辺のニューヨーク勢力が大挙して参加している。一種頂上セッションの様相を呈しているが、カーンはソロの垂れ流しで体裁を整えた安易なアルバムにせず、かなりきっちりと作り込んだ仕上がりにしているのはさすがだ。ブレッカー・プラザーズをフィーチャーした曲やアコスティック・サウンド、マイニエリをフィーチーした幻想的な作品などヴァリエーションが豊富なのも凄い。まさに70年代の名作という他はない仕上がりである。
 
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チック・コリア/マッド・ハッター

2007年05月05日 23時22分17秒 | JAZZ-Fusion
 78年の個人名義の作品で、「不思議の国のアリス」を題材としたジャズとしては、珍しいコンセプト・アルバム。この種の作品としてはソロ名義の「妖精」やRTFの最終作となった「ミュージック・マジック」、あとちょっと毛色は違うけれど「マイ・スパニッシュ・ハート」なんかが共通する感触があって、弦楽合奏やシンセのマルチ録音によるオーケストラ的なサウンド、女声のスキャット・ボーカルなどを導入して、従来のジャズの枠を拡大していくような指向は先の作品とよく共通していると思う。前にも書いたけれど、とにかくこの時期のコリアは創作意欲がみなぎっていたらしく、あれやこれやと思いついては、即アルバム化してしまうというパターンが続いていたので、いささか似たようなアルバムを乱発気味だったきらいないでもなく、このアルバムも前述の要素が音として出てくるにつけ、正直「またかい」と思ったりもするのだが、新味としてはアコスティック・ピアノがかなり大々的にフィーチャーされているあたりだろうか。

 1,2,3曲目は、序曲的なオーケストラ・サウンドで、ミステリアスな雰囲気を奏でるシンセ・オーケストラとファンタジックなアコピの組み合わせが中々美しい。続いて室内楽風な弦楽とアコピのとりあわせで例によってバルトーク風、更に続くボーカルをフィーチャーした3曲目では新古典派風な乾いたユーモアが全面に出ているが、これはちとやりすぎか。この後、短いインターリュードをはさみつつ、フィーチャーされるのは、まず4曲目の「ハンプティ・ダンプティ」。アコスティック・バンドでもお馴染みのシャープなリズムのキメが登場するカッコ良すぎる名曲で、6曲目のボーカルがフィチャーされた「フォーリング・アリス」だが、結局は中間部のファレルのサックス・ソロあたりの高潮感がハイライトとなる。
 後半は8曲目の「ディア・アリス」と9曲目「ザ・マッド・ハッター・ラプソディー」のふたつの大作がメインになっていて、前者は「フォーリング・アリス」と同タイプのミディアム・テンポでじんわり盛り上がる曲で、ここでもスティーブ・ガッドのドラムに挑発された各人のソロが熱い。後者はゲストのハービー・ハンコックをフィーチャーした作品で、ラテンのリズムにのって、キーボード・バトルが展開してスリル一杯。

 という訳で、コリアのこの手のアルバムとしては、音楽そのものはかなり洗練されてるし、諸作の中では一番聴きやすい内容だと思うのだが、どうも曲の物語性みたいなものと、テンションの高いインプロってどうもしっくりこないなぁ。前にも書いたけど、やっぱこういうことをやるとなると、英国のロックバンドにはかなわない気がする。
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John McLaughlin / Belo Horizonte

2007年04月21日 14時28分05秒 | JAZZ-Fusion
 前回レビュウした「Mahavishnu」と同年の作品ですが、こちらは主としてアコスティック・ギターをフィーチャーしたけっこう軽快でポップなタッチ、録音はフランスはパリ、バックを固めるミュージシャン達もフランス人というのも異色なら、青空をバックににこやかに笑うなんだか幸せ一杯で、しかもロングヘアーなマクラフリン(笑)が写ったジャケというのもかなり異色で、これまでのシリアスで求道的な作品ばかりつくってきた系譜からすると多少外れた異色作という感じがします。このあたりは当時のマクラフリンがカティア・ラベック(クラシックで一時アイドル的に人気のあったラベック姉妹の姉の方ね)と結婚したことが、色濃く影響しているんでしょうね。確かに恋は人を変える(笑)。

 アルバム1曲目タイトル・トラックは、このアルバムを象徴するような曲で、入り組んだテーマはアコギとラベックのシンセのユニゾン、途中かなりスピーディーなソロが展開されたりするところは、いかにもマクラフリンらしいのですが、あまりギクシャクしたところを全面に出さず、全体に流れるように演奏しているため、親しみやすい雰囲気がある仕上がりになっています。2曲目の「La Baleine」はボサノバ風なリズムにシャクティ的なエキゾチックな趣を合わせ持った作品で、一歩間違えばBGMフュージョンになってしまいそうな軽さが異色。3曲目の「Very Early」はもちろんビル・エヴァンスの作品で、マクラフリンが「ひとりスーパー・ギター・トリオ」したマルチ録音によるギター・ソロ。4曲目の「One Melody」はちょっとフリー・ジャム風な趣もある作品で、低回気味なムードが徐々にテンションを上げていく構成がマハビシュヌ風です。

 5曲目の「Stardust on Your Sleeve」もリゾート風な雰囲気のあるトロピカル・フュージョン風な作品でアコギとソプラノ・サックスの絡みで進行。6曲目の「Waltz for Katia」はスピーディーなジャズ・ワルツのリズムにのって、ヴァイオリン、ピアノ。そしてアコギが入り乱れるけっこうテクニカルな作品ですが、やはりあまりゴリゴリしたところはなく、全体はとてもスムースに流れていきます。後半でリズム・チェンジするあたりはなかなかカッコ良いですね。7曲目の「Zamfir」はベースをフィーチャーしたスペイシーな雰囲気のある作品。ラストの「Manitas d'Oro」はパリ録音という地の利を生かしたのか、パコ・デ・ルシアをゲストに呼んだギター・デュエットで、これはもろにスーパー・ギター・トリオ的な仕上がりになっています。もっともライブのような壮絶なインタープレイの再現ではなくて、スタジオ盤で聴けたようなエキゾチックな香りがちらほらするリラックスした音楽の再現なのですが....。

 という訳で、このアルバム、無理にこじつければマクラフリンマハビシュヌ路線とスーパー・ギター・トリオやシャクティなどのアコスティックな路線を統合した音楽といえないこともないかもしれません。非常に聴きやすく、しかもテンションも高い演奏になっているのはさすがマクラフリンというところでしょうが、ちと気になるのは、ここでバックを固めるフランス人ミュージシャンたちで、かなりうまい人達には違いないとは思うのですが、フランス風といっては身も蓋もないものの、どうも地に足がついていないというか、ベースにしろ、ドラムにしろなんだか手数だけで走り回っているみたいなところがあって、多少違和感を覚えます。もっとも、こういう人達がバックを陣取ったから、このアルバムの流麗さが出たともいえますけどね。

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マイク・マイニエリ/ワンダー・トラスト

2007年04月13日 23時31分00秒 | JAZZ-Fusion
 マイク・マイニエリはステップス(アヘッド)のリーダー兼ヴィブラフォン奏者として80年代から活躍している人だが、私は肝心のステップスの全盛期の作品をほとんど聴いたことがなく、この時期のマイニエリがメインに聴ける作品としては、私がもっている唯一の作品だ。私はマイク・マイニエリというと、渡辺香津美の「ToChiKa」や「Talk You All Tight」といった作品でプロデュースやゲスト参加で知ったクチなので、この作品もそれらの作品にあったニューヨーク的なソリッドなハードさとをフュージョンらしいスムースさの絶妙なバランス....といったところを期待したのが、購入して一聴した感想としては、大局的にはそういう作品ではあるとしても、いささか予想とは違ったなという印象ももった。

 1曲目の「クロスト・ワイアーズ」では、浮遊感のあるリズム的なモチーフがテーマ全編に渡って流れ、テーマも幻想的、ソロもインブロというより、空間的に配置されたオブジェクトのように聴こえ、のっけからNYフュージョンというは映画のサントラのように聴こえる音楽なのである。2曲目の「サラの感触」はテーマではマイケル・ブレッカーのサックスをフィーチャーされる、しっとりしたジェントルなバラード風な作品だが、中間部のマイニエリのソロの転調具合などかなりしつこく作り込まれたアレンジで、やや胃もたれする。3曲目「特急列車」はアルバム中、一番オーソドックスなNYフュージョン的な作品といえるかも...。軽快なサンバのリズムにのって、ブレッカー、マイニエリ等が奔放なソロをとっていくが、このリズムだったらもうすこしpopにまとめてもよかったとも思う。4曲目ブレッカーのソプラノ・サックスでテーマを奏でる70年代風な作品で、陰りある曲調からアグレッシブな展開となっていくが、マイニエリのソロはとても幻想的なムードをもっている。6曲目の「バンブー」は東洋風かつミステリアスな雰囲気を持った作品で、渡辺香津美がアコギでゲスト参加しているが、ちと散文的すぎた感もある。オーラスのタイトル・チューンは、マイニエリのちとアブストラクトなヴァイブをフィーチャーしたアコスティックな作品だ。

 という訳で、旧A面はエレクトリック、旧B面はアコスティックみたいなムードでまとめているようだが、全般的にスポーティーなフュージョンというにはポップさが足りず、ハードコア・フュージョンというには正統派な趣がありという具合に、スムース・ジャズ的な面で見るとアブストラクトと、どうも中途半端な作品という気がする。よくわからないけれど、ありきたりな音楽にしたくないという意欲が、ちと先走りしてしまい、いささか考えすぎな音楽になってしまっているのではないか。マイニエリといえば「ラヴ・プレイ」が有名だけど、あれなどどんな音楽をやっているのだろう?。
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KAZUMI BAND / Talk You All Tight(頭狂奸児唐眼)

2007年03月29日 22時45分22秒 | JAZZ-Fusion
 Kazumi Bandは、渡辺香津美がニューヨークの精鋭ミュージシャンとの共演で作り上げた名作「ToChiKa」の後、81年に作られたバンドだ。ジャズといってもかなりロック系なマライアを吸収したような形で結成されたというのは有名な話だが、コンサバティブなジャズの分野をあっという間に征服してしまい、海外の一流ミュージシャンあるいはYMOとのいったミュージシャンとの共演で自ら活性化して成長してきた渡辺としては、徐々にジャズ・シーンでもボーダーに位置するミュージシャンとバンドを組むようになっていくのは一種の必然だったろう。以降の渡辺はこうした異種格闘的なセッションや共演で、どんどんアグレッシブな音楽を指向するようになったが、思えばこのアルバムあたりがその走りだったともいえる。

 このアルバムをひとくちにいえば、「ToChiKa」的なオーソドックスなフュージョンにマライアのロック的なセンスをほどよくとりいれた音楽といえる。現在の感覚で聴くと、ここで取り入れたロック的なボキャブラリーなど、その後のMOBOプロジェクトの過激さ比べれば、特に驚くほどのものではないのだが、1曲目「ノー・ハリバット・ブギ」のブギウギのイントロから「ToChiKa」風の本編になだれ込んでいく瞬間だとか、2曲目の「マーズ」の後半突如ひきつるような変拍子に転換する場面、、5曲目の「グレート・リヴェンジ・オブ・ザ・ホン・ホン・ウーマン 」のハードロック風味と場面がくるくるかわる展開、8曲目「カンフー」の脱色した4ビート(ウェザー・リポート風?)など、当時としてはかなり実験的に聴こえたものだし、渡辺自身のギターもロック風なディストーション・サウンド、フレージングにかなりの部分比重を移していて、確実に変貌を感じさせたのだった。

 ちなみに、次の「ガネシア」では、これらの部分を更に推し進めたサウンドで、Kazumi Bandはあっという間に一種の極北に達してしまう訳だけど、このアルバムではまだそこまではいっておらず、良くも悪しくも前作の「ToChiKa」路線というか、当時の王道フュージョン路線の曲もそつなくこなしている。3曲目「ブロンズ」のディメオラ風なアコースティック・サウンド、4曲目のタイトル・トラックのプレッカーブラザーズ風のアグレッシブさ、6曲目「ネバー・ハイド・ユア・フェイス 」の大泣きのバラードあたりがそうだが、このアルバムではこうした曲が前記の実験的な作品と雑然と混在しており、なんとも過渡期なバランスになっている。逆にいえば、そのあたりがこのアルバムをおもしろいものにしているともいえるだろう。「ガネシア」までいっちゃうとダメだが、本作はけっこう好きだという人がけっこういるのはそのためではないか。
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櫻井哲夫/ジェントル・ハーツ

2007年03月24日 16時11分10秒 | JAZZ-Fusion
 2年ほど前にグレッグ・ハウの「エクストラクション」をレビュウした直後に購入して放置してあったもの。 エクストラクション(結局、バンド名なんですかねこれ)は、グレッグ・ハウ、ヴィクター・ウッテン、デニス・チェンバースの3人+αで結成された、いかにもNY産らしい、非常にテクニカルな変態フュージョンみたいな代物で、ずいぶんと愛聴しましたが、これはメンツ的には調度エクストラクションのベースが櫻井哲夫に替わったような布陣で録音されたアルバムです。もっともエクストラクションのアルバムは2004年で、こちらは2001年の制作ですから、ひよっとするとエクストラクションの導火線のような位置づけのアルバムなのかもしれません。

 さて、私はカシオペアというバンドの音楽にはあまり縁がないまま、80年代を通り過ぎてしまいましたので、櫻井哲夫がカシオペアでどんなプレイをしていたのかよく分からないのですが、一聴すると派手なスラップ・ベースが目立ちますが、NYフュージョンのあらかたの奏法は完全に手の内に入っているという感じで、ジャコ、M.ミラー、A.ジョンソンでもなんでござれとった風情で、ギンギンに6弦ベースを弾きまくっています。デニス・チェンバースとグレッグ・ハウは総じてエクストラクションの時に準じたプレイですが、グレッグ・ハウは全開状態だったエクストラクションに比べると多少おとなしですが、デニス・チェンバースは相手が誰であろうと、音楽をねじ伏せるようにぶっ叩いていて、相変わらず痛快なドラミングです。
 音楽的にはどうしてもエクステンションとの比較になってしまいますが、良きにつけ悪しきにつけ、櫻井哲夫という人の個性が出ているようで、パンキーでソリッドなフュージョン・サウンドをベースにしつつも、不思議な明るさ、ラテン的なわくわく感が見え隠れしているのが特徴でしょう。逆にいえばNYっぽいダークで殺伐とした感じ、音楽の坩堝のようなグシャグシャ感のようなものは、エクステンションの方にかなわないという感じがするのもまた事実。

 曲としては、1,2曲目のベース・テクニックの見本市のような壮絶なキメの連続あたりは当然楽しめましたし、ジャコのカバーである3曲目のギターとベースのこみいったユニゾン、ハウがホールズワースばりの流麗なギターを披露する6,7曲目など70年代っぽい感じムードがただよう曲も良かったです。あと、4曲目と8曲目はバラード風な曲ですが、こういうのはいかにも日本のミュージシャンがつくりそうな曲なので、「あぁ、そうそう、これ邦人ミュージシャンのアルバムだったんだよなぁ」などと思ったりしました。それにしても、櫻井哲夫もエクステンションも音楽的にはかなり成功してハズなのに、どうして「この後」がないんでしょうね?。
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デイブ・グルーシン/酒とバラの日々 ~H.マンシーニに捧ぐ~

2007年03月13日 23時18分48秒 | JAZZ-Fusion
こちらはデイブ・グルーシンのアルバム。90年代のグルーシンはガーシュウィンにエリントン、あとバーンスタインといった作曲家のトリビュート・アルバムを連発していたことがあったけれど、これも一連のシリーズの一枚。メンツはグルーシン、ハービイ・メイスン、ジョン・パティトゥッチのピアノ・トリオをベースに、ギターのラッセル・マローン、トム・スコットのサックス、ダイアナ・クラールのボーカル、ブラス・セクション、ストリングスなどを要所要所に配したメンツ的にも豪華だが、なによりもそのサウンドがいかにもGRP(しかもトミー・リピューマ)らしい、洗練されたジャジーさと豪華なたたずまいの仕上がりになっている。

 もちろん、自身が映画音楽の作編曲家であり、ジャズ・ピアニストでもあるグルーシンのことだから、マンシーニのオリジナルをそのままなぞるようなことはせず、あくまでもジャズ・アルバムとしてマンシーニのスタンダードを料理しているのはさすがだ。曲としては、クラールが軽くフェイクするボーカルがオシャレな「ドリームスヴィル」、オリジナルのラウンジ風なところをオーソドックスなピアノ・トリオで料理した「ミスター・ラッキー」、「酒とバラの日々」、ストリングスを配してグルーシンのつくる映画音楽のように聴こえる「その日その時」、「いつも2人で」、「暗闇にさようなら」などどれもほとんどエクセレントな出来。オーラスに再びクラールのボーカルをフィチャーして、しっとりと歌われる「雨の中の兵隊」のわびしい美しさにもぐっとくるし、リスナーは聴き飽きたと判断したのか、意表をついたアレンジで仕上げた「ピーター・ガン」もおもしろい。

 という訳で、ベスト盤への選曲だけど、個人的に好きでない「ハタリ」と「小象の行進」以外は残り8曲全部入れたい気分(笑)。オリジナルはどの曲も2,3分だから8曲選んでも大したことないが、このアルバムだとそれぞれ5,6分もあるので、8曲はさすがに多いかもしれない。とりあえず、「酒とバラの日々」「ピンク・パンサーのテーマ」は次点ということにしておくとしよう。ちなみにこれらの曲のアルバムのポジションだけど、他の2枚のアルバムは基本的にオリジナルに近い形で演奏されるので、それらの曲の合間に「気分を変えてしばらくジャジーに....」という感じが配置するのがいいと思う。全体の構成としてはこんな感じにしたいが、どうだろうか?。

【額縁の3曲+α】-【グルーシン】- 未定 -【グルーシン】-【額縁の3曲+α】
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チック・コリア・アコスティック・バンド/ライブ・フロム・BN東京

2007年03月06日 21時21分46秒 | JAZZ-Fusion
 という訳で、昨夜ヴィニー・カリウタのところでちょっと話題に出した、チック・コリア・アコスティック・バンドのライブ盤を久しぶりに聴いてみた。タイトル通り、ブルーノート東京での収録というレコーディング・ロケーションなのに加え、ドラムがいつもデイブ・ウェックルではなく、カリウタにスウィッチしていることから、もしリアルタイムで出ていれば、ファンとしてはけっこうな「買い」の要素が満載なアルバムのはずなのだが、実際に発表されたのがオリジナル・パフォーマンス(92年)から4年も経ち、バンドそのものが消滅してしまった96年だったのがまずかったのか、ほとんど話題にならなかったような気がする(まぁ、そのものも公式ブートみたいな感じであったけれど)。

 内容だが、昨日も書いたとおり、デイブ・ウェックルからカリウタにドラマーが変わったことで、音楽の感触が一変しているにまずは驚く。このパフォーマンスをした時点でこのバンドは一応、スタジオとライブの2枚をリリースしていて、4ビートをベースにしつつ、フュージョン的にスポーティーな感覚とある種のスムースさでもって、とてもポップでモダンなトリオ・ミュージックを作り上げいて、音楽的には既にほぼ完成していたといえる。ところがカリウタは、良きにつけ悪しきつそれを崩壊させてしまった....それを記録したこのアルバムである。ウェックルの手数は多いものの、基本的には直線的に流れていくドラムに比べ、カリウタのそれはリズムを自在に寸断させ、妙なところにリズムの隙をみつけてはそこに切り込んでいく、またアブストラクトなポリリズムを容赦なくバンドに持ち込み、それまでこのバンドがもっていたフックワークの軽い弾力性のようなものを変質させてしまった。

 1曲目の「ハンプティ・ダンプティ」など、複雑なキメをビシバシ決めていく快感のようなものが魅力な曲だと思うが、ここでは暴れまくるカリウタの奔流のようなドラムにのせいで、連打されるキメはまるでドラムのフィルインのような装飾になってしまっているし、ドラム・ソロからスタートする4曲目の「チェーシング・トレイン」なども、本編が始まってもまだドラム・ソロが続いてるみたいな、そんな我関せず状態のドラムを叩きまくりながらも、結局はそれにのっかるふたりまで、そんなドラムに反応して激辛なソロで応酬してしまう展開になっている、凄いものである。ちなみにこのライブでは、コリアはエレピ、パティトゥイッチはエレクトリック・ベースを時折りだしているが、このあたりアコスティック・バンドというフォーマット自体が、カリウタの参加で終わってしまっていることを、自ら証明しているようでおもしろい。6曲目の「チュンバ」など、3人でやったチック・コリア・エレクトリック・バンドといった風情である。

 そんな訳で、非常にライブらしい感興があって、スリリングなパフォーマンスなのだが、これがチック・コリア・アコスティック・バンドなのかというと、やはりちょいと違うんじゃないかとも思ってしまう。前述のようにこのバンドはスポーティーでモダンな4ビートという要素が核にあって、やはりそれらはウェックルの果たしていた比重が大きかったといわざるを得ない。おそらくチック・コリアは「たまにこういう他流試合もいいが、やっぱこれはオレの判を押した音楽じゃない」とでも思ったのだろう。以来、カリウタとのコラボレーションはこれきりになったのである。
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