市原市議会議員 小沢美佳です

市政や議会の報告、日々の活動や想いを綴ります。
一番身近な地方政治の面白さが、皆さんに伝わりますように・・・

代表とは

2011-08-31 | お知らせ
議会通告締切目前で、気ばかり焦る今日この頃です。

今日は、新人研修会がありました。
「地方自治のしくみについて」
というお題で、市の企画部長が講師を務めて下さいました。

憲法や法律を引用しながらも、ところどころに興味深いエピソードも挟み込まれた
とても面白い講義だったのですが、

特に

憲法第四十三条 
「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」

この部分にはとても心が動かされました。

例えば、
ÅさんがB団体に推されて議員になった。
でも、議会内で議論を重ねていくうちに、B団体の方針とは違う意見を持つようになってしまった。
Aさんはどうすべきか?
B団体に従うべきか?

一瞬迷いますが、

でも、
憲法では、議員は全国民を代表しているとされているのです。
一部の利益ではなく、広い視野に立って住民の利益を追求すべきなのですね。

当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが、
ちゃんと憲法で謳われていると知って、なんだかとてもホッとしました。

根っからの理系女子で、あまり法に触れたことはなかったのですが、
これからはもっと勉強しなくてはいけませんね。

今日のように、思いがけず
自分の信念を後押ししてくれる言葉が散りばめられているかもしれません。

三ツ星のお蕎麦屋さん

2011-08-26 | 障がい者
現在、議会質問の準備にテンパっている小沢です。

しかし、今日は大事なキャラバン隊公演・・・
これは行かねばなるまい。

そしてもちろん、行ってまいりました!冨里特別支援学校へ。

今回も夏休みの職員研修ということで、大勢の先生方に参加して頂きました。
若干名の保護者も合わせ、ざっと100名くらいか・・・



実は私がちょっとしたヘマをやらかしまして、、多少焦る場面があったのですが、
幸い大ごとにならず何とか乗り切り、今回もおかげさまで大好評に終わりました。
公演後に頂いた感想文のなかに、
「『レインマン』のダスティン・ホフマン以上の名演技!」
なんてのがあって、思わずニンマリしてしまいました♪

さてお昼は、本校のおやじの会の会長の案内で、
学校からほど近いお蕎麦屋さん「まごころ庵」へ。



ここは、社会福祉法人「まごころ」が運営している多機能型福祉サービス事業所の一つです。
蕎麦打ちから接客まで、全て障がいを持つ方々が行っています。

お店の入り口に並べられた、手作りの販売品。


「いらっしゃいませ!」「ご注文は?」と、
気持ちのいい接客のあとに運ばれてきたお蕎麦。


料理をテーブルに置くときも、
「前を失礼いたします」とか、「ごゆっくりどうぞ」など、
実に細やかな気遣いに、ただただ感心するばかり。

皆でおいしくいただきました♪


こちらのデザートもおいしそうでしょ?(*^_^*)

もちろん全部手作りです。

窓の外には、こんなに素敵なテラスもあるんです。
こちらでも食事ができます。


「まごころ」ではその他、航空関連企業から委託を受け、
機内で使うヘッドフォンや毛布などのクリーニングの仕事もしているそうです。
空港近くの立地ならではですね。

とにかく、味もサービスも店構えも雰囲気も素晴らしくて本当にびっくりしました。
今回は慌ただしく食事に立ち寄っただけでしたが、
改めて機会を作って、ゆっくりお話を伺いながら見学したい!と思いました。

忙しくも充実した一日。

困っている子のために

2011-08-23 | キャラバン隊
今日はキャラバン隊の公演でした。
特別支援学校の職員研修ということで、約80名もの先生方の出席がありました。

障がいを持つ私たちの子どもと日々かかわり、
親も知らない子の姿に向き合うことも多いであろう先生方に対し、
私たちシロートが
「自閉症とは?・・・」なんて公演をするなんて、なんだかとてもおこがましいのですが、、
とにかく肩の力を抜いて
「私たちキャラバン隊がどんな活動をしているのか」を知ってもらおう、
というスタンスで行いました。

いずれにしても、
見つめる先生方は普段わが子がお世話になっているということもあって
内心ドキドキしながらだったのですが、
無事にトラブルなく終えることができて一安心。

(そうは言っても、今回も私は裏方で見守るだけだったんですけどね(^_^;)メンバーの皆さん、スイマセン)

公演後に先生方から寄せられた感想文には、

「去年まで大学で特別支援教育を学んでいたが、教授の話よりも頭に入りやすかった」
とか、
「卒業生の就職先の企業向けなどにも最適!」
とか、
「どの講師の講演よりも、親の愛がつまっている素晴らしい公演でした」
などなど、

読んでいてこちらも感動してしまうような励ましの言葉が
たくさんたくさん散りばめられていました。

どの子もハンデを背負いながらも、こちら(健常者)の都合で作られた社会の中で、頑張って生きている。
彼らは決して「困った子」じゃなくて、彼らの方が「困っている子」だということ、

先生方にうまく伝えることができたかな・・・

写真は公演後の控室(教室)にて。
ホッとするまもなく、早くも金曜日に控えている公演の練習中。。

「脱原発」を考える

2011-08-21 | エネルギー
昨日から急に涼しくなりましたね!

ちょうど信州安曇野に旅立った岡村さんから、
「羽織るものが買いたいから、松本駅近くのお店を教えて」とメールが入りました。
あちらはそれでなくても朝晩は冷え込むので、気温の変化には充分気を付けてゆっくり静養してきてほしいものです。

さて、私はと言えば、今日は学習会に参加してきました。

「『脱原発』は可能だ」
講師は、原田裕史さん(たんぽぽ舎)です。

たんぽぽ舎は、チェルノブイリの事故をきっかけに、
東京都千代田区において都や区の公務員と市民とで設立された団体です。
原発や核兵器の廃止をめざして多面的に活動しています。

本当に原発がなければ電気は足りないのか?
本当に原発はコストが安くてクリーンな発電なのか?

という疑問に、資料を使って明快に解説して頂きました。

結論を言ってしまうと、
電力は、原発をやめても、急いで代替エネルギーを開発せずとも火力発電でも十分まかなえるし
(もちろん、将来的には代替エネルギーの開発・普及は必要ですが)、
原発はウランを濃縮して燃料にする過程でCO2を排出するのでクリーンではないし、
安全管理や廃棄物処理などを含めると、低コストでもない。

原発を進めてきた政府や電力会社のキャンペーンに乗せられて、
「原発は確かに怖いけど、まあ必要悪ね」と思いこまされないよう、気を付けないといけません。

さらに、放射能による被害は
1)急性的・慢性的健康被害
2)ストレスによる被害
3)風評被害・差別被害
などが積み重なっているため、問題はより複雑で深刻です。

でも、わかってはいても、
泊原発の営業運転再開にもみられるように、
原発によってまるごと支えられている地域では、暮らしと核があまりにも近すぎて「脱原発」と簡単には言えません。
一回依存したら離れられなくなる、麻薬のようなものなのでしょうか・・・
私たちも、ただ「原発いらない」と叫ぶのではなく、
原発なくしてその地域をどのように自立させていくか、ということも考えなければならないと思いました。

原田さんが、

「原発は、土地に愛着がある人たちが多い地域に作られている。
だから、事故が起こってもなかなか土地を捨てられず、地域のために原発も捨てられない。
もし仮に新しく原発を作るなら、都会のど真ん中にすればいい。
事故が起こっても、都会なら住民は未練なくさっさと離れられるから」

と冗談めかして言われた言葉が、印象に残りました。

松本も、いいまちずら?

2011-08-18 | 信州
・・・と、つい方言が飛び出たりして^_^;


昨日、故郷から戻ってきました!
ヘタクソでお恥ずかしいのですが、松本の写真を何枚か・・・

国宝、松本城。

本当に大好きな場所です。ここに佇んでいると、身も心も引き締まる気がするんですよね。
この日は観光客でかなり賑わっていて、天守閣へ通じる門には長い列ができていました。

お城近くの縄手通り。


縄手通り脇を流れる女鳥羽川。


そして、川沿いの喫茶店。


まちを車で走っていると、こんな光景が何か所か見られました。

6月30日に松本で起きた、震度5強の地震の爪あとです。
瓦が崩れてしまって、屋根にブルーシートがかけてあるお宅も数多く見られました。
松本城も小さなひびが入ったそうです。
そういえば、先日訪ねた学校給食センターの壁にもひびが入っていました。

その他信州の美しい風景は、このブログページの脇に貼ってある『撮るしん。』でお楽しみください(笑)

というわけで、、
短い間でしたが、なかなか充実した滞在でした。
この次はまた一年後かな・・・


さて、現実に戻って気持ちを切り替えて、
今日はさっそくキャラバン隊のリハーサルと農政センターへの聞き取りがありました。

キャラバン隊公演は来週!
市原市と冨里市の特別支援学校、二か所でやります(^^)v


松本市の取り組み

2011-08-16 | 信州
故郷・松本滞在二日目の昨日、
松本市教育委員会教育部の学校給食課を訪ねました。

菅谷松本市長は、以前信州大学の外科医でした。
チェルノブイリ原発事故のあとベラルーシに滞在し、
5年半もの間、放射能による甲状腺がんで苦しむ現地の子供たちの治療に携わりました。
このときの活動はNHKのプロジェクトXでも取り上げられています。

内部被ばくが特に幼い子供たちにもたらす影響の恐ろしさをを目の当たりにしてきた菅谷市長のもと、
松本市の学校の給食はどのように配慮されているのか・・・
帰郷するのだから担当課に直接きいてしまえと思い立ったのです。

学校給食課は、松本市野溝の西部学校給食センター内にありました。



市内の学校のうち、計17校・約9300食をここで賄っています。

お盆の最中にもかかわらず、課長がいらして丁寧に答えてくださいました。

松本市はもともと徹底して地産地消に取り組んできました。
給食も極力松本産、もしくは長野県産の食材を使用しています(計80%が県内産)。
市公設の卸売市場の青果入荷先カレンダーを見せていただいたのですが、
特に夏場はほとんど県内産で占められていました。
そして、放射能汚染の可能性が少しでもある産地の食材は、
メニューから外すようにしているとのことでした。

松本市は比較的放射能の影響が低いとされているため
保護者からの問い合わせは今のところなく、
特別に検査機器を導入して食材を分析するということはしていないとのことでしたが、
課長の言葉の端々から、
いわゆる「風評被害」を恐れるよりも、子供たちの安全を最優先させるという市長のマインドが
職員にも徹底されているということを十分に感じ取ることができました。

そのほか、
児童生徒に市内産の卵4個パックやキノコを配って地元食材をアピールしたり、
特別支援学校の生徒が栽培した野菜を給食に使用したり、
反対に、給食センターで出る廃油を福祉施設が回収して石鹸づくりの原料にしたり
などのなかなか面白い取り組みも聞くことができました。
帰郷で思わぬ収穫を得ることができました。

そうそう、給食とは全く関係ないのですが、
田中康夫知事時代の知事の大笑いのエピソードもいくつか聞けちゃいました。
ここには書けませんけどね(*^^)v

精神注入棒の思い出

2011-08-15 | 信州
一昨日から、故郷松本に帰省しています。
スーパーあずさは超快適♪


こちらはなんでこんなに空気がサラサラしているの?
昼間の日差しは厳しくても、風がさわやかで気持ちいいのです。

*****

帰省したその日の夜は、M中学の同窓会でした。
M中学は、私が中学三年生の時に新設されました。
つまり、私たちはM中学の一期生なのです。
当時二クラスしかなかったのですが、40名近くは集まったでしょうか・・・
小学校から一緒の幼なじみの面々です。
なぜか、
当時スカートめくり(古い!)をしていたような悪ガキほど、素敵なオヤジに成長しているような・・・
(これは多くの女子の一致した意見です(^^))

私は偶然担任のK先生のお隣に座らせていただきました。卒業以来30年ぶりの再会です。
当時は血気盛んな青年教師だったK先生。
竹刀を縦に割って作った『精神注入棒』なるものが常に教壇の脇にぶら下げてあって、
悪さをするとすぐさまそれでお尻をピシリとたたかれたものでした。
男子たちが口々に
「いや~、あのころの先生はおっかなかった!」というと、先生は
「今あんなことしたら、それこそ大問題だね」と照れくさそうに笑っていました。
まあ、私はマジメな生徒だったから(大笑)そんなに怖いと感じたことはなかったのですが、
お尻をピシリとやられても、みんなK先生を慕っていました。

うまくは言えませんが、教育は形じゃなくて心だと改めて思いました。

K先生と。

聞き取り三昧

2011-08-13 | 障がい者
このところ、来年度の予算要望書を作成するための
行政の各部署への聞き取りに追われています。

予算要望書とは、
市でそろそろ来年度の予算編成に取りかかろうという時期にあわせ、
「こんな方向性で予算を組んでほしい」「こんな事業をぜひ盛り込んでほしい」など、こちらの要望をまとめたものです。
市民ネットでは、毎年各項目を子ども部会や福祉部会といった担当部会が手分けして案を作成し、
運営委員会に持ち込んで皆で検討、9月上旬には行政に提出しています。

要望を出すからには、
昨年出した要望が現在どの程度達成されているか、現状を把握しなければなりません。
そこで、各担当部署の職員に時間を取っていただいて、聞き取りを行っているのです。

高齢者福祉課、障害福祉課、学校保健課、学校教育課、総務課etc・・・
細かく聞いていくので、それぞれ3時間近くはかかってしまいます。
岡村さんとはいつも「今度こそ一時間以内に済まそうね!」と言ってはいるのですが。
でも、職員のみなさん皆ていねいに答えて下さるので、とってもありがたいです。
3時間近く集中して聞き取るのは確かにハードですが、新人の私にとっては最高の勉強の場なのです。

さて、そんな楽しい?聞き取り、昨日は海士有木(あまありき)にある発達支援センターに行ってきました。


センター長の森さん以下三人の職員の方からお話を聞くことができました。

ここは、発達に遅れがある子どもに対し、相談や療育を行う場として7年前に造られた施設です。
現在18歳になる私の長男がまだ幼い時、市内にはこのように支援を受けられる場所は皆無に等しかった。
市民ネットが強く働きかけてやっと実現した、子どもの発達への不安を抱えるお母さんたちの強力な拠り所となる場所です。

できた当初はそれこそ療育希望が200人待ちとも言われましたが、
昨日の聞き取りでは、
電話で相談を受けてから約二週間で面談に入れ、さらに面談から一か月半以内で支援が受けられるとのこと。
その点では随分よい環境になったと感じました。

それから、この4月から導入された、相談支援ファイル「スクラム」。
これもネットが以前から提案してきたものですが、
このファイルに、子どものプロフィールや特徴、成長の様子、かかわったサポート機関など、あらゆる情報を記録することで、
教育、医療、福祉などの各関係機関で情報を共有することができるようになっています。
親はいちいち説明せずに済みますし、一貫性のある支援がしやすくなります。

そして、私が今回最も嬉しかったのは、専門職員による園や学校への巡回支援事業です。
センター内での相談・療育事業も大事ですが、それよりも、
障がいがあっても地域で健常児と一緒にのびのびと成長できる、
そんな環境作りにこそ力を入れてほしいと、私は常々願っていました。
森センター長のお話からも、同じような気持ちが感じられました。
今後は地域に出向いての支援をさらに発展・充実させるよう、
市民ネットでも出来る限り協力していきたいと改めて感じました。

それにしても、
私が長男を抱えて路頭に迷っていた15年前とは隔世の感があります。
もっとも、あの時代があってこそ今の私があるとも言えるのですけど・・・(^^)

のらりくらりでブルーベリー摘み。

2011-08-13 | 障がい者
8月9日、
ネットのスタッフや声かけして集まって下さった市民の皆さんと一緒に、ブルーベリー摘みに行ってきました。

木更津のNPO法人一粒舎が手掛けるブルーベリーつみとり園、「のらり・くらり」
http://norarikurari.sakura.ne.jp/kurari.html



時間無制限、食べ放題です。
お昼前のじりじりと焼け付くような日差しももろともせず、
カゴを片手にイザ、出陣。

約3000坪の土地に1200本のブルーベリーが植えられてあります。



自家製有機肥料栽培、完全無農薬。実が大きくて甘い♪

紫色が濃くてヘタがつぶれているのが熟した実です。
様々な品種があって、それぞれに味わいが微妙に違うのがまた楽しい。

お昼の時間は、
以前大工さんだった職員の手で建てられたという東屋で、お弁当を頂きながら休憩しました。
その間、一粒舎代表の飯田さんにいろいろと話を伺うことができました。

立ち上げは8年前。
以前、飯田さんが生活ホームを運営して障がい者の世話をしていた時、
障がい者の一人が努めていた工場が倒産してしまいました。
次の就職先をと捜し歩きましたが、世間の「障がい者を雇う余裕はない」という厳しさを目の当たりにし、
障がい者が働ける場の必要性を強く感じました。
市のNPO推進課に相談に行ったところ、
担当職員に「ブルーベリーがいい」と薦められたのがきっかけだったそうです。

現在利用している障がい者は16名、世話をする職員が8名です。
自閉を伴う知的障がい者が多いので、強制はせず、一人ひとりの個性にあった働き方を尊重しています。
実際にブルーベリー畑の世話ができるのは三人くらいで、
エアコンのきいた部屋でずっと編み物をしている人もいたりするそうです(^_^;)
園の名前の通り、あくせくしないで「のらりくらり」。
決して楽な事業ではありませんが、最近軌道に乗ってきて、
二年前からやっと自分もそれなりにお給料がもらえるようになったと飯田さんは穏やかに笑っていました。

私と一緒にお話を聞いていた仲間たち共々、飯田さんの意志の強さや行動力に感心しきりでした。
「考えていたら、何もできない。とにかく一歩、踏み出すこと」
という力強い飯田さんの言葉が一番心に残りました。
私も出馬を決めたときはそんな心境だったかな・・・
「オザワさんの場合は、ただの無鉄砲でしょ!」という言葉もチラホラ聞こえないでもないですが・・・(~_~;)


(あまりの暑さに汗ダラダラでメイクは崩れまくり。でも大満足!)

被爆と被曝

2011-08-10 | 平和
8月4日から7日まで、
市原市五井会館において「平和のための原爆の絵展」が開かれていました。
毎年恒例で今回の展示は20回目です。



この展示運動は、
今から37年前、一人の老人が
「あの8月6日の光景をこの世に伝えなければ死んでも死にきれない」と
一枚の絵をNHK広島支局に持ち込んだことから始まりました。
「原爆の記憶を絵で残そう」という運動がおこり、当時の状況を知る広島市民が描いた絵は2,225枚に達しました。
そのうちの何点かずつを順繰りに毎年公開しているのです。

7日日曜日、今年の展示最後の日、私も五井会館を訪れました。
日頃私がお世話になっているNさんが、
市原市での展示を主催する「いちはら平和のつどい実行委員会」の事務局であるご縁で、
毎年足を運んでいます。

会場には、被爆直後の様子がありのままに描かれた絵の他に、
貴重な写真や資料の数々も展示されていました。

 


毎年そうなのですが、絵の前に立つと
こんな地獄のような光景が本当にこの日本で66年前に起こったのかと、ただただ言葉を失ってしまいます。


五井会館を後にして、私が次に向かった先は京葉中部教会。
息子たちが昔通っていた幼稚園に併設されています。
こちらではこの日、長崎で被爆された市原憲二郎さんの体験を聞く会が行われました。
市原さんは、当時9歳でした。
現在、日本被団教代表理事、千葉県被爆者友愛会事務局長など、核兵器廃絶と平和を作る運動を続けておられます。

市原さんは福島原発事故による放射能被曝についても懸念しておられました。
5人兄弟の真ん中であったご本人を含めた下の兄弟3人(当時9、4、0歳)と上の兄弟(13歳以上)とでは、
現在、明らかに病歴に差があることからも、
放射能感受性は幼少ほど高くなる、ということを実感しているとのことでした。

講演のあと、
私は先ほど見てきた「原爆の絵展」で
「水・・・水をくれ・・・」
と、たいへん水を欲しがって苦しんでいる被爆者の様子が何枚も描かれてあったのが気になっていたので
そのことについて市原さんに質問してみました。

すると、市原さんは
「被爆すると、外の皮膚ばかりでなく、口から中まで焼けただれ、体中の水分が奪われて脱水症状になるのです。
ところが、『水をあげると、たちまち亡くなってしまうからあげてはいけない』、
と大人に言われたので、私はあげることができませんでした。
でも、後になって考えてみれば、水をあげてもあげなくても、どのみち助からなかったのです。
だったらあのとき飲ませてあげればよかったと、私ばかりでなく、多くの人がそう後悔しています。
平和祈念式典の際、献花よりも先に献水が行われるのはそのためです。」
と教えて下さいました。

市原さんは、「全てを語ることが生かされた被爆者の生存する意味」と活動を行っています。
しかし被爆者の中には、むごい体験のあまり、過去に関して固く口を閉ざしてしまっている方も少なくないそうです。

私は、「原爆の絵展」のパンフレットに書かれてあった、
「『(原爆による)被爆と(原発事故による)被曝』を体験した唯一の国、日本。核と人類は決して共存できない」
という言葉をあらためてかみしめました。

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