市原市議会議員 小沢美佳です

市政や議会の報告、日々の活動や想いを綴ります。
一番身近な地方政治の面白さが、皆さんに伝わりますように・・・

被爆と被曝

2011-08-10 | 平和
8月4日から7日まで、
市原市五井会館において「平和のための原爆の絵展」が開かれていました。
毎年恒例で今回の展示は20回目です。



この展示運動は、
今から37年前、一人の老人が
「あの8月6日の光景をこの世に伝えなければ死んでも死にきれない」と
一枚の絵をNHK広島支局に持ち込んだことから始まりました。
「原爆の記憶を絵で残そう」という運動がおこり、当時の状況を知る広島市民が描いた絵は2,225枚に達しました。
そのうちの何点かずつを順繰りに毎年公開しているのです。

7日日曜日、今年の展示最後の日、私も五井会館を訪れました。
日頃私がお世話になっているNさんが、
市原市での展示を主催する「いちはら平和のつどい実行委員会」の事務局であるご縁で、
毎年足を運んでいます。

会場には、被爆直後の様子がありのままに描かれた絵の他に、
貴重な写真や資料の数々も展示されていました。

 


毎年そうなのですが、絵の前に立つと
こんな地獄のような光景が本当にこの日本で66年前に起こったのかと、ただただ言葉を失ってしまいます。


五井会館を後にして、私が次に向かった先は京葉中部教会。
息子たちが昔通っていた幼稚園に併設されています。
こちらではこの日、長崎で被爆された市原憲二郎さんの体験を聞く会が行われました。
市原さんは、当時9歳でした。
現在、日本被団教代表理事、千葉県被爆者友愛会事務局長など、核兵器廃絶と平和を作る運動を続けておられます。

市原さんは福島原発事故による放射能被曝についても懸念しておられました。
5人兄弟の真ん中であったご本人を含めた下の兄弟3人(当時9、4、0歳)と上の兄弟(13歳以上)とでは、
現在、明らかに病歴に差があることからも、
放射能感受性は幼少ほど高くなる、ということを実感しているとのことでした。

講演のあと、
私は先ほど見てきた「原爆の絵展」で
「水・・・水をくれ・・・」
と、たいへん水を欲しがって苦しんでいる被爆者の様子が何枚も描かれてあったのが気になっていたので
そのことについて市原さんに質問してみました。

すると、市原さんは
「被爆すると、外の皮膚ばかりでなく、口から中まで焼けただれ、体中の水分が奪われて脱水症状になるのです。
ところが、『水をあげると、たちまち亡くなってしまうからあげてはいけない』、
と大人に言われたので、私はあげることができませんでした。
でも、後になって考えてみれば、水をあげてもあげなくても、どのみち助からなかったのです。
だったらあのとき飲ませてあげればよかったと、私ばかりでなく、多くの人がそう後悔しています。
平和祈念式典の際、献花よりも先に献水が行われるのはそのためです。」
と教えて下さいました。

市原さんは、「全てを語ることが生かされた被爆者の生存する意味」と活動を行っています。
しかし被爆者の中には、むごい体験のあまり、過去に関して固く口を閉ざしてしまっている方も少なくないそうです。

私は、「原爆の絵展」のパンフレットに書かれてあった、
「『(原爆による)被爆と(原発事故による)被曝』を体験した唯一の国、日本。核と人類は決して共存できない」
という言葉をあらためてかみしめました。

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