市原市議会議員 小沢美佳です

市政や議会の報告、日々の活動や想いを綴ります。
一番身近な地方政治の面白さが、皆さんに伝わりますように・・・

真実を訪ねて

2023-01-23 | 平和
平和を考える勉強会。
参加メンバーの一人が、小西晴子さんという映画監督とお知り合いというご縁で、
小西さんが製作した10分ほどの映像を見ました。



「銃で殴られた母の姿は忘れられない」
日本軍に抑留されたオランダ人女性が憎しみを手放す時 #戦争の記憶


80年前、オランダが植民地支配していたインドネシアに日本軍が侵攻。
日本軍によって抑留されたオランダ人の少女(当時)が、
封印していた憎しみを超えるために、重い口を開いた記録です。

小西さんの父親は、
当時現地でインドネシアの青年たちを日本軍の補助部隊として教育していました。
父親はそのことを最期まで誇りとしていたけれど、娘としてはずっと違和感があった。
日本の占領下で、オランダ人やインドネシア人がどのような体験していたのか、
確かめずにはいられなかったとのこと。

映像を見終わった後、小西さんとお電話でつながったのですが、
「父の残した宿題を私が受け継いだと思っています」
と仰っていました。

オランダには、今もなお日本人に強い憎しみを持つ人たちがいる・・・
そんなこと、想像もしたことがなかった。

人それぞれいろんな感想を持たれると思いますが、
まずは真実を知ることが大事だと思います。
短いドキュメンタリーですので、ぜひご覧になってみて下さい。

中村哲さん写真展

2022-08-05 | 平和
京葉中部教会(光の子幼稚園となり)を森山さんと訪ねました。
3年前に凶弾に倒れた中村哲さんの写真展が開催されています。









1983年にパキスタンのペシャワールに赴任し、
ハンセン病患者の支援をはじめ、アフガニスタン山岳の無医村でも医療活動を行ってきました。
その間、診療所や病院の建設にも尽力してこられたのですが、
2000年の干ばつで食料不足に苦しむアフガニスタンの人たちを目の当たりにし、井戸掘りを開始。
その後「100の診療所より1本の用水路」と、灌漑用水路の建設に乗り出しました。
白衣を捨て、一から土木工学を独学で学んだというから驚きです。

見渡す限り草木が一本も生えていないひび割れた大地の写真。
一方、用水路ができた後に同じ場所で撮影された写真は豊かな緑で覆われていて、
その対比には目を奪われました。

写真展は8日(月)まで。
DVD上映も必見です。

原爆の絵展

2022-07-30 | 平和

水を求めわめく人々の行列
(作者より・当時20歳)「8月6日、吉島飛行場方面へ逃げて行く人々です。
光に当たった側の服は焼けぼろぼろになり、皮膚は赤く焼けただれ皮はむげて垂れ下がり、
手を前に突き出し水を求めわめいて避難して行く人々の行列が長く続いていました」


『第31回 原爆の絵展』が、五井会館で今日から開かれています。





広島平和記念資料館には、原爆の体験者による約4200枚の絵が所蔵されていて、
平和の集い実行委員会の皆さんのご尽力で、毎年その一部が市原市でも巡回展示されているのです。



今も心が痛む
(作者より・当時14歳)「何千という人々が親は我が子の名を呼び、
子は親の名前を呼びつつ右往左往する姿は、15歳の私はああこれが生き地獄だと思いました。
学徒動員の女学生がやけどで顔が紫色に腫れて、
小さな声で『お水をちょうだい、お水をちょうだい』と言っていた。
お水を持っていたら飲ませてあげたのに、今も心が痛む。生きておられるのだろうかと今も思う」




先生助けてー
(作者より・当時33歳)「私が倒れた校舎の下からはい出した時は辺りは真っ暗で、
理科室の方向には赤黒い火の手が上がっていた。
折れ重なって倒れた校舎の隙間から頭と右手を出して、声を限りに助けを呼ぶ生徒がいた。
そのまわりにも何人かの生徒のうめく声が聞こえていた。
私は助けようとしたが、モルタルの倒壊は私一人の力ではびくともしなかった。
『先生助けてー』。その声が今も耳元に聞こえてたまらない気持ちだ」



展示は8月1日(月)まで。
企画展「沖縄復帰50年を考える」やその他催し・イベントもあります。
この機会に、子どもから大人まで多くの市民が、
戦争の愚かさ・命や平和の尊さを考えるよう願っています。

平和と命の尊さを伝える「原爆の絵展」

2020-08-08 | 平和
終戦から75回目の夏。五井会館4階で開かれている「原爆の絵展」へ。





主催されている「市原平和のつどい実行委員会」は、戦争報道をゲーム感覚で見る子どもたちに危機感を持った退職女性教師を中心に結成されたそうです。
「原爆の絵」は、広島原爆資料館から毎年違った絵を借りています。企画展やイベントも毎回趣向が凝らされているので、毎年どこかしら違った学びや気付きが与えられる気がします。

今年印象に残った資料・作品。

広島・長崎の写真ポスターより「罹災証明を書く警察官」

広島の爆心地から2.5キロ。自らも負傷しながら、被災者に罹災証明を発行する姿を捉えた一枚。
名もなき「シンドラーのリスト」の如き・・・

中央の作品「助けてあげられなくてごめんなさい」

爆心地から1.8キロ 国民学校にて 作者当時17歳
下敷きになった子どもを救助できないまま、校舎は炎に包まれた。頬ずりをしてあげられるほど体は外に出ているのに、片腕が柱と柱に押しつぶされて引き出せなかった。
「もうすぐ楽になるからね」と言って手を合わせた。


語り部座談会の様子


市内にお住いの方の五井国民学校(現在の五井小?)での体験談・・・。身近なだけに、よりリアルに心に刺さります。
授業中に空襲を受け、弾がアスファルトに跳ね返る音を聞きながら学校から防空壕に避難しようとした時、道路の真ん中に仁王立ちになって生徒を誘導していた一人の教師の崇高な姿を、今も鮮明に覚えているそうです。

コロナ禍のため、今年は市内小中学校への展示を中止にされたそうです。
「原爆の絵展」は9日までですが、ぜひ親子で足を運んで「平和と命の尊さ」について語り合うきっかけにしていただければと思います。

伝え続けたいこと

2018-05-13 | 平和
養老小学校で毎年行われている「旧川在分校・学童殉難碑を囲む慰霊と平和を祈る会」。



1945年5月8日。米軍機が当時の養老小学校川在分校を狙って機銃掃射。
4年生の児童3名が即死、10名の児童と教員1名が重傷を負いました。

身近な場所でこんなにも悲惨な出来事があったなんて、一体どのくらいの市民が知っているのでしょうか・・・。


養老小の6年生も全員参列、献花ののち黙とうを捧げました。





女たちの戦争

2015-08-17 | 平和
お久しぶりです(^.^)
このところ、暑さもぐっと和らいできましたね。

戦後70年のこの夏も、
日本中のあちらこちらで「あの日、あの時」や「戦争と平和」が語られ、『不戦の誓い』が立てられましたが、
そのなかで、どれほどの日本人が「もうひとつの『女の戦争』」に関心を向けたでしょうか。

今日は、ぜひこの記事をご紹介したいと思います。

女たちの戦争 「従軍慰安婦」を告白した城田すず子さん

館山市にある婦人保護長期収容施設「かにた婦人の村」のこと、その丘の上に従軍慰安婦の慰霊塔が建立されていること。
私も全く知りませんでした。

「兵隊さんや民間人のことは、各地で祀(まつ)られるけど、
中国、東南アジア、南洋諸島で、性の提供をさせられた娘たち、
さんざん弄(もてあそ)ばれ、足手まといになると、放り出され、
荒野をさまよい、凍りつく原野で飢え、野犬や狼の餌になって土に帰っていった。
・・・どうか慰霊塔を建ててください。それを言えるのは、私だけです」


城田さんの訴えに、胸がえぐられるような思いがしました。

原爆の絵展

2015-08-05 | 平和
7月31日から8月2日まで、五井会館で毎年恒例の「原爆の絵展」が開かれていました。



実際に被爆された方が当時目にした光景を描いた絵や写真パネルなど、広島原爆資料館が所蔵する貴重な資料や、子供たちの平和ポスターなどが多数展示されます。

そして今年の特別展は、「満蒙開拓団」。
前回ブログに書いた、あの悲劇の映画「望郷の鐘」と同じテーマです。





実は、開拓団の中で圧倒的に最も多くの人数を占めていたのは、長野県の農民でした。

「望郷の鐘」も、長野県阿智村の人々を中心に描かれたものです。

県の主力産業であった養蚕が、世界恐慌のあおりを受けて農村経済を直撃。
それが移民奨励の機運の高まりにつながったようです。

おそらく長野県出身でもこの史実を知っている者は、そう多くはないと思います。
私(松本出身)も、学校や親から教わった記憶は、全くありません。
(教わったとしても、記憶に残らないほど軽い扱いだったのかもしれません)

展示会の主催者の方にお話を伺うと、今年は幕張総合高校の生徒が大勢訪れたとのこと。夏休みの課題なのでしょうか。
そして、
ちょうど明日行われる広島平和祈念式典に派遣されている市原市内の中学生代表も、事前学習としてこちらを訪れたとのことでした。

戦争体験を語り継ぐ人が少なくなっている今、一人でも多くの子供や学生たちに「あの日、あの時」をいかにリアリティを持って伝えられるかが問われています。
「原爆の絵展」は、市内でそれを体験できる貴重な機会だと思います。

まだ見に行かれたことがない方は、来年ぜひ!

満蒙開拓団の悲劇

2015-08-03 | 平和
市民会館で行われた「市原平和フェスティバル」。今年で16回目を迎えたそうです。



今年の主な企画は、映画「望郷の鐘」の上映です。
この映画は、「中国残留孤児の父」と呼ばれ、200人以上の孤児たちと肉親の愛会を実現させた山本慈昭を主人公に、満蒙開拓団の悲劇を描いたものです。



満蒙開拓団とは、満州事変から太平洋戦争敗戦の直前まで、旧満州国に送り込まれた農業移民団です。
「満州はユートピアだ」との国の言葉を信じ、日本の貧しい農村から27万人もの人々が入植しましたが、日本軍の利権の拡大とソ連軍の盾に利用されたというのが真実で、開拓地とは名ばかりだったそうです。
ほどなく戦局が悪化してソ連軍が満州に侵攻すると、日本軍は開拓団を置き去りにしてさっさと逃亡。
取り残された移民団は自力で引き上げようとしましたが、男性はソ連兵に捉えられシベリアへ。残された女性や子供も、その多くが犠牲者となりました。

「国家の政策に純粋に協力しただけと言っても、この事実は一人一人が責任を問われる事になる。
国家に尽くした日本国民は、加害者であって被害者であったのです——」

山田火砂子監督が最も伝えたかったのは、自らも満州で過酷な体験をした山本慈昭のこの言葉なのでしょう。

当時は報道規制によって日本の戦局や中国での真実はまったく知らされませんでした。
知らないということ、騙されるということは、本当に恐ろしいことだと、この映画は訴えています。
でも、戦後70年を生きる私たちも、
政府が国民を「騙すはずがない」「誤魔化すはずがない」と、なんとなく信じてしまっているのではないでしょうか?
自分の頭でしっかりと判断すること。歴史に学び、同じ過ちを繰り返さないことが、今まさに求められていると思います。

重い重い映画でした。

話題の動画

2015-07-24 | 平和
今、以下の二つの動画がすごく話題になってますね。

まず、自民党が作成した安保法制の解説アニメ。

「教えてヒゲの隊長」


「ヒゲの隊長」こと元陸上自衛官の佐藤正久参院議員が、女子高校生「あかりちゃん」に説明するという設定です。

そしてこちらが、そのパロディー版。

「【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみた」


作者は匿名だそうです。
まだご覧になっていない方は、ぜひ見比べてみてください。痛快です。

自民党がこのパロディー版をさらに論破できれば大したものですが、
「丁寧に説明する」と言っているのですから、ぜひお願いしたいところです。



国政も大事ですが、市政も大事。
写真は、昨日市役所職員や議員を対象に開かれた講演会の様子です。

インフラ老朽化問題は克服できるか


講師は、東洋大学の根本祐二教授。この問題に関する第一人者です。

老朽化したハコもの含むインフラを、今後維持し続けるには予算が足りない。
これが今、全国の自治体が最も頭を悩ませている課題の一つです。

「ひろしま」の叫び

2015-02-21 | 平和
YOUホールで上映された、映画「ひろしま」(1953年制作)を観ました。



中・高校生を含む広島市民9万人がエキストラ出演。
たいへんリアルな映像に、心が重くなりました。

主演の月丘夢路さんは広島市出身です。
当時の役者は、所属している映画会社の作品しか出演することができませんでした。
「この映画だけは何としても出たいと、何度も何度も会社に頼みました。
とにかくこの悲惨さを後の人に残したい。それが戦いの抑止力になればと思ったのです」
と後に月丘さんは語っています。

上映前にプロデューサー小林一平さんの舞台挨拶があるとチラシに載っていたので、それも楽しみにしていたのですが、
何とほんの1週間ほど前に急逝されたということで、VTRでの出演となりました。
自衛隊の派遣地域を広げ、武器・弾薬の提供も可能で、海外活動を常時可能に・・・と、どんどん歯止めが効かなくなっている現政権。
こんな時こそ、映画を通じて世間に問いかけたいとう気持ちが強かったでしょうに、本当に残念でなりません。
心からご冥福をお祈りいたします。

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