市原市議会議員 小沢美佳です

市政や議会の報告、日々の活動や想いを綴ります。
一番身近な地方政治の面白さが、皆さんに伝わりますように・・・

明日は千葉市へ!

2012-03-31 | 障がい者
皆さま

4月2日は、国連が定めた世界自閉症啓発デーです。

日本自閉症協会では、毎年4月2日~4月8日を発達障害啓発週間として、各地でポスター掲示やイベントの実施など集中的に啓発に取り組んでいます。
今年の千葉県での取り組みは、明日4月1日、千葉市の「きぼーる」でのイベント。

『第4回世界自閉症啓発デーinちば~みんな大切な仲間です~』

会場では、自閉症の皆さんによるミニコンサートやパネル展示など、さまざまな取り組みを見ることができます。

そして!

11時から12時は、市原特別支援学校の保護者仲間で結成された「キャラバン隊いちょう」が、発達障がい疑似体験公演を行います。
お時間のある方はぜひお出かけください。私も裏方で参加します(^^)/



また、
この日ちょうど「きぼーる」の目と鼻の先で、市民団体による放射能測定室しらベル」事務所がオープンします。
環境や食品中の放射能測定のほか、放射能に関する情報提供や情報交換などが主な事業内容です。

HPはこちら
http://sirabell.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

オープンセレモニーは13時半から14時半、
14時半よりデモンストレーションも行われます。

こちらもぜひ!

視察二日目 宮城県名取市

2012-03-29 | お知らせ
ホテル松島大歓荘で一泊した翌朝は、気持ちのよい晴れ間が広がっていました。

さっそく、二日目のガイドをお願いする木島さん・中山さんのお二人とロビーで落ち合い、バスに乗車。
宮城県で最も被害の大きかった地区の一つである、名取市閖上地区へと向かいました。

ガイドの中山さん、実は私の高校時代の同級生。
現在、仙台市内で人財育成事業やコンサルタントなどを手掛ける会社の代表を務めています。
被災後、東北の企業仲間とともに、「ワンステップ東北」という団体を立ち上げ、経済支援活動を続けています。
昨年8月に市川市のニッケコルトンプラザにテナントを出した時は、私も応援に駆け付けました。

その時の様子を書いたブログは、こちらです。 
http://blog.goo.ne.jp/wa-tika-ro/e/a9ace4298c0d58a01f5e2e35c2e46065

ガイド中の中山さん


そして、中山さんが今回紹介してくださったもうお一方のガイドがこちら、木島さんです。

木島さんはこの日、被災当日と全く同じ服装でいらして下さいました。
こんなところからも、木島さんの想いが伝わってきます。

木島さんは元ホテルマン、現在はマナー講師として活躍されています。
閖上にお住まいだった彼のご自宅は、津波で跡形もなく消え去ってしまいました。
お子さんを連れ命からがら逃げて、ご家族とも幸い無事でしたが、ご親戚やお知り合いなど、周りのたくさんの命が津波とともにさらわれてしまいました。
生々しい記憶が残る現場を前に、当時の状況を語るお気持ちは如何ばかりだったでしょうか。


閖上地区。住宅密集地でした。見事に山も丘もない平地です。
こんなところに巨大な波が押し寄せたのですから、ひとたまりもありません。
約5000名の人口のうち、900名の方々が命を落とされました。











ぽつんと残されているのはお寺です。このすぐ近くに、木島さんのお宅はありました。


唯一残る丘、日和山の前で。

津波はこの丘の上をも容赦なく襲い、ここに逃げてきた人々を簡単に飲み込んでしまいました。

日和山の頂上から


木島さんからは、3.11当日や避難所での生々しいお話をたくさん伺うことができました。

防災無線は回線が遮断され、ほとんど用をなさなかったそうです。
避難所生活一日目はとにかく寒く、プチプチのシートやカーテンを身体に巻いてしのぎ、
二日目にやっとバナナ一本とペットボトルが渡され、
六日目から炊き出し部隊が駆け付け、ようやく温かい汁物が頂けるようになりました。
パンやおにぎりなどは手に入りやすかったのですが、届かなかったのは野菜類。
野菜が食べたくて仕方なかったそうです。

日ごろの避難訓練は、今思えば全く的外れで、近所の広場に集まる程度のものでした。
実際に、今回その避難場所に逃げてきた人々は、ほとんど犠牲になってしまいました。

こちらは、閖上地区から8~9キロほど離れたところにある仮設住宅です。
場所によって住み心地に随分と差があるのだそうです。






私たちが次に向かったのは名取市役所。
今回の震災では、市原市災害ボランティアネットワークの皆さんがいち早く現地に入り、継続的な活動を行ってきました。
また、市原市職員10名が名取市へ派遣され、罹災証明書発行などの役所業務の支援を行っています。

年度末の忙しいこの時期、30名を超す人数で押しかけたにも関わらず、太田副市長が一時間お時間を取ってくださり、直接お話を伺うことができました。

名取市では現在5700名が仮設住宅や民間のアパートでの仮暮らしをしています。
市内の28%にあたる97平方キロメートルが浸水、1400ヘクタールが冠水で作付け不可能となってしまいました。
震災がれきは63万6千トン。分別はほぼ終わり、リサイクルできるものはなるべくリサイクルし、最終処分は業者が行うことになっているとのこと。広域処理については、運賃コストなどを考えればなるべく近県にお願いしたい、あるいは県内で分かち合おうという案も出ているのだそうです。

大変だったことは、食料の確保、行方不明者の捜索活動、ガソリンの確保。

「防災計画のマニュアルが、ほとんど役に立たなかった。想定外の出来事にその場その場で対応するのが精いっぱいだった」

「お金よりも物よりも、とにかく人。人の手が欲しかった」

現在は土木・建築の専門職員が足らず、全国市町村長会で協力を呼びかけているとのことでした。

最後に、心ばかりのカンパをお渡しして名取市役所を後にしました。


その後、
食事処や笹かまぼこのお店なども案内していただくなど、何から何まですっかりお世話になったガイドお二人に別れを告げ、
私たちは宮城県を後にしました。

一泊二日の慌ただしい視察でしたが、実に充実した内容でした。

その証拠に、
帰りのバスでは、みな疲れきって眠ってしまうのが世の旅の常(?)ですが・・・・・さにあらず。



最後の最後まで勉強熱心な、いちはら市民ネットワーク御一行様なのでした(^^)


*****

今回の視察実現ににご尽力いただき、レクチャーも引き受けて下さった白尾さん、
ガイドをしてくださった浅海さん、中山さん、木島さん、
まとめ役の井上さん、
レクチャー係の山本さん、
企画手配してくださった事務局の皆さん、
ご協力いただいた参加者の皆さま、

本当にありがとうございました!

視察一日目 宮城県石巻市

2012-03-28 | お知らせ
3月25日(日)早朝、事務所前を大型バスで出発。

メンバーは、山本さん、私、事務局を中心とする市民ネットワークの仲間とその家族の皆さまに加え、今回の視察の実現に大変ご尽力いただいた、白尾さんをはじめとする市原市災害ボランティアネットワークの皆さま。
子ども4名を含む、総勢30名の視察旅行となりました。

目的地まで約7時間のバスの中では、これから向かう石巻市のプロフィール、震災時の状況などについて皆で学習。
市原市災害ボランティアネットワークの皆さんには、被災時のサバイバル法なども伝授していただきました。

避難所で上履きがなくても、新聞紙があればこの通り(^_-)


石巻市は、人口16万。仙台市に次ぐ第二の都市です。
堤防の高さは4メートル、護岸は6メートル。それに対し、襲った津波は中心街で6~8メートルでした。
その結果、災害状況は浸水所帯68%、死者3173名、行方不明者759名、住宅全壊2万棟、避難者数9千人と、被災3県の中でも最大の被災地となってしまいました。
全校児童の約7割にあたる74名が死亡・行方不明となり、マスコミでも数多く報道された大川小学校も、石巻市にあります。

そうこうしているうちに、石巻市に到着。
石巻港インターを降り、ここで待ち合わせていた本日のガイド、日本基督教団東北教区被災者支援センター・エマオでボランティアをされている浅海さんと合流しました。
浅海さんの案内で、バスは港へ向かいました。海沿いの地区に広がる被災地の状況が目に飛び込んできました。









「頑張ろう、石巻」と書かれたモニュメント。たくさんのお花や写真がお供えされてありました。
今回一緒に連れてきた三男も、皆と黙とうを捧げました。写真に写っているのは私と三男です。


こちらの建物は、津波に加え火災にも見舞われた門脇小学校。
昨年の大晦日には、この校舎の前で長淵剛の紅白中継が行われました。


震災から一年が経ち、がれきはほとんど片づけられ、山積みされていました。
宮城県のがれきは1570万トンで一般廃棄物の19年分に相当し、そのうち石巻市は670万トンと、被災地の中で突出した量を抱えているそうです。

こちらは石巻駅周辺です。
宮城県出身の石ノ森章太郎の「石ノ森萬画館」をはじめ、写真のようなキャラクター人形があちこちで出迎えてくれました。


お店が流された方々が営む仮店舗


こちらの建物、パッと見では百貨店?


・・・ではなく、石巻市役所でした。



閉店した百貨店の空き店舗を無償で譲り受けて、2010年に復活させたのだそうです。
一階部分は地元のスーパーが入っていました。

地元の方々からは、「とにかく現場を見に来てほしい、この現状を知ってほしい」という言葉が数多く聞かれました。
何もできない私たちに対し、「来てくれるだけで嬉しい」と。
私にとって初めての被災地訪問、何もかも流され荒涼とした風景に言葉を失いましたが、これでも震災から一年以上たっているのですね。
まちの復興はまだまだこれからです。

宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)前にて、山本さんと。


慶長18年、伊達政宗の命を受け、ヨーロッパへ渡った支倉常長ら慶長遣欧使節。
ミュージアムは、震災以来ずっと休館しています。


巣立ちの前に

2012-03-24 | 障がい者
先日特別支援学校の高等部を卒業した長男が、市内の福祉施設にお世話になることになりました。
幼いころから、外出する際の付添や休日の預かりなど、ずっと利用させていただいている施設です。
あの頃新人だった職員の皆さんが今は中堅どころとして活躍されているのも、時の流れを感じてちょっぴり感慨深いものがあります。

そういえば、昔は知的障がい者の在宅での支援は、身体障がい者ほど進んでいませんでした。
特に外出するときの介助員など、
「足が不自由な方や目が見えない方の介助ならわかるけど、知的障がい者も必要なの?」
という認識が一般的だったと思います。

でも、知的障がい者も様々なタイプがあって、付添がいなければ外出もままならない場合がとても多いのです。
そして、知的障がい者も、「家族に連れまわされる外出」ではなく、「家族と離れた自分のための外出」をしたいんですね。
心は健常者と変わらないのです。

そのことを理解してもらうために、
市の窓口や、当時知り合って間もなかった市民ネットの皆さんには何回か相談に乗っていただいていました。

市の窓口に行くときは、迷惑をかけることを承知で敢えて長男を連れて行きました。
長男は非常に多動で、一秒でも目を離すと瞬く間にその場からいなくなってしまいます。
そのために、外出するときは必ず、大きな鈴と、そのころはまだ珍しかった位置情報端末を(勝手にむしりとられないよう)背中に括り付けていたほどです。

私が窓口で相談を始めると、当然長男は走り去ろうとします。その時、
「すみません、長男を追いかけて見張っててくれませんか?」
とちょっと図々しくその場にいる職員にお願いしてしまうのです。

チリチリ鈴を鳴らしながら、10階まである庁舎の階段を上ったり下りたり、トイレで遊んだり・・・
しばらくして戻ってきた長男は涼しい顔ですが、付添の職員はフラフラ。
息を弾ませながら、
「お母さん、これは大変ですね。こんなに大変だとは知りませんでした・・・」
と、
少々申し訳なかったのですが、市の担当職員に知的障がい児との生活の大変さを肌で感じてもらえたのも、今では懐かしい思い出です。


今日は午前中、施設にお世話になる前の健康診断のため、長男を病院に連れて行きました。
長男は生まれた時からとても丈夫で、この18年間で医者にかかったことは片手で数えるくらいしかありません。
その分医療行為に慣れていないので私もどうなることかと心配だったのですが、
尿、血液、X線、心電図、内診と、ほとんどトラブルなく済ませることができました。

でも、本人は自分が何をされるのか分からず、よほど不安だったのでしょう。
普段はあまり手をつなぎたがらないのに、待合室の椅子に座っている間中、
ずっと私にくっついて自分から私の手を握っていました。


めげない、めげない。

2012-03-23 | 日々のあれこれ
本日の本議会で、平成24年度当初予算案をはじめとする議案がすべて可決され、日程のすべてが終了しました。

議会終了後、会派室へ、今期で定年を迎えられる執行部部長の皆さまがご挨拶にいらして下さいました。
議員になってまだ一年にも満たず、ごく短い間のお付き合いでしたが、
こちらから様々な提言をさせていただいたり、また反対に温かい言葉をかけていただいたりと大変お世話になっていただけに、寂しい気持ちが先に立ってしまいました。
皆さまには今後もご健康に留意され、地域で益々ご活躍されるよう願っております。


さて、議会も一段落したので、
かねてから計画していた小児救急医療の座談会の講師の依頼のため、あらかじめ仮約束をとりつけていた医療機関に電話をかけました。
ところが、正式に帰ってきた返事は

「市の主催ならOKだが、それ以外は引き受けられない」。

一旦はうまくいきそうだっただけに、大ショック。

政治団体が主催だと、やっぱり難しいのかなあ。。
医療機関のためにもなる企画なんだけどなあ。。

一瞬落ち込みましたが、めげません。また別の手を考ることにします(>_<)

座右の書

2012-03-22 | 日々のあれこれ
昌平坂学問所の儒官、佐藤一斎の『言志四録』。
西郷隆盛の座右の書であったと言われています。
昨日ある方から薦められ、ピンと来て即アマゾンで注文、今日届きました。
(アマゾンって、本当に便利!)

一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うこと勿れ。只だ一燈を頼め
(長い人生のうちには、暗い夜道を歩くようなこともあるが、一つの提灯を掲げていけば、いかに暗くとも心配するようなことはない。その一燈を信じて歩め)

まだパラパラとしか読んでいないのですが、買って正解でした。
カバンに忍ばせて、合間合間に読もうと思います。



今日も、各会派連絡会などの会議・市民ネットの子ども部会・地域包括支援センターへの訪問など、あわただしい一日でした。

1カ月以上にわたって開かれてきた平成24年第1回市議会定例会も、明日をもって最終日となります。

なせば成る

2012-03-20 | 日々のあれこれ
なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり

かの有名な、上杉鷹山の遺した言葉です。
今日、ある支持者の方から頂いたメール文の最後に、私へのエールとして記されていました。
本当にありがたく、改めてこの言葉を胸に留めています。

上杉鷹山は、あのジョン・F・ケネディー元米大統領に「もっとも尊敬する日本人政治家」と言わしめたということで有名な、江戸時代の米沢藩主です。

わずか17歳で藩主となった時の決意を込めた次の言葉も素晴らしい。

「受次ぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母」
(藩主としての自分の仕事は父母が子を養うがごとく人民のために尽くすことだ)

彼は、徹底して無駄を省き、会計を透明化して藩の財政難を立ち直らせたり、新しい産業の開発にも大胆に取り組み、しきたりににとらわれない大胆な発想で政治改革に取り組んだそうです。

「なさねば成らぬ」と誰しも頭では分かってはいても、これまで前例がないことに対してはやはり二の足を踏んでしまうものです。
「なせば成る」と自らを律して人民のための政治改革を貫いた意志の強さもさることながら、
人民がその改革を受け入れ、彼についていこうと思わせるその求心力こそが、鷹山を鷹山たらしめたのではないかと思います。

鷹山は、全国の首長によるアンケートでも尊敬する政治家ナンバー1に輝いたこともあるとか。
そうであるならば、日本の政治ももうちょっと良くなっていいはずなのですが、、
どうも鷹山のようにはいかないみたいですね。


しかし!
嬉しいことに市原市では今、新しいうねりが起きています。

私は昨日、「議会改革プロジェクトチーム会議」に出席してきました。
プロジェクトチームのメンバーは、一期生・二期生の若手議員が中心です。

実は、市原市議会では、議会改革に真正面から取り組んでいるところなのです。
長い期間をかけた協議が、ここにきてようやく結実しようとしています。

例えば、政務調査費(議員が議員の仕事をするために報酬とは別に支給される費用)の運用アニュアルづくり。
そして、「透明性」「必要性」「信頼性」を基本理念とする、議会基本条例の制定をも目指しています。

まあ市民の立場から言えば、「今までなかった方が不思議なんですけど」と言いたいところなのですが(^_^;)、
会派や古いしきたりにとらわれず、「なせば成る」の精神で皆頑張っております。

ぜひご期待下さい!

今日嬉しかったこと

2012-03-18 | 日々のあれこれ
昨日、千葉市主催の小児救急医療に関する講演会の様子を書いた私のブログが、
僭越ながら熊谷千葉市長ご本人のブログにてリンクされておりました。
ご紹介いただいて、ありがとうございます(^^)

http://kumagai-chiba.seesaa.net/article/258346137.html

日ごろから熊谷市長のブログには目を通すようにしています。
お忙しい中毎日のように更新され、千葉市民に市政の動きをを少しでも伝えたいという意気込みが伝わってきて、私もいつも刺激を受けています。


さて、今日は久しぶりに自宅にて。
やっとまとまった時間が取れたので、パソコンに向かって今議会での自分の代表質問の質問答弁要旨をまとめました。
すぐに終わると思っていたのですが、トータル5時間近く!
意外に時間がかかってしまいました。

長い準備期間を経ての議会質問が終わると、ついホッと気が緩みそうになるのですが、実はここからが本番。
質問の結果を、市民の皆さんにきちんとお伝えしなければなりません。

今日まとめた質問答弁要旨は市民ネットのHPに掲載しますし、速報のチラシや市民ネット通信の編集にも、これから着手します。
4月18日には、ちはら台コミュニティーセンターにて議会報告会を開く予定です。
そうそう、忘れてならないのが、議会中継録画。すでにアップされております。ぜひこちらもご覧ください。
http://www.gikaitv.net/dvl-ichihara/2.html


パソコンの前でカタカタとキーを打っていると、急に三男坊が
「お母ちゃん、『続柄』って、どういう意味?」
と質問してきました。そこで、
「そうね、例えば○○(三男)にとってのお母ちゃんの存在は、何て言うのかな~?」
と逆に質問すると、間髪入れずに

大好きな存在!!」

と元気の良い返事が帰ってきました(^_^;)

・・・まあ、息子に好かれることは嬉しいことではあります。。

小児救急医療を守りたい

2012-03-17 | 健康・医療
今日は、と~っても楽しみにしていた講演会。

「急病のとき困らないために!」

千葉市主催・千葉市医師会共催により、千葉市総合保健医療センターで開催されました。

開会の挨拶に立たれた熊谷俊人千葉市長


いわゆる「コンビニ受診」と呼ばれるように、軽症患者の安易な救急車利用や夜間・休日診療受診者の増加によって、疲弊しきっている医療機関や救急体制。
現場の悲鳴を聞いた熊谷市長が、このままでは千葉市の医療体制が崩壊してしまうとの危機感を抱き、平成22年にシンポジウムを開いて市民に適切な医療資源の使い方を呼びかけたのが、この取り組みの始まりです。

今回は、小児科医や救急救命士の方々を講師に招き、

「小児科のお医者さんからお母さま方へ」
「千葉市と小児科医が小児救急のためにやっていること、できること」
「救急現場における小児救急について」

という三つの内容でのお話がありました。





子供の急な発熱や嘔吐・下痢、熱性けいれん、頭部外傷・・・
家庭ではどう対処したらよいか、また、どういう場合に夜間休日診療の受診あるいは救急車の要請をしたらよいのか、それぞれの症状別のポイントや、千葉市の小児救急体制の説明や実態など、とてもわかりやすい解説がなされました。
特に若いお父さん・お母さんにとって、非常に参考になったのではないでしょうか。

私がナルホドと思ったことの一つに、こんな例がありました。
夜間に子供が熱を出したとき、
普段子供と接していることの多いお母さんは「熱は高いけど意外と元気だから、今夜は様子を見よう」と冷静に判断するのですが、仕事から帰ってきたお父さんの方が、体温計の数値だけを見てビックリして慌てて夜間診療に連れてきてしまう
というパターンが意外に多いのだそうです。
さらに言えば、慌てて連れてきたお父さんが医者の質問にはほとんど答えられず、診断に困ることもこれまたよくあるのだそうです。
日ごろから子供とよく関わって普段の子供の様子をちゃんと知っておくことも、急病の時に慌てないための大切なポイントのようです。

それから、
日本小児科学会監修の『こどもの救急』というHPが紹介されたのですが、見てみるとこれがなかなかよくできています。
チェックシートで子どもの症状をチェックしていくと、家で様子を見ていいのか、自家用車ですぐ病院に連れて行った方がよいのか、救急車を呼んだ方がいいのか、たちどころに判断してくれるのです。
医療機関に連れて行く際に用意していく物や注意点など、意外と気づかない事柄も親切に教えてくれます。
小さいお子さんをお持ちの方は、ぜひ一度ご覧になってみてください。
http://kodomo-qq.jp/index.html
その他、
こども救急電話相談「♯8000」や、いちはら健康医療相談ダイヤル24「0124-36-2415」
の活用もよいでしょう。


核家族化などで子育てのノウハウが継承されないことや、逆にインターネットなどによる育児情報の氾濫などによって、現代の若いお母さん・お父さんたちは育児不安に陥りやすくなっています。
女性の社会進出に伴って昼間の育児時間が減り、夜間や休日の受診も多くなってきています。
こうした背景がある一方で、小児科は採算性が合わずに縮小され、小児救急医の不足による過重労働の悪循環に陥っています。

平成元年からの23年間で、千葉市の救急搬送患者数はほぼ二倍になりました。
平成23年のデータでは、そのうちの62%が軽症患者。
18歳未満の患者に絞ると、なんと93%にも上るそうです。

患者は増えても医療資源はなかなか増えない、こんな状態の中でなんとか医療体制を保つためには、
私たち患者側が病気に対するある程度の知識を身に着けて、適切に医療を受診するよう心がけていくしかありません。

医療現場の最前線で毎日頑張っていらっしゃる講師の皆さんの訴えは、とても心に響きました。



実は、そもそも私がこの講演会を楽しみにしていた理由は、
市原市でもぜひ同じような講演会を開きたいと思っているからなのです。
昨年の6月議会で救急医療問題について取り上げた時から、市民ネットでも何かできないかとずっと考えていました。市内の小児科医や消防局のご協力を何とか得て、今年中に実現させたいと思っています。
そういった意味でも、今回の千葉市の取り組みは大いに参考になりました。


最後に、
今日の講演会には、市原市の職員も何人かいらしていました。
私にとっても、市原市民にとっても、彼らはとても心強い存在です(^^)

皆さんの応援が励みになっています


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