市原市議会議員 小沢美佳です

市政や議会の報告、日々の活動や想いを綴ります。
一番身近な地方政治の面白さが、皆さんに伝わりますように・・・

ハハの強~い味方、ヨ○ケイと上符さん

2011-04-26 | 選挙
坂の多い街をひたすら行ったり来たりしていたら、今日、とうとう足に豆ができてしまいました。。

でも、人との出会いは楽しい。
つい先月まで病院の片隅の調剤室で黙々ととクスリを作っていた私にとって、
刺激や気づきに満ちた対面の日々です。
市議の桑田さんと海保に出かけた際には、桑田さんの威光で?掘りたてのタケノコも頂きました。こんなオマケもあったりします(笑)

家に帰ってもハハは休むわけにはいきません。夕飯の支度があります。
数年前からはじめた夕食材料宅配「ヨ○ケイ」は、そんな私のツヨ~イ味方です。
そしてもう一つ、市議の上符さんが差し入れして下さる夕食・・・これが本当にありがたいのです。
ロールキャベツ、ちらし寿司、豚汁、どれも子供たちに大好評!ぺろりと平らげてくれます。
ハハが作ってもこうはいきません。子供の舌は正直ですね^_^;

時々、
仕事から帰ってきたら「風呂、飯」と言ってくつろげる男性(最近はそうでもないか?)
を羨ましくも思ったりしますが、
でも、
仕事をして、子供の学校にも出かけて、家事もして、そんな日常があってこその私なのだから、
と自分に言い聞かせています。

スタート!

2011-04-19 | 選挙
写真は小沢みか事務所にて、岡村由美子議員と。

17日(日)、穏やかな晴れの日。

11時から市原市の信濃県人会の総会に出席しました。
大先輩方に囲まれて、ひよっこの私も緊張しながら久しぶりに県歌「信濃の国」を大合唱。
勇ましくて雄大な曲調が、「この後のスタートの会、ガンバレ」と私にエールを送ってくれたように感じました。
思いがけず信州名物のおやきや蜂の子の佃煮など、懐かしい味の差し入れもありました。
おやきはともかく、蜂の子を頂くのは本当に久しぶりでした。
幼い頃、安曇野の祖父の家で蜂の巣を取ってきて蜂の子をほじくったことを思い出しました^_^;


そして午後2時。
私の事務所開所式、「小沢みかスタートの会」を行いました。

普段からネットを支援して下さっている皆さま、ご近所の皆さま、勤務していた病院の皆さま、
そして、キャラバン隊いちょうの仲間たち。
40名以上もの方々がお祝いに駆けつけて下さいました。
故郷・松本の出身高校の同窓生の皆さまも、市外・県外から遠路はるばるいらして下さって・・・
持参して下さった「おめで鯛焼き」は参加者に大好評でした。
(写真は鯛焼きが入っていた桶の熨斗紙です)



実は、自分の挨拶の出番ギリギリまで、緊張のあまり話したいことが頭を駆け巡ってまとまらず、かなり焦っていました。
話している時の私の顔、かなり引きつっていたことと思います。
そして、その後の岡村由美子議員の話を聞きながら、
ホッとしたのと、岡村さんと幼稚園ママ仲間として出会った当時のことを思い出して、不覚にも涙してしまいました。。

ともかく、無事スタートを切ることができました。
もうただただ感謝です。皆さま、本当にたくさんの力を頂きました。ありがとうございました!

ひたすら実直に、誠実に、自分を見失うことなく、
前進していきたいと思っています。

ハナの女子高生

2011-04-15 | 選挙
事務所開きも明後日に迫ってまいりました。
今日は、借りたばかりの事務所内の片づけをしました。
二階建てのテナントビルの一階部分なのですが、「以前は倉庫だった!?」と思えるような、なんとも無骨な空間です。

コンクリートの床には、県議選で使用したポスターを貼り付けたままの土の付いた大杭が、200本近く山積みにされて転がっています。
果たしてこれで、明後日にはお客様をお迎えできるように整えることができるのだろうか・・・

*******



さて、写真はボランティアで来て下さった皆さんから頂いたものです。
一番右の瓶は、ひまし油。鼻の粘膜に塗ると、粘膜が丈夫になるそうです。
真ん中は、レンコンの汁。これも鼻の粘膜に塗ります。鼻がす~ぅっと通るようになります。
左の瓶は、梅酢です。薄めてうがいをします。

実は私、30年来の花粉症の大ベテラン。
高校生の頃、この時期はよく鼻の両穴にティッシュを詰めて授業を受けたものです。恥ずかしいなんて言ってられませんでした。
花の女子高生ならぬ、鼻水の女子高生です。
今年は花粉の飛散量が多いのに加え、外回りでマスクをするわけにもいかず、症状は最悪でした。
鼻の下は鼻水でガビガビ、息が苦しくて夜も寝られず、口呼吸で喉もガラガラ。
県議選の時、選挙カーのマイクやあるいは電話がけで山本さんの名前を連呼する際に、
鼻づまりで「ヤマモト トモコ」「ヤバボト トボコ」になってしまって非常に困りました^^;

そんな私を見るに見かねたボランティアの皆さんが、
「薬剤師さんに差し上げるのもどうかとは思ったのだけど・・・」とおっしゃいながら持参して下さった民間療法の品々。
そんな暖かな心遣いがとても嬉しい。私にとって何にも勝るクスリです。

想定できないこと、想定できたこと

2011-04-14 | 環境
「地震予知なんて不可能、研究はやめるべきだ」とする地震学の教授の論文。

http://www.j-cast.com/2011/04/14093132.html?p=1

論文に出るまでもなく、なんとなく感じていた人も多いのでは?
今に来る、今に来ると言われ続けている東海には来ず、その間に阪神淡路、新潟中越沖、そして今回の東日本・・・
研究の成果はどこにあったんでしょうか??

そして、この教授のもう一つの主張、
「東日本大震災の津波は想定できた」

http://www.j-cast.com/2011/04/14093132.html?p=2

こんな、ちょっと歴史をひも解けばわかるようなことを、
原子力安全委員会のメンバーが「我々はそのことを知らされていなかったから」なんて!!(-"-)

「想定外」じゃなくて、「想定したくなかった」「想定しちゃいけなかった」ってことなのでしょう。
原子力ありきの政府・研究者・企業のなれ合いが、今回の悲劇を招いたとしか思えません。

市議選に向かって

2011-04-13 | 選挙
動画をもう一つ。
10日間にわたる選挙戦の締めくくり、地元国分寺台での街頭演説です。
山本さんの名調子が今一つ伝わりにくくてスミマセン。雰囲気だけでも味わってください。
ポツポツと降る雨の中、片手で大きな旗を支えながらカメラを回しました。



支持者の方々も大勢かけつけて下さって、皆で「友ちゃん団扇」をかざしてアピールしました。
動員もかけずにこれだけの盛り上がりの中で終えることができたこと、
皆で感動しきりでした。

さて、ホッとする間もなく、次はいよいよ市議選です。
今週末には私と岡村さん、二人の候補予定者のスタートの会が開かれます。
ご都合つきましたらぜひいらして下さい!
ささやかにお茶の用意をしてお待ちしております(*^_^*)

**岡村由美子 スタートの会**

とき 4月16日(土) 11時より
ところ 市原市辰巳台西1-1-16(三山公園近く)


**小沢みか スタートの会**

とき 4月17日(日) 14時より
ところ 市原市旭五所3-3(平成通り「和食処とんでん」斜め前)

   
連絡先:いちはら市民ネットワーク TEL0436-21-1907

開票日、事務所にて

2011-04-11 | 選挙
なかなか当確が出なくて重苦しい空気が流れましたが、、



やりました(^O^)/

震災の影響もあり「現職強し」だった下馬評を、みごと覆しました。

過去さまざまな選挙を経験してこられたある方いわく、
「ここまで真面目にきれいな選挙活動をしている団体は初めてだ」と・・・

思いが通じて嬉しいです。あきらめない市民の勝利です。



こんな時に万歳なんて・・・とどうか思わないでください。
震災なんかで立ち止まってはいられません。
防災システム作り、地域社会の連携の在り方、エネルギー政策・・・課題は山積みなのです。
この選挙は、復興へ向けての第一歩。
明日の県政へ、確実に私たちの思いを代弁できる人を送り出すことができたのです。



連日の早朝のチラシ配りや辻立ち、合間の原稿書き。
選挙カーは、市内の隅から隅まで回りました。何度聞いてもホレボレする演説、さすがでした。

山本さん、本当にお疲れ様でした!
(これからがもっと疲れますけどね^^;)

終わりました・・・

2011-04-10 | 選挙
町会や団体や企業からの献金も推薦もなく、地道に一人一人に声掛けしてきました。
すべてカンパとボランティアで戦ってきました。

写真の壁の標語も応援して下さる方自らの手作り。

一緒に選挙カーに乗って回って下さった皆さま、
寒い中、沿道で私たちを待っていて下さった皆さま、
事務所でひたすら電話がけをして下さった皆さま、
美味しい手作りの差し入れを下さった皆さま、
そして、「頑張って」と手を振って下さった皆さま・・・

本当にありがとうございました!

あとは結果を待つばかりです。

車窓から

2011-04-07 | 選挙

 
市内各地を回っています。
市域面積は千葉県一。東西に約22km、南北は約36km。広すぎる・・・
 


 
本当は市街地を回った方がいいのかもしれませんが、こんな風光明媚なところにも一日かけて行っちゃいます。
行く先々に暖かな人々との触れ合いが待っていました。市原の春を満喫してきました(^^)v

Love Me Tender

2011-04-02 | 環境



チェルノブイリ原発事故から二年後の1988年の曲。
原子炉サプライヤーである所属レコード会社の親会社の圧力で、発売中止になったといういわくつきです。

「ほんの少し考えりゃ 俺にもわかるさ」

「牛乳が飲みてぇ」


23年後の今、これらストレートなメッセージが心に突き刺さります。
忌野さんは、天上からどんな思いで見つめていることでしょう・・・

皆さんの応援が励みになっています


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