孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

趣味嗜好娯楽が好きなのは単純ですが人間関係で好きになると厄介になります。

2013年04月20日 | Weblog
この世は矛盾で満ちていますから善をいえば裏に悪があります。
また損得や優劣もあります。

また生きることに希望があれば今は「死にたくない」という裏を持ちます。
ところが食って寝て糞をして生きているだけならその生も死も成り行きに任せることが出来ます。

そうなると病気になることも事故や災害などの有事を心配したり恐れたりしなくなります。
そして死にたいわけでもなく、また死にたくないわけでもなく、ただ今を生きていることを味わっているだけになります。
それでも「生きている」事は皆同じです。

だから精神世界で「あるがまま」「自然体」「無心」が言われますが、その言葉が先走りするものの不完全意識がゆえにその境地にはなかなか到りませんが、それでもそのイメージ感覚として実感を伴うようになりましたからそれらをブログに書いています。

また持ち前の不信感からして人間関係がおかしな事になっているその事実も書いていますし、また臭い汚いの否定反発や潔癖症を持つことにもなるしまた暗い寂しいが孤独感&恐怖感にもなるし、しかもそれが正しいと思い込んでいればそれらを否定反発するだけではなくして、それらから自分や身近な人を守りたがる(守るために闘う)守り意識まで出てきますし、更にそれが正しいことに思えればそれが悪と思えるものを排除したがる潔癖完璧主義や正義感まで持つことになるとその事実を書いてきました。

と言うことはやはり不完全意識ながらも前もっての思い思惑やその期待を持たないままに己が原因の意識からして仕組まれるその成り行きの必然ご縁でもってそれに係わるのが自然体だと悟ったわけです。

それでもやはり何か好きなことをしながら生きていたいわけですが、その好きなことにもやがて飽きが来ます。
すなわち好きではなくなるのです。
またそれが不完全意識の人間の本性なのです。

だから様々なことをやっては止めるその繰り返しをしてきましたが未だにパチンコだけは続いています。

しかしパチンコが好きでもそれに依存していませんから、そのパチンコをしなくても何ら問題ありません、それでも何もすることがない時間が長く続くと(他に好きなことが無いから)好きなパチンコに行って時間つぶしをしたくなるわけです。

そのパチンコのような趣味嗜好娯楽が飽きて嫌いになるのは自分独りのことですみますが、しかし人を好きになると人様が相手ですから、例えば自分が一方的に好きなだけでは俗に言う片思いになり心中穏やかではありません。

また互いが好き同士になってもやがてその熱が冷めればその関係は冷ややかな関係になり、その恋愛関係の破綻で失恋が取り沙汰されるようになります。
しかも双方共に自分独りだけの問題ではありませんから、互いの意見の相違からして共に(恩や義&人情愛情の)裏切り関係が取り沙汰されます。
しかも結婚して家族でもいればそれら関係者を巻き込みますし、しかもそれを(過去&柵を)いつまでも引きずっていくことにもなります。

だから人間関係ともなると厄介になるその事実を何度も書いています。
だからこそ必然ご縁のままに「来るものは拒まず去るものは追わず」の自然体&成り行き任せにすることが必要なのです。

とにかく趣味嗜好娯楽であれ恋愛関係であれ人間関係であれ精神世界であれ、そのことに「執着」しないこと。
そして相手に<与える>ことがあってもその相手に「依存」しない「求めない」、そして必然ご縁からして(与えられるまで)<待つ>、その「成り行きに任せる」ことが基本になります。

そしてその執着しない依存しない求めないためにも「自力と自信」の精神力が必要だと書いているのですが、それがなければ必然ご縁の成り行き任せに出来るはずもありません。

ところが成り行き任せにしていると自己満足も不平不満も少なくなるが、その裏が出て心身ともに暇で退屈することになります。
何故ならこの世の矛盾&喜怒哀楽&変化刺激を味わうことが少なくなるからです。
だから執着しない求めない頼らない程度の趣味嗜好娯楽も必然になるのです。

しかしそれを人間関係に求めると相手があってのことですから、それでややっこしい厄介な問題&複雑な関係にもなるのです。
だから孤独の自由と執着のない成り行き任せにほっとくしかありません。

何か他に良い手立てがあれば教えてください。