孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間は不信感で生きています、だからどんなに時代が進化しても不安心配が増すばかりです。

2013年04月25日 | Weblog
人が集まるのは欲絡みだからです。
欲が無ければ集まりません。
だから二人揃えばそこに欲が隠れています。

そしてもっと欲張れば同じ欲を持つ人が集り、その人数も増えていきます。
そして人数が増えればそれが更に強い力になります。
そして一致団結が言われます。
そして強い力があれば数多く出来るしまた同時に複数のことが出来ることにもなり更に強い力を持ちます。

だから人は集まりたがります。
ところが同じ集まりであっても、人それぞれの意識は違っています。
だから血族・伴侶・同棲・仲間・同僚・協力者と言えども一つ違えば裏切り関係にもなります。

だから人間関係の絆となる愛情人情や義理や恩義が言われ、また愛社精神や愛国心が言われます。
しかし裏切られることが有るだけに不信感に満ちています。
それを誤魔化すために仲良しが言われますが一歩違えば(反すれば)虐め虐待暴力・殺人沙汰や紛争闘争や企業戦争・宗教戦争・国家戦争にもなります。

だから大事も最小は小さな事から始まります。

そんな世の中でいて得ているものは自己満足です。
しかも価値(事実)ではなくして価値観(思い)の満足です。
だからその価値は同じなのに価値観で追求しますから、より早く便利で快適で清潔で、より上品質で高級感があり希少価値・骨董価値があり芸術性に富んでいたり、より変化刺激性に富みより高い快感快楽を求める結果にもなりました。

だから人類誕生以来これまで時代の進化が優先されきましたが人間意識の進化は遅れて頭でっかちの頭脳ばかりが進化しました。
その挙句の果てに自分の首を自分で絞める結果になると気付いている人は少ないと思います。

またその事に気付いてはいるものの自分がどうすればいいのやら、またどうすればいいかを知っていても実践にならないで神頼み人頼みのままにしている人もいますし、その神や人頼みにしてもそれらを信頼しているものの同時に不信感をも持っています。

何やら人間は不信感で生きているようです。
だからどんなに時代が進化しても不安心配が増すばかりです。
しかしその不信感は絶対的に消すことは出来ません。

だから人間関係の中にいれば、自分を守りたがるために、その不信感が必ず出てきます。
そして多くを持っている人ほどに何かと守り意識が出てきます。

だからそれらを「捨てる」ことで(有っても無くても気にならないことで)守り意識&不信感が出ないような形にするしかありません。

そして否定反発&不信感が出ない生活に慣れ親しんでいるうちに此れまでの生き方が大きく間違っていた事に実感でもって気付くことにもなりまた自らの生活が小さくもなります。

そして失ったものを後悔するよりも、いま有るもの得ているものの真価・価値を味わう事になれば、この世が過去のいつの時代に戻っても平気で生きていくことが出来るようなそんな精神になります。

すなわち「今を生きて」いることを味わえるのです。
ゆえに先々の思いが消えて今の事実を見ることになり、その事実で十分な心持・安心安全になれるのです。

ちなみに不信感が出る原因が欲に有ることも知りますから、成り行きで与えられるまで待つ、その成り行き任せの意識にもなれます。