孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人生&生涯の時間を単なる「時間つぶし」で終わるのですか、

2013年04月16日 | Weblog
自己拡大をしていた頃の私は「寝る」時間も「食う」時間も「糞する」時間も惜しんで仕事に集中していましたが、今は一日二回の合計四時間のパートと衣食住に係わる時間で一日が終わります。

ところが過去の生き方よりも今の生き方が人間本来の生き方に思えているのですが、その裏では暇で退屈な時間を如何に過ごすかにかかっています。

ところでこの世で生きていくために何が必要でしょうか、
それを私に言わせれば、先ずは読み書きソロバンが必要なこと、そして皆で衣食住を作ることが出来ること、そして創意工夫できること、それだけで十分です。
それ以外の知識教養や特別な技術能力も必要ありません。

ところが時代が進化した現在では車を乗り回すのも携帯電話を使いこなすも当たり前になりましたから、その分だけ効率よくなりその分だけ成果を上げることにもなりました。
そしてその分だけ快適便利な生活にもなりました。

ところがよく考えてみると(併せて過去を振り返ると)
生きていくために音楽は必要ありません、時には意識していることの妨げとなるその雑音にもなります、すなわち表と裏がります。
生活に直接関係ない創作芸術に関心が無くても何ら支障ありません。
また人為的に創作された仮想の映画やテレビドラマが観れなくても平気です。
また本番の冒険活劇や未知の謎解き解明や芸能やトーク番組やスポーツ・ニュースも同様です。

※ちなみにそれらから「癒された」と思うのは事実ではなくして人工的な刺激を受けたことが自分の都合に良かったその自己満足&思い込み&自己陶酔になります。
だから裏が出れば癒されないで不愉快(否定的)にもなる事実があります。

なのに私の過去はそれらを必要としていました。
何故なら(今考えれば)(忙しく立ち回っている中でも)暇で退屈したときのその時間つぶしになっていたのです。
すなわち生きるために忙しく動き回っている人にも時間つぶしをする形が必要だったのですから何やら矛盾しています。
それが先に書いたような事例です。

何故そうなるのか、それは基本的な衣食住に係わる時間よりも趣味嗜好娯楽に係わる暇つぶしの時間が多いほうが(仕事を含めて)自己満足の生き甲斐に思えるからです。
だから主婦ともなれば大半の時間が衣食住に係わっていますから、その衣食住に係わらないで生活できれば如何に幸せかと思うこともあるでしょう。

ところがその暇つぶしの中に自己満足と不平不満があるのです。
そして生きていくために必然とすること以外は時間つぶしをしていることになるのです。

その満足や不満でもないその中間であれば、(大した事をするでも無く)何となくやり過ごしている時間がある、その事実だけになります。
その時間帯が私の場合なら(不完全で未熟なだけに)その精神世界&完全真理を意識している時間になっているのです。

どうですか、同じ時間つぶしをするのなら精神世界&完全真理の気付きになる(独自独歩&自問自答の)時間にしたらどうでしょうか、
そうなればその分だけお金と時間の省エネになるし、また他ごとに意識を使うことにもなりませんから(気にもなりませんから)その不満と満足を味わうことにもなりません。

しかし(正直なところ)(同じ仲間がいないし)(ご褒美&魅力がなくて)何だか面白さに欠けていると思っていませんか、何たってまだ実践していないから、
とにかく良くも悪くも無い、天国でも地獄でもない、ただ生きているだけに思える(気にもならない)(判断する必要も無い)その中間を当たり前が如くに味わってみなければその答えは出てきません。

そこで確かな実践をしていれば今までとは違う新たなことに気付き知り味わえますから、それが何かしら喜びや楽しさにもなりそれが自力自信にもなります。
ところがそうなると先程のように過去に味わっていた諸々が色あせて面白さに欠けてきてどうでもいいことになりますから、(他に意識することが無ければ)その分だけ精神世界&完全真理を意識した時間が増えてきます。

そうなると時代の進化を意識した生活ではなくなり内なる心精神&意識の進化に向けた生き方に変わっていくのです。

過去の弥生時代や戦国時代や明治昭和平成の時代もその形が違えども喜怒哀楽で生きていたことは同じなのですから、その同じ繰り返しとなるこの世の形外面やその価値観で生きることだけではなくして、今の時代を生きていることからして内面の精神の学び気付きにするのが本来なのです。
それが地球に生まれた人類の役割使命なのです。

しかも此れまでの時代の進化&自己拡大を味わっていたからこそ裏の自己縮小の実践によってその価値・真価に目覚め気付くことにもなりそれが精神力&意識の進化につながるのです。
太古の生物が水から陸に上がったことで(人類誕生に向けて)大きく進化したようにです。