孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自由に生きることの価値を知った者同士が人間関係を築くことになればいいのです。

2013年04月27日 | Weblog
過去の釈迦やイエスが素晴らしい人でも偉大な人でもありません。
それを素晴らしいとか偉大とか思うのは羨んでいるからです。
だから自分も素晴らしい人や偉大な人になりたいのです。
すなわち特別意識&差別意識を持っていることになります。
だからそれらの形の中に集る人も何かと特別意識を持っているのです。

ちなみに空き缶を集めてその日暮をしている人も偉大な教祖もその日暮をしていることは(食って寝て糞をして生きていることは)同じです。
ただその生き様(味わう形の価値観)が違うだけですから、ましてその真似をする必要もなく、今の自分に出来ることを素直にやって生きていればいいのです。
ゆえに人様を羨むのはそれだけ自分に自力が無くて自信もないのです。

また見栄や世間体のプライドを持っていると自らの自由を束縛制限しますが、そのプライドを捨てることが出来れば自由が多くなるし、また人間関係のしがらみを(己の意識から)無くする事が出来れば更に自由になりますので、己が思うままに自由に生きることが出来ます。

そうなるとどうしても己が独りの生き方にもなります。
それでも若い男女ペアのホームレスがいるように、またペアでもって当ても無く各地を転々と移動しながらその日暮らしをしている事例もあるようです。

そんな事例なんかをテレビ報道で見た時に何だか羨ましい気がしましたが、そうなると単独行動が難しくなり束縛制限されますから余程の協調性・調和意識が無ければその関係に無理があります。

となると家屋の中で暮らしていた形がホームレスに変わっただけになります。
となると個人の自由を優先にした関係でなければそのペア関係が活かされません。
すなわち一般的関係の中にも個人の自由が無ければその関係が活かされません。
すなわち束縛制限されるための関係になるからです。

ゆえに現在の人間関係の中に個人の自由があれば単身生活にならずにすみますし、互いが協力しながらも束縛されないままに一緒に暮らせます。
だから自由に生きることの価値を知った者同士が人間関係を築くことになればいいのです。
そうなればホームレスであれフリーター同士であれ恋愛関係であれ夫婦関係であっても、その関係を無理なく自由にして味わえます。

とは言っても皆が不完全意識の世の中だけにその中にも無理がありますが、
しかし自由の無い関係よりも味わい深い関係になることは間違いありませんし、まして裏切り関係が取り沙汰されることにはなりませんで、互いが自由を学びあった関係になり今後に役立つことになります。

すなわち不完全意識のこの世&人間関係の中でいて如何にして自由を味わえばいいのか、すなわち如何にして互いの自由を活かすのかその学びにもなるのです。
しかしこればっかりは実際に自由を実感で味わっていなければ、またその気にならなければ、思い思惑理想の絵に描いた餅になります。

何たって不自由の中ではその不自由なことしか味わえませんが、自由からは様々な生き様が味わえますからその分だけ新たな気付きも広がります。
その気付きが生きている意味(役割使命)にもなるのです。