孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自らの意識が原因からして仕組まれる、その仕組まれに自らが気付かなければなりません。

2013年04月19日 | Weblog
この世を創造した全知全能の仕組みからして気付くことがあります。
すなわち己の意識が原因からして仕組まれて気付くことです。

ところが人様に言われて気付くことになればそれも仕組まれたことにはなりますが、それには他力が加わっていますから自力で仕組まれた本物とは違ってきます。
だから他力よりも「自力」が必要として書いているわけです。


ところで妻や夫から好き&愛していると言われると悪い気はしません。
だから優しさ思いやりの言葉やその行為を受ければ嬉しいことでありその感謝の心も頑張りも出てきます。
だからその人情愛情・義理や恩義も人間関係に必要だと書いています。

また「子供は褒めて育てよ」と言われるように、人から褒められれば誰でもが嬉しくなりもっと頑張るその気にもなります。

ところがそれらに他力が絡んでいます。
すなわち人様から言われたことがきっかけ&原因になっているからです。

ところが先に書いたように、
自らの意識が原因からして仕組まれ気付きそれを即座に実践行動することになればその結果は自力・自信・精神力でもって成した本物になります。
また自分に出来る当然の事を当たり前にしたことになりますから(特別ではないから)それを恩着せに思うほどにはなりません。

ところが人様に言われて同じ事柄を成した時は、
その人様の思いに私の思い(人情愛情・義理や恩義)でもって応えますから、その私の特別な思いでもってその努力をしたという経緯結果が加わりますから、そこで何がしの恩着せに思うことにもなります。

となれば同じ自力で成したことであってもその恩や儀の返礼を思惑期待するようになるし、その恩返し義理返しが無ければ(思惑が外れて)不平不満にもなりますから、自力で成したことのその裏が出て自らが不満になる原因にもなります。

すなわち自らの意識からして自らが不満になるのです。
だから誰の性でもなくすべては自らの意識が招いた自己結果&自己責任だと書いています。


ちなみに私のパート先で自らが気付きそれを創意工夫しながらその自力を使って成していることが多いことからしてオーナーから事細かく指導指摘注意されることは殆どありません。
それだけにオーナーも気分よく接してくれますし色々と過分の心尽くし施しもしてくれていますから私とて気分よく勤めることも出来ます。

もしそこで気付いたことを後回しにしたり、そのままにほっといていればその分だけオーナーが気付くことになり、その見過ごし放置が(私の手抜きが)気掛かりになり私に対する信用度が下がり不信感が上がります。
また指摘されなくても最初からやる気になっていたとして(後回しにしていたことを弁明し)それなのに指摘されたことからしてその人を憎み恨む場合もあります。

それが不完全意識の私たちなのです。

だから何気なくふと気付くことも仕組まれたことですから、その気付きを疎かにしないでその取り組みをしっかりすることからして、それが結果的には自らの心身の安心と安全にもつながっていくわけです。

だから暇で退屈する(心と時間の)余裕も必要なわけです。

また他力が介在しなくても早々と自力で気付きそれを自らが率先して成せるだけの自力(心と時間)も必要になるのです。

ゆえに仕組まれに気付くその精神力&自力と自信が重要なことを書いているのです。

またその気付きこそが人間の役割使命に欠かせない重要なことだと書いているのです。