昨日の昼過ぎ、某知人がとつぜんやって来ました。某フリーペーパーの記者をしている人物です。
庵の近くのホテルで民進党の講演会があり新党首の蓮舫氏も来ていたので取材にいってきたところだということでありました。
GGI、民進党にはほとんど興味がなく、どのような政党であるのか、よく承知しておりませぬ。でも、無責任に申し上げれば新党名は意味不明瞭であり、よくありませぬ。名は体を表すともうしますが、体がいったい何なのか、よくわかりませぬ・・・・民主や民心などという言葉はあっても、民進という言葉はふだん使いませぬので造語とも言うべきものであり、この名称、民には親しみに欠けます。
GGIは、もっと分りやすく「民心党」ととでもすればよかったのではないかと思います。そうすれば、民は「政治において最も大切なのはわれわれ民の心だ。この政党は、ウソかホントかはともかく、民の心を大切にすることをスローガンに掲げる政党なのだ」とでも思うかもしれないからです。
党名の話はともかく、この知人、土産代わりということでありませうか、講演会でもらったという民進党の大きなポスターをおいていきました。このようなものをもらいましても、使い道がありませぬ。迷惑なだけなであります。捨てようかと思って四つに畳んだののですが、せっかくですの記録に留めるべく、ポスターをもう一度床に広げて証拠写真を撮ってみました。
今日の写真は新党首である蓮舫氏の姿が大きく写っている民進党のポスターです。クリックしてご覧になっても、ならなくてもご自由です。
邪推名人のGGI、このポスター、ひょっとしたら、いやひょっとしなくても、いま若干世間をお騒がせている、いろいろな意味でブラックな企業である、あの電通さんあたりに依頼して作ったのではないかと思ったりいたします。
と申しますのは、ずいぶん以前のことですが、前新聞記事かなにかに、国政選挙のポスター、大手政党のポスターの制作は電通さんが一手に引き受けていると書かれていたことをGGIは記憶しているからです。
このことを知りましたとき、GGIは納得がいきました。「道理で、政党のポスター、キャッチコピーが異なるだけで、どこの政党のポスターであっても、似たような印象しか受けないんだ」と思ったのでありました
このたびの民進党のポスターから受ける印象も同じであります。このポスター、キャッチコピー「人への投資が未来をつくる」はそのままにして、レンボーさんの代わりにアベ君をはじめ他の政党の党首の写真を載せれば、そのまま他の政党のポスターに使えそうであります。
たとえば、アベ君が「人への投資が未来をつくる」と言ってもちっともおかしくないのです。公明党、維新、その他の政党の党首が言ってもおかしくないのです。
ところで、この民進党のポスター、このようなことよりももっとGGIが気になりますのは、キャッチコピーの内容です
「人への投資が未来をつくる」・・・・投資とは本来「金儲け」を目的としたものでず、すなわち、辞書などによれば「将来得られるであろう収益を目的として,現在資金を支出すること」を投資というのです。ですから、このコピー、分りやすく言えば、将来性のある有為な人材である若者たちにカネを使って[富国」日本を生み出そうということでありませう。
投資家は自分の利益になる可能性があるものに投資します。このこのコピーの場合、当然ながら投資の主は国です。ですから国は国にとって将来利益になりそうな「人」におカネを出そうという意味になります
すなわちこのコピー、人へ投資することにより作られる未来の中身の主なるものは、端的に申しあげれば富国日本ということです。あいかわらずの経済成長命至上主義という発想にほかなりませぬ。
意地悪を申し上げるようですが、ひねくれて申し上げますと、この言葉を裏返すと「将来性のないできの悪い若者には、どうでもいい中年なんかには、将来性なんか期待できないGGIのような高齢者なんかには投資なんかしない、カネなんか使いたくないということになるのではないでせうか・・・
だいたいにおいてこのコピー、言語センスがまことに無神経です。はっきり申し上げますが、人は、人間は、モノではありません。ですから本来、「投資」の対象なんかにすべきものではありませぬ。人は、人間は投資の対象とされるために生まれてくるのではありませぬ。
かつて戦時中に「人的資源」という言葉がありました(今でもときおり用いられているかもしれません)。当時、人間は戦争遂行のための貴重な「資源」とみなされていたのです。人間は資源に過ぎなかったのです。人間をモノ扱いしているという意味では、「人への投資」と同じ無神経な言葉です。
「人材」と言う言葉も同様、まことに無神経な言葉です。「食材」などという言葉も存在していますから、「人材」という言葉、人間はモノ扱いです。「人への投資」はおそらく「人材育成」への投資ということであると思われるますが、人間をモノ扱いした「人材育成」と本来の意味における教育とはまったくの別物です。
すなわち、人へ教育を施すことは本来、投資などという、カネを出して何らかの利益を得よう、もうけよう、元を取ろうなどという姑息な狭い了見に基づいて行われるものではありませぬ。教育を施すことは、その人間がより自分の個性や能力を発揮し、より意義のある人間らしい生を送ることができるようにすることを目的としたものであり、教育を施す側(国)が何らかの利益を得ることを目的としたものなんかではありませぬ。教育を施された人間が果たして国家の目的、利益にかなう人間になるかどうか、それは人を育てることの本質とはまったく無関係なのです
蓮舫さんよ、しっかりしてください。戦後このかた、日本の社会は、人間をモノ扱いして、投資の対象として扱い、投資の対象とした限りは元を取らなければとばかり勤め人をこき使い、せっせと経済成長と言う名のカネ儲けだけに奔走してきたからこそ、ブラック企業が蔓延したり、格差社会・貧困社会を生み出したしているのですよ。
などなど、他にも申しあげたいことは多々あるのですが、一言で申し上げればは、要するにこんな腑抜けのたわけた、他の政党でも使えそうな、曖昧模糊としたキャッチコピーのポスターを作っているようでは民進党の未来はまったく暗い、いっそ「民心党」とでも改名して出直しなさいということであります。改名して、アンポンタン社会の改革を、アンポンタン法制反対をしっかり掲げるのです。
グッドナイト・グッドラック!