昨日は午後から雨になりました。はじめは霧雨でした
午後、音楽好きの某知人が電話してきて申しました。
「今日の夕方、八重葎庵の少し先にある市の文化施設で某合唱団の演奏会がある、題目はGGIにはネコに小判のモーツアルトのレクエイムなど、無料だからすこしGGIの教養をつけて、演奏会はそれほど長くはないから、そのあとGGIの迎賓館でビールなんかどう?」
無信仰のGGIにはレクエイムなんてまさにネコに小判でありますが、ビールが主眼であるならばOKと返事しました
かようなしだいで夕方、でかけようとガーデンに出ましたら、わが自慢のアンズの花、雨に打たれて次々に散っています。桜より一足お先にというわけです
今日の写真はわがガーデンの地面を飾るアンズの花びらです。よろしければクリックしてご覧くださいませ
演奏会は午後8時過ぎに終了、GGIは春雨だから濡れて行かなくてはと傘を持たずに出たのですが、雨は激しくなっており、わが迎賓館にたどり着くまでにわがコートはずぶぬれになりました。
しかしながら、このコート、ユニクロで一番高かっただけのことはあって、防水は完璧、一滴たりとも雨は染み透っておらず、迎賓館を午後十時前に退出するころはすっかり乾いておりました
迎賓館ではGGIと同じく後期高齢者一年生であるこの知人と若干有益なる会話を交わしました。物知りのこの知人に聞いてみました
「あの~、こんな初歩的な質問で申し訳ないのですが、レクエイムってどういう意味?鎮魂という意味ですかね?」
「それはかん違い、まったく間違いというほどではないけれど正確ではありません。本来は安息を意味することばですが、死者の安息を願うカトリックのミサのこと、そこから転じてこのミサで歌われる聖歌のことです」
「ふ~ん、死者の安息かあ・・・ところで死者の安息はともかく、あなたは安息に至った場合、葬式はどうするつもりですか?」
「オレ、献体することにした、その手続きももう済ませた。だから葬式やらずにすむというわけ。女房にも《偲ぶ会」》なんてケッタイなものはやるな、と言ってある」
「ふ~ん、献体ってどこに?手続きってどうするんですか?」
「京都の某大学病院。献体するときは、まずは面接、それに保証人のようなものが二人必用。亡くなったときに実際に確実に献体のための連絡や作業、手続きなどを行ってくれる人物が必要というわけ。
それも配偶者や兄弟などではダメ。献体する本人が死んだときに生きているとかぎらないから。だから世代が異なる、自分の子供など自分よりずっと若い人物を保証人にしなければならないということになっている。それでオレは子供いないから、姪を保証人にした」
「ふ~ん、手回しがいいですね・・・」
「GGIはどうするつもり?君は独居老人だから決めておいたほうがいいよ」
「う~ん、何にも・・・献体かあ、別にいやではないけどなあ、それに脳死臓器移植なんでもOKと健康保険証の裏面にサインしてあるので、GGIの清らかな瞳や美しき心(臓)やときおりゼンソクの大発作を起こして人生を楽しませてくれる気管支なんかが、それに明晰なる脳ミソが誰かの役にたつなら、まあ、望外の喜びではあるけどなあ・・・」
「GGI、いま何といった?オレ、最近耳が遠くなって・・・なんだって、清らかな瞳に美しい心だって!それに明晰なる脳ミソだと!春の陽気でオツムの調子が狂っているのじゃないのか?}
「まあ、そんな細かい事実関係なんかどうでもいいじゃないですか・・・・でもねえ、結局は死んだものが勝ちじゃないですか、死んだら意識はないのだかろう、どうされようと、煮て食われようが焼いて食われようが、葬式やられようが葬式なしであろうが、知ったことじゃない、他人に迷惑かけても、そんなこと死んでしまった当人には関係なしですよ・・・」
「死んだものが勝ちか・・・確かにそうだなあ・・・」
グッドナイト・グッドラック!