昨日、某用件のために知人たちといっしょに裁判所に行きました。その帰り道、GGIらが「談合喫茶」と呼んでいる裁判所近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら談笑していましたら、東大出であるものの卒業後紆余曲折があり過ぎてしまった後期高齢者寸前の某氏が言いました
「GGIさん、関電のことボロクソに言うてはりましたね、某紙に出てましたよ」
「あ、載ってた? 感心や、あの記者書いたんや。実はなあ、一昨日、某地方紙の記者が電話してきて、関電マネー・スキャンダルについて聞かれたんや、載せてくれるかどうかアテにならんからボロクソに言うておいた、《こんなモラルもクソもない関電、まるで田舎カイシャや、こんな田舎者の会社に原発なんかまかせておくわけにはいかん》などと言っておいた、しかも関電の社長は大手電力会社の業界団体である電気事業連合会の代表や、だから他の電力会社もええかげんというわけ。ところで関電の経営者、京大出ばっかりという話やないか」
「京大出かあ、まあ、あいつらもアホやけれど、東大出もエエ加減なヤツ多い、ヒトのことあまり言えんけどけどなあ、だけどなあ、日銀なんか、そのアホな東大と一ツ橋と慶応で固めているんや、これらの大学以外のヤツは出世できんと日銀の女が言うてた・・・」
「君、日銀の女とつきあっていたのか?さすが東大出やなあ」
「何言うてるんですか、そんなことどうでもええじゃないですか。そんなことより問題はアホ関電のことでせう?」
ほっしゅるとおりであります。このたびの関電マネー・スキャンダル、まったくひどいと申しましかオソマツすぎる話です。企業のガバナンスがどうのこうの、コンプライアンスやCSR(企業の社会的責任)がどうのこうのとカタカナ英語で日頃もっともらしいことを言っておきながら、一皮むけばこのありさま・・・
知人たちと別れて帰宅してから、夕方暮れゆくわがガーデンを何となく眺めていましたら、このまま関電を放置しておくわけにはいかないなあと、正義の心がムラムラと湧いてきました。このさい関電に鉄槌を下す必要があるのではないか、どうやって鉄槌を下せばよいのかと考えていましたグッドアイディアが浮かびました
そうだ、あのわがガーデンの隙っこに屹立している関電のデッカイ電柱、我が家の電気は関電製でないから、もう要らん、さっさと持って帰ってもらおうではないか・・・・
今日の写真はわがガーデンに鎮座しております関電の電柱を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。
写真の左端に写っているのがわがガーデンの敷地の隅っこにある電柱、右端に写っているのが広大な隣家の敷地の端っこに立っている電柱、この二本の電柱の間隔はわずか十数メートルしかありません。
写真をご覧になればお分かりいただけると思いますが、この二本の関電の電柱がわが景観を著しく破壊していることは明らかであります。
景観が破壊されるのが分っていながら、なぜわがガーデンに関電が電柱を立てることを許したのか、それはGGIが公共の精神を重んじる良識ある市民であるからです
ウン十年前のある日、関電の社員がやってきて申しました。「まことに勝手なお願いなのですが、お宅に庭の隅っこに電柱を立てさせてもらえないでせうか、大通りの歩道に太い電柱を立てると通行の邪魔になったり、いろいろ問題がありますので・・・・」
「わかりました。関電は私たち市民の生活に欠かすことができない電気を供給するという公益性の高い大切なお仕事をしておられるので私どもも協力させていただきます」
「ありがとうございます。実は民有地にはなかなか電柱を立てさせてもらえないのです。たいへん助かります。こころより感謝申し上げます」
ところが、電柱を立てる工事にとりかかりましたら、わがガーデン、もとはびわ湖でありましたので地盤が軟弱、あわてて電柱を支えるために太い支柱を斜めに立てることになってしまいました。これでは実質的に電柱を二本立てるのと同じことであります。おまけにわがガーデンのすぐ隣、隣家の敷地の隅っこにも同様に電柱が二本立ってしまったのです。
それでも知性と教養の持ち主であり公共の精神を重んじるGGI、写真でお分かりいただけるような景観破壊にもかかわらず、一言も電柱に関して関電に文句を言ったりしませんでした。
ところがこのたびの関電マネー・スキャンダルでございます。温厚なるGGIでありますが関電に正義の鉄槌を下さざるを得なくなってしまいました。
関電の社長さんにもうしあげます。関電にはもう電力の供給という公益事業を営む資格はありません。原発の事業を営むなんて論外であります。したがいまして、可及的速やかに八重葎庵ガーデンに屹立している貴社の電柱を、さらにはわがガーデンに隣接した隣家の敷地に立っている電柱も、撤去されるよう強く要望いたします。
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・
グッドナイト・グッドラック!
「GGIさん、関電のことボロクソに言うてはりましたね、某紙に出てましたよ」
「あ、載ってた? 感心や、あの記者書いたんや。実はなあ、一昨日、某地方紙の記者が電話してきて、関電マネー・スキャンダルについて聞かれたんや、載せてくれるかどうかアテにならんからボロクソに言うておいた、《こんなモラルもクソもない関電、まるで田舎カイシャや、こんな田舎者の会社に原発なんかまかせておくわけにはいかん》などと言っておいた、しかも関電の社長は大手電力会社の業界団体である電気事業連合会の代表や、だから他の電力会社もええかげんというわけ。ところで関電の経営者、京大出ばっかりという話やないか」
「京大出かあ、まあ、あいつらもアホやけれど、東大出もエエ加減なヤツ多い、ヒトのことあまり言えんけどけどなあ、だけどなあ、日銀なんか、そのアホな東大と一ツ橋と慶応で固めているんや、これらの大学以外のヤツは出世できんと日銀の女が言うてた・・・」
「君、日銀の女とつきあっていたのか?さすが東大出やなあ」
「何言うてるんですか、そんなことどうでもええじゃないですか。そんなことより問題はアホ関電のことでせう?」
ほっしゅるとおりであります。このたびの関電マネー・スキャンダル、まったくひどいと申しましかオソマツすぎる話です。企業のガバナンスがどうのこうの、コンプライアンスやCSR(企業の社会的責任)がどうのこうのとカタカナ英語で日頃もっともらしいことを言っておきながら、一皮むけばこのありさま・・・
知人たちと別れて帰宅してから、夕方暮れゆくわがガーデンを何となく眺めていましたら、このまま関電を放置しておくわけにはいかないなあと、正義の心がムラムラと湧いてきました。このさい関電に鉄槌を下す必要があるのではないか、どうやって鉄槌を下せばよいのかと考えていましたグッドアイディアが浮かびました
そうだ、あのわがガーデンの隙っこに屹立している関電のデッカイ電柱、我が家の電気は関電製でないから、もう要らん、さっさと持って帰ってもらおうではないか・・・・
今日の写真はわがガーデンに鎮座しております関電の電柱を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。
写真の左端に写っているのがわがガーデンの敷地の隅っこにある電柱、右端に写っているのが広大な隣家の敷地の端っこに立っている電柱、この二本の電柱の間隔はわずか十数メートルしかありません。
写真をご覧になればお分かりいただけると思いますが、この二本の関電の電柱がわが景観を著しく破壊していることは明らかであります。
景観が破壊されるのが分っていながら、なぜわがガーデンに関電が電柱を立てることを許したのか、それはGGIが公共の精神を重んじる良識ある市民であるからです
ウン十年前のある日、関電の社員がやってきて申しました。「まことに勝手なお願いなのですが、お宅に庭の隅っこに電柱を立てさせてもらえないでせうか、大通りの歩道に太い電柱を立てると通行の邪魔になったり、いろいろ問題がありますので・・・・」
「わかりました。関電は私たち市民の生活に欠かすことができない電気を供給するという公益性の高い大切なお仕事をしておられるので私どもも協力させていただきます」
「ありがとうございます。実は民有地にはなかなか電柱を立てさせてもらえないのです。たいへん助かります。こころより感謝申し上げます」
ところが、電柱を立てる工事にとりかかりましたら、わがガーデン、もとはびわ湖でありましたので地盤が軟弱、あわてて電柱を支えるために太い支柱を斜めに立てることになってしまいました。これでは実質的に電柱を二本立てるのと同じことであります。おまけにわがガーデンのすぐ隣、隣家の敷地の隅っこにも同様に電柱が二本立ってしまったのです。
それでも知性と教養の持ち主であり公共の精神を重んじるGGI、写真でお分かりいただけるような景観破壊にもかかわらず、一言も電柱に関して関電に文句を言ったりしませんでした。
ところがこのたびの関電マネー・スキャンダルでございます。温厚なるGGIでありますが関電に正義の鉄槌を下さざるを得なくなってしまいました。
関電の社長さんにもうしあげます。関電にはもう電力の供給という公益事業を営む資格はありません。原発の事業を営むなんて論外であります。したがいまして、可及的速やかに八重葎庵ガーデンに屹立している貴社の電柱を、さらにはわがガーデンに隣接した隣家の敷地に立っている電柱も、撤去されるよう強く要望いたします。
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・
グッドナイト・グッドラック!