昨日、元大工のゴローさんがわがガーデンの柿の収穫にやってきました、旧八重葎庵を何度も修理してもらった大工さんです
ゴローさんは今年八十八、いろいろ病気もち、今は某大病院の呼吸器科と内科と泌尿器科となんと科…少し前は眼科にもかかっておりましたがとても元気です、
バイクに乗ってやってきました、身が軽くむかしは牛若丸であったとのこと、脚立の一番上に立って柿をとっておりました
でも、どういうわけか今年は不作、夏ごろにはたくさん青い実がついていましたので豊作かと思ったのですが、それほどではありませぬ、甘柿の方は実が一応はなっているのですが、大きさが例年より一回り小さい、シブ柿の方はなっている実は大きいもの数が例年よりずっと少ないのです
このゴローさん、いつであったかバイクに乗って柿を取りにきたとき、わが庵の近くに来て「うわあ、よくなっているなあ」と上を見上げた瞬間、ハンドルがお留守になりどこかに激突、転倒してけがをしたことがありました
今日はそのときの話を聞かせてくれました
「GGIさん、聞いてください・・・あのときはなあ、あっと思うたら空中に放り出されていた、バイクが下に見えたので、あっ、これはいかん、このままでは頭から落ちてしまうと、あわてて宙返りしたんや、それで足から落ちて、左の肘を打っただけですんだんですわぁ」
さすがに牛若丸とGGIは感心したのでありますが、そのあとの話がまったくケッサクでありました
「それでなあ、立ち上がって、左の手首は大丈夫かなあと右手で手首を回したら、いつまでも回りよるんですわぁ、グルグルッと、おかしいなあ・・・あれは慌てた、肘の関節が折れていたんや、それで手首が・・・」
まことにワッハッハであります、この事故のときはGGIもいたのですが、怪我はたいしたことないと、迎えに来た娘さんの車で病院に行ったことは知っていたのですが、ことの真相を知ったのは昨日のことでありました
ゴローさんは一度溺れかかったことがあるため肺の調子がよくなく、ほんとうは外出時は酸素ボンベが必要なのですが、そんなことはおかまいなし、いつもボンベなしでバイクに乗ってきます、そのかわり呼吸の困難になったときに救急薬、GGIがゼンソクのために常時持っているものと同じ種類の薬を、持っています
「大丈夫やGGIさん、バイクで走っているときは空気がようけ鼻の穴からようけ入ってきよるから」
まことに元気そのものであります
このゴローさん、戦時中はなかなかの荒くれ船乗り、最後の航海を終えて広島の宇品港に戻ってきたのは原爆投下の翌日、8月7日の朝方、死体累々の広島の市街地を徒歩で横断、鉄道が動いていないので仲間ち小さな舟をやとって山口県へ、そこから貨物列車に飛び乗ったりして故郷の天草に帰りついたのが8月8日の夜、翌8月9日の朝、雲仙岳の向こうに、投下され原爆のキノコ雲が広がるのを目撃したという稀有の体験の持ち主でもあります
ゴローさん、いつまでも元気でいてくださいね!
今日の写真は柿の収穫にいちおう満足して帰途につくゴローさんです、よろしければクリックしてご覧くださいませ
グッドナイト・グッドラック!