最近、フランスの若き経済学者トマ・ピケティ氏の著書「21世紀の資本」が話題になっています、マルクスの資本論に匹敵する新しき資本論という評価もあります
教育テレビでもときおりピケティ氏による「パリ白熱講義」なるものが放映されております、その明快・軽快なる弁舌についGGIもつい引き込まれてしまいますが、読むと見るとは大違いというのでしょうか、テレビは受け身で見ていれば、なんとなく分かった気になるかもしれませんが、本(日本語版)の方は数百ページもあり、お値段は5000円(みすず書房)、GGIの知人にこの本を買ったという人物がおりますが。GGIはたとえ買っても読み通す自信がまったくありませぬ
かようなしだいで、先日、本屋の店先で表敬訪問だけいたしました、パラパラッっと目次などを眺めておしまいにいたしました
今夜の写真は西武さんのなかにある某本屋さんの店先に一冊だけ飾られていたピケティ氏の御本を撮ったものです、よろしければクリックしてごらんくださいませ、一冊だけしか置かれていないところをみますと、話題にはなっていても実際にはたいして売れないだろうなあ、という判断なのでありませう
本の実力を判断するのに、いろいろな尺度があります、最近は、どうもあまり字が詰まり過ぎていないものが好かれる傾向があるのではないかという気がGGIはいたしております、まあテレビやらネットやらでビジュアルなものが好かれ活字文化衰退の現れかもしれませんね
ところで、昨年惜しくもお亡くなりになった、「超芸術トマソン」の創始者であり、すぐれた書き手でもあった赤瀬川原平センセイは本の実力を判断する尺度として「実読率」という考え方を提案されていました
「実読率」と申しますのは、ある本を実際に初めから終わりまでちゃんと読み通す読者の率です、いくら売れていても、買ったものの積ん読だったり、途中までしか読まない人が多数いる場合は「実読率」は低いということになります
「実読率」が高いほど、その本は確かな実力を備えていることになります。
赤瀬川氏によれば、自分の書いた本の実読率はあまり高くはない、実読率が圧倒的に高いのは本職は漫画家であるはずの東海林さだお氏のたべものシリーズであるとのことです。
確かに赤瀬川センセイのおっしゃる通りです、赤瀬川センセイは東海林氏の食べ物エッセイは、一度読んだものでも、再び手にすると、またつい引き込まれて読んでしまうとおっっしゃっておられますが、GGIにも同じ経験がございます、東海林氏のたべものエッセイの実読率は極めて高く、買った人のほとんどが最後まで読んでいるであろうと推測されます
詩人の金井美恵子氏が「朝日新聞の天声人語は姑息な繊細さ、東海林君のたべものエッセイは繊細な姑息さ」と東海林氏を絶賛しておられますが、GGIにもよくわかります、天声人語は繊細さを気取ってばかりいて、それが鼻につきますので、GGIは半分よんで、もう分かった、どうでもいいことしか書いていないんだと、読むのを途中で止めてしまうことが少なくないのですが、東海林君の書き物は、場末の食堂でのサバの味噌煮がどうのこうのという、まことにみみっちい姑息な話がほとんどなのですが、おもわず「そやなあ、そのとおりや」などとつぶやきながら、ついつい読んでしまうのであります
今夜も話が脱線いたしましたが、要するにピケティ氏の大著、世界的ベストセラーなんだからオレも読まなくてはと思って買う人は結構いても、最後まで読み通す人は極めて少数であろう、ということをGGIは言いたいのであります、すなわち本の実力を示す一つの指標であるところの「実読率」は、東海林氏の著作の「実読率」に遠く及ばないであろうということであります
えっ、何ですか?世の中、まともな本をちゃんと読む人間も少なからずいるんだ、GGIはだれでも自分と同じように意志薄弱で怠惰であると勝手に思い込んで、自分を正当化しているだけだ、とおっしゃるんですか?
まあ、当たらず言えども、遠からずというところでありませうか・・・・
グッドナイト・グッドラック!