UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

進め一億火の玉だ・・・必ず勝つの信念と死なば共にの・・・

2021-05-19 01:32:38 | 日記
前回の日記で、「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戰えというのか。このままじゃ、政治に殺される」という文言が付されたコロナ禍を題材にした宝島社の大広告を紹介いたしましたが、GGIは久しぶりに「タケヤリ」という言葉に遭遇して、そういえば、先の大戦中、わが日本は愛国心テンコ盛りのトンデモ軍歌で満ちあふれていたなあ、「欲しがりません、勝つまでは」とか「一億玉砕!」などというスローガンもあったよなあ、そういえば「一億ナントカカントカ・・・」という軍歌もあったなあなどと、遠い記憶が次々に呼び覚まされてしまいました

遠い記憶と申しましたも、GGIは敗戦時に御年四歳足らずでありましたから、遠い記憶のほとんどは、かつて軍国少年であったと自称している長兄が敗戦後に歌っているのを聞いて覚えたものであります。

軍国少年であった長兄は後になって「普通の純真な少年を軍国少年にするにはたいして時間を要しない。五年もあれば十分、軍国少年は育つ。教育というモノはそういうモノだ」とその体験を語っておりました・・・

この兄は「必ず勝つの 信念と死なばともにと 団結の・・・」と「加藤隼戦闘隊」と題された軍歌を口にしてわが帝国の必勝を信じていたのでありました・・・しかし終戦の玉音放送を聞いて、国に裏切られと落胆、十歳にして「オレはこれからはもう国家を信じない」と固く決意した、と数十年後に述懐しておりました

一億ナントカカントカというのはどのような軍歌だったかなあ、歌詞がサッパリ思い出せませんのでネットさんに助けてもらいましたら、以下のようなものでありました

「進め一億火の玉だ」
大政翼贊會宣傳部 作詞  長妻完至 作曲

行くぞ行かうぞ ぐわんとやるぞ
大和魂 伊達ぢやない
見たか知つたか 底力
こらへこらへた 一億の
堪忍袋の 緒が切れた

靖國神社の おん前に
拍手(かしはで)うつて ぬかづけば
親子兄弟 夫らが
今だたのむと 聲(声)がする
おいらの胸にや ぐつと來た

さうだ 一億火の玉だ
一人一人が 決死隊
がつちり組んだ この腕で
守る銃後は 鐵壁(鉄壁)だ
何が何でも やり拔くぞ

――台詞――
進め一億! 火の玉だ!!
行くぞ一億! どんと行くぞ!!

大政翼贊會作詞作曲.
戦時中の標語,「屠れ米英我等の敵だ 進め一億火の玉だ」より
http://kouzuke.s11.xrea.com/nippon/kashi/susume-itioku-hinotamada.html

凄いと申しますか、口から出まかせと申しますか、ムチャクチャと申しますか、デタラメの極致と申しますか、何とも形容し難い、完全に狂っているとしか申しようがない歌詞・・・このような歌がかつてこのわがニッポンで実際に歌われていたとは、とても信じられませぬ・・・

実はこの歌詞には真っ赤なウソが存在しております。「一億」というのは当時のわが日本の人口を指していると思われますが、これは事実に反しています。当時の日本の人口は約7000万人、残りの3000万人はわが日本が植民地としていた台湾と朝鮮半島の人々であります。日本が無理やりに勝手に国民ということにしてしまった人々も含めての「一億」、つまり水増し一億、この軍歌、題名からしてデタラメであったのです

この軍歌は1942年(GGIご生誕の翌年の昭和17年)、すなわち開戦、あの華々しい真珠湾攻撃の翌年、まだ日本軍の勢いが失われていなかった頃に作られました。しかしながら、歌詞の内容はまるで日本軍は「玉砕」に次ぐ「玉砕」、沖縄での悲惨な地上戦、本土は空爆に次ぐ空爆、最後に原爆という、戦争末期のまったく望みを絶たれた戦いを、すなわちわが帝国の未曽有の大敗北をあらかじめ覚悟しているかのような暗~いものです。まるでいずれ大破局に見舞われるのを見通していたのではないかと思われるような歌詞です。戦意高揚のため軍歌であるものの、勝ち目がまったくない戦争であることを当初から無意識に予感していたのでありませうか・・・

この軍歌、お望みの方はユーチューブなどでお聴きいただけます

今日の写真は「一億火の玉」のポスターを撮ったものです。クリックしてご覧になってくださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
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