UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

ひとはなぜ花を買うのでありませう・・・・

2018-02-03 01:10:34 | 日記
昨日、スーパーで花を買いました

石川啄木の短歌に「友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」というのがありますね。

しかし、昨日は友がみなGGIより偉く見ゆる日であったから花を買ったのではありませぬ。啄木のようなことを言っていましたら、GGIは毎日花を買わなければなりませぬ、それに仮に毎日買ってきたところで、いっしょに花にしたしんでくれる妻なる結構なモノもおりませぬ、それに仮に妻がいたとしてましても、「ちょっと、あんた何考えてるの、わたし、忙しいんや」などとほざいて、いっしょに花をしたしむとは限りませぬ・・・

啄木さんの歌、なかなか泣かせるものが多いですね、たとえばよく知られているものとして歌集「一握の砂」に次のようなものがあります

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる
たはむれに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず

井上ひさし氏の著作に「泣き虫なまいき啄木」というお芝居にもなった作品がありますが、GGIは啄木の「泣かせる」短歌はあまり信用しておりませぬ。というのは、上手すぎるからであります。キマリ過ぎているのです。ですから、GGIは思わず「啄木クンよ、君はほんとうに悲しんでいるのかね、泣いているのかね、ほんとうは演技じゃないの?ほんとは泣きぬれるのを楽しんでいるんじゃないの」などと言いたくなるのです。啄木はこのうえないナルシストであるといのがGGIの認識です

と、またはじめから話が脱線いたしましたが、GGIが昨日花を買ったのは啄木さんとはまったく別の理由からであります

掃除をする代わりに花を買ったのです。わが庵、日に日に乱雑さの度合いが高まり、われながらウンザリ。掃除をすればいいのですが、なかなか決断が尽きませぬ。床や棚には紙切れや本やその他が無秩序に散乱、そのうえ、花瓶に生けた花々はすっかり枯れ果てております。

この光景を眺めていて、どうもひどいものだなあ、とりわけ花瓶に生けた花が枯れっぱなしで
放置されている様子はよくないなあ、いかにも荒んだ感じをもたらし最悪、この枯れっぱなしの花を誰かか目にしたら「哀れやなあ、独居老人の暮らしは侘しさをとおり過ぎて、寒々として、救いようがないなあ、先行き視界不良、こんな暮らし、自分はしたくないなあ」などと他人は思うであろう・・・

友がみな我より偉く見えるのは仕方がないけれど、そんな下げずむよう哀れみの目で見られるのは辛いなあ、どうしたらいいだろう・・・

と考えた末、問題の核心は散乱する紙切れなどではない、わが庵の空間に荒んだ感じをもたらしているのはあの花瓶どもの枯れきった花なんだ、あれを除去して、新しき花を活ければ、事態は一変するのではないか!

という、まことに懸命かつ安易な手段を思いついたのでありました。さっそく花を買ってきて実行してみました。十分ではありませぬが、一定の効果があるようであり、友がみな偉く見ゆるというGGIの気持ちは若干落ち着きました

いつであったか、花瓶に新しい花を活けて何日もしないうちに某知人がやってきて、ずけずけとわが庵内に侵入、「おっ、GGIは花なんか生けたりするのか!」などと真に失礼極まることをヌカシタことがあります

「何を言っておる、あたりきしゃりき、花を行けるぐらいは教養のうちや!」

実は、GGIは華道とか生け花という結構なお上品なものは全く知らないのですが、フラワーアレンジなるものは結構好きです。また、はっきり申しあげて結構上手であります。色彩感覚、バランス、ハーモニーなどなど、GGIのセンスは捨てたものではないのです

デタラメ言うなとおっしゃる方は3年前の日記に添えた写真をご覧くださいませ。お盆、我がファーザーの墓参りにいったときに供えた花を撮ったものです。いまはなくなりましたが、かつて西武さんの中にあった花屋さんのお姉さんに細かく注文をつけて作ってもらった花束であります。花屋のお姉さんも素敵な花束ができたのでとても喜んでおりました

今日もまとまらないどうでもいい話になってしまいました

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は昨日スーパーで買った花を撮ったものです。たいして変わりばえのしないものでありますが、よろしければクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!

コメント
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