一昨日と昨日の新聞、オバマ大統領の広島訪問の記事が紙面をにぎあわせていますね。
当然のことながら彼のスピーチについての記事が多いのですが、今朝の新聞では、オバマ氏が自分で作ったという折鶴四羽を贈呈したという「サプライズ」の記事が掲載されていました。このできごと、オバマ氏の核廃絶への意思が本物であることを示す人間味あふれる行為として喧伝されることになりそうな雰囲気ですが、多くの日本人も日本のメディアもこういうエピソードには弱いだろうなあ、というなかなか計算しつくされた「サプライズ」であると言っては礼を失するでありませうか。
このような付随的なことはともかく、大切なのは、オバマ氏のスピーチをどう評価するかということでありませう。いったい、オバマ大統領は何を語り、そして何を語らなかったのでせうか?
彼の広島でのスピーチ、あのプラハでの演説では「核兵器を使用した唯一の国家の責任として」という踏み込んだ発言があり、何度もくりかえし「核」という言葉を使っていたのですが、肝心の「ヒロシマ」でのスピーチはそれほど踏み込んだものではなかった、などの批判があります。
昨5月29日の朝日新聞はかつてアメリカの歴史学会の会長を務めたこともある歴史学者、入江昭氏の見解を掲載しています。入江氏の見解は全体的に極めて肯定的なものです。いかにその一部を引用します。
「オバマ大統領は以前から全世界、全人類という視点を強く意識している人だったが、今回の演説も、グローバルな指導者として《人類共同体》を強調したものだった。演説は《人類史における戦争》という流れのなかで、原爆投下を文明に対する悲劇と位置付けている。広島の家族、子どもについて触れ、それを世界すべての子どもたちの将来に結びつけている。グローバルという横軸と歴史という縦軸を示して、日米だけではなく他の国の人々にも説得力ある内容となっていた・・・原爆投下の責任や真珠湾攻撃の責任という日米関係だけにとらわれると国家のメンツやナショナリズムを刺激しかねない。その点、オバマ氏の言葉はグローバルな歴史観に基づいて悲劇を繰り返さないということに力点を置いており、彼らしいものであった。日本も米国も同じ人類の運命を共有しているだという観点が貫かれており、国益主義だけにとらわれない姿勢を示した。・・・オバマ政権の8年間で実際に実現したことは少ないかもしれないが、《人類史における米国》という方向性を強く打ち出した点で歴史に残る大統領だろう」
みなさん、入江氏のこの見解をどうお感じになるでせうか?
長い歴史的な文脈のなかで物事を考えると言う、いかにも歴史家らしい見解であり、オバマ氏の語ったことの内容に限定して考えるならば、少なからずほめ過ぎの感が拭えないとしても、オバマ氏のスピーチの狙いの核心をついた論評といってよいであろう、というのがGGIの感想です。
そうではありますが、原爆投下による意図的な罪なき市民の無差別大量殺戮の責任問題は、入江氏の言うような単なる国家の「メンツやナショナリズム」の問題ではないとGGIは考えます。ナチスによる犯罪と同様「人道に対する罪」という問題に関わるものであり、本質的に人間のモラルに係る問題ですから、やはりどのようにつらくてもオバマ大統領は、「メンツやナショナリズム」を捨てて、原爆投下の責任について多少なりともより直接的に言及すべきではなかったのか、とGGIは思います。この肝心の問題に直接自ら言及することを避けてしまったために、彼のスピーチは「グローバルな歴史観」に立っていたとはいえ、きれいごとの感を免れ得ないものになったしまった言わざるを得ないのではないでしょうか・・・
広島と長崎への原爆投下を、単に「文明に対する悲劇」と位置付けてすませるのではなく、この「文明に対する悲劇」の原因と責任がどこにあったのかを、日本側が「メンツやナショナリスム」にとらわれることなく、「歴史的な観点」と「グローバルな視野」という「縦軸と横軸」に基づいて正面から問いかけ、米国が同様の観点と視野に基づいて真摯に答えることによって、はじめて「広島と長崎が《核戦争の夜明け》ではなく、私たちが道徳的の目覚めることの始まりとして知られるような未来」(オバマ氏のスピーチ原文、朝日新聞訳)が開かれることになるのではないか、とGGIは考えます。このような人類を代表して日米双方に対して今求められている責務を果たそうとする努力を行おうとしないのであれば、「文明に対する悲劇」は単なる言葉に終わってしまいかねません。
このたびのオバマ氏の米国大統領の原爆投下から70年余を経ての初めての訪問は歴史的にみて必要とされていたセレモニーであることは間違いありません。しかしながら、セレモニーだけでは何も変わりません。セレモニーだけで「これで一件落着」というわけにいかないことは言うまでもありません
このようにオバマ氏はいろいろ問題点はあるものの、人類の将来を見据えたなかなか格調高い理想主義的色彩の強いスピーチを行ったといってよいのではないかと思います。しかしまがら、一方において彼は、無視することができない重要ないくつもの問題については、やっかい極まる重要な目の前に現実に横たわっている問題については、まったく語りませんでした。
まずはじめに、オバマ氏は、このいま、自分が核廃絶に向けてのスピーチを行っているその瞬間にも、ヒロシマの平和公園に、自分のすぐ近くに「核のボタン」を持ち込んでいるだという事実にまったく触れませんでした。
「核のボタン」というのは、ご存知の方も多いと思うのですが、米国大統領が世界のどこにいても、あのピョンヤンにもモスクワにも、それに北京にも、米国が目標であると決めている世界のいずれに対しても、核ミサイルの発射を命令することができる機密装置のことです。大統領がどこへ行こうとも、常に米軍関係者がこの「核のボタン」を持って必ず同行することになっているとされています。
このため、GGIはこの広島訪問に際しても米国側はきっと平和公園にまで「核のボタン」を持ち込むだとうと思っておりました。そうしましたら、この「核のボタン」、最近は「核のフットボール」と称されているようですが、5月27日の読売新聞(http://www.yomiuri.co.jp/world/20160527-OYT1T50137.html
)が、案の定、《原爆慰霊碑前でも機密装置「核のフットボール」》と題して、「核のボタン」がオバマ氏の広島訪問にさいして平和公園に持ち込まれていたことを報じていました。おそらく平和公園の公園の片隅か専用車両の中などで一人の軍人が「核のボタン」が入れられているカバンを大事に抱えて待機していたいのでありませう。
核廃絶の格調高い演説をするオバマ氏のすぐ近くに、いつでも核ミサイルの世界のどこにでも発射することを命じることができる「核のボタン」・・・なんともブラックな、ただのブラックではすまない、ブラック過ぎる話です。この倒錯したとも言うべきオバマ氏をはじめとした米側の行為は、何とも形容し難い、人を欺いて省みることない、許されるざるべき行為であると言っては言葉がすぎるでしょうか・・・
今日の写真は中部国際空港で「核のボタン」を携えている米国軍人の姿です(読売新聞の記事より)。どうかクリックしてご覧くださいませ。
オバマ氏が語らなかった二番目のことがらは、米国をはじめとして核保有国がかつて繰り返し行ってきた核実験で被ばくした人々のことです。米国と英国、それにフランスは、かつて、自国内ばかりでなく国外でも実験を繰り返しました。かつてのソ連、それに中国は国内(ただし中国の場合は辺境の少数民族の自治区など)で実験を繰り返しました。米国は1000回以上(地上200回、地下800回)、ソ連は700回(地上200回)、中国・仏・英は数十回の実験を行ったとされていますが(この数字はhttp://thutmose.blog.jp/archives/38084072.htmlより引用)、これらの大国の度重なる核実験による被害者(実験に立ち会わさせられた兵士や実験場周囲で暮らしていた市民など)の総数は、定かにはわかりかねるのですが、おそらくヒロシマ・ナガサキの被害者の総数を大きく上回っているのではないかかと思われます。これらの多数の被害者を生み出したこと原因と責任が米国をはじめとした核保有大国にあることを言うまでもありません。
これらの被害者の中にはその責任を追及して補償を求めるために裁判を行うなど行動を起こしている人たちもいるのですが、ほとんとの場合、核実験による被害であると認定されず敗訴しており、事実上まったく放置されている例も少なくありません。しかし、オバマ氏はこれらの核実験の被害者のことに一言も触れませんでした。
当然のことですが米国にも被害者は存在しています。このことを月29日の朝日新聞が報じています(電子版は以下のサイトをご覧ください)。
http://www.asahi.com/articles/ASJ5W4WN7J5WUHBI01V.html)
世界で最初の核実験が行われたニューメキシコ州の「トニニティ・サイト」、その関係者は「サイト近くに住んでいた4万人は放射能の影響を受けた」と話しており、実験から10年、20年経つうちにガンで亡くなる人が増えているとしています。父親を3年前にガンで失い自分もガンを患っているというティナ・コルドバさんという人物は、オバマ大統領が広島を訪れるのを知り、5月22日に「例年7月16日(最初の核実験が行われた日)に開いている慰霊祭に、今年は出席してほしい」という内容の手紙を書きました。彼は「広島を訪問したオバマ大統領を誇りに思う」と語りつつ、米政府に核実験の責任を取ってほしいと訴えており、「我々は歴史から消された存在。71年になった今も、大勢が苦しんでいる」と語ったとされています。
またオバマ大統領は米軍が湾岸戦争などで使用した劣化ウラン弾による被爆者のことについてもまったく触れませんでした。
オバマ氏が語らなかった三番目の重要な事柄は、オバマ政権下での核兵器に関する政策です。オバマ政権は、今後30年間で1兆ドル(約110兆円)を投入し、核攻撃の精度を高めることなどを意図した新型の核巡航ミサイルの近代化を進めるとしています。日本の防衛予算は年間5兆円少々ですから、米国が今後いかに膨大な費用を核兵器に費やそうとしているか、驚かざるを得ません。
この計画に対しては元国防長官がらは「冷戦型思考だ」とする厳しい批判の声があり、また「ロシアに対抗するためと正当化しているが、核軍拡を招く。広島で何を言おうが、他国は米の計画に応じた対応をとるだろう」と警鐘をならす声(オバマ氏の上院議員時代の政策顧問)もあります(以上は5月29日朝日新聞の記事から抜粋引用)。
オバマ氏が語らなかった四番目の重要な事柄は、オキナワ問題です。沖縄県の翁長知事は、先日起きた米軍関係者による女性殺害事件について、オバマ大統領と直接会談できるようにすることを安倍首相に求めていました。かし、オバマ大統領はサミット開始前に行われた日米の会談で簡単に遺憾の意を表明しただけであり翁長知事の要望を一顧だにせず、さっさと専用の軍用機で岩国の米軍基地から帰国の途についてしまいました。
沖縄に巨大な米軍基地がいつまでも存在しているが故にこのたびのような悲惨な事件が繰り返されることが、日米間の「信頼関係」を根底から揺るがしているという事実を考えるならば、たとえ広島訪問の本来の目的でなかったにしても、オバマ大統領のこの機会をとらえて責任ある発言をすべきではなかったかのではないでしょうか。けれども彼はそうしませんでした。
沖縄は先の大戦で日本の「捨て石」とされ、講和条約に際して敗北の代償として米国に差し出され、このたびのヒロシマでの「日米の和解」に際してまったく無視されました
いま、沖縄に人々はどのような思いでいるでしょうか。少なくとも、沖縄の多くの人々がヒロシマにおけるこのたびの「日米の和解」に深い失望を感じざるを得ないことは確かでありませう・・・
オキナワ問題とヒロシマ問題は無関係ではありません。歴史的にみて同根の問題であり、いずれも米国による核を中心に据えた安保戦略が原因となっているとGGIは考えます。
(この日記、続くかもしれません)
グッドナイト・グッドラック!