黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

ムハンマド

2006年02月06日 22時55分18秒 | Weblog
2月6日分。

 どうもまた寒くなってきている。と言うか、今夜の夜半過ぎから明日の明け方にかけては関東平野部でもまた雪になるらしい。まあ今回はこの間ほどどっさりと降ることは無いようだから、中央線快速が止まることも無いだろう、多分。また人身事故で雪とは無関係に止まりやがる可能性も無いではないのだが。どうやら雨が降り出してきたようで、大分冷え込んできているから、この分だと確かに雪が降りそうだ。
 さて、下で時事ネタを一つ取り上げているが、ついでだからともう一つ。今年のサラリーマン川柳の入選作が発表になった。どういったものが入選しているかは、ぐぐってみれば引っかかってくるかとは思うので割愛として。考えてみれば自分も今年、というか前の四月からサラリーマンになってしまった訳で、何となくこの川柳に込められた悲哀というのか、もう笑うしかない気分というのか、そういったものの一部が分かってしまう。何げに十二月頃、サラリーマン川柳を主催している第一生命から、川柳の応募用紙を貰ってはいたり。今年は別に何も出さなかったが、来年は何か思い付いたら出したものか。

 欧州の新聞・雑誌で、イスラム教の預言者ムハンマドを諷刺する漫画が掲載され、これに猛反発したイスラム教徒が各地で暴動を起こすまでに至っているという。大使館に放火するなどの過激な行動もあり、デモ隊と警官隊の衝突で死者も出る騒ぎになった所があったようだ。正味な話、風刺漫画を描いた人物は、まさかここまで話が大きくなるとはまるっきり予想もしなかっただろう。実際問題、作者達はどうやらどこぞへ雲隠れを決め込んでいるようだが。こうなってしまうと確かに、今更出て行く訳にもいかないだろう。
 イスラム教は偶像崇拝を禁止しているし、預言者ムハンマドに対する敬意は非常に強いものであるという。ムハンマドを偶像的に扱ったというのがまず一つ、ついでムハンマドをテロの首謀者的な調子で諷刺したことが一つ。個人的な感想を言ってしまえば、何でここまで過剰に反応するのか……という所ではあるのだが。これは、私のようにあまり意識しては宗教を信仰していない人間だからこその感想だろう。日本の有名なお寺や神社で誰かが立ち小便をしていたら、そりゃ怒る。まあ大分卑近にまで落とした話だが、要はこれよりも余程に酷いことをされたと彼らは受け取っているし、実際そうなのだろう。だからあれだけ怒っている。
 自分と全然異なる思考の人を理解するというのは、非常に難しい。考え方の近い人間ですら、なかなか理解するのは難しいし、完全に理解するのも無理だというのだから、そこにきて全く違う思考をする人を理解するのは、ますます難しくなる。ここに宗教が加わってくると……という論調にするのは好きではないが、宗教というのは強大な文化と思想のバックボーンであって、これが異なると思考の前提条件が大幅に違ってしまう。宗教的関心の薄いと言われる日本人でも、神前に出れば自然と両手を合わせるし、黙礼をする。お墓の前では手を合わせて頭を垂れる。が、これはキリスト教やイスラム教では存在しない習慣だ。似たような行為はあるにせよ。習慣というのは思考思想文化が一番出やすい所だから、ここが全然違うと言うことは、それだけの違いがあるということだ。
 ちょっとした話だが、あまり厳密にやっちゃ駄目というところまでいくかはともかく、タイでは人前で子供の頭を撫でるのは宜しくないと言われる。頭には神様が宿っているから、人前でむやみやたらに撫でるものではない……ということなのかどうなのか。また、こちらは割と厳密に守られているようだが、イスラム教では女性は肌を露出すべきでないとしている。こういう目に見える所での話なら良いのだが、目に見えない思想や文化レベルの違いになってくると、気が付かないうちに非常にまずいタブーをやってしまっているような場合も考えられる。
 今回の風刺漫画の一件は、そういう所を誤って踏み越えてしまったもの、という認識にして良いのかどうか。どうも、もしかするとまた報道なり何らかの組織が煽ったのではあるまいか、という気もしないではないのだが……。そう言えば、私も全然イスラムに関しては知識が無いような。一冊二冊くらい、簡単なものでよいから、雑学的に読んでおくのが良いのだろうか。
(ネタ元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060206-00000212-yom-int)

 本屋に何となくで行ってみたら、森博嗣の新刊が出ていたのでついつい買ってしまった。その他、別役実の一冊、何となくの無駄ネタ雑学本が一冊、それからアイザック・アシモフの科学エッセイ三巻目。合計して四冊。金曜日辺りに古本で二冊また買っていた訳だから、六冊の積みが出来たことになる。ちょっと前は、こんなペースで一気に読んでいたら読むものが無くなるんじゃないか、とか馬鹿らしいことを考えていたものだが。案外に、次から次へと何となくだが読むものは出てくるものらしい。
 去年の今頃は、さて一体何を読んでいたのだったか。少なくとも、まさか今頃にアイザック・アシモフの科学エッセイを、うんうん呻りながら読んでいるなんてことは予測もしていなかっただろう。ああ、もしかすると、ちょうど民俗学の学術文庫を復古させていたような頃合いだったかも知れない。ただ、あの頃でも今でも変わらず、本棚に余裕がねぇ~とかいうのはずっと言っていたような気はする。寮に越してくるついでに二百冊以上減らしてきたのだが、結局はもうそれ以上の数が増えている計算だ。余裕がないのも当たり前か。
 まあ、それでも本を増やすペースを落とすつもりは無い訳であって。それすら落として読むのを止めてしまったら、それはもう私ではないような気もしている。小学校の四年頃から読み始めて、中断やら好みの変遷やらはありつつも、中学生、高校生、大学生、そして社会人になった今でもずっと続いている、ただ一つのものだ。きっと私がこれを止めるときは、私がいなくなった時だろう。ど~でもいいが、くたばったときに一番困るのは、きっとこの本の処分だろう……。まだまだ私なんぞ、数の少ない方だと思うのだが。

読み:文庫『スヌーピーたちのやさしい関係』二巻
買い:文庫『時間と宇宙について』『煙草の蘊蓄』『道具づくし』『工学部・水柿教授の逡巡』
途中:文庫『地球から宇宙へ』
累積読破:文庫3冊、コミックス0冊
累積購入:6冊

それでは。