またまた由緒あるお寺に出てきました。宝厳寺・・・・一遍上人の生誕の地とされています。ここも観光スポットではありますが、人は誰もおらず静まりかえっていました。
またまた由緒あるお寺に出てきました。宝厳寺・・・・一遍上人の生誕の地とされています。ここも観光スポットではありますが、人は誰もおらず静まりかえっていました。
下りると車が通れるほどの広い車道。なんだ、車でも来られるんだ。駐車場もありました。車道を少し行くと神社の鳥居も見えましたが、あそこまで行くのはまたの機会に。一人で行くのは寂しすぎました。
アカメガシワ
黒瀬ダムよりまだ奥に大保木という小さな集落があって、そこに廃校を利用した「西条市石鎚ふれあいの里」という、施設があります。宿泊棟6棟を備え、バーベキューや種々のイベントを行っていますが、その一つに草木染めがあります。月に一回、その当たりで採れる植物を使って染めるという教室です。
12月のテーマは「水色に染める」
わたしはぴんときました。水色に染めることのできる植物と言えば?
クサギの実!
今年集め損なったあの実。
それで、お友だちを誘って参加したというわけです。
例によって、現地集合です。歳をとってからはなるべく乗りあわせはしたくありません。
ふれあいの里のメタセコイア
行ってみると、飛び入りはわたしたち二人だけで、後は皆さん毎月通われている常連さんでした。 募集は1日6人、月~金の5日間。けれどベテラングループの皆さんは午後別に活動すると言うことで、今回体験するのは40人ということでした。まさかこんなに人気があるとは。
初めてのわたしたちのために講師の先生が改めて自己紹介をしてくださり、クサギの実を煮出しながらパイオニアプランツのお話もしてくださったというわけです。
一人分の実。
作業は、一人一人別々に行います。
これを40人分も集めたの~ ベテランさんたちは自分たちで集めてきたそうですから、もしかしたら30人分くらいかも。それにしてもすごい量です。わたしは自分の実集めを思いだしました。実際、山だからいくらでもあるかというと、そういうわけにはいかず、中には山の持ち主さんの許可を得ないと取れないものもあるのだとか。自分もクサギ集めに失敗した身なので、ご苦労がよく分かりました。
さて、クサギの場合は鍋で煮だして実を漉して染液を作ります。色が出なくなるまで何回も煮出します。
実が揺らぐくらいの水を入れて。
一番煎液
3回目?
しまいには実をつぶしてさらに色を出します。
結局、つぶしてからでも3回、染液を採りました。まさに搾取。クサギが気の毒になるくらい色を搾り取りましたよ。
色のついた水をすべて一緒にします。
シルクのスカーフの縦半分を折りたたみながらつまんでいき、輪ゴムで縛ります。
最後に水洗い。
染液を沸かしながら下半分だけ染めます。なぜかというと、実が足りないからだそうです。全体をブルーに染めるにはもっとたくさんの実が入るそうです。だいたい染める布の重量の3倍がめやすだそうです。
クサギの場合、実が多くても布の染料を染みこませる容量が限られているらしく色が濃くなると言うことはないのだそうです。いったん乾かしてもう一度染めてもきれいにはならないそうです。
残った液を片付けるとき、みんなで持ち寄ってくらべてみたら、少しずつ色がちがっていました。
染める材料の生育状態とか、その日の気候とか、煮出す温度によってもちがうそうで、極端な例では市販の染料でもロットによって微妙にちがうんだとか。
軽く搾って持って帰りました。
言われたとおり、バスタオルに挟んで(わたしは革を乾かすために子供用のタオルケットを使っています)室内に干しました。
絞ったのをふたつおり
乾いたもの
クサギは防染をしないので、ことのほか色が飛びやすく、蛍光灯でさえ退色が進むのだとか。使わないときには光が当たらないようにしまう、とか、色あせてきたら今度は上から黄色で染めるかするとまたちがった味わいになるとか、いろいろ教えていただきました。
すてき。いつ使おうかな?
取り敢えずわたしは不織布の袋に入れ、防虫剤を入れて(シルクは虫に食われるので)大事にタンスにしまいました。 染めたこと、忘れないようにしなくては。
。
永納山ー愛媛県唯一の古代山城跡で、国の史跡に指定されています。未だに発掘と整備が行われています。7世紀、日本が百済を応援するために朝鮮半島に出兵、「白村江の戦い」で敗れてから、瀬戸内海の防衛のために作られた城の一つです。
天気のいい日曜日、15年ぶりくらいにこの山に登ることにしました。標高132メートル、山とも言えない高さ。どちらかといえば丘かしら。しかも、ハイキングではなくウォーキングコースですって。
登り口には、滑って危ないので杖を使ってくださいとの表示。
この山は道を挟んで世田山に向かい合っています。 世田山がそうであったように、このあたりの山は花崗岩でできており、粗い砂粒が靴の下でローラースケートのようにすべりやすくなっているのです。わたしは、常にストックは用意しています。
以下、時間経過に従って写真を載せます。実を言えば、この地図上のどこで写真を撮ったのか、さっぱりわからないのです。南部頂上? 頂上らしいところってあったっけ? というぐあいです。ちょっと急な坂があったかと思えば、尾根伝いのようななだらかな道があり。下ったかと思えばまた上り・・・頂上が四つも!
上り始めはこんな道
木々の中を上ります。これだけ見るとすっかり冬の山ですが
いきなり視界が開けました。おおざっぱにいうと方角は西です。まだ冬山ではありません。
左に、世田薬師の建物が見えました。 ハゼの紅葉がすばらしくきれいでした。 そしてため池。世田山のふもとってこんな土地だったんだねえ。里山の美しさに改めて感動しました。
そこを抜けると
残された遺構を再現するとこんな感じになるということでしょうか。本物の土塁ではありません。15年前に上ったときはまだ道も整備されておらず、こちら側からは上れませんでした。 北側の国道196号線から登り始めて、一番高い132メートル地点まで行くことができました。頂上付近にわずか1,2メートルほど、本物の土塁があっただけです。
ええと
右端の一番高いところが永納山の頂上かもしれません。
そして、矢印に従って数十歩おりると
厳密に言うと西条市一円ではなく、旧周桑郡と東予市ということになります。これが山の南側。
そしてこれが三つ目の山頂からの眺めだと思うのですが(?)
下り道が見えました。
あたりは落葉広葉樹が色づいて、ハゼが鮮やかに赤くなって、まだまだ晩秋の風景でした。
山の間から海が見えます。
あの岩山は何だろう。
道はまた木々の間に入りました。
そして、また海。山の北側、瀬戸内海国民休暇村の方です。
山のすぐ下、河原津漁港あたり
こんな工事カ所がいくつもありました。
反対側をむくと
先ほどの周桑平野と
遠くに石鎚山
仏様が寝ているように見えませんか?
道を下ります。いったいどこまで続くのやら。
ここには展望台ができるのでしょう。まだ入ることはできませんでした。
道に沿ってモノレール。どこからか木を切る音も聞こえてきました。
ここまで来ると海は今治方面から西条沖まで見えるようになりました。瀬戸内海防衛の要だったというのも納得です。
ここが頂上?
←が。もっと行けと言ってます。
振り返ってみれば、登ってきた道がずいぶん遠くに
そして、
着きました。ちゃんと三角点がありました。
写真を撮りながらゆっくりゆっくり歩いて50分。
ここから国道側に下りられるのですが,それはまたの機会にして、同じ道を引き返しました。
楽しかった~ このあたりでは景色の美しさで言えば一番でした。後日友人に聞いたところでは、国民宿舎から永納山頂上まで歩いたことがあるんですって。そして、山にはもっと木がいっぱいあったんだそうです。そのうち遊歩道がきれいに整備されれば、休暇村で過ごす人たちのアクティビティの一つになるかもしれません。
ビナンカズラ
やったあ。ひとりでに剥けてしまったのもあり、皮にひびが入って剥けかけになったのもあり。箸でぐるぐるとかき混ぜてできるだけ皮を実から離し、残ったのはひとつひとつ丁寧に手で剝きました。つるつるの実が出て来るのがなんだかうれしくて、最後まで剝ききりました。時間さえあれば。