あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

道後公園

2021-12-19 23:57:45 | お出かけ
 水曜日の松山市内ウォーキング。伊佐爾波神社の次に行ったのは道後公園です。ここは室町時代の豪族、河野氏の城「湯築城」の跡地で国指定の史跡になっています。
 
 ここへはたびたびきたことがあります。教室で染色作業の合間にここで一歩きしてリフレッシュしていたところです。
 
 
 城跡ですから、外堀も内堀もあるんですよ。外堀の周囲を歩くと目につくのは大きなメタセコイアの木
 
 
 中には湯築城の資料館もありますが、そこはパス。今回はひたすら歩いて、坂道も歩きたいので、山の上(標高70メートルくらい)の展望台まで上って見ました。
 
 入り口を入るときれいに手入れされた内堀があります。
  注 写真は帰り道から撮ったものです。 
 
 
 このあたりは庭園になっているところで、桜を始め種々の木々が植えられています。
 まだ葉の赤いタイワンフウ
 
 
すでに実だけになったアメリカフウ
 
 こうしてみるとタイワンフウが遅くに紅葉することが明らかです。
 
 内堀に沿ってさらに行くと、だんだんと細くなり、両側の茂った木々に光をさえぎられて薄暗い景色になってきます。
 
 
 掘りはこのあたりまで。いったん途切れます。
 
 そばにたっているのが子規記念博物館
 
 
 
 垂れ幕の俳句は季節によって取り替えられています。
 
 まだヘチマがフラ下がっていました。

 
 俳人正岡子規が亡くなったのは9月。辞世の3句はヘチマを詠んだもので、命日は「へちま忌」と呼ばれています。
 
 そこを過ぎるとグランドと遊具のある広場に出て
 さらに行くと
 また内堀が現れます。掘から先は山。掘りの外は上級武士の屋敷があった場所で、今は広場になっています。
 
 
 昔、ここは動物園で、この山は猿山でした。今考えたら信じられないくらい狭い場所に動物を閉じ込めていたんですね。今は移転して広々とした動物園になっています。
 
 広場の外側は土塁です。土塁の上も下も歩けます。市民がよくウォーキングやジョギングをしています。
 
 ぐるっと一回りして、今度は山の方に行くことにしました。
 そこかしこに休憩のための東屋やベンチもあり、体力作りにはちょうどいいです。眺めもいいし。
 
 
 一番高い展望台からは市内が360度見渡せます。今までここまで上ったことはなく、初めて見る景色でした。
 手前の三角形の山が御幸寺山(多分)

 
 大学の授業で聞いたことがありますが、松山に城を築くに当たって加藤嘉明公は、築城の候補地として、天山、御幸寺山、勝山を考えていましたが、幕府にはあえて第1候補の勝山を願いでず、御幸寺山に城を建てたいと願い出たそうです。しかし幕府が諸大名の願い通りに許可をするはずはなく、近くの勝山に建てよとの命が。まんまと思惑通りに勝山に建てることができたのだとか。なぜ勝山の方がよかったかーそれは石手川と重信川の伏流が地下を流れており、城内に豊かな水が得られたからだそうです。それに、こうしてみると狭いです。

 勝山に建てられた城は、別名「勝山城」とも呼ばれ、市内のどこからも見ることができます。 昔、車で姫路に行って道に迷ったことがありました。姫路城は平坦なところにあります。市の中心部にあるはずの城は、ビルに隠れて見えず、自分がどこを走っているのか全く分からなくて困りました。その点松山城がどの方角に見えるかで自分のいる場所がどの辺りか分かるのです。城をさえぎる高層ビルが建ちませんように、とわたしは願っています。



 城の北と東は山が近く、西は海、南は平野が開けています。そんなこともよく分かりました。
 道後温泉の向こうの山の上には住宅が建っています。人気のエリアです。
 
 
 
 
 さあ、下りましょうと歩き出して、今来た道とは反対の方向にも道があることに気づきました。
 歩きやすい遊歩道とはちがって、山の中の道のようなごつごつした狭い道でした。ついつい冒険心が頭をもたげてきて・・・・後悔する羽目に。
 
 木々に合間に下の広場が見えます。昔サルが住んでいた辺りを歩いていくと、木々の間にさっき歩いてきた広場が見えました。
 
 このくらいまではよかったんですけど。そのうちに
 
 
 
 おびただしい数のドングリに足を取られまして
 
 はいていたのが普通のスニーカーでしたのですべることすべること。ストックも持っていませんし、その辺に木の枝も落ちてないし、ほんとうにおそるおそる下りなければなりませんでした。そして突然お社が現れました。
 
 
 きちんと手入れされてはいますが、小さな小さな、ほこらと言っていいくらいの社です。
 
 そしてこの石段から下は、下から上ってくる広々とした階段になっていて、わたしは逆の道を下りてきたのだと気づきました。
 
 このお宮、このあたりで暴れ回った大蛇をお祀りしているといういわれがあるそうです。正式には「岩崎神社」だそうですが。「みいさん」と呼んで大切にしているそうです。
 
 この階段はグランドに続いており、わたしはまた子規記念博物館の横を通って帰りました。
 
 ところで、先週の土曜日にこの子規記念博物館で「子規亭」が開かれまして(昔は道後寄席と言っていた催しです。)今年度第1夜は秋川雅史さんの講演でした。注 公演の間違いではありません。歌手は歌で自分を表現するのが仕事なのに言葉で伝えなければならないとはーと半ば自虐的に話し始めて笑いをとりましたが、もちろん歌も聴かせてもらいました。子どもの頃からどのようにして夢を実現し、さらに新しい夢を描いて今にいたっているかというお話で、歌手だからと謙遜されていましたがなんのなんのお話も楽しかったです。
 締めくくりの言葉がとても印象深かったです。
 
「今が一番若いとき」
 
 お父様のことを例に挙げて、いくつになっても目標をもって実現い努力していきたいと。 
 
 何歳になってもその先に未来はある。いくつになっても夢を持って生きたいとことかなと思いました。過去を振り返れば今は一番年取っているとき、ですけど、先のことを考えると、いつでも今日という日が夢を実現するスタート地点なんだと、わたしなりに解釈しました。なんだか勇気の出る言葉でした。
コメント
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