どこを見ても満開の桜。 今日は父のデイサービスがお休みなので、母と一緒に、山のふもとにあるお寺の桜の下でお昼を食べることにしました。
途中で自動販売機のお茶を買いました。 ラッキー。 初めて当たりが出ました。
ここのお寺には休憩所のようなところがあって、数本の桜が満開でした。 山の方からはきれいなウグイスのさえずりが聞こえます。 下を見ると、ため池の向こうに田畑が広々と広がってのどかな風景です。
弁当を食べてぶらぶらしていたら、地元の人らしいご夫婦が、弁当の入ったバスケットを持って上がってきました。
「こんなにきれいなのに見る人が少なくてもったいないですねえ。」 と奥さん。
ソメイヨシノは、 確かに見られてこそ値打ちがあるのかもしれません。
いろいろお話ししていると、 この山の奥に桜が4,50本植えられていることを教えてくれました。 昔、地元の老人クラブが植えたそうなのです。
「みんなでお花見でもしようと植えたんでしょうけどね・・・・・今頃、若い人は、トイレもない、自動販売機もないとこに子供ら連れて行かんでしょう?」
「草だけは、公民館活動で刈りよるんですよ。 この間わたしらも行って草刈りしましたけど。」
「せっかく咲いたのにだあれも見んのはもったいないですよねえ。 だからいろんな人に教えてあげよんですよ。」
おお~、それは是非見なくては。 というわけで、 その人が教えてくれた山奥の桜を見に行きました。
軽四自動車が一台通れるだけのせまい山道。 薄暗い杉のトンネルを抜けると、 ぱあっとピンクが目に飛び込んできました。
そこは、砂防ダムのある谷の斜面でした。
道ばたに石碑が建っていました。
25年も前に、地域興しのために植えたものと思われます。
かつては自分たちが植えた桜を見に来る人でにぎわっていたのかもしれません。 養蜂屋さんもさくらの蜜を集めに来たりして花の季節には活気があったことでしょう。
しかし、今はミツバチの巣も空のまま放置されています。
過疎が進み、若い人がいなくなった山間の集落では、わざわざこんな山の中に桜を見に来る人もなく、やがては老人だけでは草刈りもできなくなって、草やツタに覆われていくのではないでしょうか。
人が集い、語り合うようにと願いを込めて植えられた桜も、やがて忘れ去られていく運命なのでしょう。 そしてこの桜の有様は、そのまま現在の山里の運命を象徴しているかのように思えます。