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キサラギ


監督 佐藤祐市
出演 小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、塚地武雅 香川照之

 アイドルタレント如月ミキが自殺して1年。一周忌にファンサイトの常連投稿者たち5人が集まった。
 お互い初対面だが、ミキの熱烈なファンという共通点がある。われらがアイドル「遅れてきた清純派」如月ミキを偲ぼうという集まり。ところが、一人が「ミキちゃんは自殺じゃない。他殺だ」といいだす。
 主たる登場人物は5人の男だけ。あとは、回想シーンでチラリチラリと顔が判らずに映るミキだけ。ビルの1室だけで、ドラマが始まり、そして終わる。
 名画「12人の怒れる男たち」と同様の、一部屋だけの会話劇だが、ものすごく面白かった。前半はコメディで、ストーリーが進むに従って、ミステリー謎解きの要素の比重が高くなっていく。そして、新たな展開をほのめかして終わるラスト。張り巡らされた伏線は、きれいに回収され、なにげない小道具、言葉が、あとになって大きな意味を持つ。見事な脚本、見事な演出だ。
 大金をつぎ込んだ大そうな特撮や、手の込んだCGを使かわなくても、知恵さえ働かせば、面白い映画はできるということを証明した、お手本のような映画だ。
 ××は実は××の××だった。5人の男たちの、それぞれのミキとの関わり。そして、その正体。見事などんでん返しであった。ジェフリー・ディーバーに勝るとも劣らないどんでん返しをたっぷりと楽しめる。
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とつぜんコラム№86 資本主義のガタが出はじめた

 不景気になり、派遣、契約、期間工などの非正規雇用の労働者の切捨てが始まっている。正社員にも手をつけ始めた企業もある。
 不景気になれば、物が売れない。当然、製造業なら、工場で生産される製品の量が減ってきて、仕事がなくなって人減らしを始めたわけだろう。10個の製品を5人の正社員と5人の派遣で作っていた企業が、5個の製品しか造らなくなれば、5人分の仕事がなくなる。仕事がないのに人はいらないから、派遣の5人はクビになるわけだ。
 政府は緊急の雇用対策をとりまとめた。この対策というのは、要するに金で解決しようというもの。労働者を雇った企業にはいくばくかの補助金を出す。これでは、とても抜本的な対策とはいいかねる。金で企業を釣って人を雇用させても、肝心の仕事がなければなにもならない。
 では、どうするか。仕事を作ればいい。企業に仕事が減ったとはいえ、全くゼロになったわけではあるまい。派遣社員切りやリストラで従業員が少なくなって、その少ない社員だけで製品を造っているわけだろう。その社員ぶんの仕事はあるわけだ。だったら、その社員一人分の仕事を減らせばいい。
 まず、時間外労働を厳禁する。仕事がなくて困っている人がいるのに、時間外に労働することは、他の人の仕事を奪う許されざる行為であるとの認識を社会に認めさせることが大切。
 これでも、まだ、全労働者に仕事が行き渡らないのならば、5時終業を4時終業にする。それでも不足なら、3時まで。さらには、日本国中の企業を総て昼までの半ドンにすればいい。これぐらいすれば、日本国中の労働者が全員正規の社員となるだろう。数量が増えれば単価が小さくなるのはいたしかたなきこと。一人一人の労働者の賃金は少なくなるだろう。この収入不足を補うため、各企業は副業を認める。ほんどの企業は社員の副業を認めていない。賃金は減らすのに副業を認めないのは、企業の身勝手だ。本業に専心すべきとの考えでのことだろうが、人を非常に切り捨てるくせに、会社に忠誠心を求めることは許せない。いや、副業といわず、複数の会社に正社員として雇用されてもいいのでは。
 例えば、自動車の場合、トヨタ、マツダ、ダイハツが朝から昼までの就業。日産、ホンダ、富士重工が昼から夜までの就業ということに決めて、一人の労働者が午前中はトヨタの午後は日産の社員でもいいのでは。
 規制緩和、自由競争は好景気であればこそ。これだけ不景気になれば、そんなことはいっていられないはず。日本だけの不景気ならいずれ浮遊する。ところが、世界最大の超大国アメリカが原因の世界的な不景気となると、そう短期に簡単に回復するとは思えない。
市場原理による競争を基盤とした、資本主義は、もうそろそろ見直す時期が来ているのではないか。企業単独の自助努力も限界がある。それに企業とは本来、エゴイステックな存在で、世界中に自社1社が生き残ればいいと考えている。だから、企業社会全体を一つの有機物としてとらえて、全体を見渡しながらコントロールする必要がある。
 社会主義の実験はソビエトの崩壊によって失敗した。これは、人間一人一人の個人的な幸福の追求に目をつぶり、全体の幸福を追求したからだろう。人間一人が幸福になろうというエネルギーを軽く見ていたわけだ。
 資本主義はこれと全く正反対の鏡像といっていい。好景気不景気の波は資本主義の宿命。好景気の時はいい。不景気の時は、個人の幸福追求のエネルギーはある程度コントロールする必要がある。アメリカのビッグスリー支援策が、自動車の労働組合の抵抗によって、廃案になってしまったのがその好例である。あれで、ビッグスリーが崩壊すれば、一単産労組の幸福追求によって、世界中が恐慌に襲われるだろう。
 社会主義、資本主義のいいとこどりはできないだろうか。

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12月15日(月) 探検ロマン世界遺産 フィレンツェからの招待状 

 NHKの「探検ロマン世界遺産」毎週、小生が楽しみにして観ている番組のひとつ。今回は73分の拡大バージョンで「フィレンツェからの招待状」ということで、ルネッサンス芸術発祥の地、イタリアはフィレンツェを紹介していた。レポーターは小生大ファンの高橋美鈴さん。
 そもそもルネッサンスとはなにか、なぜフィレンツェからルネッサンスが勃興したのか。番組は、ラファエロの「聖母子像」ボッティチェルリ「ビーナスの誕生」「」などの、ルネッサンスを代表する名画を紹介しつつ、解き明かしていく。
 神と人間の表現なのだ。ルネッサンス以前の、フレスコ画などの宗教絵画は、神を大きく人間を小さく描いていた。ルネッサンス以降、神も人間も等身大の、同じ大きさに描かれるようになった。キリストの描き方にしても、血肉を持ち、感情を持ち、人間キリストとして描かれるようになった。ルネッサンスとは人間主義の芸術なのだ。神や超越者を描く芸術ではなく、人間を描く芸術なのである、と、小生は解釈した。
 番組では「ビーナスの誕生」「春」を紹介した後、2体のギリシャ彫刻を紹介して、両方の作品を見比べていた。ボッティチェルリの描くビーナスと3美神とそっくりのギリシャ彫刻がある。これらのギリシャ彫刻、、人間の肉体が持つ、美しさ、ダイナミックさを、非常にリアルに表現している。そうなのだ。ルネッサンスはギリシャの芸術への回帰を志向した芸術でもあるのだ。
 では、なぜフィレンツェでルネッサンスが興ったのか。フィレンツェはさしたる産業も特産品もない都市国家だった。この町の力の源泉は商業。メジチ家をはじめとする有力商人が、毛織物の取り引きなどで、財を得て、その財で。絵画などを発注、芸術家たちのパトロンとなった。
 新興勢力であった商人たちは、新しい芸術に理解を示して育てた。ルネッサンスは、上記のような芸術であるため、フィレンツェは当初はバチカンと対立したのではないだろうか。芸術文化とは、金がかかるものだ。橋下知事の大阪府では、ルネッサンスは絶対に興らない。
 それはそうとして、高橋美鈴さん、お美しい。
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もんじゃ焼き


 小生がよく訪問させて頂いているブログCAFEMINは、お料理の写真がきれいな素敵なブログだが、そのブログのkazさんが東京は月島のもんじゃ焼き屋さんで、教えてもらったもんじゃをご自分でつくられていた。それを参考に小生ももんじゃ焼きを作った。
 小生、お好み焼きなどの、粉もんは大好きで、いくつかのレシピを持っているが、もんじゃ焼きを作るのは初めて。作り方と具はkazさんが紹介されていたものとほぼ同じ。
 もんじゃを食べるには小さなヘラが必要。Kazさんは金属のヘラを使っておられ、ホットプレートのテフロンを気にしておられた。今日のために先日、適当なヘラを買いに、三宮の東急ハンズへ行った。少し大きめだが、竹のヘラがあったのでそれを買ってきた。
 さて、今から食べる。なにせ初めて作って食べるのだから、どんなものになっているのやら。何回かの試行錯誤が必要かも。こんど東京に行った時、月島まで行って食べて来なければなるまい。
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和歌山ラーメン


 JR甲南山手駅近く、山手幹線沿いに「あじゅち屋」というラーメン屋がある。西宮市西部から、神戸市東部の国道2号線周辺は、ラーメン街道といわれて、ラーメン屋ひしめく激戦区である。ラーメン好きの小生はこのあたりのラーメン屋はひとわたり食べたが、このあじゅち屋はトップクラスの味と評価する。
このあじゅち屋のラーメンが和歌山ラーメンである。
 和歌山ラーメンは醤油味のとんこつスープ。麺は細め。このブログでは紹介しなかったが、12月7日の朝食は博多風とんこつラーメンを作った。6日の朝から豚の骨を、グツグツグツグツグツグツグツグツ、グツグツグツグツ、と1日中強火で煮込んで白いスープを作った。ガス代が高くつくな。
 スープが2回分できたので、今朝は醤油味にして和歌山ラーメンにしたしだい。焼豚はいつもの通り、醤油、味醂、酒で煮て表面をグリルであぶった手作りのもの。
 なん年か前、南紀へ家族旅行に行った。串本、白浜、潮岬、太地、勝浦なんかをぐるっと回って来た。泊まったホテル以外でも食事をしたが、どの店でも、テーブルにすりゴマ器がおいてあった。和歌山の人はゴマが好きなんだろうか。だから、このラーメンにもゴマを添える。
 さて、小生の和歌山ラーメンを食すとするか。はたして、あじゅち屋に勝っているかな。
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12月13日(土) 酒粕の買出し


 新酒の酒粕の買出しに行く。住吉でJRから六甲ライナーに乗り換え、魚崎で降りて、住吉川の河川敷「清流の道」をぶらぶら歩く。阪神電車、国道43号線の下を通り抜けて、南のほうへ短い散歩。いいお天気だし、あたりはきれいな風景だし、気持ちのいい散歩であった。
 菊正宗記念館の売店で、新酒の酒粕とお酒を買う。絞りたての新酒の酒粕はいい香り、しっとりとしている。酒どころ神戸の東灘の住民ならではお楽しみである。
 粕汁、石狩鍋、甘酒、酒まんじゅう、といろいろな料理に使える。おやつにちょっとあぶって、砂糖をまぶして食べてもおいしい。
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SFマガジン2009年1月号


SFマガジン2009年1月号№633

雫石人気カウンター
1 レヤック爆裂     友成純一
2 キオスク       ブルース・スターリング 小川隆訳
3 ジピと偏執症のソフト ニール・スティーヴンスン 日暮雅通訳

 今号はウィリアム・ギブスン特集。ギブスンの出世作「ニューロマンサー」が世に出て、今年でちょうど4分の1世紀25年。この「ニューロマンサー」がきっかけとなって、サイバーパンクなる、なにやらむつかしげで、かっこよさそうなムーブメントが巻き起こった。えらい「現代」やなあと思とったら、もう25年になるのか。月日の経つのは早いものである。
 ギブスン特集は、過不足なくギブスンならびにサイバーパンクについて言及されており、よくできた企画だとは思うが、できれば、再録でもいいから、ギブスンの短編を掲載してもらいたかった。
 カラーページのレイアウト、印刷が変わっていた。びっくりするじゃないか、早川さん。

星群の会ホームページ連載の雫石鉄也の「SFマガジン思い出帳」が更新されました。どうかご覧になってください。
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12月11日(木) アホなふりをしていたのかな

 小生は料理が趣味だから、テレビの料理番組はときどき観る。NHKの「きょうの料理」を観ることが一番多いが、民放の料理番組もときおり観る。よく観ているのが、土曜の朝の「おかずのクッキング」土井善晴が先生で、久保田直子アナがアシスタント。
 で、久保田アナだが、料理のことをなにも知らない。「え、こんなことも知らんの」と、ときどき土井先生にあきれられる。普通、料理番組に出演するのならば、ある程度の予習をしてくると思うのだが、久保田アナは「えー」とびっくりしたり、「知りません」ととぼけたり、まるっきりアホに見えたりする。これ、久保田直子は本当にアホなのか、はたまたアホなふりをしているのかどっちだろう。
 仔細に彼女を観察すると、受けるべきところは受け、突っ込むところは突っ込んで、土井さんを見事にアシストしている。アシスタントとしてなかなか有能であることがわかる。となると、本当はカシコでアホなふりをしていたことになる。
 考えてみれば、それで正解なのだ。この番組の出演者は土井さんと久保田アナの二人。番組の主旨は観ている人に料理を教えること。料理の初心者で、初歩の初歩も知らない人もいるだろう。そのような人たちに料理の初歩を伝授する場合、土井さんがアシスタントの久保田直子に教えて、それを放送したほうが、初心者の視聴者はわかりやすいだろう。久保田直子はアホじゃなかったんだな。
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とつぜんコラム№85 人員削減は景気を悪化させるだけだ

 年の瀬、師走である。あたり前のことだが、師走は毎年やってくる。できれば、良い1年であった、昨年の師走より今年の師走の方が良い師走だ、と喜びながら新年を迎えたい。
 ところが、現実はままならないもので、だんだん状況は悪くなって行く感じがする。物価はどんどん上昇しているし、景気はますます悪くなる。こうなると社会的な弱者から、先に切り捨てられる。契約、派遣、期間工といった、非正社員の大量解雇が始まっている。また、就職が内定した大学生の、内定を取り消す企業まで出てきた。
厚労省は内定取り消しをした企業名を公表するといっている。こんなことをした企業は、なんらかの社会的な制裁を加える必要がある。少なくとも小生は、その企業の製品は絶対に買わんぞ。
 コイズミ改革とやらで、日本は大変な格差社会になってしまった。ほとんどの国民は、格差の下の方にいるのではないか。かくいう小生も、2年前まで、リストラされ、契約、派遣、試用、といった非正社員を転々としていた。なんとか今の会社に正社員として採用され、かつかつの生活しているが、今時のご時世を考えると、奇跡が起こったとしか考えられない。勤めている間はいい。少ないといいつつも、それなりの月給がもらえる。問題は退職後だ。いろいろ調べてみると、年金だけではとうてい生活できそうにない。今の会社を定年になった後も働く必要がある。しんどいことである。
 人員削減の嵐は派遣契約といった非正社員にだけ吹き荒れるのではない。もう、すでに始まっているが、企業の正社員もいずれリストラされ、路頭に迷う人がなん万人とでるだろう。5年前の小生がそうであったように。
 業績が悪化するから人を減らす。確かに、人件費が製品コストに占める割合はかなり大きいから、人を減らさにゃならぬ、という企業の理屈も理解できないではない。しかし、業績悪化→人員削減との判断はあまりに短絡すぎないか。売上げが大幅に落ちた、で、アホの一つ覚えみたいに人員削減、では削減された人はたまらない。
 業績悪化から、人員削減という結論に至るまで、どういう努力をしたのか、何を工夫したのか。経営陣はどういう血を流したのか。そういうことを全くやっていない。いや、やっているかも知れないが見えてこない。見えなければやっていないと同じである。そういうことを知らしめるための宣伝広告活動を行う企業があってもいいのではないか。大金をかけて商品を売り込むことよりも、いまはこういう宣伝広告をやった方が良い、というか、人員を削減する企業は、こういうことを広く知らしめることが社会的な義務ではないだろうか。
 そういう観点から見て、このたびのホンダのF-1撤退は大変に良い決断だった。それにくらべて、ホンダの3倍以上の人員削減を行うトヨタは、いまのところF-1撤退を表明していない。トヨタはかんばん方式なる下請けいじめ、従業員奴隷化の生産方式発祥の企業であり、こんなアホが関係者にいるのだから、どんな企業かは推して知るべし。
 さきほど、企業は人員削減の前に何をしたかPRすべきといったが、まず経営陣がどういう責任をとったかPRすべきである。
「あなたたちは辞めてもらう。私は残る」では納得がいかない。
「私は会社に残って再建に全力を尽くす」ということなのだろう。経営者だけの責任ではないが、経営者の能力がもう少し高ければ人員削減という最悪の結論を出さずにすんだかもしれない。
 かって小生がリストラされ、会社を去るとき退職説明会で質問した。「私たちは会社を去りますが、あなたたちは誰か会社を去りますか」と質問した。答えはだれも辞めない。アホが残ってもアホを繰り返すだけ。その会社はつぶれた。
 御手洗経団連会長は「雇用調整は苦渋の選択。1日も早く景気を浮揚させるのが大事」といった。アホか。雇用調整といって人を失業に追い込み、収入を減らせば、消費が冷え込み景気はますます悪化するだけである。キャノンのデジカメを買っているのはだれだ。御手洗さんたちがクビにした人たちの中にも、キャノンのデジカメを買おうと思っている人もいるだろう。大分キャノンの派遣社員で、こんどの給料でキャノンのデジカメを買う計画を立てている人がいるかも知れない。その人は大分キャノンをクビになればキャノンのデジカメを買うことができない。キャノンの売上げはますます落ちる。これじゃ景気が浮揚するはずがないぞ御手洗さん。
 それに御手洗さんは、大分キャノンの派遣のクビを切っても、経団連会長であり、キャノンの会長だ。奥田さんは、トヨタが非正社員3000人を切ってもトヨタの相談役のまま。なにを相談しているのだろう。ちったあ失業者の痛みを知れ、おふた方。まず、時給800円の契約社員を経験して、ハローワーク通いを経験して、小遣い5000円で、飲みたい酒も飲まず/飲めず、読みたい本も読まず/読めず、1日1通は履歴書を郵送することを自分に課し、炎天下でネクタイスーツで面接に行き、20秒で断られ、寒風吹く会社の門の前で1時間待たされ、やっと面接してもらったら、もう決まっていた。なんてことを経験した上で、経団連会長であり、キャノンの会長で、トヨタの相談役ならば、少しは納得してやる。ましてや、漢字もろくに読めない、某首相の孫の大金持ちのおぼっちゃんなんぞは問題外。
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12月9日(火) それよりも審判の技術を向上させよ

 パリーグの理事会で、試合時間の短縮について協議された。そこで、「ストライクゾーンを厳密に適用すれば試合時間の短縮につながる」との意見が出た。これを受けて小池パリーグ会長が「迷ったらストライクでいいじゃないか」と、いったとか。ボールかストライクか迷えば、ストライクと判定せよと審判を指導するということなのだろうか。
 なにをアホなことをいっておる。私たちファンはただ闇雲に試合時間短縮を求めているわけではない。それが好ゲームであれば、いくら長時間のゲームでもいい。
 阪神の先発岩田、巨人の先発内海。両投手とも好投。お互い許したヒットは1本づつ。小笠原の鋭い打球が3塁線を襲う。バルディリス、ダイビングキャッチ。今岡の打球大きい。入るか。ラミレス塀ぎわでキャッチ。ラミレスの珍しいファインプレー。今岡ホームランを1本損しました。
 岩田、内海ともに9回で降板。両投手ともあっぱれ。巨人は山口、阪神は渡辺に。渡辺、代打谷に打たれました。ボールは非情にもスタンドイン。(渡辺ごめん)渡辺気を取り直して後を押さえる。あ、新井が強烈なヒットを放つ。抜ければ長打。坂本ファインプレー。巨人は越智、阪神はウィリアムスに交代。どちらかのピッチャーが打たれれば、あるいは守備にミスがあれば、試合の流れは一気に変わる。越智3者凡退。ウィリアムスも負けじと3者凡退に切り捨てる。
 試合は緊迫した雰囲気のまま12回へ。阪神のピッチャー藤川。豪速球で3者凡退。巨人のピッチャー、クルーン。さてきょうはどっちのクルーンだ。あ、フォアボール。1番赤星1塁へ。またフォアボール。2番平野出塁。またまたフォアボール。3番新井1塁へ。満塁で向かえるはアニキ金本。金本打ちました。大きい。さすがアニキ、逆転サヨナラ満塁ホームラン。阪神優勝。
 と、こういう試合ならば、いくら長くてもファンは喜ぶ。無意味な投手交代。不可解な代打。不必要な打席はずし。時間かせぎとしか思えない牽制球。バッターに投げる覚悟を決めるためのプレート外し。だらだらとしたサインの交換。へぼピッチャーのボールの多投。なんのために行っているのか判らないピッチングコーチのマウンド行き。なんかで試合時間が延びるのがイヤなのだ。
 それが「迷ったらストライク」なんぞは本末転倒も甚だしい。そんなことを考えるよりも、審判の技術向上を計るほうが先決ではないか。審判も人間なんだから迷うこともある、という人もいるかもしれないが、プロなんだろう。プロ野球の審判は。
 東大阪あたりの工場には人間ばなれした技術を持っている工員さんが多数いる。彼らは簡単な工作機械一台でミクロン単位の精密な金属加工を行う。計測器も使うが、ほとんどは肉眼と手の感触だけで、加工のひずみゆがみを察知して修正する。彼らも人間である。小生は以前の会社で、このような金属加工の会社と取り引きをしていたが、まずミスは犯さない。ミスをすれば取り引き停止会社はつぶれる。このような金属加工と、人間の投げる球の上下左右を判定するのでは、小生が思うに球の判定の方がたやすいと思うのだが。
 いつだったか、さる解説者が「審判のクセを見抜くのも選手の能力」なんぞとバカなことをいっていたが、そんなものは選手の能力ではない。野球の選手は投げる、打つ、守る、走るが選手の能力だ。ストライクは誰が判定してもストライクのはず。ただ、それをストライクと見る能力がある審判と、ない審判がいるだけだ。能力のない審判には訓練を課して能力の向上をはかるべきである。それもできないのならば、人間の審判は止めて、機械にボール、ストライクの判定を任せるべきだ。
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スウィングガールズ


監督 矢口史靖
出演 上野樹里 貫地谷しほり 本仮屋ユイカ 平岡祐太 竹中直人

 大変におもしろく元気な映画。ストーリーはこの手の映画の定番。夏休みに補習を受けている、落ちこぼれ女子高生が、ひょんなことジャズバンドを結成。さまざまな障害を乗り越えて、なんとか人に聞いてもらえる演奏ができるようになる。ラストは音楽祭に出場。場内総立ちの大受けのカタルシス。
 これが昭和時代なら「根性」というコンセプトでくくられるが、いまどき、そんな映画はお笑いにしかならない。この映画のスウィングガールズの面々を動かしているのは「好き」というコンセプト。彼女たちは好きでジャズを演奏しているわけ。だれに強制されたわけではない。だから彼女たちは、自由でのびのびしていて輝いている。「好きこそ物の上手なれ」というが、ジャズの演奏技術はものすごく上手、というわけではないが、ジャズを楽しむのが上手だ。
 元気の出る映画。上野、貫地谷たちが演ずる女子高生たちが、いきいきとしていて、活発で魅力的。舞台が山形だから、セリフは山形弁。彼女(彼も一人いる)たちのおしゃべりも、面白く親近感を持たせてくれる。
 軽快なテンポでお話は進み、随所に入れられたギャグ、くすぐりも効いており、笑わせられる。 
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スープカレー


 スープカレーである。カレースープではない。スープ状のカレーであって、カレー味のスープではない。
 カレーというと「おせちもいいけどカレーもね」などのCMでおなじみのカレーを思い起こすムキも多いだろう。あのような、いわゆるカレーライスは、ルーを使うとろみのあるカレー。このようなカレーはヨーロッパで出来たカレーである。だから日本のカレーは欧風カレーが主流となっている。この欧風カレーとは別に、東南アジア風のカレーもある。とろみのない、ルーを使わないさらっとしたカレーである。
 このスープカレーは東南アジア料理の影響を受けたカレーである。2000年代初頭、札幌が発祥の地とされる。今や北海道の名物郷土料理となっている。
 具は鶏もも肉、じゃがいも、にんじん、ブロッコリー、それにゆで卵をそえた。スパイスはクミン、カーダモン、コリアンダー、クローブ、ターメリックなどを乳鉢でゴリゴリ。欧風カレーなら、前の日から煮込んだほうが美味しいが、このスープカレーはその必要なし。スパイシーに辛目が美味しい。
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京の茶漬け


「京の茶漬け」という落語がある。京都の知人宅を訪問した大阪の男。ええかげん話しこんで帰ろうとすると、相手になっていたその家の嫁さんが「まあ、ええやおへんか。ぶぶづけでも、どうどすか」という。「いえいえ、けっこうでおます」と帰る。こんなことが何度かあって、この大阪の男、いっぺん、あのぶぶづけを食ってみたれと思った。
 いつものように、時分時に話し込んで、さて帰ろうとすると、「ぶぶづけでも、どうどすか」「ほな、よばれまっさ」
 これ、京都の人はほんまにお茶漬けをごちそうしてやろうとは、思っていない。この時の嫁さんの心の中は以下の通り。
「まあ、いややわ、この人。時分時に来はって。早よ帰って欲しおすな。あ、帰らはる。ええわ。もっとおっても何も出てこやへんゆうために、ぶぶづけでも勧めてみよかしら」
 つまり、食事時に来ても何も出ん、というサインが「ぶぶづけでも、どうどすか」なのだ。
 京のおなごはんの代表みたいな人杉本節子さんの本によれば、お茶漬けは、京都の商家の賄い食で、決して客に出すものではない。商売人がちゃっちゃと手早く食事をする時に食べるもの。台所に残っていたパンのへたを客に勧めるようなものだ。
 だから「ぶぶづけでも、どうどすか」といわれたら、「あんたに食わすもんはない。はよ帰れ」といわれているのだ。それを「いただきます」といったら、イナカもんめとバカにされる。なんなら、昼の11時半ごろ京都の知人宅を訪問したら判る。

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12月5日(金) 社長 ご乱心

 昔からある老舗の企業ではなく、あまり大きな会社ではなさそう。それでも最近、売上げを伸ばしていると思われる。そんな会社のCMにおじさんが出てきて、一生懸命その会社の宣伝をやっている。例えば、毛が生えるとかいっている、○―○21とか、「○○があるからお電話しません」とか、某地方UHFテレビで某兵庫県の某球団の試合を観ていたら、よく映る住宅会社とか、ドラ焼きの会社とか。これらのCMに出てくるおじさんは、ま、たいていその会社の社長ではないだろうか。
 これらの社長さんたち、あまり良い印象を受けない。これは、あくまで小生の個人的な印象であって、人によっては、大変に良い印象を持ち、こんな社長さんの会社の製品ならぜひ欲しいと思う人もいるかも知れないが。
 小生の目には、どの人物も非常にアクが強く、我が強く、あつかましく、無教養な人物に映ってしまう。あくまで小生の見た目である。本当は、慎み深く、人格者で、教養豊かな尊敬すべき人物かもしれないが。
 CMだから、自社に好印象を持って欲しいわけだろう。こんなふうに見える人物がCMに出ているのでは、逆効果だ。悪い印象しか持たない。
 これらのCMを作るにあたって、何人もの人間のチェックを経て、完成してテレビで放映されているわけだろう。小生と同じ印象を受けた人もいるだろう。それらの人たちは、社長がCMタレントを務めないほうがいいと思ったのに違いない。ところが社長が、自分が出るといって聞かなかったのか、だれも社長に進言しなかったのか。こういう急成長した会社の社長なんてもんは、ひとりよがりなもんだ。

 
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スリーピング・ドール


ジェフリー・ディーヴァー 池田真紀子訳      文藝春秋

 結論からいおう。期待はずれであった。
ウォッチ・メーカー」(大変に面白い。お勧め)に初登場した、女性捜査官キャサリン・ダンス。30代。二人の子持ち。夫と死別。本作の登場人物ペルの言によればべっぴん。凄腕のプロで、ものすごくカッコええなあと思っていた。
 彼女は尋問のエキスパートで人間ウソ発見器といわれている。容疑者は、彼女の尋問を受けると、どんなウソでも見破られて白状させられる。ダンスはこんな非科学的な尋問はしない。キネシクスという手法を使う。被尋問者を仔細に観察し、言葉遣い、態度、ちょっとした振る舞いなどを科学的に分析して、ウソをついているのか、真実をいっているのか見抜く手法である。
 このキャサリン・ダンスが主人公を勤めたのが本作「スリーピング・ドール」である。
 凶悪なカルト集団のボス、ダニエル・ペルが脱獄した。ペルは口先一つで人を思い通りに操る。人を支配しカルトのファミリーにしてしまう。しかも、こやつ、平気で人を殺める極めて危険な凶悪犯。
 このペル追跡の捜査責任者にキャサリン・ダンスがなった。ここが間違い。ダンスのような一芸に秀でたキャラクターはチームのトップに据えてはダメ。ダンスはジェネラリストではなくスペシャリストだ。だから、余計なことにとらわれず、専門の尋問だけをやらせてこそ、ダンスのキャラが生きる。ところが本作では、ペル追跡チームのトップだから、中間管理職として動く。だから、彼女のウリである、尋問のシーンは少ない。主人公がダンスで、捜査責任者は別の人物の設定であれば、尋問の天才キャサリン・ダンスのプロとしての魅力がもっと出ていたのではないか。これでは、ちょっと有能な、ただのおんなデカである。
 犯人のダニエル・ペルだが、こいつの造形も中途半端だった。カルトのリーダーらしいが、宗教ッ気はない。孤独な女や、少々頭の弱い男を、仲間に引きずり込みファミリーを形成しているが、こいつらの目的がよくわからない。
 ペルが持っている「山の頂」の地になにやら自分たちだけの「理想の村」を作ろうとしているらしいが。で、ペルのキャラだが、ただの殺人鬼だ。魅力的な悪役は「狂気」と「哀しさ」を併せ持ったキャラでないといけないが、ペルはどっちも持っていなかった。もう少し狂気をはらんだ悪魔的なキャラにして欲しかった。
 ディーヴァーの最大の魅力である「どんでん返し」だが、この作品もちょっとだけ、どんでんしたが、ラスト近くにちょっとしただけで、「ウオッチメーカー」のような、天地がひっくり返るような大どんでん返しではない。
 とはいいつつも、稀代のストーリーテラーのディーヴァーのこと、分厚い本だが、飽きずに最後まで読めた。これは、一人一人のキャラがきちんと書き込まれていたからだろう。このあたりはさすがである。
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