goo

かんべむさしさんの講演を聞いてきた

かんべむさしさんの講演を聞きに行った。場所はさくら夙川の大手前大学。「SF・笑い・発想」についての講演だった。この三つはかんべさんが、作家デビューからずっと考えてこられたこと。ものごとを発想するのは、作家、いやクリエイティブな仕事をなす人は、特に考えることだが、かんべさんの場合はいかなる発想法を取られていたかを語られた。
 現在の「かんべむさし」がどのようにしてできあがったのか。脳内にでっかい樽を用意する。耳にしたこと、見たこと、読んだこと、思いついたことを、どんどんその樽に入れていく、そして時間がたつと、それが混ざり合わさって発酵してくる。それが発想の素となる。かんべさんは団塊の世代。そういう意味では団塊の世代は得。いろんな情報に接することができた世代である。
 かんべさんを形作ったもの。まずプラモデル。中学生のころはプラモデル作りに熱中された。 船や飛行機、戦車のプラモを作り、それの背景の知識を得るため「丸」など戦記雑誌を愛読された。
 高校生になって取り組んだのは上方落語。もともとお笑いが好き。それが桂米朝師匠を知り、特に落語が好きになった。当時としては珍しい、高校の落語研究会を作られた。落語好きは今も続いている。ただし、落語はあくまで趣味で落語家になろうとしたことは考えたことないとのこと。
 そして大学になってからは広告。広告研究会に所属して、ずっと広告してた。就職も広告会社に。企画、制作、クイエイティブ畑をずっとやってこられた。広告作りの仕事を続けていくうち、自分のストレスがたまるのを感じた。広告というものは、明るい面、きれいな面、うれしい面ばかりを表現する。世の中360度のうち半分の180度しか見ない作らない。これでいいのか。だんだんストレスがたまってノイローゼになりかかった。
 そしてSF。決定的な衝撃を受けたのは二つ。まずUFOの本。アダムスキーが書いた「ノンフィクション」宇宙人の宇宙船に乗って月まで行って来たという実録モノ。ほんまかいなとびっくり。後にこれはアダムスキーのウソであることが知れる。もうひとつは筒井康隆。筒井さんのSFを読んで、こんな小説もアリかと目からウロコ。そんなある日、書店でSFマガジンを手に取る。そこでSFコンテストをやっている。生まれて初めて小説を書いた。それがデビュー作「決戦・日本シリーズ」
 それから、かんべさんにとってラジオも大きな意味を持つ。4年前までラジオ番組のパーソナリティをやっておられた。
 今まで文章でものごとを表現してきたが、最近は、ほんとは言葉で表現するんだということを考えるようになってきたとのこと。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

天ぷらを食べて、観梅に行ってきました。


 毎年、吉例、きょうは梅見に行きました。会社は昼からお休みをいただきました。梅を見る前に、まずお食事です。
 家人とJRの芦屋で待ち合わせしました。駅北側の天ぷら屋「まきの」へ入りました。ホテル竹園の向かいです。このホテル竹園、巨人が甲子園で阪神と試合するときの定宿です。ま、せいぜい阪神相手に良き試合をやりたまえと、願っております。
 さて「まきの」ですが午後1時なのに前で待たされました。私たちが入店したからでもぞくぞくをお客さんが来ます。人気店なんですね。天ぷら8品にご飯(おかわり自由)みそ汁で1000円でおつり。この量でこの値段、安いです。で、肝心のお味ですが、正直、私が揚げた天ぷらの方がおいしいです。
 で、お腹もふくれたことですし、JRで摂津本山まで移動。岡本梅林へ行きました。満開ではなく、七分咲きといったところでしょうか。あいにくお天気にはめぐまれませんでした。行く途中、小雨が降っております。どうしようか迷ったのですが、せっかくですから観梅にきたわけです。梅林では雨はやんでましたが、帰りしなにアラレが降ってきました。でも、ま、梅を楽しんできました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

火星の人


アンディ・ウィアー 小野田和子訳     早川書房

 山で遭難して生還した話を書いてもSFとはならない。ところが火星で遭難して生きのびる話はSFだ。このようにSFには、いつかSFでなくなるSFといくら年月がたとうとSFであるSFの2種類あるのではないか。
 火星に人類が普通に行き来できるようになれば、この作品もSFではなく冒険小説となるであろう。で、時計の針をずうっと進めて、火星に行き来できるようになったとして、この作品を読んだとしても非常に面白いことは想像できる。この作品は冒険小説としても優れているといってもいいわけだ。
 時計の針を元に戻せば、火星にいった人はだれもいない。だから、この作品で書かれていることはすべて作者の想像で書かれたわけだ。「講釈師、見てきたようなウソをいい」というが、この講釈師をSF作家に代入できる。この作品の作者ウィアーもまるで火星を見て来たように書いている。もちろんウィアーはウソをついているわけではない。最新の観測、研究によって得られたデータを元に、火星の風景を極力リアルに描こうとしている。幸いなことにウィアーのその努力は実った。この作品の読者は、雪山で遭難して生還した人の話を聞くがごとくに、火星で遭難した人の話を聞くことができるだ。極めて優れたSFは、読んでいる最中はSFを読んでいるということは意識しないことがある。この作品も、そのような極めて優れたSFである。
 話は極めてシンプル。事故で一人火星に取り残されたマーク・ワトニーが、救援が来るまで火星で生きる話。残された資材、機材、情報を活用し、知恵と工夫の限りをつくして、地球とは全く違う環境で地球人が生き残る。なんども絶望的な危機に見舞われる。それでもワトニーは絶対にあきらめない。
 三つの視点から描かれる。ワトニーの視点、ワトニーの仲間で地球への帰還途上の火星探査船ヘリオスの船内、そして地上のNASAのスタッフ。目的はただ一つワトニーを生きて地球に帰す。
 地球に残されたワトニーの家族は出てこない。だから余計な愁嘆場はない。火星にあるのは薄い大気と砂嵐と赤い大地だけ。それ以外には何もない。ワトニーは生きる、ワトニーを助ける、それ以上もそれ以外も、この小説は書いていない。それでも非常に面白い。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

とつぜんSFノート 第64回

 小生がリストラ前にいた会社K電気。小生はリストラされてその会社を去ったわけだが、27年間その会社にいた。その27年間は会社から得るモノ少なし、会社に取られしモノ多かりきの27年間であったが、勉強になったこともあった。
 そのK電気で労働組合の執行委員を経験した。あの経験は勉強になった。そういえば小生は今は全くの無役だが、少し前まではいろいろな委員や役職をやらされた。児童生徒のころは長にこそならなかったが、なんだかんだと委員をやらされた。SF関係ではイベントの実行委員長を3度やった。社会人になってもQCサークルのリーダーやらなんとか委員会の委員とか。そのわりには実収入をともなう会社の管理職にはついぞなれなかった。
経験したことは、それはそれなりに勉強になったが、その中でも一番の大仕事だったのは組合の執行委員だった。
大阪は梅田に「松葉」という有名な串カツ屋がある。立ち食いの大衆的な店だが、小生もちょくちょく立ち寄った。当時は、北区中津のK電気の本社が勤務先だった。ある日課長に松葉に連れ込まれて、なん本かの串カツとなん杯かの生ビールでQCサークルのリーダーにされてしまった。
小生は学習しないアホである。それからなん年後、勤務先は吹田工場に変っていた。小生の職場にK電気労働組合の副委員長と書記長がやってきた。
「雫石さん、家どこでした」「神戸や」「梅田通りますか」「通るで」「今晩、時間ありますか」「あるで」「ちょっと松葉で一杯どうですか」「ええな」
 串カツなん本かと生ビールなん杯かで、ハッと気がつくと、組合の執行委員に立候補することを約束させられていた。
 というわけで、小生はK電気労働組合執行委員になった。最初の1期目は教宣を担当した。教宣、教育宣伝のこと。小生は若いころコピーライターをやったことがあり、久保田宣伝研究所(現・宣伝会議)コピーライター養成講座を修了している。宣伝の専門教育を受けているわけ。だから小生の教宣担当というのは適役だった。
 何をするかというと、組合の活動を組合員に知らしめること。組合は安くない組合費を組合員から徴収している。だから組合が何をしているかを組合員に知らせなければならない。それに組合の活動は組合員の応援支援が不可欠。そういう意味からも教宣活動は重要だ。
 それ以前のK電気労組の教宣活動は活発とはいいかねる。団交のあとにビラを配る程度で、月刊ということになっている機関紙も思い出したように出していた。小生は前職の経験を生かして存分に腕を振るった。ポスターを定期的に作製して、組合の掲示板を常にカラでないようにした。それから機関紙。小生が執行委員をやっている間は、月刊ペースを維持した。それも他の執行委員はなかなか原稿を書かない。ほとんど小生一人で新聞の原稿を書いていた。
 教宣の仕事はこれだけではない。K電気労組は連合系の情報労連の傘下だった。その情報労連近畿ブロック地区協議会でも月刊で新聞を出していた。その編集企画会議が、毎月、福島のコミュニティプラザ大阪で行われていて、K電気労組の代表として参加していた。その新聞にもたくさん原稿を書いた。
 2期目は副委員長をおおせつかった。ところが小生の後に教宣担当になったやつは、能力がない上にやる気のないやつだった。ポスター1枚ビラ1枚作らない。いつまでたっても機関紙を出さない。しかしがないのでヤツは名目だけ教宣担当で、実質小生が副委員長と兼務した。
 組合の執行委員の一番多忙な時期はなんといっても春闘の時期。ほぼ毎日団交がある。小生は組合側の首席交渉員をやった。会社側の首席交渉員は常務。委員長と社長はとってある。どうしても決着つかない時はトップ同士の最終決着をつけるためである。
 小生たち組合の執行委員は専従ではない。昼間は会社のそれぞれの業務に従事している。小生は資材部で購買の仕事をしていた。5時に仕事を終わってから団体交渉に入る。早ければ1時間程度で終わることもあるが、えんえん5時間交渉して終わったのが夜の10時過ぎということも多々あった。
 団交が終わればそれで帰宅できるわけではない。明日、集会を開いて組合員に団交の結果を報告しなくてはならない。そのため、その日の交渉内容を分析して要約せねばならない。それを集会で配るチラシにしなくてはならない。小生が見出しを考え、記事を書いて、版下を作成する。翌日の昼休み、その版下でプリントゴッコで印刷して、終業後、集会を開いてチラシを配り、首席交渉員の小生が報告の演説をする。それが終わって、次の団交に臨む。
 ある年、いつだったかな、そうだ、1993年の春闘だった。この年の春闘は長引いた。3月に会社側に要求書を提出して、5月になっても集約しなかった。もちろん連日のように団交を重ねたが、労使双方なかなか歩み寄れない。将棋の千日手のような状態になった。交渉は膠着してしまった。連日の団交以外に、会社側主席の常務と組合側主席の小生は、秘密裏に社外で会って、二人だけでなんとか着地点を探した。こうなれば、委員長と社長のトップ交渉にゆだねるべきだが、当時の委員長は頑固で柔軟性に欠ける人物だった。社長は2代目のボンで無能だった。自分らのアホで会社を傾けて、そのため会社を去っていく人たちにあいさつもできない人物だった。アホ社長は常務が説得するとして、問題は委員長だ。副委員長の小生自身は着地点を持っていた。常務も小生と同じ着地点であることは、水面下での二人だけの話し合いで確認していた。そんなおり、委員長が短期だが出張した。小生は急きょ、執行委員会を招集。小生の案を示し、執行委員全員の賛同を得た。その場から出張先の委員長に電話。OKといわせた。その場で常務に連絡、ただちに団交。集約を見た。
 春闘期間中は終電車に乗れないこともあったので、車で通勤していた。深夜1時、愛車ホンダ・インテグラで阪神高速を走りながら、心地よい充実感と達成感を味わっていた。小生もいろいろ仕事をしたが、あの93春闘は小生にとって大きな仕事であった。 

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

あれで電気を起こしたらどうですか

 私の家の近くに24時間制のフィットネスクラブがあります。私の朝は早いです。6時には家を出ます。そんな時間でも、その前を通ると、せっせと機械の上を走っている人がいます。たぶん、出勤前にひと汗流そうと思っておられるのでしょう。健康的なことです。帰りしなも、前を通ると機械の上を走っておられる。ご苦労なことです。
 しかし、一ヶ所に留まって、同じところをせっせっせっせと走って面白いのでしょうか。あれなら、屋外を走るほうが、お金もいらず、風景も変るので、走りがいがあると思うのですが。なんか、その様子を見ていると、まことに失礼なことですが、ハムスターかハツカネズミを思い起こします。かような小動物がカゴの中でぐるぐると同じところを走っているじゃないですか。
 ま、人さまざま、人生いろいろ、タコの足いぼいぼ、ハチの頭も真っ黒けでございますから、別段、私は同じところをぐるぐる走っている人を、とやかくいうつもりはありませんが、私はお金をやるといわれてもしませんね。ところで、アレを見ていつも思うのですが、まことにもったいないではありませんか。あのエネルギーが。走っているご仁の機械に発電機をつなげば、電気がおこせるじゃないですか。あれで、そのフィットネスクラブの照明ぐらいにはつかえるのではありませんか。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

昭和残侠伝 死んで貰います


監督 マキノ雅弘
出演 高倉健、池部良、藤純子、山本麟一、中村竹弥、長門弘之、荒木道子

 男二人に女一人という図式の映画はいろいろある。「冒険者たち」のアラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカス、「スターウォーズ」初期三部作の、ルーク、ハン・ソロ、レイア、「緋牡丹博徒」の藤純子、若山富三郎、高倉健(or菅原文太)などなど。いずれも、女を頂点にして、男二人を下の角にした二等辺三角形という構図だ。ところが、本作の場合、男の高倉健を頂点に、下の角に女の藤純子と男の池部良という構図になっている。しかもこの三角形、二等辺ではない。男二人の辺の長さが、男と女の辺の長さより短い、いびつな形の三角形となっている。この二等辺でない三角の図式が、本作の男の映画としての美しさを醸しだしているのだ。
 花田秀次郎は料亭の息子だが、ぐれてヤクザもんになっている。賭場でのいざこざで袋叩きにあって、イチョウの木の下で苦しんでいる所を芸者見習いの幾江に助けられる。
 秀次郎は人を斬って服役。懲役している間に父は死に、関東大震災で義母は盲目になり、妹も死ぬ。ギャンブル依存症の妹の亭主がお店の旦那になっていた。こんな店を支えていたのは板長の風間重吉だった。
 出所した秀次郎は、正体をかくし店で板前として働く。一人前の芸者になっている幾江とも再会する。旦那が悪い親分にだまされて店の権利書をとられる。それを取り戻しに行った良い親分が殺される。あとは例によって、秀次郎と重吉の男の道行き。
 花田秀次郎、風間重吉、幾江。この三人の結びつきで、秀次郎と重吉の結びつきが最も強いのは冒頭で記した通りだが、女の幾江は、この男と男の関係に嫉妬するわけでもなく、だまって二人を死地に行かせる。そこには女が口をはさめない/はさませない、男の世界があるのだ。本作は(というよりこのシリーズは)男の美しさを堪能する映画なのだ。
 高倉健と池部良、二人の男の美しさと、それを引き出す触媒の役目を果たしつつ自分自身も美しい藤純子。なんとも美しい、ある種美術工芸品のような映画となっている。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

油を使わない八宝菜


 中華料理というと油っこいという先入観がある。確かに中華料理は油をよく使う。そこで調理に油を使わない料理をやってみた。料理は代表的な中華料理の八宝菜にした。
 材料は、にんじん、ブロッコリー、白菜、エリンギ、きくらげ 玉ねぎ、ベーコン、イカ。
 まず、イカは塩を入れた熱湯でさっとゆでておく。イカは加熱しすぎに注意。硬くなる。きくらげは戻しておく。野菜類は食べやすい形に切っておく。
 中華鍋に水を入れ、最初に火が通るのに時間がかかるにんじんをいれる。時間差をつけて、他の野菜を入れていく。野菜を全部入れたら鍋にフタをして数分蒸し煮する。
 野菜に火が通れば鍋から取り出す。このタイミングが腕の見せ所。加熱が足らないと野菜の甘みが出ない。加熱しすぎるとべちゃべちゃやわやわで歯ごたえのないまずい野菜となる。
 鍋に残った汁は野菜の旨みがたっぷりと出たいいダシだ。この汁にガラスープの素で味の補強。これはあくまで補強であって、野菜のダシだけで充分うまい判断すれば不要。今回は小さじに1杯ほど入れた。これに味つけ。調味料は、薄口醬油、酒、塩、こしょう。
 この味のついたダシにしょうがを入れて香りづけ。ベーコンを入れ、野菜を鍋に戻す。イカを入れる。水溶き片栗粉でとろみをつけ、ちょっとだけゴマ油をふって照りをだしてできあがり。
 野菜の旨みをたんのうできる八宝菜となった。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

肉じゃが鍋


 名コンビというモノがある。いとし+こいし、ダイマル+ラケット、山本小鉄+星野勘太郎、今成+ゴメスなどなど。料理界でいえば、大根+ブリ、松茸+ハモ、牛すじ+こんにゃく、そのデンでいけば、牛肉とじゃがいもというのも名コンビといえよう。
 牛肉とじゃがいも。肉じゃがである。ここは関西である。太閤様のお膝元にして、平清盛公が都と定めた神戸の地である。肉といえば牛肉である。大恩ある豊臣家を裏切り滅亡させ、草深い武蔵野のイナカに居を構えた徳川イエヤス狸オヤジのシマうちでは肉といえば豚肉らしいが。
 その肉じゃがを土鍋でたいた。土鍋はじんわりと加熱するので、おいしく肉じゃがができるのではないかと思ったしだい。
 で、どうせ土鍋でたくのだから、そのまま食卓に出して鍋物として食べようと算段したわけ。
 この料理で一番のポイントは調理する時刻。夜に食べるのだったら昼に調理しよう。材料や調理方法はいつもの肉じゃがと同じだが、鍋物ということで煮汁を多い目にした。土鍋でことことと煮て、じゃがいもとにんじんがやわらかくなればフタをして半日おいておく。夜になれば再び加熱して食べる。
 これはうまい。この企ては大成功であった。牛肉もさることながら、じゃがいもとにんじんがおいしい。
 煮物はさめていく段階で味がしむ。土鍋だからゆっくりとさめていく。充分に味がしみているわけ。鍋の中身を食べ終わったら、残った汁はもちろん白いご飯にかけて食う。うまい。黒こしょうをふって食うといっそううまい。
 この肉じゃが鍋二重丸でお勧め。徳川ご家中のように豚肉でやってもいいかも知れない。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )

松本留五郎の秘密

「トメえ、お前の名前は松本や。松本留五郎や。なんかのおりにいうんやで」コトッ。
 そうゆうてオヤジは死んだ。もう二〇年も前や。それからずっとワテは松本留五郎で過ごしてきた。ところがそれがあかんねや。ワテは「松本留五郎」やのうなってきた。
 実はワテはオヤジと遊んだ記憶がない。ここでいうオヤジは、ワテが最後を看取ったオヤジのことや。
 オヤジが死んだのは、ワテが二十六の時やった。もう大人や。大人のワテにとってのオヤジは、そのオヤジや。
 ワテにはオカンの記憶もない。ワテが肉親と思っているのんはオヤジだけや。そのオヤジも死んだ時しか覚えてない。そもそも元気に生きてるオヤジの姿はどうしても思い出せん。
 要するに、ワテは二十六歳以前の両親の記憶がないちゅうこっちゃ。それに名前や。松本留五郎ちゅうのんはオヤジに教えてもろた名前や。それ以前はワテはなんちゅう名前やったんかは覚えてない。生まれてから二十六歳までワテはだれやったんやろ。それに子供のころのオカンもオヤジも覚えてないちゅうことは、ワテはどっから生まれたんやろ。ワテはなにもんや。

「おっちゃあん。回転焼き三つおくれ」
 近所の子供が小銭を握ってワテの店に来る。そや、ワテは回転焼き屋をやっとんたんや。
 そやな。確か、あれはオヤジが死ぬ前やった。どれぐらい前やったきなあ。二年ほど前やったかなあ。ワテが二十四のときちゅうこっちゃな。
 二十四で「おっちゃん」ゆわれるのんはかわいそやけど、子供の目でみたら「おっちゃん」なんやろな。
 どこでやってたんやて。覚えてないなあ。丸い穴が開いた銅板にメリケン粉を溶かした生地とあんこを入れて焼いてた記憶があるけど、それがどこやったかさっぱり思いだせん。 屋台ちゃうかて。屋台と違うたな。店やったわ。外を向いて回転焼き焼いてたから、店の前はどんなんやったか判るはずやけど。どんな風景やったか覚えてないねん。
 え、ほんまに回転焼き屋やっとったかて。う~ん。そう聞かれると自信ないなあ。
 え、回転焼き屋ずっとやっとったかて。あれは冬場はよう売れるけど、夏場は売れ行きが落ちるし、それに焼きもんやから暑いでんがな。一ヶ月やってやめたわ。それから何やったかて。ポンやりましたんや。
 ポン。知りまへんか。お米を回転する釜に入れて、火であぶりながら、ゴロゴロ釜を回しまんねん。圧力が上がったとこで釜の蓋を開けてやると、ポンゆうて、お米がポン菓子になって飛び出してきまんねん。
 え、いまもポンやってるかって。いまはやってまへん。
 ええ、ちょっと待っておくんなはれや。回転焼きもポンもオヤジが死ぬ前の話や。オヤジが生きとった時にはワテはそれなりに仕事はしとったんや。
 回転焼きやポン以外にも。減りぃぃ止めやガタロもやった。いま考えるとな、あのころは自分の名前もよう知らんかったけど、ちゃんと稼いで、ちゃんと生きとった。あれがようするに「松本留五郎」やったんかいな。そやからオヤジはワテの名前を「松本留五郎」ゆうたんや。
 いま何してるて?何もしてまへんがな。そやからなんぞせなあかん。就職せなあかん。リレキショーがいるさかい、こないなところにワテは来てまんねや。
 リレキショーできましたんか。あんさんも代書屋でしゃろ。見せておくんなはれ。ワテのリレキショー。
 さすがきれいな字でんな。これもって面接いくとばっちりでんな。
 ああ、これ肝心のワテ名前が書いてまへんがな。え、名前はいまは空欄やけど、ワテが仕事に就くと名前がちゃんとつくんでっか。 判りました。工場の夜警になったら、ワテは「松本留五郎」になるんでんな。
 ははあ。判りましたわ。オヤジはワテにまじめに働けとゆうとったんでんな。そしたらここにおるワテはだれでっしゃろな。ところで代書屋はん。あんさん名前は?え、なに?
あんさんの名前は「松本留五郎」ゆうんでっか。奇遇でんな。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

JR 東淀川


 JRの東淀川の駅である。小生が以前いたK電気の吹田工場はこの駅で降りる。この吹田工場には10年勤務した。
 この駅を降りて、線路沿いに北へ。すると川がある。神崎川である。そこにかかる大吹橋を渡ると、そこは大阪市ではなく吹田となる。線路沿いにしばし歩いて、JRの狭くて低いガードをくぐって、しばらく行くとK電気吹田工場である。いまはその工場はない。K電気は小生をリストラしてしばらくして破綻した。いまは会社ごとどっかの企業グループに身売りしたとか。
 小生はK電気に27年いた。最初の7年は中津。次の10年はこの吹田工場。最後の10年は伊丹工場だった。伊丹の時はJR伊丹駅を使った。
 この吹田時代は、小生、K電気労働組合の副委員長をやっていた。通常はこの駅で乗り降りして通勤していたが、春闘など団交の時期になると、夜遅くなり終電に乗れない時もあったし、本社が中津だったから、吹田から中津まで移動に便利なように車で通勤していた。
 この駅の周辺は大阪でも下町といっていい。安い下宿やアパートなどが多い。この東淀川に東淀川大学という大学がある。あ、かといって、どこにそんな大学があるんやろと探してもムダ。現実にはそんな大学はない。いしいひさいちのマンガ「バイトくん」が通っている大学が東淀川大学である。いしいファンならご存知だろうが、この東淀川大学、なんともいえん大学である。東淀川を歩くと、ほんまに東淀川大学があってもおかしくない雰囲気である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「SFが読みたい!2015年版」を読んだ


SFマガジン編集部編          早川書房

「3人寄れば文殊の知恵」という言葉がある。これは3人と少人数だから文殊の知恵となるのであって、100人よればどうなるか。「100人寄ればアホの知恵」となるのではないか。 
「SFが読みたい!2015年版」を一読した。例によって2014年のベストSFが発表されている。海外篇の1位は「火星の人」これは納得できる。小生も少し前に読了した。近日、このブログでレビューする予定。で、国内篇の1位が「オービタル・クラウド」これにはびっくりした。どう見ても、この作品は1位になる作品ではない。
 確かにSFとして見るのならば、近未来の宇宙でのテロをリアルに描いたことは評価できる。しかし、小説としての演出が決定的に下手。あと数日で生命に危機にひんしているのに緊迫感がゼロ。いちおう悪役の立ち位置の人物の造形もなってない。
 この作品、確かにSFとしては評価できるが、小説としては評価できない。SFの評価は、まず小説としての評価の上に乗っかって行うべき小生は考える。そのことを考えると2位の「深紅の碑文」の方が1位にふさわしいのではないのか。
 こういうランキングは参考にはなるが、あまりアテにしては失望することになる。良く判っている選考委員3人が1位に推した作品より、良く判っていない選考委員90人が2位に推した作品が1位にランクされたりする。今回の「オービタル・クラウド」の1位はその欠点が出た選考結果だった。
 次にどんな本を読もうか。そういう時、こういうランキングも一つの参考になるだろう。しかし、上記のごとく失望する可能性もある。かといって、出版されるすべての本に目を通すわけにはいかない。なんらかの道案内が必要だ。ではどうする。信頼すべきブックレビューを見つけることだ。「すずらん本屋堂」のようなテレビ番組でもいい。「本の雑誌」のような雑誌でもいい。また本を紹介している、これはと思うブログでもいい。自分と波長の合う本の紹介者を見つけることだ。この人の紹介する本なら間違いない。そんな人を見つけることだ。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

自転車運転免許証

 私は自宅から最寄の駅までは自転車で通っている。駅近くの駐輪場に駐輪している。三ヶ月の駐輪代が4000円だ。ところが、このお金が惜しい人がいると見えて、駅近くの路上に駐輪している人がいる。わずかなお金を惜しんで人に迷惑をかけているわけだ。
 そういう人のほとんどがちゃんとルールを守る人だとは思うが、私だけの体験かも知れないが、いわゆるスポーツサイクルに乗っている人、自転車用のヘルメットをかぶって、ぴちぴちの衣装を着て自転車を走らせている人だが、こういう人で信号を守らない人をときどき見かける。私は複数回ひやりとした体験がある。
 きょうは決定版というべき信じられない人を見た。耳にヘッドフォンをつけ、手にスマホを持っていじりながら自転車をこいでいる。視覚聴覚ともオフにして自転車に乗っているわけ。いったい、どういうつもりだったのだろう。
 ことほど左様に、自転車乗りでなっていない人を最近よく目にする。自転車も自動車と同じく運転免許証が必要ではないだろうか。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

ワイルド・ギース


監督 アンドリュー・V・マクラグレン
出演 リチャード・バートン、ロジャー・ムーア、リチャード・ハリス

 なにか事を成すのに、一芸に秀でたプロが集まって、困難な仕事を成す。こういう話はエンタティメント映画の定番かつ王道。「七人の侍」「プロフッショナル」「ナバロンの要塞」などなど、いずれも大変に面白い映画だ。本作もその手の映画である。
 こういう映画は、3度楽しめる。メンバーがそろうまで。メンバーがそろってからの準備段階。そして実行。本作はそのいずれの段階でもムダのない展開、てきぱきとしたストーリー、的確なキャラクターの表現、映画として上質なモノに仕上がっている。
 元傭兵のフォークナー大佐が投資家マターソン卿から仕事を依頼された。アフリカの銅鉱山の利権がらみで、クーデターで失脚囚われの身になっているアフリカ某国の元大統領を救出してほしい。その国はいまは独裁政権が牛耳っている。
 フォークナーは昔の傭兵仲間を誘い、兵を募集して、50人の部隊を編成して、くだんのアフリカ某国にパラシュートで降下。敵基地に侵入、なんとか元大統領を救出。病人の元大統領を背負い、わずか50人で敵だらけのアフリカを行く。
 平安な生活よりも、好んで戦場へと行く男たち。男というものは不思議でどうしようもない生き物であることか。
 大佐が最初に声をかけた作戦参謀レイファーは、子供と二人暮らし。子供は父親と過ごすクリスマス休暇をとても楽しみにしている。
 兵の訓練を担当したサンディ曹長はベテランの下士官だが、今は引退してバラをいじりながら妻と平穏な生活。妻は大佐を見ると実にイヤな顔をする。
 二人は結局、大佐の誘いに応じて戦場に行く。映画では具体的な描写はないが、ようするに彼らは戦うことが好きなんだ。
 こういう具合に戦うことが好き、また金目当て、また故郷のアフリカに帰りたい。こうして集まった傭兵たち。作戦が終わったら50人が11人になっていた。映画のラスト、大佐はレイファーの子供に会う。お父さんの話をするために。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

韓国風すき焼き


 すき焼きである。すき焼き。ある年代の日本人にとって、ハレの日のごちそうである。なんせ牛肉は高い。われわれ貧乏人はめったに買えなかった。
 いまでも貧乏は相変わらずだが、それでも、ま、たまにはすき焼きを食う。きょうの鍋もすき焼きとしよう。で、いつものすき焼きではなくて、今回は韓国風すき焼きだ。和風のすき焼きとはちょこっと違う。
 まず、牛肉に下味をつける。牛肉を細切りにして、にんにく、長ネギのみじん切り、ゴマ、醤油、砂糖、ゴマ油、一味唐辛子をふって、よくもみこんでおく。30分以上置いておこう。
 野菜はキャベツ、玉ねぎ、にんじん、椎茸、青ネギ、大豆もやしを用意した。野菜類はすべて細切り。次にタレだ。ダシ汁、醤油、酒、味醂、砂糖をあわせておく。
 鍋にゴマ油を引いて、牛肉と野菜を並べて加熱。しばらくしてタレを回し入れて煮る。真ん中に卵を落しいれよう。牛肉の色が変わり、野菜がしんなりとして、卵が半熟になったら、ざっとかき混ぜて食べる。うん、これは和風のすき焼きとは違うおいしさだ。この鍋のポイントは牛肉をはじめ素材をぜんぶ細切りにすること。しめは韓国風ということでトックを残った汁に入れて食った。酒もマッコリと行きたいところだが、残念ながら買いわすれた。呉春を飲む。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

味噌フォンデュ


 チーズフォンデュのセットをお持ちのムキも多いかと思う。あのホーローの鍋をどう使ってる?一年に数度チーズフォンデュをやったら、あとは台所の隅でホコリをかぶってるだけ、というにではないだろうか。それではもったいない。あれはいろんなことに使える。ワシはジャム作りや、卵サンド用卵の加熱アヒージョにも使うな。もちろんオイルフォンデュもする。
 きょうは、ひとつ、純和風の料理に使おう。味噌フォンデュである。ま、味噌田楽をフォンデュ仕立てでやろうというわけ。まず味噌。八丁味噌と西京味噌のブレンド。これに砂糖、味醂、酒、蜂蜜で味つけ。最後にゆずの皮をおろし金でこすってパラパラする。
 で、あとは肝心の具。まずぜひもんは大根。ゆでておく。ちくわと厚揚げ。厚揚げは熱湯をくぐらせて油抜きをしておく。うずら卵と里芋もゆでておく。鶏ささみは電子レンジで軽く加熱してゴマ油を振っておく。
 さて、これで用意はできた。あとはお好みの具に味噌をつけて食べよう。木の芽をあしらえばオツだ。これはぜびとも呉春桜正宗を飲まねばなるまい。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ