雫石鉄也の
とつぜんブログ
神戸駅から東を見る
この写真はJR神戸駅から元町方面を写した写真である。元町は神戸より東にある。西は兵庫だ。ところが、ご覧のように線路の行き先に山が見える。
神戸市内には阪神、JR、阪急の3本の鉄道が走っているが、いずれも東西に線路が伸びている。南北に線路が走っているのは神戸電鉄だけ。
神戸の市街地は北に六甲山、南は瀬戸内海、この山と海に挟まれた東西に細長く広がっている。上記の三つの鉄道もその市街地に沿って走っている。だから神戸駅から東を見れば、線路の向こうに山は見えないはず。ところがこうして見える。
実は、神戸駅ではJRの線路は東西に走っていないのだ。地図を見てもらえば判るが、線路は神戸駅の前後で大きくカーブして、ここだけ南北に走っている。当然、駅も南北。だから駅から東(本当は北)を見れば山が見えるのだ。
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半導体商売
日本の半導体メーカーエルピーダメモリーが倒産した。国内唯一のDRAMメーカーだった。同社はNEC、日立、三菱のDRAM事業が統合して設立され、国産DRAM専門メーカーとしてかっては世界3位のシェアを持っていた。
ところが、昨今の円高に加え、韓国のメーカーに遅れを取り、他のメーカーとの業務提携も模索したが不首尾に終った。
DRAMはデーターの読み書きが随時できるメモリーで、各種デジタル機器、IT機器に欠かせない半導体だ。ようするにデーターを入れたり出したりする機器には不可欠のデバイスだ。これで、国産のかような機器、例えばパソコン、スマートフォン、いや、普通の白物家電でも、使用するDRAMは海外メーカーからの供給に頼ることになる。これは由々しきことだ。エレクトロニクスは日本の大きな稼ぎ手だ。それの心臓部を国産では造れなくなった。半導体は産業の米といわれる。その大切な米の一部が外国産に頼らざるを得なくなった。
日本の落日を象徴するようなニュースだ。半導体といえば、日本のお家芸だった。優秀な技術、信頼のおける品質で世界を席巻した。かって、日本が欧米を追跡し、追い抜いたように、今度は日本が、韓国をはじめとするアジアの各国に追い抜かれていく。栄枯盛衰とはこのことだ。
小生は昔、K電気で購買仕入れをやっていた。半導体の購入もよくやった。今はどうか知らないが、小生がK電気で購買をやっていたころは、半導体は農産物と同じだった。価格が安定したことがなかった。市場への供給過多か、不足かどちらかだった。需給のバランスがとれて、適正な価格で落ち着いているのは、一瞬であった。仕入れるタイミングが難しい。こういう品物だから投機的な商売に使われることも多かった。
K電気はメーカーだから、製造に半導体を使う。安定した価格で必要な量を確保しなければならない。半導体を投機の対象に使っている連中に付き合ってはいられない。
いつだったか、なんのゲームだったか忘れたが、あるゲーム機器にテキサスのゲートアレイ、SN74LS175NというICが大量に使われ品不足になった。K電気でも生産に不可欠なICだ。単価は50円ほど。ところが1000円近くまで価格が沸騰した。テキサス以外にも、三菱や東芝、モトローラなどでもコンパチを製造しているが、軒並み品不足。当時は大阪の日本橋の電子部品専門商社から半導体を仕入れていた。発注しても納品されない。督促してもラチがあかない。直接督促に乗り込んだ。そこは電子工作好きの素人さん向けの店も持っている。その店頭にSN74LS175Nが1個1000円で売られている。担当者と商談した。「まさかウチに1000円で売るのではないな」「いえ、お宅には700円でいいです」
海外のメーカーから直接輸入を代行してくれる業社がある。そこにアメリカのテキサス本社から直に取ってもらう手段もあるぞ。そうするとお宅からはテキサスのICは買わなくなるぞ。長いつきあいじゃないか。この騒ぎもいずれ収まる。お宅とはこれからも弊社としても取引したい。
こういうと奥から出してきた。適正価格に色をつけて単価70円で商談成立。それからしばらくしてSN74LS175Nは50円にもどった。
半導体の業界はこういう業界だった。
ところが、昨今の円高に加え、韓国のメーカーに遅れを取り、他のメーカーとの業務提携も模索したが不首尾に終った。
DRAMはデーターの読み書きが随時できるメモリーで、各種デジタル機器、IT機器に欠かせない半導体だ。ようするにデーターを入れたり出したりする機器には不可欠のデバイスだ。これで、国産のかような機器、例えばパソコン、スマートフォン、いや、普通の白物家電でも、使用するDRAMは海外メーカーからの供給に頼ることになる。これは由々しきことだ。エレクトロニクスは日本の大きな稼ぎ手だ。それの心臓部を国産では造れなくなった。半導体は産業の米といわれる。その大切な米の一部が外国産に頼らざるを得なくなった。
日本の落日を象徴するようなニュースだ。半導体といえば、日本のお家芸だった。優秀な技術、信頼のおける品質で世界を席巻した。かって、日本が欧米を追跡し、追い抜いたように、今度は日本が、韓国をはじめとするアジアの各国に追い抜かれていく。栄枯盛衰とはこのことだ。
小生は昔、K電気で購買仕入れをやっていた。半導体の購入もよくやった。今はどうか知らないが、小生がK電気で購買をやっていたころは、半導体は農産物と同じだった。価格が安定したことがなかった。市場への供給過多か、不足かどちらかだった。需給のバランスがとれて、適正な価格で落ち着いているのは、一瞬であった。仕入れるタイミングが難しい。こういう品物だから投機的な商売に使われることも多かった。
K電気はメーカーだから、製造に半導体を使う。安定した価格で必要な量を確保しなければならない。半導体を投機の対象に使っている連中に付き合ってはいられない。
いつだったか、なんのゲームだったか忘れたが、あるゲーム機器にテキサスのゲートアレイ、SN74LS175NというICが大量に使われ品不足になった。K電気でも生産に不可欠なICだ。単価は50円ほど。ところが1000円近くまで価格が沸騰した。テキサス以外にも、三菱や東芝、モトローラなどでもコンパチを製造しているが、軒並み品不足。当時は大阪の日本橋の電子部品専門商社から半導体を仕入れていた。発注しても納品されない。督促してもラチがあかない。直接督促に乗り込んだ。そこは電子工作好きの素人さん向けの店も持っている。その店頭にSN74LS175Nが1個1000円で売られている。担当者と商談した。「まさかウチに1000円で売るのではないな」「いえ、お宅には700円でいいです」
海外のメーカーから直接輸入を代行してくれる業社がある。そこにアメリカのテキサス本社から直に取ってもらう手段もあるぞ。そうするとお宅からはテキサスのICは買わなくなるぞ。長いつきあいじゃないか。この騒ぎもいずれ収まる。お宅とはこれからも弊社としても取引したい。
こういうと奥から出してきた。適正価格に色をつけて単価70円で商談成立。それからしばらくしてSN74LS175Nは50円にもどった。
半導体の業界はこういう業界だった。
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ポセイドン・アドベンチャー
監督 ロナルド・ニーム
出演 ジーン・ハックマン、アーネスト・ボーグナイン、レッド・バトンズ、シェリー・ウィンターズ
1970年代に流行ったパニックスペクタクルの代表的な映画である。こういう娯楽映画は単純であれば単純であるほど良い。本作も単純である。津波で転覆した巨大な客船から、生き残った人々が脱出する。それだけの映画である。いまとなっては、この設定はウソになった。東日本大震災の時、沖にいた船は無事だった。津波は沖合いでは大きくなく、沿岸に近づくと巨大になる。
ハックマン演じる主人公が、この手の映画としては珍しく牧師である。ところがこの牧師おとなしい聖職者ではない。「神はいそがしい。われわれ人間のことなんかかまっちゃおれん。だからわれわれは自分の力で道を切り開くのだ」「凍える冬の寒さが祈るだけでマシになるのか」「神は勇者をこのむ」この牧師が異常に強いリーダーシップを発揮して、みんなを導いて行く。
船底は上だ。救助は上から来る。だから上に行けば助かる。船の素人の牧師が素人考えで、みんなを船底に連れて行く。強引である。しかし、なんの疑いも抱かず牧師について行くべし、との描き方をしている。この牧師はアメリカの象徴のような人物だ。正義はアメリカに有り。世界はアメリカにだまってついてくればいいんだ。
と、いう具合に主人公のアメリカ臭さがいささか鼻につくが、名作であることは間違いない。牧師に異を唱える人物として、ボーグナイン扮する刑事ロゴを配置し、牧師に心酔している若い娘、牧師を補佐しみんなの案内役となる少年。決死の潜水で牧師を救う中年女性。などなど、適確かつ過不足なく脇役を配してドラマを盛り上げる。もちろん、彼らはすんなりと助からない。脱落して死ぬ者もいる。次々と襲いかかる危機。怖いのは水である。この映画ではただの海水が、恐怖の人喰いモンスターのように見える。
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ミートローフ
ここに合びき肉があります。これをどう料理しましょうか。だれでも大好きハンバーグ。うん、ハンバーグ、いいですね。嫌いな人はあまりいませんね。でも、ハンバーグというと、なんだかお子様好みという感じがしますね。別のモノを考えましょう。ミンチカツ?う~ん、ミンチカツねえ。悪くはないんだけれど、もうちょっとおしゃれな料理がいいな。ミートローフ!うん、ミートローフ、いいねえ。それにしましょう。ミートローフに決定。
と、いうわけでミートローフを作りましょう。まず、玉ねぎをみじん切りにして炒めます。しんなりしたら、フライパンから出してさましておきます。
ボールにひき肉、炒めた玉ねぎ、卵、牛乳で湿らせたパン粉、塩、こしょう、ナツメグを入れて、よく手で練りまぜます。ねばりが出るまでがんばりましょう。ここで手を抜くとおいしくできませんよ。よっくこねてください。このあたりはハンバーグと同じですね。でも心構えが違えば、違う料理になります。今、ハンバーグを作ってるんだ、と思って、ひき肉をこねるのと、ミートローフを作ってる、と思ってやるのでは、同じ材料で同じことをやっていても、おのずから違った料理になるはずです。
この生地を型に入れます。うずら卵を中に入れましょう。これを200度のオーブンで40分焼きます。
焼けたら15分ほど休ませ、肉汁を別の容器に移し、アルミホイルで包んでおきます。次にソースを作りましょう。フライパンに肉汁を入れて加熱。バターを溶かします。ケチャップ、ウースターソース、塩、コショウで味付け、コーンスターチでとろみをつけます。
アルミホイルを開けて、ミートローフを切って、お皿に盛り、ソースをかけてできあがりです。スナックエンドウのバター炒めを添えました。
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かぼちゃのグラタン
寒い冬のおかずは熱いお料理がおいしゅうございます。グラタンなどいいですね。かぼちゃのグラタンなどいかがでしょうか。おいしいそうな焦げ目がついたチーズにスプーンを入れると、熱々のかぼちゃが顔を出します。はふはふいいながら、お口に入れるとかぼちゃの甘味が、ふんわりと口いっぱいに広がります。
グラタンというと、ホワイトソースが必要ですが、今回はお手軽に、ホワイトソースを使わないグラタンにしましょう。
まず、かぼちゃを薄く切って下ゆでします。ちょっと贅沢にしようと思えば牛乳でゆでてもいいですね。ゆでたかぼちゃを、バターを塗ったグラタン皿に入れます。ホワイトソースの代りにマヨネーズを牛乳でといでかけ、その上にチーズをトッピングします。あとはこれをオーブンで焼くだけです。ね、簡単でしょ。
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とつぜんSFノート 第28回
小生が初めて参加したSF大会は1974年に京都で開催された、第13回日本SF大会MIYACONである。会場は京都教育文化センター。星群祭で使ったことがあるし、京都SFフェスティバルは、現代も毎年ここで開催されている。京阪神宮丸太町駅が最寄駅で、京大病院の前といえば判りやすいだろう。京都でSFのイベントが開催される会場としては、メインの会場といっていい。この京都教育文化センター以外で、京都市内でSF関係のイベントをやった場所は、小生の知っている限りでは、京大会館、堀川会館、府立労働会館かな。これ以外の所をご存知の方がおられればコメントにてご教示いただきたい。
日本SF大会。小生たちSFもんは、SF大会とはどういうモノかは、承知しているが、SFもんでないムキはいかなるイベントかご存知ではないでしょう。そこでSF大会とはいかなるモノかちょっと説明しよう。
日本SF大会とは、1年に一度開催されるSFファンのお祭り。別におおやけなモノではない。完全に純粋にファンが楽しみで行うイベントである。各地の立候補制で、その土地のファンが、2年後はウチでやると声を上げ、日本SFファングループ連合会議にて了承されれば開催できる。今年は北海道夕張市で開催される。昨年は静岡で開催された。
どんなことをやるかというと、シンポジウムをやって「SFとはなんぞや」などど真面目に考える学界的な側面と、コスチュームショーなんぞをやってバカ騒ぎするお祭り的な側面をあわせ持つ。映画の上映もやるし、作家の講演もやる。落語の口演をしたこともある。
運営はすべてファンの手で行われる。100%非営利で、SF大会のスタッフとなった者は、少なくとも2年間は、何かと仕事をしなくてはならないが、すべて手弁当で持ち出しである。赤字になることが多く、SF大会ではないが、小生は、昔、神戸で行われたSFフェスティバルの実行委員長をやったことがあるが、その時の赤字補填のため、その時のボーナスが全部吹っ飛んでしまった。このように、SF大会は、純粋にファンの手で行われ、利潤を求めるべきではないのだが、これを金もうけに結びつけた連中がいて、SF大会のオープニング用のアニメを作り、SFショップを開店し、アニメ制作会社を作って、大当たりをとっている。この時の中心人物の一人などは、オタク文化の専門家となり、とってもエライ先生となって、新聞で人生相談などをやっている。
さて、MIYACONだ。なにせ、いまから37年前のことだから、確たる記憶もないし、小生はこまめに資料を保存する人間でもない。このイベントの具体的な内容は、小生とは違って、几帳面な岡本俊弥氏のサイトを見てもらえれば判る。ここでは小生の記憶に残っていることを書こう。
まず、ショートドラマ「日本沈没」いうまでもなく小松左京の代表作にして大ベストセラー。映画も大ヒットした。同人誌ネオヌル事務局長だった、山本義弘氏が山本総理を演じた。地震で東京が大火災。火に追われた避難民が、皇居に押し寄せる。山本総理が皇居の門の開放を命じるシーンをやった。
コスチュームショーの中で、「プロレスアワー」をやった。SFファンにはプロレスファンが多く、確か、同志社大SF研究会の面々の出し物だったのではないか。レフリーを務めたのが、同大SF研創立者のウシロオバキューのキリヤマさん。沖識名ばりにシャツを破られてた。それに、誰だったか忘れたが歌うコーナーポストというのもあった。
大会も終って、クロージングの前に半村良の秘書という人が登壇した。この当時半村さんは売れっ子で、ものすごく多忙。京都に来てはいたが、ずっと原稿書き。その原稿がやっと書けた。これから東京へ帰る人がいれば、原稿を預けますから、出版社に届けてもらえないか、ということだった。へー、売れっ子の作家って、綱渡りの仕事してるんだなあと思った。その原稿の作品は何だったのか、ちょっと興味がある。
日本SF大会。小生たちSFもんは、SF大会とはどういうモノかは、承知しているが、SFもんでないムキはいかなるイベントかご存知ではないでしょう。そこでSF大会とはいかなるモノかちょっと説明しよう。
日本SF大会とは、1年に一度開催されるSFファンのお祭り。別におおやけなモノではない。完全に純粋にファンが楽しみで行うイベントである。各地の立候補制で、その土地のファンが、2年後はウチでやると声を上げ、日本SFファングループ連合会議にて了承されれば開催できる。今年は北海道夕張市で開催される。昨年は静岡で開催された。
どんなことをやるかというと、シンポジウムをやって「SFとはなんぞや」などど真面目に考える学界的な側面と、コスチュームショーなんぞをやってバカ騒ぎするお祭り的な側面をあわせ持つ。映画の上映もやるし、作家の講演もやる。落語の口演をしたこともある。
運営はすべてファンの手で行われる。100%非営利で、SF大会のスタッフとなった者は、少なくとも2年間は、何かと仕事をしなくてはならないが、すべて手弁当で持ち出しである。赤字になることが多く、SF大会ではないが、小生は、昔、神戸で行われたSFフェスティバルの実行委員長をやったことがあるが、その時の赤字補填のため、その時のボーナスが全部吹っ飛んでしまった。このように、SF大会は、純粋にファンの手で行われ、利潤を求めるべきではないのだが、これを金もうけに結びつけた連中がいて、SF大会のオープニング用のアニメを作り、SFショップを開店し、アニメ制作会社を作って、大当たりをとっている。この時の中心人物の一人などは、オタク文化の専門家となり、とってもエライ先生となって、新聞で人生相談などをやっている。
さて、MIYACONだ。なにせ、いまから37年前のことだから、確たる記憶もないし、小生はこまめに資料を保存する人間でもない。このイベントの具体的な内容は、小生とは違って、几帳面な岡本俊弥氏のサイトを見てもらえれば判る。ここでは小生の記憶に残っていることを書こう。
まず、ショートドラマ「日本沈没」いうまでもなく小松左京の代表作にして大ベストセラー。映画も大ヒットした。同人誌ネオヌル事務局長だった、山本義弘氏が山本総理を演じた。地震で東京が大火災。火に追われた避難民が、皇居に押し寄せる。山本総理が皇居の門の開放を命じるシーンをやった。
コスチュームショーの中で、「プロレスアワー」をやった。SFファンにはプロレスファンが多く、確か、同志社大SF研究会の面々の出し物だったのではないか。レフリーを務めたのが、同大SF研創立者のウシロオバキューのキリヤマさん。沖識名ばりにシャツを破られてた。それに、誰だったか忘れたが歌うコーナーポストというのもあった。
大会も終って、クロージングの前に半村良の秘書という人が登壇した。この当時半村さんは売れっ子で、ものすごく多忙。京都に来てはいたが、ずっと原稿書き。その原稿がやっと書けた。これから東京へ帰る人がいれば、原稿を預けますから、出版社に届けてもらえないか、ということだった。へー、売れっ子の作家って、綱渡りの仕事してるんだなあと思った。その原稿の作品は何だったのか、ちょっと興味がある。
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なまづま
堀井拓馬 角川書店
ヌメリヒトモドキ。だぶん、この世で最も醜悪な生き物だろう。醜い姿、ねちょねちょの粘液で全身をおおわれ、その粘液をしたたらせながら、ねそねそと、そのへんを動きまわる。そやつの本体はもちろん、したたらせる粘液は、ものすごい悪臭を放つ。そやつが近くにいるだけで、腐敗臭があたり一面にただよう。このヌメリヒトモドキに家の中に勝手に入られて、あわてて警察を呼んだ経験はだれでもある。しかも、この生き物は、人の記憶を学習し、進化し、その人の姿かたちに化ける。
私は、このヌメリヒトモドキの研究者。私は、3年前に最愛の妻を亡くした。私は、一匹のヌメリヒトモドキを自宅の浴室に飼っている。それに妻の思い出を語って聞かせる。私のヌメリヒトモドキは、だんだん妻の姿に変化していく。言葉も覚えていく。そしていった「あなた。ただいま」そこには、全身をぐちょぐちょの粘液で包まれ、激烈な悪臭を放つ妻がいた。
清冽な純愛のドラマと読めないこともない。ただ、ネメリヒトモドキの化けた妻は、生前のきれいな妻ではない。姿かたちは妻だが、そこにいるのは、汚い臭い生き物だ。純愛のドラマというより、妄執にとりつかれた、狂気の男の話と読める。
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妖怪ミカンまき女
そんなんが本当にいたのか小生は信じられないが、知人は確かに見たという。白昼夢でもなんでもなく、現実にあった出来事だったそうだ。
休日の昼下がり、電車に乗って買物に行く途中、電車内で見かけたらしい。車内はすいていた。30歳代の母親と思われる女性が子供二人を連れて乗って来た。母親はやおら座席にゴロリと寝そべった。子供二人はその前で遊んでいる。母親はバックからミカンを取り出し、電車の床にバラバラとばらまいた。子供たちはそれを拾って食べ始めた。
これ、なんかの妖怪であろうか。古くから日本では、倉の中、便所、風呂場、天井裏などに妖怪が棲むといわれている。だったら電車に棲む妖怪がいてもおかしくないかも知れない。
休日の昼下がり、電車に乗って買物に行く途中、電車内で見かけたらしい。車内はすいていた。30歳代の母親と思われる女性が子供二人を連れて乗って来た。母親はやおら座席にゴロリと寝そべった。子供二人はその前で遊んでいる。母親はバックからミカンを取り出し、電車の床にバラバラとばらまいた。子供たちはそれを拾って食べ始めた。
これ、なんかの妖怪であろうか。古くから日本では、倉の中、便所、風呂場、天井裏などに妖怪が棲むといわれている。だったら電車に棲む妖怪がいてもおかしくないかも知れない。
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肩書きの威力
テレビ番組で、司会者がコメントを求める人がいる。それに応じてコメントする人物の肩書きがテロップで出る。「作家」という肩書きの人が時々こういう場で発言する。発言はいい。だれでも、どんな発言でも自由にできることは、この国では保証されている。不思議なのはその人の肩書きだ。作家とある。ところが、その人はもう何年も作品を発表していない。これで作家といえるだろうか。元作家ではないのか。作家のコメントが欲しくば、現役の作家のコメントをとるべきだと思うが。また、大きな事件が起きたとき、よくコメントする「作家」がいる。その人の作品は最近とんと見ないが、その人のコメントだけはよく新聞で目にする。しかし、新聞紙上では「作家××××氏」と肩書きは「作家」になっている。この場合は正確に「コメント作家××××氏」とすべきではないのか。
大学教授なる人種もよく、テレビなどでコメントを発する。「この件に関して凸凹大学の△◇教授は」とアナウンサーがふって、画面が切り替わり、背後に本が並んだ研究室に、そのおっさんがいる。で、そのおっさんが、こう、おごそかにいう。「ここは、こうなった原因を究明し、しっかり今後の対策を講じる必要がありますね」
アホか。そんなことは「凸凹大学の△◇教授」でなくても、だれでも判っていること。小生でもそんなコメントはいえる。ところが、小生がテレビに出て同じことをいっても、「なんや、このおっさん」と思われるだけで、だれも聞いてくれない。
肩書きの威力だ。肩書きの威力に惑わされず、真実を見る目が肝要ではないだろうか。
大学教授なる人種もよく、テレビなどでコメントを発する。「この件に関して凸凹大学の△◇教授は」とアナウンサーがふって、画面が切り替わり、背後に本が並んだ研究室に、そのおっさんがいる。で、そのおっさんが、こう、おごそかにいう。「ここは、こうなった原因を究明し、しっかり今後の対策を講じる必要がありますね」
アホか。そんなことは「凸凹大学の△◇教授」でなくても、だれでも判っていること。小生でもそんなコメントはいえる。ところが、小生がテレビに出て同じことをいっても、「なんや、このおっさん」と思われるだけで、だれも聞いてくれない。
肩書きの威力だ。肩書きの威力に惑わされず、真実を見る目が肝要ではないだろうか。
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忍たま乱太郎
監督 三池崇史
出演 加藤清史郎、平幹二郎、松方弘樹、鹿賀丈史、中村玉緒、竹中直人
原作が漫画で、アニメ化され、人気を呼び、実写映画化された映画で成功例は少ない。神様手塚や、白土三平の作品でも、こういう例はあるが、ことごとく失敗といってもいいだろう。
高井信さんがブログで予告編を紹介されているのを見て、面白そうだと思った。演じている俳優さんたちがアニメのキャラそっくりで笑った。映画館に観に行くほどではないが、DVDのレンタルが出たら観ようと思っていた。
NHKで夕方放送されていたるアニメは「おじゃる丸」とセットでよく観ていた。原作もちらちら見た。で、今回、実写版を観た。なにせ、あの「十三人の刺客」の三池監督が「忍たま」をどう映画化してのか興味があった。
とりあえず最後まで観れた。はっきりいって、失敗であった。尼子騒兵衛の原作の持つ毒が無いし、アニメ版の破天荒なギャグもない。原作「落第忍者乱太郎」の45巻目を忠実に映像化している。セリフから、くのいちの女の子の寄り目まで原作通りだが、もひとつ乗れなかった。上記のごとくの異様に豪華な出演陣が、素顔が判らないほどの漫画チックなメークで、ご機嫌をとりむすぶが、ギャグが上すべりしている。
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鶏だんご鍋
はいはい、今夜のお鍋はなににしましょうか。そうですね。鶏だんご鍋にしましょう。
まず鶏だんごの材料は鶏ミンチと鶏もも肉をブレンドします。売っている鶏ミンチは胸肉のミンチが多いです。胸肉はあっさりしていますが、お肉のコクが足りません。そこでもも肉を混ぜてやるのです。もも肉を包丁で切って、フードプロセッサーにかけます。これをミンチと混ぜて、卵、醤油、砂糖、ゴマ油、おろししょうがで味付けします。
ほかの具は、白菜、ニラ、干し椎茸、春雨です。肝心の煮汁ですが、出汁は干し椎茸の戻し汁だけです。鰹節も昆布もジャコも鶏ガラも使いません。干し椎茸だけです。干し椎茸の戻し汁に水を加えて、醤油、砂糖、お酒で味付けをします。
土鍋に煮汁を入れて火にかけ、沸騰したら鶏ミンチをだんごにして入れていきます。ほかの材料もどんどん煮て、食べましょう。
このお鍋のシメはラーメンがあいます。寒い時はお鍋がなによりのごちそうですね。
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ポトフ
こないな寒い夜はあったかいもんがええな。鍋もんに熱燗ちゅうのんが最高やけど、たまにはちょっと毛色が違ったもんも食いたいもんや。
ちゅうこって、今夜は南蛮の鍋もんや。ポトフや。ま、お仏蘭西のかんとだきちゅうこっちゃろ。
別にむつかしい料理ちゃうで。火にかけとったら勝手にできる。時間が調理する料理や。
材料はまず肉やけどな、ワシら神戸人のソウルフード、ぼっかけの材料牛すじ肉を使うで。すじ肉は安うてうまい。貧乏人の味方の牛肉やな。ただし、すじ肉は下ゆでをしっかりやって、きちんと水あらいしてから調理せな臭そうなるで。
野菜はキャベツ、にんじん、かぶ、じゃがいもを用意した。
ようはこれらのもんを、大きな鍋でことこと煮るだけや。気をつけなあかんのんは、こまめにアクを取ること、それに煮立たせないこと。うっかり火を強うして、煮立たせたらスープが濁るで。煮えたら塩、こしょうで味を調えたらできあがりや。マスタードをつけて食べよなないけ。
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SFマガジン2012年3月号
SFマガジン2012年3月号 №672 早川書房
雫石鉄也ひとり人気カウンター
1位 アウトバウンド 中村仁美訳 ブラッド・R・トージャーセン
2位 雲海のスルタン 中原尚哉訳 ジェフリー・A・ランディス
3位 火星の皇帝 古沢嘉通訳 アレン・M・スティール
4位 女王の窓辺にて赤き花を摘みし乙女(前篇) 柿沢瑛子役 レイチェル・スワースキー
5位 ウェイプスウィード(後編) 瀬尾つかさ
連載
輝きの七日間(第11回) 山本弘
十五夜物語(15章) 夢枕獏-寺田克也
完璧な涙(第23回) 東城和実/原作=神林長平
現代SF作家論シリーズ 監修 巽孝之
第14回 光瀬龍論 「神々の代理戦争-『百億の昼と千億の夜』から生まれる再生 礒部剛喜
SFのある文学史(第3回) 長山靖生
是空の作家・光瀬龍(第2回) 立川ゆかり
毎年恒例の英米SF受賞作特集。この特集は、さすがに紅毛碧眼の賞とはいえ、ある程度の評価を受けた作品ばかりだから、それなりの作品ばかりで、毎年読みでがある。今号も満足した。今号は合格であるぞ早川さん。
「アウトバウンド」アナログ誌読者賞ノベレット部門受賞。バカな戦争によって地球炎上。混乱の中、ぼくは木星行き宇宙船にやっと乗った。その宇宙船も自動戦闘衛星(なつかしやパーサーカーを思い出す)に攻撃される。ぼくはひとりぼっちで宇宙に放り出される。ぼくはある夫婦に助けられ育てられる。感動作だ。一人の少年の成長物語。
「雲海のスルタン」シオドア・スタージョン記念賞受賞。美貌の女性環境学者リア・ハマカワ博士の助手が主人公。博士と助手は金星の大富豪に呼ばれて金星へ。助手は博士と離れ離れになる。
金星の浮遊都市。若きスルタン。奇妙な金星の結婚制度。スルタンに対抗する空賊。魅力的な設定と描写。スペオペとして楽しめる。
「火星の皇帝」ヒューゴー賞ノベレット部門/アシモフ誌読者賞ノベレット部門受賞。ジェフは火星の作業員。地球に残した婚約者と両親を不幸な事故で亡くす。その時、彼は遠く離れた火星にいた。ショックから立ち直れないジェフは物語の世界に救いを求める。バローズ、ブラッドベリといった火星を舞台にした名作SFを読みふける。そして自分は「火星の皇帝であるぞよ」といいだす。なつかしやデジャー・ソリス。小生もデジャー・ソリスになぐさめられたクチだから良く判る話だ。
「女王の窓辺にて赤き花を摘みし乙女」ネビュラ賞ノヴェラ部門受賞。主人公は女王のおかかえ魔術師。彼女は殺される。そのころ王国ではクーデター勃発。女王の娘が母を暗殺。娘が新女王になる。霊となった主人公は、ことあるごとに新女王に呼び出され、なんだかんだと用をいいつけられる。息子が父親を殺し領国を乗っ取る話は、日本の戦国時代にはよくある話だが、娘が母を暗殺するのは珍しい。
「ウェイプスウィード」(後編)先月号のレビューで、後編が楽しみだと書いたが、腰砕けであった。巨大海藻ウェイプスウィードの正体が明らかにされるが、バタバタしたストーリー展開で、少女ヨルの母と祖母とウェイプスウィードの関係も少々強引な印象を受けた。単行本に収録する時は、前篇はいいが後編を修正することを勧めする。
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とつぜん対談 第37回 郵便ポストとの対談
今日の対談相手は郵便ポストさんです。ポストさんは長年日本の郵政事業の最前線に立たれて仕事をしてこられました。日本の郵便も先年の郵政民営化で、大きく変わりました。
ポストさんは雨の日も風の日も、夜も昼も、人々の手紙を受け入れてこられました。ご苦労もさぞかし多かったことでしょう。
雫石
こんにちは。
ポスト
はい、こんにちは。
雫石
毎日、大変ですね。寒いでしょう。
ポスト
暑さ寒さはなれています。
雫石
ポストさんの会社も大きく変わりましたね。国営だったのが民営になりましたね。ご苦労はありましたか。
ポスト
エライ人たちが勝手に決めたことで、私たちには関係ありません。それに、私の仕事は、官でも民でもやることはいっしょなので。
雫石
ポストさんはいまどき珍しい丸型ですね。
ポスト
1970年代までは私の仲間が多くいたが、ほとんど引退しました。今は四角い若いヤツがほとんどですね。
雫石
今までいろんな郵便物を受け入れてきたでしょう。
ポスト
そうですね。最近はメールする人が多くなって手紙を書く人が少なくなってきました。
雫石
長年、この仕事されておられるから、色々な経験もされているでしょう。
ポスト
そうですね。30年以上昔の話です。私の前で娘さんが手紙を持って、もじもじしていました。
雫石
その手紙を投函しにきたのですか。
ポスト
そうらしいのです。手を伸ばして手紙を入れかける、止めて手を引っ込める。思い直して手を伸ばす。その繰り返しです。ポッとほほを赤らめていました。
雫石
ラブレターですか。
ポスト
判りません。私は職業上、手紙の中身を知ることはもちろん、推察することも許されません。
雫石
その娘さんはどうしました。
ポスト
長い時間、手紙を手にして迷っていました。
雫石
手紙をあなたに入れたのですか。
ポスト
雨が降ってきました。それをきっかけに、娘さんは思い切って手紙を私に入れました。
雫石
その娘さんは近くの子ですか。
ポスト
そこに古い家があるでしょう。そこの娘さんです。それからしばらくして、その娘さん、雨の降る日にお嫁に行きました。時々、旦那さんとお子様を連れて、幸せそうに、あの家に来られます。
雫石
すっかり夜になってしまいましたね。
ポスト
あ、そこ、あの男の子、さっきいったあの家の娘さんのお孫さんです。そのお孫さんが一人で、おばあさんの実家に遊びに来られるように、赤い丸い郵便ポストがいい目印になるのです。
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トモコの紅
「まいど小田商店です。お米を持って上がりました」
この家は、ウチのお得意の中でもトップクラスのお金持ちだろう。山の手の坂道を上がった所にあるのだが、けた外れの豪壮な大邸宅ではない。このあたりでは、小ぶりなお屋敷だろう。しかし、充分にお金がかかった邸宅であることは、大学で建築を学んだ私には判る。勝手口に届け物をするが、奥にキッチンが垣間見えることがある。きちんと整理整頓されたキッチンはシンク、レンジをはじめ、高級な調理器具が並んでいる。
「はい」
女の子が応対に出てきた。小学校6年生ぐらいの子だ。ここ家の子だろう。私がここに来ると、この子が出て来ることがほとんどだ。このあたりのお屋敷ではたいてい家政婦さんが、私たち御用聞きの応対に出てくるが、この家ではこの女の子が出てくる。これだけの家だから家政婦さんぐらいはいてもおかしくないのだが。この子以外の家の人が出てきたこともない。
私がこの家に出入りするようになって1年ほどだが、記憶をたどって見るに、この家でこの子以外の人を見たこともない。米以外に、醤油、味醂といった調味料、ミネラルウォーター、それに、ビールや日本酒、ウィスキー、ワインなどのアルコールも届けるから、大人がいるはずだが、見かけたことがない。
もうひとつ不思議なことがある。私が、この家に配達にくるのは、だいたい、昼下がりが多い。午後2時ごろだ。そんな時間に6年生ぐらいの女の子がなぜ家にいる。学校は休んでいるのか。登校拒否児かも知れない。
特別美少女という子ではない。かといっていじめにあうような容貌でもない。ごく普通の女の子だ。健康な子と見受けられ、病欠しているとも思えない。小柄で、おかっぱの髪で、古風な日本人形のような女の子だ。古い写真に写っている、戦前のニッポンの女の子といってもいい。
10キロの米を置く。
「ごくろうさま」
いつもは、そこで伝票を手渡して、お屋敷を出るのだが、前からいおうと思っていたことをいった。
「お米、中まで運ぼうか」
こんな女の子の腕で10キロは重たかろう。いつも、この子が苦労して勝手口からキッチンまで運んでいたのだろうか。
「お願い」
上目づかいで私を見上げて、小さな声で返事した。視線が合った。少し視線がからまったように思えた。彼女の方からからめてきた感じだった。なぜかドキッとした。
靴を脱いで上がり、米袋を両手でかかえた。
「どこに置こうか」
「ここ」
彼女は、キッチンの中の冷蔵庫の横を指差した。そこにお米の容器が置いてある。キッチンを見れば、ここを使う人はかなり料理好きと見受けられる。勝手口から奥へ入ったのは初めてだが、この家には人の気配がしない。本当にこのお屋敷に、この子が一人いるだけだろうか。
「ついでだから、お米入れとくね」
袋を開け、容器に米を流しいれた。
「ありがと」
こんなことが何度かあった。私は、米だけではなく、お酒でも調味料でも、キッチンの中に運び入れてやった。
女の子は口数の少ない子だ。「お願い」と「ありがと」しかいわない時もある。それでも、だんだんと会話ができるようになった。名前を教えてくれた。トモコという。こんな小さな子で、今どき子のつく女の子は珍しい。
「トモコちゃん」と呼ぶと、ニコッと微笑む。トモコちゃんの笑顔を見るのが楽しみとなった。
ある日、前からぜひ聞きたいと思っていたことをトモコちゃんに聞いた。
「あのねトモコちゃん。家の人はいないの」
「家の人って?」
「トモコちゃんはずっと一人でお留守番?」
「そうよ」
「学校は行かないの?」
「わたし、学校には行かない」
それからさらに聞くと、彼女の両親は毎日深夜に帰宅するそうで、掃除、洗濯、買物、料理といった家事はトモコちゃんが一人でやっている。
「家政婦さんはいない」
「いないわ」
どうも、登校拒否児のようだ。多忙な両親に代って、彼女が一人でこのお屋敷を守っているようだ。
「まいど、小田商店です」
おかしい。返事がない。トモコちゃんはどうしたのだろう。いつもは「はい」と返事があるはずだが。
「トモコちゃん。いますか」
「はい」
なんだ。いるんだ。でも、いつもとは声の聞こえてくる方向が違う。
「玄関にまわって」
どうした。こんなこと初めてだ。
「お米ここに置いておくね」
玄関にまわった。和風の玄関である。正面に屏風が立ててある。私には日本画は知識はないが、狩野派の絵であることは判る。たぶん本物だろう。
「はい。来ましたよ」
「こっちよ。上がって」
屏風の向こうから声がする。上がる。八畳ほどの和室があった。トモコちゃんはそこにいた。
鏡台があり、その前にトモコちゃんが正座して座っている。いつもは質素なスカートにセーターといった格好だが、今日は着物を着ていた。彼女は着物を着て、鏡台の前で化粧していた。
貝殻に入った紅を、右手の薬指につけて、す、くちびるにぬっていた。ゆっくりと顔をこちらに向けた。12歳の少女がにっこりと微笑む。
「で、息子さんはお米の配達に行ったまま帰らないわけですね」
応対に出た警部補は、応接室に通し、イスを勧めながら、小田政明にいった。
「はい。息子は国立大学の大学院まで進んで建築を勉強し、大手の建築会社に就職したのですが、リストラされ1年前から、店を手伝ってもらっていました。ウチはお金持ちのお得意が多く、いずれ息子に店を継いでもらうつもりだったのですが」
小田商店店主は警部補の前で泣き出した。
「息子さんが配達に行っていたお屋敷のリストは有りますか?」
小田がかばんから地図を取り出した。
「この赤い蛍光ペンでしるしをつけた所が息子が受け持っていたお屋敷です。青いところが私です」
「どれどれ。ここに公園がありますね。ここは、智子の公園ではないですか」
戦前から高級住宅地だったこの地域は、太平洋戦争の戦災を受けていない。住宅ばかりで、工場などがないため、B29の爆撃を受けなかった。ところが、東の大阪の砲兵工廠を爆撃したB29が1機、誤って1発だけ、この地域で爆弾を落とした。1軒の屋敷に命中した。その時、家人は外出、娘の智子一人が留守番をしていて、亡くなった。
智子はこの地域ただ一人の戦災の犠牲者だ。その屋敷の跡は公園となり、公園の片隅には、智子の小さな慰霊碑がある。恋を知らずに逝った12歳の智子の霊を慰めるために。
この家は、ウチのお得意の中でもトップクラスのお金持ちだろう。山の手の坂道を上がった所にあるのだが、けた外れの豪壮な大邸宅ではない。このあたりでは、小ぶりなお屋敷だろう。しかし、充分にお金がかかった邸宅であることは、大学で建築を学んだ私には判る。勝手口に届け物をするが、奥にキッチンが垣間見えることがある。きちんと整理整頓されたキッチンはシンク、レンジをはじめ、高級な調理器具が並んでいる。
「はい」
女の子が応対に出てきた。小学校6年生ぐらいの子だ。ここ家の子だろう。私がここに来ると、この子が出て来ることがほとんどだ。このあたりのお屋敷ではたいてい家政婦さんが、私たち御用聞きの応対に出てくるが、この家ではこの女の子が出てくる。これだけの家だから家政婦さんぐらいはいてもおかしくないのだが。この子以外の家の人が出てきたこともない。
私がこの家に出入りするようになって1年ほどだが、記憶をたどって見るに、この家でこの子以外の人を見たこともない。米以外に、醤油、味醂といった調味料、ミネラルウォーター、それに、ビールや日本酒、ウィスキー、ワインなどのアルコールも届けるから、大人がいるはずだが、見かけたことがない。
もうひとつ不思議なことがある。私が、この家に配達にくるのは、だいたい、昼下がりが多い。午後2時ごろだ。そんな時間に6年生ぐらいの女の子がなぜ家にいる。学校は休んでいるのか。登校拒否児かも知れない。
特別美少女という子ではない。かといっていじめにあうような容貌でもない。ごく普通の女の子だ。健康な子と見受けられ、病欠しているとも思えない。小柄で、おかっぱの髪で、古風な日本人形のような女の子だ。古い写真に写っている、戦前のニッポンの女の子といってもいい。
10キロの米を置く。
「ごくろうさま」
いつもは、そこで伝票を手渡して、お屋敷を出るのだが、前からいおうと思っていたことをいった。
「お米、中まで運ぼうか」
こんな女の子の腕で10キロは重たかろう。いつも、この子が苦労して勝手口からキッチンまで運んでいたのだろうか。
「お願い」
上目づかいで私を見上げて、小さな声で返事した。視線が合った。少し視線がからまったように思えた。彼女の方からからめてきた感じだった。なぜかドキッとした。
靴を脱いで上がり、米袋を両手でかかえた。
「どこに置こうか」
「ここ」
彼女は、キッチンの中の冷蔵庫の横を指差した。そこにお米の容器が置いてある。キッチンを見れば、ここを使う人はかなり料理好きと見受けられる。勝手口から奥へ入ったのは初めてだが、この家には人の気配がしない。本当にこのお屋敷に、この子が一人いるだけだろうか。
「ついでだから、お米入れとくね」
袋を開け、容器に米を流しいれた。
「ありがと」
こんなことが何度かあった。私は、米だけではなく、お酒でも調味料でも、キッチンの中に運び入れてやった。
女の子は口数の少ない子だ。「お願い」と「ありがと」しかいわない時もある。それでも、だんだんと会話ができるようになった。名前を教えてくれた。トモコという。こんな小さな子で、今どき子のつく女の子は珍しい。
「トモコちゃん」と呼ぶと、ニコッと微笑む。トモコちゃんの笑顔を見るのが楽しみとなった。
ある日、前からぜひ聞きたいと思っていたことをトモコちゃんに聞いた。
「あのねトモコちゃん。家の人はいないの」
「家の人って?」
「トモコちゃんはずっと一人でお留守番?」
「そうよ」
「学校は行かないの?」
「わたし、学校には行かない」
それからさらに聞くと、彼女の両親は毎日深夜に帰宅するそうで、掃除、洗濯、買物、料理といった家事はトモコちゃんが一人でやっている。
「家政婦さんはいない」
「いないわ」
どうも、登校拒否児のようだ。多忙な両親に代って、彼女が一人でこのお屋敷を守っているようだ。
「まいど、小田商店です」
おかしい。返事がない。トモコちゃんはどうしたのだろう。いつもは「はい」と返事があるはずだが。
「トモコちゃん。いますか」
「はい」
なんだ。いるんだ。でも、いつもとは声の聞こえてくる方向が違う。
「玄関にまわって」
どうした。こんなこと初めてだ。
「お米ここに置いておくね」
玄関にまわった。和風の玄関である。正面に屏風が立ててある。私には日本画は知識はないが、狩野派の絵であることは判る。たぶん本物だろう。
「はい。来ましたよ」
「こっちよ。上がって」
屏風の向こうから声がする。上がる。八畳ほどの和室があった。トモコちゃんはそこにいた。
鏡台があり、その前にトモコちゃんが正座して座っている。いつもは質素なスカートにセーターといった格好だが、今日は着物を着ていた。彼女は着物を着て、鏡台の前で化粧していた。
貝殻に入った紅を、右手の薬指につけて、す、くちびるにぬっていた。ゆっくりと顔をこちらに向けた。12歳の少女がにっこりと微笑む。
「で、息子さんはお米の配達に行ったまま帰らないわけですね」
応対に出た警部補は、応接室に通し、イスを勧めながら、小田政明にいった。
「はい。息子は国立大学の大学院まで進んで建築を勉強し、大手の建築会社に就職したのですが、リストラされ1年前から、店を手伝ってもらっていました。ウチはお金持ちのお得意が多く、いずれ息子に店を継いでもらうつもりだったのですが」
小田商店店主は警部補の前で泣き出した。
「息子さんが配達に行っていたお屋敷のリストは有りますか?」
小田がかばんから地図を取り出した。
「この赤い蛍光ペンでしるしをつけた所が息子が受け持っていたお屋敷です。青いところが私です」
「どれどれ。ここに公園がありますね。ここは、智子の公園ではないですか」
戦前から高級住宅地だったこの地域は、太平洋戦争の戦災を受けていない。住宅ばかりで、工場などがないため、B29の爆撃を受けなかった。ところが、東の大阪の砲兵工廠を爆撃したB29が1機、誤って1発だけ、この地域で爆弾を落とした。1軒の屋敷に命中した。その時、家人は外出、娘の智子一人が留守番をしていて、亡くなった。
智子はこの地域ただ一人の戦災の犠牲者だ。その屋敷の跡は公園となり、公園の片隅には、智子の小さな慰霊碑がある。恋を知らずに逝った12歳の智子の霊を慰めるために。
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