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とつぜんステーション 特別復活  三田


 40年ぶりで三田に行った。実は三田は、拙作「海神」シリーズのバー海神があるS市のモデル。一度は三田へ行こうと思っていた。今日はお休みだから出かけたというわけ。
 40年ぶりに行った三田は、小生が知っている三田とは、まったく別の街になっていた。
 40年前、オヤジは西宮市山口町に工場を持っていた。西宮の山口。ちょうど、三田と有馬の中ほどにある町。このあたりは、神戸市北部、西宮市北部、三田市南部が入り混じっているところである。オヤジの工場は三菱電機三田工場の仕事をしていた。小生も、オヤジの工場の手伝いによく行っていた。できた製品の納品に三菱の三田工場によく行った。納品が終われば三田の街で食事をしたり買い物をした。そのころの三田のイメージが海神シリーズのS市である。40年前の三田が海神のあるS市である。写真は今の三田駅前商店街である。
 宝塚の駐車場にファミリア・バンの中古車を置いといて、学校がおわると、宝塚まで電車できて、そこからファミリア・バンに乗って、国道176号線を走る。だから、生まれて初めて持った自分の車がファミリア・バンだ。オヤジが会社の経費で通勤用に買ってくれた車だが。このころ免許を取って日が経っていなかった。小生はファミリア・バンを運転して国道176号線で運転の腕を磨いたのである。だから小生の運転の師匠はファミリア・バンで道場が国道176号線だ。  
師匠ファミリア・バンも寿命が来た。次の通勤用の車が必要。で、次の小生の愛車となったのが、ファミリア・ロータリークーペ。だから小生はロータリー・エンジン車のオーナーとしてはかなり早い方だろう。
 三田へは、行きは尼崎まわりでJRで行った。尼崎から三田まで30分ほど。帰りは神戸電鉄で新開地まで行った。神戸電鉄で三田から新開地まで60分ほど。神戸電鉄、あまり乗らない電車だが、山間部の駅をのんびりゆっくり走る。
 楽しいミニミニ小旅行をした気分であった。
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「とつぜんステーション」終了のごあいさつ

 とつぜんですが、「とつぜんステーション」を終了させていただきます。関西の鉄道、主にJR、阪神、阪急の駅をネタにやくたいもない駄文をつづってまいりましたが、ひとまず終わりとします。
 76駅を取り上げてきました。このカテゴリーを始めるにあたって、二つのことを決めごととして決めました。まず、私が一度でも乗り降りした駅であること。観光案内にしないこと。最初の決め事は守りました。すべての駅は私が乗り降りした駅に間違いないです。必ず写真を掲載してますから、写真を撮る時に乗り降りしたなんて、ごまかしはいいません。乗り降りした駅を選んで、写真を撮りに行ったのです。二つ目の観光案内にしないことは、いっしょうけんめい心がけて記事を書いたつもりですが、この件は読者のご判断におまかせします。
 私は「お鉄」ではありません。「鉄道」や「駅」にうんちくを傾ける趣味はありません。では、なぜこんなカテゴリーを始めたのか、よく覚えていません。
 正直、もうネタ切れというのが、「とつぜんステーション」終了のほんとのところです。観光案内的なことなら、ウィキペディア的なことなら、調べればいくらでも書けます。しかし、そんなことを書いたとて、なんの意味があるでしょう。かようなことは、この駄ブログを読むより、そういう記事を掲載した本が書店にいくらでも並んでいます。私にしか書けない記事を書くよう心がけてきたつもりです。その駅と、私、雫石鉄也の人生の接点を探って書いてきたつもりです。
 なお、4月からは新カテゴリー「とつぜん上方落語」を始めます。どうかよろしく、ごひいきのほどお願い申し上げます。
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高速神戸 新開地


 この駅には神戸を走るJR以外全部の鉄道が集結している。阪神、阪急、山陽、神戸の4私鉄が乗り入れているわけ。だから、この駅から、有馬、京都、奈良まで電車で行くことが可能だ。いわば神戸のハブ駅といってもいいだろう。
 この新開地は、神戸を代表する歓楽街。庶民的な娯楽供給地だ。ボートピアといった競艇の舟券売り場もあるし、大衆演劇の劇場もある。今となっては絶滅危惧種の映画館ともいえる名画座もある。さらには、大阪は天満にある、上方落語の常設寄席繁昌亭が、ここ新開地に建設が計画されている。上方落語ファンの小生としてはたいへんに楽しみである。新開地に早く繁昌亭ができて欲しい。
 小生の高校は湊川にあった。新開地のすぐ近くである。だから、高校生の小生がよくこのへんをウロウロしたものだ。最近はそんなことはないが、昔は、夜間、ご婦人が一人で歩くことをためらうような所もあったが、最近はそんなことない。ヤの字のつくそのスジのお兄さんたちもよく見かけた。歩くのにちょっとしたコツがいる場所だったが、今は安心して歩いてもいい。
 小生が高校のころは、この新開地に聚楽館という映画館があった。確か、今、ラウンド1がある場所にあったと記憶する。この映画館で「大脱走」や「ミクロの決死圏」などを観た。
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阪神 千船


 阪神電車の千船駅である。いまでは、とんと無縁の駅だが、昔は毎日のようにこの駅で乗り降りしていた。
 小生をリストラしたK電気には27年いた。リストラされる直前は機工課で板金の外注管理をしていたが、K電気在籍中のほとんどを資材部で過ごした。電子部品の購買仕入れが主な仕事で、工程管理生産管理の仕事をした。
 ところが、K電気に入社直後はプリント基板の仕事をしていた。プリント基板。テレビやパソコンの裏ブタを開けると、プラスチックの板にハンダの線が引いてあって、コンデンサーやトランジスター、ダイオード、ICなんか小さな電子部品がくっつけてある板があるだろう。あれがプリント基板である。
 設計が回路設計をする。その設計図をもとにアートワークというものを作る。これはいわば印刷の版下のようなモノで、特殊なフィルムにテープとシールで回路が描いてある。このアートワークは専門の人に外注していた。この仕事が小生の仕事。アートワークが出来上がると、設計にチェックしてもらう。手直しが出ることもある。これはアートワーク制作のミスではなく、ほとんどが、客先の回路変更指示ということ。設計の設計ミスもあるかと思うが、彼らの言によれば客先の変更指示だそうだ。ほんとかな。
 大きな手直しだと外注の人にやってもらうが、簡単なものならば、小生が手直ししていた。そのうち簡単なアートワークなら小生が作っていた。そのまま技術を磨いていくと、フリーのアートワーク職人として独立することもできたかもしれない。小生が外注に出していた人は1人でフリーでやっている人だった。
 で、アートワークが完成すると、それを元にプリント基板を製作しなければならない。そのプリント基板製作会社が、この駅の近くにあった。車で行くこともあったが、電車で行くことの方が多かった。
 この駅で降りて、完成したアートワークをかかえて、神崎川の橋を渡って、よくその基板屋へ通ったものだ。
 
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阪神 深江2 


 阪神電車深江駅である。ご覧のように高架になっている。ずいぶん長い間工事をやっていたが、12月12日から電車が走り始めた。この写真を撮ったころはまだ工事中であった。
 このあたりの阪神電車は子供のころから、ずっと見ていた。阪神電車というと地上を走るのがあたりまえで、こんな高いところを電車が走るのは、なんとも違和感がある。見慣れている電車が、見慣れない所を走っているわけ。阪神電車が空中電車になったようだ。
 高架工事完成といっても、下り線(京都の方から来る線を下り線という。東京ではない)だけだ。上り線(同様)は2019年の完成予定だとか。ずいぶん先だ。それまでに人類が絶滅しなければいいが。
 この高架によって、踏切がなくなり通行が便利になった。ただし南北の通行だけは。小生、所用でよく、自転車で線路沿いに走る。線路沿いだから東西の移動ということになる。今までは、踏切があるから自動車は線路の前で一旦停止する。線路沿いを自転車で走る場合、自動車が停まるから走りやすい。これが完全に踏切がなくなると、信号が設置されればいいが、自動車は停まらない。線路沿いを東西に自転車で走るには不便になった。なにごとも全てOKというモノは無いということだ。
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JR 明石


 JR明石駅である。JRの神戸線をよく利用される方はご存知だと思うが、西の方に行く普通電車は「西明石行き」との行き先表示のある電車が多い。この明石駅は、その西明石のひとつ東の駅だ。この駅の方が明石市の中心部にある。
 この駅のホームに立って北を見ればお城がある。明石城だ。駅前の道の向こうが城。駅からこんなに近い城は珍しいのではないか。ここは公園になっていて、桜の名所である。小生も何度か花見に来たことがある。
 お城は駅の北側だが、南にも面白いところがある。この駅から南へ歩いて10分もかからない。すぐそこである。魚の棚商店街だ。水産物の街明石の象徴とともいうべき商店街。それが魚の棚商店街。
 この商店街、可能ならば、お昼の12時過ぎに行くことをお勧めする。昼網といって、すぐそこの漁港で水揚げされたばかりの魚が、生きたまま店頭に並ぶ。
 明石の鯛が、店頭でピチピチ飛び跳ねている。その横をこれまた明石のタコがくねくねうごめいている。小生、車を持っているころは、第2神明を飛ばして、ここに鯛やタコを買いに来た。鯛はもちろん刺身にする。アラはあら炊きだ。タコは刺身とタコ焼きだ。
 もちろん明石焼き(現地では玉子焼きという)のお店もたくさんある。どこで食べてもおいしい。
 明石、魚好きにとってはパラダイスな街だ。
 

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神戸市営地下鉄 ハーバーランド


 神戸市営地下鉄ハーバーランド駅である。地下鉄海岸線の駅ではJRの駅に最も近い。神戸駅に直結している。神戸駅の西側出口ビエラ神戸側を出ると、すぐそこがハーバーランド駅の入り口である。JRの改札を出て、地下鉄の改札まで5分もかからない。電車の中でトイレがしたくなって神戸駅のトイレが満員でも、地下鉄のトイレまでがまんできる距離である。
 小生はJRと地下鉄で通勤している。JR三ノ宮で降りて、さんちかを通って地下鉄三宮・花時計前で乗り換えるルートと、神戸でJRを降りて、このハーバーランドで地下鉄に乗るルート、2種類のルートで通勤している。どっちのルートを使うかは気分で決めている。小生の通勤は他の人より早い。7時前の電車に乗っている。だからすいていて、JR、地下鉄とも座れる。
 乗り換えの歩く距離は、神戸→ハーバーランドの方が、さっきもいった通り短い。三ノ宮→三宮・花時計前のルートは、さんちかの北の端から南の行き止まりまで歩かなければならない。と、いっても50メートルほどだが。こっちは電車の中でトイレに行きたくなったら、三ノ宮・花時計前駅のトイレまでは、ギリギリというところか。
 で、小生はどっちのルートが好きかというと、三ノ宮→三宮・花時計前の方が好き。神戸ルートだとすぐ地下鉄に乗り換えだが、こっちは短いとはいえ地下街を歩くのである。朝の地下街をあるのはなぜかうれしいのである。
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JR まや


 JRのまや駅である。ごらんのように工事中である。なんでも、来年2016年の春に開業予定とか。2003年のさくら夙川開業以来の新駅である。駅名は「まや」になるのか「摩耶」になるのか未定だそうだ。
「摩耶」というと摩耶山という山が神戸にはある。六甲山系の山で標高702メートルであまり高くはないが、この山からの神戸の夜景は素晴らしい。摩耶の名を持つものとして、旧日本海軍の巡洋艦摩耶があった。また、海沿いには摩耶埠頭がある。阪神高速でこの摩耶埠頭方面に降りようと思えば摩耶インターで降りればいい。また摩耶ロッジをSFファンどもが全館借り切って、夜どうしどんちゃん騒ぎをしたこともあった。いろんな「摩耶」があるが、このたび摩耶駅ができるわけだ。
 このあたりは北から、阪急、JR、阪神と三つの鉄道が並行して東西に走っている。とうぜん客の取り合いをしているわけだが、阪急と阪神は今は資本がひとつだし、あいだにJRをはさんで南北にはなれている。それに阪神、阪急は線路が通っている土地柄もちがうし、客層も違う。阪急はええし、阪神は庶民的。あいだのJRがこの両私鉄と熾烈な競争をしているわけ。このJRと阪急との競争が2005年の福知山線脱線事故の要因のひとつだといわれている。事故の反省は充分になされていると思われるが、JRといえども今は民間企業だから、競合する阪急阪神に負けるわけにはいかない。そういう意味からも、この「まや」駅を新設したのだろう。ここのすぐ北に阪急王子公園、すぐ南に阪神西灘がある。この両駅の乗降客をいただこうという算段だろう。
 しかし、JR西日本も神戸線の新駅はもうこのあたりで終わりにしたらいいだろう。地図を見てもらえば判るが、阪急、JR、阪神の駅の分布は実にバランスよくできている。駅の間隔のことである。阪急は駅の間隔が広い、阪神は狭い、JRはその中間。阪神の御影と石屋川、御影と住吉などは、ホームの端に立てば隣の駅が見える。阪神の特急停車駅間は阪急なら普通電車の間隔だ。だから、鉄道利用者とすれば、この三つの鉄道をうまい具合に使い分けることができるのだ。JRもこれ以上駅を増やすと阪神並みになるぞ。
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阪急 池田


 池田である。いけだ、とフラットに発音しない。い()だ。にアクセントをつける。いけだである。
 池田というと小生の好きな酒、呉春がこの池田の酒である。それに、池田というと、上方落語ファンとしては、なんといっても池田というと「池田の猪買い」
 あの噺、大阪のどぶ池から池田まで歩いて行く噺だ。どぶ池筋、大阪市中央区の船場センタービルのあたりを出発して、池田まで行くのだ。現代なら、本町から大阪市営地下鉄御堂筋線に乗る。梅田で降りて阪急電車の宝塚線で池田まで行く。電車に乗っている時間は30分もないだろう。
「十三の渡し、三国の渡し、服部の天神さんを横手に見て、岡町から池田」と、落語ではなっている。十三の渡し、これは淀川を越えていたのだろう、三国の渡し、この渡しの川は神崎川であろう。このルート、電車なら阪急宝塚線であるが、車で行くのなら国道176号線だ。
 池田、いまはすっかり街となって、この駅のまわりは猪がねそねそ歩いているようには見えない。この池田よりも、小生が住まいおる、神戸は東灘の方がよほど猪がよく見れる。ウソだと思うのなら、JR摂津本山か阪急岡本で降りて、横の川を見てごらんなさい。たいてい猪がいるから。ただし、東灘には猪はいるが山猟師の六太夫さんはたぶんいない。だから「東灘の猪買い」という落語はないのだ。
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阪神 西灘


 阪神電車の西灘駅である。ところが、この駅があるここは、西灘という地名ではない。ここは神戸市灘区都通である。いや、そもそも西灘という地名の場所は神戸市内にない。だから「西灘」が名称になっている施設は、神戸市内には小生が知っている限りでは、この阪神電車西灘駅、西灘小学校、西灘公園、西灘幼稚園、西灘保育所など。いずれも灘区の西の方にある。だから「西灘」というのだろうか。
 西灘があるのだから、東灘があるのだろうか。ある。小生が住いおるここが神戸市東灘区である。いまでは東灘区は神戸市の一番東の区であるが、東灘は神戸のオリジナルメンバーではない。神戸市灘区と芦屋市の間は兵庫県武庫郡といった。その武庫郡の五つの村、本山、本庄、御影、魚崎、住吉は神戸市になるとは決まっていなかった。芦屋市になる。神戸市になる。甲南市として独立した市になる。いろんな意見があったが、結局、神戸市になって東灘区となった。その神戸市東灘区は昭和25年に発足した。だから東灘ができても、灘は灘のままで西灘区とはならなかったのである。
 そういうわけで、この駅の名称の「西灘」は、灘の西部にある駅ということであろう。西の灘ではなく、灘の西なのだ。だったら阪神電車の場合、灘区の東よりの駅に「東灘駅」はあるかというと、ない。この西灘駅から、東の駅は、大石、新在家、石屋川だ。御影は灘区ではなく東灘区だ。
 こいうことを考えると、この駅は阪神電車「灘」でもいいと思う。現にJRには灘駅がある。ところが阪神電車西灘駅はけっこう古いのである。今は阪神本線の駅だが、昔は阪神電車は国道2号線を走る路面電車を持っていた。「金魚鉢」のニックネームの阪神電車国道線の駅として西灘駅ができたのは昭和2年。東灘区よりずっと前である。ではなぜ阪神電車はその駅を「西灘」としたのだろう。阪神電車国道線に「東灘」駅はない。なぜ素直に阪神電車灘駅としなかったのだろう。省線(JRを昔はこういった)の灘駅があったからかな。ところがJR灘はこの阪神西灘の西である。だったら阪神電車国道線西灘駅は「東灘」といった方がわかりやすい思うのだが、そこは、それ、親方日の丸の国鉄に負けまいとする民間企業阪神電車の意地かな。
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JR 和田岬


 JR和田岬駅である。ごらんのとおりの駅である。駅舎も改札も切符売り場も、なんもない駅である。線路とホームがあるだけ。兵庫駅との間を2.7キロ走ってきた和田岬線の終着駅。この和田岬線の駅はこの和田岬だけ。
 この駅の前の道(高松線)の南のすぐそこには神戸市営地下鉄海岸線和田岬の駅がある。
 この駅の南、地下鉄和田岬の背後に広大な工場が広がっている。三菱重工神戸造船所だ。造船所とはいうが、ここではもう、商船は造ってない。潜水艦しか船は造ってない。その潜水艦も東隣りの川崎重工と交代で造っている。
 また、少し南に行くと、三菱病院があり、その南側には三菱電機神戸製作所がある。だから、この三菱村の住民たちは、ほとんどがこのJRと地下鉄の和田岬駅を利用しているといっていいだろう。
 神戸市営地下鉄海岸線は、大きな赤字をかかえて困っている。三菱重工が商船を造っているころは、朝夕の通勤時にはそこそこの通勤客がいたが、今は、その当時より客数が減ってきている。その三菱への通勤客を、地下鉄とJRで取り合っているのだ。この和田岬線、廃止も検討されているらしい。神戸市交通局としてはこのJR和田岬線を廃止して欲しいだろう。そうなると、この三菱村への通勤駅は地下鉄和田岬だけになる。
 東灘区の住吉から和田岬へ通勤したとしよう。神戸で地下鉄に乗り換えて地下鉄和田岬まで。時間で20分ほど。1ヶ月の定期代13200円。兵庫で和田岬線に乗り換えてJR和田岬まで。時間は同じようなもの。ところが1ヶ月の定期代7130円。和田岬線利用者はなくならないわけ。
 ところで、興味を持って、この駅から電車に乗ってやろうと思う方もおられよう。お気をつけください。この和田岬線、昼間は電車は走ってない。朝夕だけ電車が走る路線なのだ。
 
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大阪市営地下鉄 東三国

 
大阪市営地下鉄御堂筋線の東三国の駅である。K電気に就職して初めての勤務地は、大阪は北区豊崎の本社工場であった。そこで10年勤務した。その時はJR大阪から歩いて通勤していた。
その後、吹田工場に転勤した。吹田に勤務し始めたころは、この東三国の駅を使っていた。JRで大阪まで行って、大阪で地下鉄御堂筋線に乗り換えて、この東三国まで地下鉄に乗っていた。大阪市営地下鉄御堂筋線。あまりおおっぴらにいえることではないが、痴漢の巣である。幸い、小生がこの地下鉄を使っている間は、痴漢騒動には出くわさなかった。小生が痴漢をすることはない。小生を痴漢するヤツはいない。と、なると一番気をつけるべきは、痴漢に間違えられないようにすることだ。冤罪はごめんである。
この地下鉄御堂筋線、淀川を越えたあたりから地下鉄ではなくなり、地上を走る。小生が通勤に使っていたのは、この地上部分だが、この部分には痴漢は少ないようだ。どうも痴漢は地下に多いようだ。痴漢はお天道さまの下では棲息できない生き物なのだろう。

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阪急 伊丹


 阪急の伊丹駅である。この駅を利用することは今はないが、10年ほど前は、この駅で定期的に乗り降りしていた。伊丹のハローワークに通っていたのである。
 27年勤めたK電気をリストラされたのは2002年11月のことだった。今の会社に就職したの2006年の5月。こんどの5月で今の会社に勤めて9年目だ。小生のトシから考えて、この会社が最後の会社となるであろう。
 小生は多くの会社を渡り歩いた。最初に勤めたのはOという昆布食品の会社だった。その会社に勤めながら、夜間、コピーライター養成講座に通った。コピーライターを数年してK電気に就職。そのK電気をリストラされ、4年間、5社の会社で働いた。最初はH屋D堂という下半身病気専門の薬屋。2社目のMK産業は神戸長田区の電機会社。3社目のNP社はパソコン用電源装置のメーカー。4社目は薬問屋。5社目は30年ぶりに昆布会社に来た。いずれも契約、試用、派遣などの非正規雇用だった。
 その4年のあいだ、ハローワークにはよく通った。「とつぜんリストラ風雪記」でも書いたが、小生は、考えられる限りの転職活動をしたつもりだが、転職活動のメインはやはり、ハローワークを使った活動だ。
 灘、三宮、神戸、梅田、尼崎、西宮、伊丹のハローワークをローテーションで回っていた。その伊丹のハローワークの最寄り駅がこの阪急の伊丹である。
 阪急神戸線の塚口で伊丹線に乗り換えて、終着駅がこの駅である。駅を出て、ハローワークに歩く。さて、今日の収穫はどうかな。伊丹市役所のすぐ近くが伊丹ハローワーク。有望な求人を見つけてワクワクしながら、この駅から阪急電車に乗ることもあったし、収穫なしでがっかりしながら電車に乗ることもあった。どちらかというとがっかりしながらの方が多かった。
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阪神 住吉


 住吉駅である。ただし阪神電車の住吉である。JRの住吉は、快速電車も停まるし、六甲ライナーとも接続している。一日の乗降客数はJR神戸線の駅では、三ノ宮、元町、神戸に次いで4番目に多い。東灘区役所の最寄駅でもあり、神戸市東灘区の表玄関といえる。
 それに比べて、この阪神住吉はなんともつつましい駅である。特急はもちろん急行も停まらない。当然だろう。なにせ隣の特急停車駅の御影とは500メートルしか離れていない。必要最小限のモノしかない駅である。改札は一ヶ所しかない。エレベーターもエスカレーターもない。ホームにはベンチがあるだけ。待合室もない。高架の上の駅だから冬は寒いことである。こんな駅だから乗降客数は少ない。阪神電車の駅では最も少ない。かって阪神電車には西宮東口という駅があった。西宮今津の間にあった駅だが、いまは廃止されてない。この駅もそうなるのかなと思うのだが、なかなかどうして、この駅、1905年明治38年に阪神電車が開通した時からの駅である。阪神タイガースよりこの駅の方が古いのである。写真は階段の窓である。昭和初期のデザインの丸い窓だ。
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JR 東淀川


 JRの東淀川の駅である。小生が以前いたK電気の吹田工場はこの駅で降りる。この吹田工場には10年勤務した。
 この駅を降りて、線路沿いに北へ。すると川がある。神崎川である。そこにかかる大吹橋を渡ると、そこは大阪市ではなく吹田となる。線路沿いにしばし歩いて、JRの狭くて低いガードをくぐって、しばらく行くとK電気吹田工場である。いまはその工場はない。K電気は小生をリストラしてしばらくして破綻した。いまは会社ごとどっかの企業グループに身売りしたとか。
 小生はK電気に27年いた。最初の7年は中津。次の10年はこの吹田工場。最後の10年は伊丹工場だった。伊丹の時はJR伊丹駅を使った。
 この吹田時代は、小生、K電気労働組合の副委員長をやっていた。通常はこの駅で乗り降りして通勤していたが、春闘など団交の時期になると、夜遅くなり終電に乗れない時もあったし、本社が中津だったから、吹田から中津まで移動に便利なように車で通勤していた。
 この駅の周辺は大阪でも下町といっていい。安い下宿やアパートなどが多い。この東淀川に東淀川大学という大学がある。あ、かといって、どこにそんな大学があるんやろと探してもムダ。現実にはそんな大学はない。いしいひさいちのマンガ「バイトくん」が通っている大学が東淀川大学である。いしいファンならご存知だろうが、この東淀川大学、なんともいえん大学である。東淀川を歩くと、ほんまに東淀川大学があってもおかしくない雰囲気である。
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