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カキめし 炊き込みご飯の具とご飯


 炊き込みご飯はうまい。私も大好き。季節季節には、旬の魚介類を使った炊き込みご飯を必ず食べる。
 春には鯛めし、夏、鮎めし、秋、サンマ飯。そして冬はカキめし。まだ11月だが、カキがうまい季節になったから、カキめしを食べた。
 カキめしは、ご存知のとおりカキを炊き込んだご飯。鯛、鮎、サンマなどの丸ごとの魚を炊き込む場合は、魚の骨などからダシが出て、ご飯がおいしくなり、魚の身もおいしいが、今回のカキ飯などの時は具の扱いが難しい。
 最初から、カキを米といっしょに炊き込めば、カキの旨味が出て、ご飯がおいしくなる。ところが、カキは下手するとおいしい成分が抜けてダシがらになってしまう。かといって、ご飯だけ先に炊いて、あとでカキを加えると、カキのおいしさは保たれるが、ご飯にカキの旨味は移らない。この、ご飯のおいしさと、具のおいしさを、いかに両立させるかが、炊き込みご飯の腕の見せどころである。
 そのあたりを考慮して、私のカキめしは、カキを2回に分けてに使う。半分はご飯といっしょに炊き込む。あとの半分は、ご飯が炊き上がったら、蒸らしの段階でカキをご飯に乗せる。こうすればご飯と、カキの旨味が両方楽しめる。
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11月30日(日) 三浦の横浜残留を喜ぶ

 FAを宣言していた横浜ベイスターズの三浦大輔投手が、横浜残留を決断した。阪神タイガースが、三浦獲得に強い意欲を見せて交渉したが、三浦は自分が育った横浜への愛着が強く、このような決断をしたのだろう。
 横浜にとっても、阪神にとっても、そして三浦本人にとっても、非常に良い決断をしたのではないか。残念に思う阪神ファンもおられるが、小生は残念には思わない。
 阪神は三浦獲得に用意した金で若手投手を育成すればいい。阪神は補強が目的で三浦獲得に動いたのであろう。考えるに、小生の私見だが、阪神に三浦が来ても、阪神の補強にはならないと思う。三浦は阪神には勝っているが、他球団にはけっこう負けている。だから、阪神の思惑通りになったとしても、阪神の補強ではなく、横浜弱体化にしかならない。今期どん底に落ちた横浜をこれ以上弱くしてどうする。
 このブログでもたびたびいっているが、小生は娯楽として阪神タイガースを応援しているのである。楽しく阪神タイガースの試合を観たい。三浦のいない、それでなくとも先発投手不足で、さらに大きな穴が開いた横浜。こんな横浜あいての阪神VS横浜戦を観て楽しいかな。小生は楽しくない。
 これからも三浦は虎キラーとして、阪神打線の前に立ちはだかるであろう。結構じゃないか。そんな苦手を克服して阪神タイガースは本物の猛虎となるのだ。三浦よもっともっと阪神の前に立ちはだかれ。
 球団には顔ともいうべき選手がいる。FAで自由に球団を移籍できるようになったとはいえ、顔は顔である。
 広島出身でカープ育ちとはいえ、金本は阪神の顔である。小笠原は日本ハムの顔であった。川上は中日の顔。松井は巨人の顔。松坂は西武の顔。黒田は広島の顔。そして三浦は横浜の顔である。以上の選手たちのほとんどは、現在所属している球団は、顔であった球団ではないが、これはもう、理屈ではない。印象、イメージの問題だ。例えば、小笠原、彼の場合、やっぱり巨人というより、日本ハムといったほうがしっくりくるだろう。そういう意味からも、三浦が横浜の顔でありつづけることを、阪神ファンとしても、強く支持する。
 ハマの番長よ、これからも虎キラーであれ。敵が強いほど勝負事はおもしろい。

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鶏ときのこのピラフ


 ピラフを作る。ピラフと炒飯は同じように見えるが、全く違う料理。似て非なるもの。
 炒飯は、炊いたご飯を炒める炒めご飯だが、ピラフは生米をスープで炊く炊き込みご飯。炒飯は東アジアの料理だが、ピラフはトルコ料理。
 では、早速、ピラフを作ろう。具は今日は、鶏肉ときのこを用意した。まず、フライパンにバターを溶かして、玉ねぎを炒める。そこに米を投入。生のまま、洗わなくてもけっこう。刻んだベーコンも炒める。玉ねぎが透きとおり、米がバターで、まんべんなくコーティングされたら白ワインを振る。ここにスープを注いで、後は炊飯器に入れて炊く。
 米を炊いている間に具の用意を。鶏肉はもも肉を使う。まず、鶏もも肉の皮をグリルであぶって焦げ目を軽くつける。肉が香ばしくなって、鶏肉が苦手の人もおいしく食べられる。鶏肉が苦手の人は、皮のブツブツが嫌なのではないか。だから、その部分を焼いてやればいいのでは。肉はひと口大に切る。きのこはマッシュルームとエリンギを使う。適当な大きさに切る。
 そうこうしているうちに、米が炊けた。蒸らしの段階でバターを入れる。フライパンで鶏肉、きのこを炒める。彩りにミックスベジタブルも加える。炊飯器から米をフライパンに。さっと炒めて、少々鍋がえしをしたら、お皿に持って、ドライパセリふりかけてを出来上がり。
 
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とつぜんリストラ風雪記 19

とつぜんリストラ風雪記18
 
胃の具合が悪かったが治った。胃潰瘍の再発ではなかったようだ。暑い中を就職活動に励む。
 この2004年夏、小生は兵庫キャリア交流プラザに登録、参加する。ここで、自分と同じ境遇の人たちと知り合い、仲間を得る。

2004年5月7日(金)
 DHに面接に行く。たんなる派遣の登録であった。まったくのムダ足。

5月22日(土)
 小泉首相、2度目の訪朝。拉致被害者の家族5人を連れて帰る。

5月25日(火)
 Pに面接に行く。印刷会社。仕事は印刷物の工程管理。誠実そうな人が面接をしてくれた。
 阪神、また横浜に負け。なんで横浜に勝てへんのか。不思議。

5月26日(水) 
 福島区のRSなる会社に面接。どういう会社か、どんな仕事をするのか、一切説明なし。とにかく登録してくれ。説明を求めると、登録された後、説明するとのこと。実にうさんくさい。その場で登録を断り席を立って帰る。
 阪神、またまた横浜に負け。どうしても横浜に勝たれへん。なんでや。

5月28日(金)
 ハローワーク梅田へ。収穫なし。

5月29日(土)
 阪神、きょうも負ける。

5月31日(月)
 ハローワーク灘。収穫なし。

6月4日(金) 
 阪神負け。

6月7日(月)
 神戸駅前のクリスタルタワーにある人材銀行に登録に行く。

6月9日(水) 
 阪神、ついに最下位。

6月15日(火)
 Sコーポレーションに面接。御堂筋に面した大きなビルのワンフロア。まっとうな会社と見る。仕事は小生の専門外の総務人事。資材業務にこだわっていたら、なかなか再就職ができない。可能性を試してみる。給料など、諸条件はいいのだが、残業が多いとのこと。 

6月16日(水)
 ハローワーク伊丹に行った後、JR伊丹駅前の免許更新センターにて、運転免許の更新をする。小生は優良ドライバーにつきゴールド免許なり。
 このブログを以前からご覧の方は、小生がかなりの飛ばし屋とお思いだろう。事実飛ばし屋である。大阪→出雲600キロを6時間で走ったこともある。そのわりにはあまり捕まらない。40年近く運転しているが、反則金を払った記憶は数回しかない。もちろん事故は一度もない。

6月18日(金)
 IK機工で面接。神戸市長田区の新長田駅近くの工場が集まっているところ。まっとうな会社で、感じの良い社長だった。

6月26日(土)
 IK機工が断っていた。期待していただけに残念。手応えを感じていたのだが。不採用の理由を考えてみた。
 面接の時の社長との話では、年齢が理由とは考えにくい。仕事に関しても思いつかない。相手に求めるスキルと、小生のスキルはおおむね一致していた。と、なると理由は一つしか思いつかない。
 面接の最後に社長が、月収について聞いた。そこで小生は具体的な数字をあげた。これが間違いであった。
 当然、月収は多ければ多いほどいい。ところが、こちらのあげた数字が、相手が考えている数字と開きがあれば不採用となる。かといって、あまり小さな数字をあげて、もし採用になったとしても、収入面で必ず不満が出る。
 ここで小生は教訓を得た。面接で、「月収はいかほどご希望ですか」と、聞かれれば、絶対、具体的な数字をこっちからいってはだめ。
「それに関してはお任せします」と答えるべし。それでも、突っ込んで聞いてくると、「なんとか生きていける程度で結構です」
できれば、相手に具体的な数字をいわせればベストだ。

6月28日(月)
 人材銀行でキャリア交流プラザを勧められる。聞いてみるとパソナと同じような再就職支援セミナー。考える。前回の求職活動の時はパソナに世話になった。カリキュラムはパソナと同じようだが、なにか頼るものが欲しかった。

7月1日(木)
 伊丹のS工作所で面接。

7月5日(月)
 大阪、御幣島のH製作所で面接。金属加工の会社。電子部品が専門の小生とは違うが、挑戦してみよう。工場内を案内してくれる。

7月9日(金)
 S電装で面接。

7月20日(火)
 兵庫キャリア交流プラザに申しこむ。  


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11月27日(木) 最後の将軍 足利義昭

 日曜、夜のNHK大河ドラマ。昔はときおり観ていたが、最近はとんと観ない。だいたいが幕末か戦国が舞台となっているようだ。特に戦国時代ものが人気が高いのではないだろうか。
 その戦国ものだが、主人公にすえる有名武将はひとわたり済んだのではないか。織田、豊臣、徳川、伊達、武田、上杉、といったメジャーなところは取り上げられた。あと、大手では北条、島津がまだないのでは。
 この大河ドラマで主人公にすれば面白い人物がいる。室町幕府最後の将軍、第15代将軍足利義昭。
 足利義昭というと、信長や秀吉を主人公にした場合、地味な脇役として登場して、信長にいいように利用され捨てられた、室町幕府をつぶした暗愚な最後のボンクラ将軍というイメージがあるが、なかなかの人物である。
 義昭は出家して仏門に入っていたが、兄で13代将軍の足利義輝が松永弾正に暗殺されたため還俗し、信長の支援を受けて上洛、第15代将軍に就任した。
しかし、信長と対立して京から追放された。この時、京を去りはしたが、義昭はまだ将軍。室町幕府はこの時点では存在していた。
 備後に落ち着いた義昭は、上杉、武田、朝倉などの有力大名に手紙を送り、信長包囲網を形成、織田信長をかなり追い詰めた。
 やがて信長は本能寺で死に、天下は豊臣秀吉のものとなった。この時の日本のトップは、朝廷は別として、関白秀吉、将軍義昭、という形であった。その後、義昭は将軍職を辞し、朝廷から準皇族の待遇をえ、秀吉から領地をもらいいち大名となった。他の大名とは異なり、なにせ前征夷大将軍、武家の統領だった人物、一目置かれる存在であった。晩年は秀吉の良き相談相手であったとのこと。大坂で61歳でなくなった。
 義昭はこれだけ、波乱万丈の生涯を過ごしながら、天寿をまっとうした。信長、秀吉といった天才と、互角か、それ以上に渡りあいながらである。実に面白い人物といえよう。

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蘇る金狼


監督 村川透
出演 松田優作、風吹ジュン、成田三樹夫、小池朝雄、千葉真一、佐藤慶

 小生は大藪春彦の大ファンである。たいていの作品は読んだかな。数多ある大藪作品の中でも、「蘇る金狼」は大好きな作品。
 会社で好き勝手やっている、エライさんどもをギュッという目にあわせる。サラリーマンならだれでも一度は夢見たことだろう。ところが、現実はそんなことはできない。エライさんに媚びへつらって、会社の犬となって生きるか、リストラされゴミのように廃棄されるかのどっちかだ。この、できないことを、主人公朝倉哲也がやってくれる。スカッと痛快。のはずだが、この映画にそんな爽快感はない。鑑賞後の印象は、暗く悪魔的で悲劇的だ。原作は、もうずいぶん前に読んだので、忘れているが、もう少し爽快感があったように記憶する。これは暗い画面が多く、衝撃的なラストによるものだろう。
 松田優作はコミカルな演技もできる俳優だ。テレビ「探偵物語」のファンだった人にはご理解いただけると思う。このテレビシリーズの探偵の松田優作と、刑事の成田三樹夫のからみなどは絶品であった。この作品も松田VS成田のからみがあったが、成田三樹夫は相変わらずの成田三樹夫。
 小生、成田三樹夫という俳優は大好きな俳優。「柳生一族の陰謀」では千葉真一と、「仁義なき戦い」では菅原文太とからんでいたが、成田三樹夫はやっぱり松田優作とからむのが一番面白い。おふた方とも鬼籍に入られた。まことに残念である。
 それはそうとして、大藪作品の主人公を演じた俳優は、この松田優作、草刈民雄、仲代達也と3人いるが、やはり松田が一番いい。監督は「遊戯」シリーズで松田とコンビを組んでいる村川透が自然の流れで勤めたが、はたして村川の演出でいいのだろうか。
 大藪春彦から銃と車を取れば、何も残らないとアホをいうやつもいるが、大(だい)大藪はそんな単純なものではない。大藪の小説というと、ハードなアクションといわれるが、大藪にはえもいわれぬユーモアがある。それも独特なブラックユーモアである。松田優作にも、さきほどいったようにコミカルな面がある。この大藪ブラックユーモアと松田コミカルを組み合わせたら、もっと面白い映画ができそうだ。そういうことを考えると、村川透は「遊戯」シリーズではいいが、大藪春彦原作となると適任とはいい難い。
「蘇る金狼」「汚れた英雄」「傭兵たちの挽歌」「野獣死すべし」などが大藪の代表作とされている。これらの作品に比べて忘れられがちの作品だが、「戦いの肖像」がある。小生の好きな大藪作品だが、初めは普通の現金輸送車強奪だが、だんだん話がでかくなってアメリカ海軍の原子力空母まで乗っ取る、壮大なホラ話だが、この作品を松田優作主演、監督岡本喜八で映画化したら、さぞかし面白い映画になったのではないだろうか。 
 で、映画「蘇る金狼」に話をもどそう。さっきもチラッといったが、ラストが衝撃的。このラストによって大人のおとぎ話だったのが、一気にシリアスな悲劇となった。
 成田三樹夫、小池朝雄、今井健二、南原宏治、岸田森、佐藤慶、安部徹、待田京介、これらの人たちがみんな出ていた。悪役脇役マニアにはこたえられない映画である。
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11月25日(火) Mちょん

 以前いたK電気なる会社に、Mなるご仁がいた。設計の課長さんだった。管理職ながらご自分でも機器の設計をなさる。ところが、このM氏、能力が不足しているのか、うかつなのか、このご仁が設計を担当した機器はたいてい品管でひっかかる。調べてみると、ほとんどが単純な設計ミスばかり。
 設計上のミスでも、品管で手直しできるものは品管で処理して出荷する。本当は、どういう手直しかを設計に連絡して、図面を修正してもらい、その後、手直しするのだが、出荷日が迫っているものばかりだから、さっさと品管で手直ししてブツを出荷して影も形もなくなってから、設計が図面を修正するのが現実。品管が忙しさにかまけて設計に連絡するのを忘れることがよくある。当然、図面はそのまま。同じ仕事がきたらまた同じミスを繰り返す。
 で、このM氏担当の仕事だが、あまりに手直しが多いため、品管は「M課長処理」と機器にエフをつけるだけ。M氏は部下を引き連れて設計者自ら手直し。自分でミスして自分で処理するのだから、いいかげん学習してミスを少なくすればいいものを、あいかわらず機器は「M課長処理」のエフだらけ。
 というわけで、社内に「Mちょん」なる言葉がはやった。「Mちょんぼ」という意味だが、これ、M氏のニックネームなのか、はたまたM氏が発生させる、ミスそのものを指す言葉なのか不明だった。
 このM氏、後に設計部長になった。秘密は「口」まあ、口から生まれてきたようなご仁で、調子のいいことばかりベラベラとよくしゃべる。このような人物が設計部長をやっているのだから、K電気がつぶれるのはムベなるかな。風の噂で聞いたのだが、このM氏、K電気がおかしくなると、とっとと関連会社に転職したとか。
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インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国


監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 ハリソン・フォード、カレン・アレン、シャイア・ラヴーフ

 蛇足とはこういう映画をいう。確かに、シリーズ1作目「レイダース/失われた聖櫃」は破天荒な面白さだった。2作目「魔宮の伝説」は、そこそこ面白かった。3作目「最後の聖戦」は、それなりに面白かった。これで終わっておけばいいものを、ルーカスやスピルバーグにどういう事情があったのか知らないが、なんでまた19年もたって4作目を作ったのか理解できない。
 面白ければいいが、まったく面白くなかった。確かに、こういう冒険アクション映画が好きな人で、このシリーズを初めて観る人ならば、この「クリスタル・スカルの王国」は面白い映画だろう。しかし、前3作を観ている人にとっては、おんなじことをやっているだけで、何度も乗ったデズニーランドのアトラクションと同じである。
 確かに、こういうシリーズ物の娯楽活劇映画は定番のパターンが決まっているだろう。主人公が、お宝をめぐって、奪い奪われの争奪戦を繰り広げつつ、危機になったり、敵をやっつけたり、ヒロインといちゃついたり、で、最後に、派手に大爆発なりなんなり、大きな見せ場を見せて、結局、最後はハッピーエンド。この映画もその通りの映画であった。
 寅さん、007、水戸黄門。長寿な人気シリーズは、必ずこのような定番のパターンがある。ところがこれらの作品は、パターンはパターンなりに、シリーズを重ねるごとに、少しづつ工夫をこらしていく。例えば、寅さんの場合、相手役のマドンナを変え、渥美清の年齢にあわせて、寅次郎の設定を少しづつ変え、観客に違和感を感じさせない工夫がこらされている。
 ところが、この映画はなんの工夫も、新しい発見もなかった。古いお客さんの懐かしさだけを頼りにした映画だった。ヒロインまで27年も前のマリオン(女優も同じカレン・アレン)を引っ張り出して、さすがに昔どおりにはできないから、インディじいさんとマリオンばあさんの漫才でお茶を濁していた。
 おん歳65歳のハリソン・フォードに昔のとおりのアクションを期待できないことは、スピルバーグにも判っていたらしく、マリオンの息子という若いのが、インディの相方を務めたが、こいつが、マーロン・ブランドかジョームス・ディーンもどきで、リーゼントのポマード頭にしょっちゅう櫛を入れながら、フォールディングナイフをちらつかせ、ハーレーなんぞに乗って登場するが、もどきは、しょせんもどきでしかない。
 それに、スピルバーグの悪いクセで、SFが判っていないくせにSFを作りたがる。なんだあのラストは。あれじゃできの悪い「とんでも本」にしかならない。それに、この手の娯楽アクション映画のスピルバーグの演出。もう鼻についてきた。飽きた。スピルバーグさん、もうそろそろ引退したら。 

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常夜鍋

 
 毎夜食べても食べ飽きないから「常夜鍋」という。ようするに豚肉のしゃぶしゃぶ。材料はシンプルに豚ロース肉と、ほうれん草だけ。タレはごまダレではなく、ポン酢を用意した。
 鍋に昆布を1枚ひいて水を張る。ここに酒を入れたり、しょうがで香りをつけたりしない。味は昆布だけ。シンプルに行こう。具も豆腐を入れたい、えのきを入れたい、くずきりぐらいは入れたい、と誘惑にかられるが、ぐっとがまん。豚とほうれん草だけ。シンプルでストイックな鍋にしよう。そのかわり、ほうれん草はたくさん食べよう。一人1把は欲しいな。豚肉は一人150gは食べたい。
 ポン酢は作ろう。市販のポン酢は、いわばメーカーの押しつけの味。手作りのポン酢なら、自分のお好みの味が作れる。
なに、難しくはない。醤油、だし(昆布鰹節)、かんきつ類の汁を混ぜ合わせるだけ。かんきつ類の汁は、ユズ、レモン、ライムの汁をミックスした。絞ってビン詰めにした市販品を使ってもいいが、できたら実を自分で絞ろう。今回は、ユズとライムは実を絞った、レモンはビン詰めを使った。
 これを、基本は同量で混ぜるが、お好みで酸味を増やしたいとか、薄くしたいとか、醤油味を濃くしたいとか、お好みしだい。食卓に醤油、だし、かんきつ類の汁を置いておいて、各人で好みに調合すればいい。
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ニラ玉丼


「こんちは。おじさん、いてる?」
「おう、おるで。まあ、上がり」
「あさって、博多へ発ちます」
「そうか。彼女は?」
「彼女は神戸に残ります」
「ふ~ん。で、式はいつあげるんや」
「来年になって、落ち着いたら神戸でやります」
「そうか、しばらくは一人暮らしやな」
「そうですねん」
「メシはどうすんねん。自炊か」
「外食しよ思もてますねん」
「そらイカンな。栄養かたよるで」
「ぼく、料理なんかできひんし」
「よし、ワシがええ料理教えたる」
「ぼくにもできるやろか」
「できるできる。簡単簡単」
「どんな料理ですか」
「簡単、早い、安い、3拍子そろった料理や」
「教えてください」
「ニラ玉丼や」
「丼もんですか」
「そや。材料はご飯、ニラ、卵、。調味料は酒、醤油、オイスターソース。これだけあったら、簡単でごっついうまい丼ができるんや」
「どうするんですか」
「中華鍋でニラを炒める。炒めすぎたらあかんで。そこに卵を割り入れる。調味料で味付け。卵がええあんばいに固まったら、メシにかける。これできあがり。どや、簡単やろ」
「そんなんで丼できるんですか」
「できるんや。所要時間5分もかからへん。おぼえとき」
「わかりました。ありがとう。おじさん」
「ほな、気つけて行っといでや。彼女、大事にせえや」


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雨中の戦士

 銃声が響いた。ろくに照準も合わせていないのだろう、当たるはずがない。
「撃ち方用意。撃て」
 こちらも上等兵が一人小銃を撃った。たぶん当たらないだろう。
 毎日午前十一時台。昼食前のあいさつみたいなものだ。自分たちは戦争をしているということを再確認するために最小限の銃撃戦を一日に一度は行う。
 雨が降り続いている。塹壕から上半身をだして射撃した上等兵が戻ってきた。びしょ濡れだ。
「どうだ敵の様子は」
「はっ。異常なしであります。少尉殿」
 四百メートル先にいる敵も同じような会話をしているだろう。
 戦線が膠着状態になってかなりの時間が経つ。いつからこうして敵と対峙しているのか記憶が定かでない。生まれた時からこうしているような気がする。
 そしてこの雨。降り始めはいつだったか分からない。気がついたら雨が降っていて、それからずっと降り続いている。塹壕の上にホロをしているから私や兵士たちは多少雨が防げるが、それでも身体は慢性的にずぶ濡れ。 ずいぶん前に司令部から無線連絡が入った。
「現状を維持せよ」という命令だった。その後連絡はない。そのうち無線機が故障して連絡が取れなくなった。
 物資は補給用のトラックが三台あるので食料も弾薬もしばらくはある。それに近くの山で獣が獲れるし木の実や食べられる植物がある。川で魚も獲れる。食料には困らない。
「少尉殿」軍曹が話しかけてきた。
「なんだ」
「自分たちはいつまでここでこうしていなければならないのでしょう」
「わからん」
「司令部は何を考えているのでしょう」
「わからん。俺たちは命令に従うだけだ」
「命令といってもずっと前の命令でしょう。その後状況が変わっているかも知れません。兵たちもそろそろ限界です。現地の指揮官である少尉殿が判断して行動してもいいのではないでしょうか」
「どうしろというんだ」
「敵と交戦して前進するか撤退するかご決断ください」
「なんの判断材料もないのに決断できるか」
 決断しないという上官の判断だ。軍曹は黙って立ち去ろうとした。
「待て軍曹。では、こうしよう。この雨がやめば決断する。それでいいな」
「少尉殿がお決めになられることです。自分に異存はありません」
 その後も雨は降り続いた。私は内心、複雑な心境だ。このままずっと降り続いて欲しい気もする。少なくとも状況はこれ以上悪くはならないから。良くもならないけれど。
 また、雨が止んで、次の段階へと私の背中をポンと押してもらいたい気もする。
 雨はいっこうに止む気配はない。毎日毎日降り続く。
 ある日、昼食前のあいさつを交わした。いつもの上等兵が一発撃った。誰が撃っても同じなのだが、いつの間にか彼の仕事になっていた。自分たちは戦争をしているんだという事を確認するための欠かせない日課となっていた。こちらが先に撃つ時もあるし、敵が先に撃つ時もある。
 ところがこの日は応戦の一発がない。
「どうしたのでしょう。弾が無くなったのでしょうか」
「そうかも知れんな」
「チャンスです。突撃しましょう」
 軍曹がいった。
「いや。これは何かの罠かも知れません。突撃は危険だと思います」
 もう一人の下士官がいった。
 指揮官たる私に決断を迫ってきた。
「明日まで待とう。明日はこちらからも撃つな。そして様子を見よう」
 明日になった。午前十一時を過ぎた。撃ってこない。昼になっても撃ってこなかった。「敵も同じことを考えるかも知れない。突撃してくるかもしれん。臨戦態勢をとって警戒を怠るな」
 私はそう軍曹に命じて腕を組んだ。この状況をどう解釈したらいい。

 その辺境の地の戦場にも放射性降下物が降り始めた。ずっと以前から降り続いている雨に含まれる放射能の濃度が致死量になった。 双方の本国は開戦と同時に全滅。わずかな距離を隔てて対峙する、二つの小隊だけが両国に残された唯一の軍隊だった。
 雨があがった。白骨を日光が照らす。前進か撤退か。決断する者は、もうだれもいない。戦争は永遠に続いた。 

                
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11月20日(木) 漫画ばかり読んでいるとアホになる?

 麻生首相が、漢字を読めないことが、話題になっている。麻生さんは漫画ファンとして知られていて、それに関連して、漫画ばっかり読んでいるから、麻生さんは漢字も読めないアホになった、漫画しか読まないから麻生さんはアホだ、とかいわれている。
 これ、漫画に対するいわれなき誤解といえよう。まるで麻生さんがアホなのは、漫画が原因だといわんばかりだ。漫画にはアホウィルスがあって、それを愛読している麻生さんが、ウィルスに感染してアホになったといいたいのだろうか。
 漫画は別にアホウィルスを持っていない。現に漫画愛読者で、漢字もちゃんと読める賢い人はたくさんいる。ただ、漫画しか読まない人はアホになるといえる。麻生さんが漫画以外にどんな本を読んでいるのか知らないが、本当に漫画しか読まない人だったら、麻生さんのアホは漫画が原因といえる。
 これは、別に漫画だけのことではない。なにか、ものごとを、一つしかやらない/できない人は、アホになる。本を読むと賢くなるといわれるが、本ばかり読んでいるとアホになる。本だけではない。テレビばかり観ているとアホになる。ゲームばかりしているとアホになる。
 勉強ばかりしているとアホになる。名門進学校。ここ神戸でいえば、全国的に有名なN高校。ここの生徒は賢い子ばかりだとお思いだろう。賢い子も確かにいるかもしれない。しかし、この高校の生徒のように勉強ばかりしている/勉強しかしない、子はアホになる確率が高いと小生は思う。このN高校から東大法学部に進学し、霞ヶ関あたりの公務員になった連中にもアホは多いだろう。連中は別に賢くない。受験技術に長けているだけだ。
 どんなことでもそうだ。健康に良いとされる食べ物でも、それだけ/それしか、食べないと身体をこわす。
 漫画も読み、その他の本も読み、酒も飲み、趣味を楽しみ、少しは挫折を知り、極楽を見て、少しだけ地獄も見て、失敗し、成功し、勝って、負けて、喧嘩し、仲良くなり、奥さんに叱られ、奥さんを叱り、リストラし、リストラされ、どんなことでも、一通り経験した人こそ本物の賢人といえるのではないか。
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11月19日(水) 京都・丸竹夷にない小路

 NHKのハイビジョン特集「京都・丸竹夷にない小路」を見た。近来まれに見る出色のテレビ番組であった。
 ♪まるたけ えびすに おしおいけ あねさん ろっかく たこにしき。丸 竹 夷 二 押 御池 姉 三 六角 蛸 錦。
 これは京都の街を東西に走る、通りの名前を覚える数え歌。京都は東西南北に碁盤の目のように道路が区画され判り易い、とされている。確かに観光に来て、定番の観光スポットをみてまわるだけなら判り易い。四条、三条、河原町、御池、烏丸といったメインストリートを歩き回るにはわかりやすいだろう。
 ところが京都という街は、そんなとっつきやすい街ではない。上記の数え歌に出てこない小さな路地がいっぱいある。
 大きく碁盤の目に区切られたブロックは、さらに小さな「辻子(ずし)」「突き抜け」と呼ばれる路地が、まるで毛細血管のように入り組んでいる。人がやっとすれ違える2mもないような、名もない路地。カメラはこの路地の奥の奥にまで入っていく。
 そこには、昔からそこにいる家主さんがいて、借家が軒を接するように立ち並んでいる。そこは、時代劇、上方落語そのままの世界。店子として住んでいるのは若いクリエイターが多いのは、新しい文化発信の地でもある京都らしい。
 家主のおばさん、お茶屋の女将さん。何人かの京都の年輩の女性が出てきたが、ものすごく耳に心地よい、はんなりとした、やわらかい京言葉で話される。いつまでも、おばさんのお話を聞いていたかった。
 民放でよくやっている、アホタレントが「グルメと温泉の旅」などといって、「キャー、おいしい」「ワッ、すてき」「すんごく、きれい」などと叫んでいるバカ番組では絶対に見ることができない京都が見れた。京都の非常にディープな部分、一見さんお断りではない公道ではあるが、地元民以外は足を踏み入れ難い路地だが、思い切ってこういう路地に歩を進めると、素顔の京都が見られる。そこは、まさしく迷宮。一見すると狭いようだが、ものすごく広大な空間が、そこに広がっている。まさに異次元の京ワールドだ。森見登美彦の世界だ。
 映像は斬新で、大変に美しかった。まるで市川崑監督の映画をみているようだった。非常に質の高い番組であった。再放送のおりには、ご覧になることを強くお勧めする。 
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11月18日(火) 新・浪速の爆笑王 桂雀々

 上方演芸ホールを観る。今回の演者と演目は。

 林家染雀 軽業
 桂雀々  夢八

 染雀さんの「軽業」は、小拍子、張り扇をふんだんに使い、はめもののお囃子も非常に多く、大変ににぎやかな噺。染雀さんの聞きやすく、華のある噺っぷりが、この噺によくあっていた。高座の上に、派手でにぎやかな染雀ワールドが繰り広げられていた。
 
 雀々さん。もうそろそろ、師匠枝雀が持っていた「浪速の爆笑王」の称号を受け継いでもいいのではないか。今回の「夢八」で発せられた、爆笑パワーは普通じゃなかった。高野豆腐を食う。おにぎりを食う。それだけの所作で死ぬほど笑わせられた。
 枝雀の落語は、天衣無縫に見えて、実は緻密に計算された笑いだった。枝雀特有の「緊張と緩和」理論に基づいて構築された、精密機械のような落語だ。とくに小米から枝雀を襲名した直後の、若いころは、笑いを取ろうとした計算が垣間見える時があり、観ていてそれが痛々しい感じすらした。
 晩年は、さすがに芸が円熟してきて、計算を感じさせずに噺が聞けるようになり、ご存知の通り「浪速の爆笑王」となった。
 枝雀は枝雀落語の到達点として、高座に上がってニコニコする、客もそれを観てニコニコする、演者、客、双方ニコニコするだけで、一礼して下がる、という境地に達したいと考えていた。枝雀自身も、計算せずに自分の存在そのもので「笑い」を取りたかったのだろう。私たち枝雀ファンは充分にあれでも面白かった。ところが枝雀自身は枝雀落語の頂まで道遠く、その道のあまりの遠さに絶望して、枝雀落語に自ら永遠にピリオドを打ったのではないか。
 師匠枝雀に無くて、弟子雀々にあるもの。それは「狂気」ではないか。雀々は今回演じた「夢八」や「代書」「手水まわし」などの噺で、興に乗ってくると、一線を越えたなと感じる時がある。
「狂気」というと誤解を招くかもしれない。どういえばいいのだろう。うん。計算せずに、雀々自身が本来持っていた、いや、こういうと雀々に失礼だ。彼が入門してから今まで磨いた芸の力が、予想外のパワーを生み出してしまう。
 少年ジャンプ連載の「ワンピース」に百計のクロというキャラが出てくる。こいつが「杓死」という技を使う。凄まじいスピードで走りながら手に付けた刃物を振るう技だが、クロ自身がどこをどう切っているのか判らない。ハッと気がついたら、クロの周囲は敵も味方も切り刻まれた死体の山。おそろしい技である。
 雀々の落語もこの「杓死」ではないか。雀々自身もどこをどう演じているのか判らない。ハッと気がついたら客は大爆笑。ひょっとすると、この「狂気」によって雀々は枝雀を超えつつあるのかも知れない。
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11月17日(月) ペンネームの由来

 この雫石鉄也というのはペンネームである。もうずいぶんこのペンネームを使っている。
 大昔、小生は深夜ラジオの愛聴者だった。ABCの「ヤング・リクエスト」MBSの「ヤング・タウン」などをよく聴いていた。これらの番組は11時始まりで比較的早く終わる。深夜族だった小生は、それでも寝なかった。それからは東京の放送局の番組を聴いていたが、関西人の小生は、もひとつなじめなかった。
 そんなある日、MBS毎日放送が、ヤング・タウンが終わった後、新しい番組をスタートしていることに気がついた。なにげなくチューニングを合わせると「ボラボラ」というおじさんが、とつとつとしたおしゃべりで、南の島を探検した話をしていた。この番組が「チャチャヤング」ボラボラといってるおじさんが馬場章夫氏だった。
 なかなか面白そうな番組やん。毎日聴いてやろう。と、いうわけで明日も聴いた。次の日の担当は谷村新司という歌手。ロック・キャンディーズというフォークグループのメンバーだった。谷村氏はその後、堀内孝雄たちと「アリス」を結成する。
 次の次の日も聴いた。この日は担当が意外な人だった。眉村卓氏。このころから小生はSFファンだった。もちろんSFマガジンなどで眉村氏のお名前は知っていた。この当時のSFマガジンの連載は、眉村氏の「EXP87」だった。へー、あの眉村さんがこんなことをするんだ。と、意外に思った。小松さんは桂米朝師匠とOBCで「題名のない番組」をやっていたし、筒井さんなら、ラジオのパーソナリティぐらいやりそうだが。
 眉村氏のおしゃべりは誠実で非常に好感が持てた。そうこうしているうちに眉村氏がSF作家ということで、ショートショートが投稿されるようになった。それを眉村氏が1作1作ていねいに紹介され、批評を加え、ABCのランクづけをされた。このショートショートコーナーは番組の名物コーナーになった。
 小生も毎週のように投稿して、いつしか常連となった。投稿にあたってペンネームを考えた。地図帳をめくっていたら、岩手県の雫石という町が目についた。よし、これをペンネームにしよう。下の名の鉄也はオヤジが考えていた、本名の候補。本名はオヤジの名から1字とった別の名前になったが、鉄也はひょっとしたら本名になったかもしれない。
 そして1971年雫石町上空で、自衛隊機と全日空機が空中衝突する事故が起きた。小生、このペンネームは事故以前から使っていたが、さすがにこの事故の後は「雫石」のペンネームを使う気にならなかった。
 チャチャヤング終了後、ショートショートコーナーの傑作選が講談社から単行本で出版された。小生の作品も収録された。この本では「雫石鉄也」名義ではなく別名義を使った。
 その後、チャチャヤングのショートショートコーナー常連たちが集まって、同人誌を結成した。小生も参加した。そこで、書く時のペンネームを、元の雫石鉄也で書くようになった。ほどなく「星群の会」にも入会。二つの同人誌に雫石鉄也名義で作品を発表していた。
 本名だけ名乗っていた時間より、本名と雫石鉄也のペンネームの二つの名を名乗っている時間の方が長くなった。雫石鉄也とも長いつき合いだ。いつか、岩手県雫石町を訪れたいと思っている。


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