goo

阪神タイガースの「ハレの日」は終わったか

 阪神タイガースは昨年の雪辱を期して、今年こそ優勝、そして2003年の「忘れ物」を取り戻して日本一になる予定であった。昨年は2位巨人を最大13ゲーム引き離して、ぶっちぎりの独走態勢を作ったのだが、結果はご存じのとおり。さぞかし切歯扼腕された同好のお歴々も多かったろう。
 かくなる上は、新監督真弓明信氏の指揮のもと、選手一同、捲土重来を期し、ペナントを奪取するはずであった。ところが、6月を終って、セリーグ5位、首位巨人とのゲーム差13.5。借金8のていたらく。誠にもって情けない限りである。
 交流戦での巻き返しを期待したが、逆に借金を増やすばかり。昨年までは鉄壁のリリーフJFKも、久保田は今季はいまだ2軍。開幕以来不安定だったウィリアムスもとうとう登録抹消。前半戦は絶望とのこと。藤川一人が残った。
 もちろんこの時点で優勝をあきらめる必要はないだろう。しかし、4月の開幕以来の阪神の戦いぶりを見るにつけ、優勝は無理と見るのが客観的な見方だろう。小生とて骨の髄からの阪神ファンにつき、阪神の上位上昇を望みたい。しかし、小生の望みは望みとして4位がいいところではないだろうか。
 タイガースのお膝元、兵庫県西宮市の甲子園の歓声が聞こえる所で生まれ、神戸で育った小生は生まれた時から阪神ファンと自分では思っている。そんな小生にとって、2003年に18年ぶりの優勝を成し遂げて以来の阪神タイガースはいわば「祭り」の状態であった。
 2003年の優勝から昨年2008年の岡田監督の5年間の阪神は、民俗学でいうところの「ハレの日」であった。5年も「ハレの日」も続いたのである。そして今年2009年は「ケの日」ではないだろうか。
「ハレの日」は非日常の日である。だからこの日は、きれいな着物を着て、赤飯、尾かしらつきを食べる。ところが「ハレの日」は続かない。必ず「ケの日」毎日の質素な生活に戻る日が来る。そう「ケの日」は日常の日々。生まれてから、死ぬまでずっと続く毎日の生活である。そこにはなにも心浮き立つことはない。たんたんと一日一日を過ごすだけ。「ケの日」の人の心は、無風の水面のごとし。水は、波たたず、静かに流れるべきところに流れていく。真に心の平安を得るのは「ハレの日」ではなく「ケの日」ではないだろうか。
 わが阪神タイガースは長い暗黒時代を過ごした。あれは「ケの日」だったのである。阪神には勝って欲しい。しかし、今季の阪神タイガースを見るに、不思議に心が落ち着く阪神ファンは小生だけだろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

野球が3回までやったら阪神の勝ち

 1回1点。2回3点。4対0で、先発下柳3回をパーフェクトに押さえる。こりゃあ勝てるかなあと思とった。ところが、今の阪神打線。序盤に4点とるのに全精力を使い果たしたらしい。あとは中日の繰り出すピッチャーに0におさえられて追加点取れず。もし野球が3回までやったら阪神の勝ち。ところが、3回以降流れはずっと中日に行ったきり。じわりじわりと詰め寄られ、ドッカーン、6回に藤井に満塁ホームラン打たれて万事休す。今の阪神には逆転する気配はない。渡辺、江草、アッチソンたち勝ちパターンピッチャーをムダに使こうただけ。
 しかし中日はイヤな野球するな。走りほうだい。チクチクと針でつついて、最後にオノで首を落とす。その中日の上にヤクルトが、さらにその上に巨人がいる。こりゃ阪神優勝はムリやな。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

つみきのいえ


監督 加藤久仁生
アニメーション

 おじいさんがレンガ造りの家に一人で住んでいます。おじいさんの家の周りは海が広がっています。釣りをして、魚を食べ、ワインを飲みます。
 ある日、おじいさんは家の屋上に上がって、レンガを積んで新しい部屋を造りました。そして、上の階の新しい部屋に引っ越します。
 おじいさんの家は、こうして上へ上へレンガを積み上げた、何階建てもの家になっています。なぜ、おじいさんの家はこんな構造になっているのでしょう。下の階ほど古い想い出が詰まっているのです。ところが下の階には簡単には行けません。
 おじいさんが若い青年だったころ、娘時代のおばあさんと知り合って結婚しました。若い新婚さんは自分たちが住む家をレンガで造りました。子供ができました。上の階を造りました。子供が大きくなりました。上の階を造りました。
 孫ができました。子供たちは独立しました。おばあさんが亡くなりました。上の階を造りました。
 おじいさんは想い出の上で暮らしています。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

阪神サヨナラ勝ち。事象の地平線一歩手前でとどまる

 横浜よりようけヒット打っとんのに2対0で負けとう。チャンスは作るけど、よう点入れよらへん。こりゃセリーグ再開早々に最下位横浜に、甲子園で負け越し。暗黒時代のブラックホールになるかなと思とった。
 ところがブラックホールにはならず、なんとか「事象の地平線」一歩手前で止まった。阪神タイガースはブラックホール入りは防いだんやから、中性子星とまでは行かず、なんとか白色矮星程度でセリーグを行ってもらいたいもんや。
 阪神の「落下」をシュバルツシルト半径手前で止めたのは関本の「必死のパッチ」の一打。考えてみたらすごい一打や。アイシュタインの相対性理論を超越した一打やね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

広東風焼きソバ


 ワシは麺が大好きや。冬はラーメンやなんか汁っけのある麺を食うとるけど、夏は焼きソバやな。お好み焼き屋風のソース焼きソバもええけど、きょうは広東風のあんかけ焼きソバを食べよう。
 何より大事なことは、麺と具を完全に別個に調理することや。まず麺。水で洗ってゴマ油を軽くまぶして良くほぐしておく。充分に油ならしした中華鍋でソバを焼く。不十分な油ならしやと、麺が鍋底にくっつくで。麺を鍋の中をぐるぐる回しながら、片面に焼き目がつくまで焼こう。焼けたら、ひっくり返して、もう片面を焼く。麺がパリッとなるまで焼こうな。
 次に具やがな、豚肉、干し椎茸、ニラ、ピーマンを用意した。豚肉は、醤油、酒、しょうがの汁で下味をつけておくんや。干し椎茸は一晩水につけて戻しておく。ニラは食べやすい長さに切る。ピーマンは炒めゆで
 下味がついた豚肉はさっと油通ししておこう。鍋に炒め油を取り、にんにく、しょうがで香りつけ。ピーマン、干し椎茸、豚肉を入れて炒めるんや。最後にニラを入れてから、酒、醤油、オイスターソースで味付け。スープを注いで水溶き片栗粉でとろみをつけたらあんのできあがりや。
 お皿にソバを盛って、あんをかけて広東風焼きソバができたぞ。さ、食おうやないか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

チンジャオロースー


 はーい、よい子のみんな元気かなあ。もうすぐ夏休みだね。海や山にキャンプに行くのかな。キャンプの終わりには、ペンライトを振りながら「い~つまでも絶えることなく と~もだちでいよう」と唄うのかなあ。
 ところで野菜食べてるう。夏休みに肉ばかり食べてちゃダメだよ。夏には夏においしい野菜をいっぱい食べようね。夏の野菜といえばピーマンだね。
 この中でピーマンの嫌いなお友だちはいるかなあ。手を上げて。うわあ、いっぱいいるねえ。
 よし、では、おじさんがピーマンをおいしく食べられるお料理を教えてあげよう。あ、心配しなくてもお肉も、ちゃんと入れてあげるから。
 ピーマンと牛肉の炒め物。チンジャオロースーといいます。漢字では青椒肉絲と書きます。難しい字だね。
 牛肉は細切りにして醤油、酒、すりしょうがで下味をつけて置く。牛肉は繊維に沿って切らなくちゃだめだよ。切り方を間違えると肉がバラバラになっちゃうよ。
 ピーマンも細切り。中華鍋をカンカンに熱して、細切りピーマンを入れる。少し炒める。すぐチンチンに沸騰したお湯を入れる。炒めてゆでる。炒めゆで。おじさんはピーマンはいつもこうしている。青臭さが抜けてピーマンの甘さが際立つよ。ピーマン嫌いもこうすれば、おいしく食べられるからね。
 あと、牛肉を炒めて、炒めゆでしたピーマンを加える。野菜はほかに長ネギ、に、もやしも入れよう。味付けに塩、こしょう、砂糖、醤油、オイスターソースを加えて出来上がり。さ、良い子のみんなピーマンをたくさん食べよう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

伊賀の影丸

 
横山光輝          小学館

 横山光輝は昭和の漫画家で、最も手だれの漫画家ではないだろうか。見やすくきれいな絵、判りやすくテンポの良いストーリー、魅力的なキャラ。映画でいえば一級のB級プログラムピクチャー(おかしな矛盾したいい方だが)の作り手、昔の東映の監督でいえば石井輝男といったところか。
 横山の代表作は「鉄人28号」が上げられるが、上記のような横山の職人芸が最も冴え渡っていたのは本作だろう。
 特技をもった少人数の技能集団が、団体戦を繰り広げるという、少年漫画のパターンを作ったのは本作だ。映画であれば黒沢の「七人の侍」小説なら山田風太郎の「甲賀忍法帳」そして、漫画では本作「伊賀の影丸」がその嚆矢といってもいいのではないか。
 主人公の影丸は幕府の隠密。直属の上司は服部半蔵、その上司は松平伊豆守、トップは徳川将軍である。組織の人間である。仕事は幕府にあだなす不貞のやからを退治すること。実にシンプルである。
 影丸は同僚の伊賀忍者数人と(たいてい7人か5人ていど)ともに、敵方の忍者数人(上記同様)と忍術バトルを繰り広げる。本作のすべての作品はこのパターンの繰り返しである。だから、忍者がどういう忍術を持っているか、どの忍者がどの忍者と戦うのか、その興味で読ませる漫画である。
 出てくる忍者は必ず、自分だけの術を持っている。どういう術を創出するかは作者の腕の見せ所だが、じつにバラエティ豊かな術で満足させられる。例えば影丸は木の葉を使う術だ。その他、分身の術、カメレオンの術、催眠術、火術、縄術などなど。
 これらの個人持ちの術だけでは、優れた忍者とはいえない。これらの術に加えて基本的な体術、剣術、手裏剣術なども優れていないといけない。
 影丸は幕府隠密団のエースである。影丸は木の葉の術もさることながら、これらの忍者としての基本が非常に優れている。主人公たる影丸が、基本となる技術に優れているから、それの相手となる敵方の忍者の術が充分に楽しめるのだ。このへんの兼ね合いはプロレスとおなじ。
 ウリとなるワザ。力道山なら空手チョップ。馬場なら16文キック。猪木なら卍固め。これらのワザを振るいつつも、彼らはボディスラムなどの基本のワザがしっかりできる。だから彼らは一流のプロレスラーなのだ。基本ができているから相手のワザをしっかり受け止める。だから、観客は彼らのワザも相手のワザも楽しめるのだ。
 影丸もこれと同じ。基本の術が一流だから、相手の術を受けられるのだ。基本がダメだと相手の術で死んでしまう。これでは忍術漫画の主人公は務まらない。

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )

元県議、勝手に公園に自分の銅像

 福井県の元県議が、県の公園に自分の銅像を立てようと、勝手に公園を工事し始めた。この元県議、県会議長も努めたこともあるじいさんで、県から許可をもらったと公園事務所にウソをついて工事を始めたとのこと。ウソがばれて中止命令がでても、じいさんはあきらめず、公園の近くに土地を買ってあくまで銅像を造るつもりらしい。この公園を造るのに自分は尽力したのだから、自分の銅像を建てたいらしい。
 晩節を汚すとはこういうことをいう。銅像なんてもんは、後世になって、故人の遺徳を偲び建てるものだ。それを自分で自分の銅像を生きている間に建てようなんで厚かましいもほどがある。このじいさん84歳だそうだが、そんなに生きて恥というもんを知らんのか。
 この公園を造るに当たって、このじいさんは県議時代には、根回しをしたりして、県会を動かし、公園建設に働いただろう。しかし、それはあくまで県会議員としての仕事でやったことで、そのため議員報酬をもらっているはず。今後は自分の土地に銅像を建てるらしいが、なぜ最初からそうしなかったのか。自分の土地なら、銅像を建てようがテーマパークを造ろうが自由である。それが面白ければ、パラダイスやゆうて小枝さんが来るかも知れん。
 公園を造るのに尽力というと、黒沢の名作「生きる」を思い出す。あの映画の主人公、渡辺課長はガンに身体を蝕まれながら、小さな公園を造るのに執念を燃やす。そして出来上がった公園で、満足そうな顔でブランコに揺られながら死んでいく。月日がたち、この公園を造るのに尽力したガン患者のことはみんなの記憶にないだろう。元県議と渡辺課長ではどっちが気高い。どっちが美しい。
 いっそのこと、福井県庁の正門の前に、このじいさんの銅像を建ててやったらどうか。もちろん、ことの顛末を詳細に碑文にして。そして、こんなバカに議員をさせておいた、福井県の有権者の反省の一助としよう。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

阪神快勝。真弓さんのおかげ

 セリーグ再開。ものすごく久しぶりに阪神の野球を見る。禁断症状が出かかっていた。10月からのシーズンオフは毎年どないしとんねやろ。
 ひさびさのセリーグで阪神快勝。ま、横浜相手に甲子園で快勝せんかったら、どこでどこ相手に快勝すんねやろ。あいかわらずミスが目につくけど。
 江草、ブラゼル、狩野、関本、元気いっぱい。アニキ影薄し。桜井ぜんぜんダメ。安藤アップアップ。それでも快勝。
 真弓さんのおかげか。住吉大社の真弓宮司さんのお払いのおかげか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

とつぜんリストラ風雪記 31

とつぜんリストラ風雪記 30

 3月17日に購買課長が辞めて、購買課は課長不在だったが、4月に入って新任の課長が決まった。経理にいた若いのが購買課長となった。
 購買課で小生が一番の年長。この若いの、小生以外の課員どもとは和気あいあいと仲良くやっている。小生とは視線を合わさない。購買課に初めて来た時、席まで小生があいさつに行くと、コクリとうなずいただけ。無礼なやつ。生意気なやつだ。

2005年4月25日(月)
 午前中のことである。あたりが騒がしい。騒然とした雰囲気。数多くの救急車が走り回っている音が聞こえる。上空を何機ものヘリコプターが飛んでいる。阪神大震災の時のような感じだ。家から電話。「職場は尼崎でしょう。えらい事故が起きたそうよ。だいじょうぶ?事故に巻き込まれていないか心配で」事故現場はJR尼崎の北、NP社は南。
 無事と返事してすぐインターネットでニュースを見る。JR尼崎駅ちかくで電車脱線事故。107名の死者を出して大惨事となったJR福知山線脱線事故を、小生はこうして初めて知った。この時、小生がいたNP社と事故現場は1キロも離れていない。
 K電気での最後の職場は伊丹だった。駅は事故車がオーバーランした伊丹駅だった。事故現場は毎日通っていた。当時は毎週月曜日、伊丹から吹田工場での工程会議に出席していた。伊丹から尼崎で乗り換え、東淀川で降りて吹田工場まで徒歩。この時、伊丹から尼崎までは、事故車と同じ同志社前行き快速電車にも乗った。時間も事故発生時間と同じ時間帯の午前9時過ぎ。事故の時間軸が2年ずれていたら、小生もあの事故に遭遇していたかもしれない。大事故、大惨事、大災害の類いにあうのは阪神大震災だけで勘弁して欲しい。
 帰りの電車に乗るのが恐い。新聞、テレビのニュースで死亡者、けが人の名前をチェックする。知人友人の名前はない。とりあえずひと安心。

4月26日(火)
 今日も一日中、上空をヘリコプターが飛びまわっている。低空を飛行するため非常にうるさい。警察、消防のヘリなら致し方ない。がまんできる。ところが報道のヘリが多いようだ。
 阪神大震災の時もそうだった。救援物資のヘリなら大歓迎だが、報道のヘリはうるさいだけだ。無性にハラがたつ、あの時手元にスティンガーでもあれば撃ち落していただろう。
 帰宅後、テレビでニュースを観る。ヘリからの映像も映していた。各局、同じような映像を使っていた。あれじゃ、あんなに大量のヘリを飛ばさず、代表取材の1機を飛ばして、その映像を各局で使用すればいいだろう。ともかく、災害にあって苦しんでいる人の頭の上でパラパラとヘリコプターを飛ばすのは最低限にするべきだ。

4月28日(木)
 休みの前日なので定時に退社するつもりでいた。4時ごろ残業をいいつけられる。購買の仕事ではない。工作の仕事。配線を間違えたとか。ハンダ付けを外して、新たにハンダ付けし直す仕事。10時ごろまでかかる。NP社は時間外手当は出さない。サービス残業なり。
 4月に入ってから経理をやっていた若いのが購買課長として購買課を取り仕切っている。やつは購買の経験はない。もちろん電子部品に関しても素人。小生以外の購買課員に、取引先のことや電子部品の基礎知識を教えてもらっているようだ。その課長が購買のプロたる小生に、購買の心構えなどを説教する。どうも部長にいわれたらしい。ストレスがたまる。胃潰瘍を再発しそうだ。
 業者に納品方法に関する書類を作成して、発送しようとしたら課長が見せろという。いっぱい赤字で添削して返ってきた。赤字の部分を見直すと、まっとうな文章を、むりやりまっとうでない文章に改悪してある。購買業務のベテランで、元コピーライターで、この手の書類はゲップが出るほど書いてきた。
 せっかくNP社に採用されたのだ。がまんしなくてはいけない。例え犬が課長であっても、へいへいということを聞かなくてはいけない。やつは購買の素人だが、いちおう人間だ。

(追記)
 この時の小生は中高年の転職者が、絶対にしてはいけない心構えをしている。プライド。中高年の転職者にとって、これほど邪魔なものはない。
 長年、同じ仕事を続けて、その収入で家庭を持ち家族を養ってきた。当然、自信も自負もあるだろう。しかし、その呪縛から逃れられず、新しい職場で、それが出てくれば必ず失敗する。耐えがたいことだが、プライドは心の奥深くにしまい込んで、虚心坦懐に新たな環境になじまなくてはいけない。
 実はこの4月28日の記事は書かないつもりだった。今となっては、かようなことを考えていたことが恥ずかしい。こんなことは人に知られたくない。しかし、小生と同じような失敗をする人がいて欲しくないので、あえて書いた。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

生命40億年全史


リチャード・フォーティ 渡辺政隆訳           草思社

 太古の生き物に興味を抱く人は多い。人気の時代は、生命の大爆発が起きたカンブリア紀と、大スター恐竜を擁するジュラ紀だろう。大河歴史ドラマでいえば、戦国時代のカンブリア紀、幕末のジュラ紀といったところか。
 ところが、いままでの古生物モノはいわばバラ売りであった。ベストセラーになったグールドの「ワンダフル・ライフ」もカンブリア紀だけだった。本書は生命が地球に誕生してから、現生人類誕生まで、40億年を一気通貫に語りおろした。いわば、地球という舞台で繰り広げられる大河ドラマと考えてよい。
 歴史の教育に疑問がある。なぜ日本史と世界史を分けて教える。歴史というものは、それぞれ連携しあって動いているものだろう。1543年種子島に鉄砲が伝来。伝えたのはポルトガル人。これを1543年という年号や種子島ポルトガル人といった単語を丸暗記してなんの意味がある。
 なぜ、ポルトガル人なんだ。彼らはなぜユーラシア大陸の西の端から東の端までやってきたのか。彼らの当時のヨーロッパでの立場、といったこともあわせて教えないと、本当に歴史の教育とはいえないだろう。日本史、ヨーロッパ史、東洋史をバラバラに教えて意味があるか。例えば、関が原の合戦の時、ヨーロッパでは何があった、インドでは何があった?
 私たちは日本人だから、日本史を背骨として歴史を考えがちではないか。日本の歴史にメインのカメラを固定して、時々、手持ちのカメラで西洋の歴史を映しているようなことをしていないか。
 私たち人類は、動物界、脊索動物門、哺乳網、霊長類である。生命の歴史を考えると、上記の歴史教育の文脈にあてはめると、カメラを固定しているのは、人類が所属しているこれらの生命の系列である。本書もそのカメラワークしかできなかった。
 原初生命→藻類→植物→無脊索動物→脊索動物→魚類→両生類→爬虫類→哺乳類。この流れは人類を日本人に代入すれば、日本史に当たるだろう。もう一つの大きな流れ、節足動物から昆虫という大きなグループがあるはず。本書を読んでいて、今の歴史教育に感じている上記のごとく不満を感じた。人類をメインストリートとする生命の歴史ではなく、もっとパラレルに生命の歴史を描写して欲しかった。例えば、魚類が上陸して両生類となろうとしている時、昆虫はどうしていた。白亜紀末期の恐竜が絶滅した時には、無脊索動物たちはどうしていた。
 それにもう一つ不満がある。太古の世界の描写は巧みで、読んでいて、あたかもカンブリア紀の海中や石炭紀の森の中にいるような気分にさせてくれるが、肝心なところは逃げている。
「物質」が生命を得て「生き物」に変わった瞬間、植物が動物に変わった瞬間、魚類が両生類に変わった瞬間、猿が人類に変わった瞬間が描かれていない。もちろんそんなことは無理なことは判っている。現代の古生物学では解明されていないのだろう。でも、著者なりの、フォーティ博士の個人的は考えだけでもいいから書いてもらいたかった。そこまで研究が進んでなくて、不確実なことは書けない。確かにそうだろう。しかし、学術論文ならいざしらず、本書のような本であればそれがゆるされるのではないか。

  
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

セブンーイレブン・ジャパンに排除措置命令。加盟店に圧力かけるな

 コンビニの弁当やおにぎりは売れ残れば廃棄している。これがもったいないと、セブン-イレブンの加盟店が、売れ残りそうな商品を値引きして販売していた。これに対してセブン-イレブン・ジャパンが圧力をかけて、値引きを止めさせていた。
 公正取引委員会が、このセブン-イレブン・ジャパンの行為を不当であると判断、排除措置命令をだした
 消費者としてはこの公正取引委員会の命令を歓迎する。われわれ消費者は安全で安価な商品を提供してくれればいい。このセブン-イレブン・ジャパンの不当な加盟店への圧力は、消費者にとっても加盟店にとっても何一つメリットはない。あるのは企業の利潤を上げることだけだ。
 最大手のセブン-イレブン・ジャパンに、かような命令が出たことは、当然、コンビニ業界全体に影響がでて、業界全体にとって、ゆゆしき事態との声もあがっているそうだが、本来は消費者と、消費者に直接接して日々販売に携わっている販売店を第一に考えるべきところが、自分たちの利潤第一に考えてきたから、このような公取委の、当然の命令にあわてるのだ。かくなる上は、公取委の命令を素直に受け入れ、改善に努めてもらいたい。
 なぜ、セブン-イレブン・ジャパンはこのような圧力を加盟店にかけたのか。ようは商品をたくさん売って欲しいのだ。客が弁当を買いに来たら店に無かった。ということを恐れているのだ。だから加盟店にたくさん仕入れされる。当然、売れ残る。それは廃棄して、次の商品を仕入れさせたい。それが値引きして売られると、加盟店に流す商品の量が減る。セブン-イレブン・ジャパンの利潤が減る。
 モノを売るという行為。営業の力が問われる。書店のビジネス書の棚に行けば、「モノを売る」ための本がたくさんある。
 ところが企業活動において、モノを売る力と同等か、いやそれ以上に大切なのはモノを買う力なのだ。
 いにしえの船場へんの商家では、モノを売る番頭と、モノを買う番頭では、仕入れ番頭の方が格が上とされてきた。かういう小生も、このブログをご覧になっている方ならお判りかと思うが、今も、そして昔も、ずっとモノを仕入れる、買う仕事をやって来た。そして、今も、昔も、資材購買で会社の利益を生み出すとの信念で仕事をしてきた/している。
 購買業務で絶対に避けなければならないことが二つある。在庫がゼロになる。不良在庫を出す。月に120個使用する部材で、設定された最低在庫数が10個なら、毎月月末に10個になり、月初めに120個発注。こういうサイクルで購買業務をやるべきだ。
 そのためには、いま会社が生産しているモノの種類、量、これから生産予定のモノ、これらを総合的に判断して発注量を調整しなくてはならない。月120個が150個になるかもしれないし、90個になるかもしれない。
 このあたりが購買仕入れ担当者のウデの見せ所である。だからこそ購買係として会社からお給金を取っているのだ。
 セブン-イレブン・ジャパンの仕入れ担当はこれができていない。在庫切れを恐れて必要量以上に弁当やおにぎりを仕込む。それを加盟店に押し付ける。売れ残って加盟店が値引きして売ると圧力をかける。自分たちの無能のツケを加盟店に押し付けているのだ。
 全国の加盟店で売れ残りなし、とこういう仕入れをしてみろ。売れ残りゼロは無理としても、極力売れ残さず、かつまた、店頭から商品がなくならないように、こういうワザができてこそプロというもの。
 セブン-イレブン・ジャパンさん、加盟店に圧力をかける前に、自分たちの仕入れ力を強化するのが先だろう。
 
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

桂春輔に花束を

1985年神戸でのSFフェスティバル「ユニコン」で口演中の桂春輔師匠。 

 上方落語ファンにとってNHK大阪ほどありがたい放送局はない。関西の放送局で上方落語を定期的に放送してくれるのはここだけ。小生など、このために受信料を素直に支払っているぐらい。阪神ファンにとってのサンテレビのようなもの。
 上方演芸ホールのワクで「よみがえる落語名人芸」という企画をやっている。物故した落語家の芸をたっぷり見せている。
19日は6代目笑福亭松鶴師匠の「高津の富」と、5代目桂文枝師匠の「三十石」をやっていた。
 文枝師匠、この高座の時はまだ小文枝と名のっておられた。だいぶんお若い。お若いが、ねちゃーとした噺ぶりは晩年と同じ。文枝師匠、若いころからあんなしゃべりかただったのだな。「天王寺まいり」もそうだが、文枝師匠の情景描写は絶品である。伏見の浜から、三十石船の船中の様子が、ありありと、あたかも映画のスクリーンを観るようだ。
 松鶴師匠、だいぶん晩年。ろれつがところどころ回らないところがある。他の噺家だと欠点だが、松鶴師匠の場合はこれが魅力になる。ご愛嬌だ。さすが芸の力というべきか。それに、ほんとうにろれつが怪しいのか、しゃれでやっているのかわからない。
 21日は2代目桂春蝶師匠の「植木屋娘」うまい。春蝶師匠の噺は、洒脱で軽快。リラックスして聞ける。
 ところで、ぜひ再発見して欲しい落語家がいる。桂春輔師匠。80年代に一部のマニアの間で受けた噺家。3代目春團治門下で、実に不条理な噺をする噺家だった。「八瀬大原1万6000円」とか「年金の母」とかの破天荒な新作落語を演じられた。
 小生たちが1985年神戸でSFフェスティバルをやった時、この春輔師匠をゲストで読んで1席やっていただいた。もちろん春輔師匠ご本人ともお会いした。梅田の喫茶店で初めてお会いした時、夏なのにマスクをしておられた。不思議に思って聞くと「空からプラスチックの棒が降ってくるねん。口に入らんようにマスクしてますねん」1時間ほどお話したかな。この手の話しをずっとしゃっべおられた。
 SFフェスティバル終了後、大阪は太融寺で10夜連続の独演会をやられた。10日間全部聞きに行った。春輔不条理落語をたらふくいただいた。その後師匠はちょっとしたトラブルで上方落語協会を脱退、春團治師匠とも袂をわかれ、祝祝亭舶伝と名のっておられた。こんな落語家はちょっといない。無理だとは思うがぜひもう一度、桂春輔不条理落語を聞きたい。
 春蝶師匠の放送の時、ご子息の桂春菜さん(3代目桂春蝶)が小佐田定雄さんと対談していた。春團治門下の春菜さん、米朝一門の桂吉弥さん、笑福亭の笑福亭たまさん。この3人が上方落語の次代を担う若手のホープではないだろうか。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

座頭市と用心棒


監督 岡本喜八
出演 勝新太郎 三船敏郎 若尾文子 嵐寛寿朗 滝沢修 米倉斉加年 岸田森 

 カツシン、ミフネという昭和の日本映画を代表する大スターの共演。しかも、座頭市、用心棒という双方の代名詞ともいうべきキャラ。なおかつ大映、東宝と、お互いの映画会社の看板ともいうべき役柄。「ゴジラVSガメラ」か「大魔神VSウルトラマン」といったところか。
 だいたいがこの手の「大スター激突」という企画は面白くないことが多い。双方の顔を立て、顔見せだけになることが多々ある。だからこのDVDもあんまり観る気はなかったが、監督が岡本喜八だから観た。なかなか面白かった。両大御所の顔合わせではなく、お互いのキャラを生かせ、からませ、対立させ、一級の娯楽時代劇に仕上がっていた。さすが昭和を代表する、エンタティメントアクションの職人岡本喜八。
 座頭市は座頭市である。用心棒は、黒沢の「用心棒」の桑畑三十郎か。それはネタバレになるのでいわないが、人相風体は桑畑三十郎そのもの。人相は同じ三船が演じているのだからあたりまえ。風体ファッションは桑畑そのもの。ただ、小生は微妙にキャラが違ったように思えたのだが。
 兇状旅に疲れた座頭市は、安らぎを求めて、数年前に訪れた「せせらぎ、そよ風、梅の香り」の里へやって来る。ところが、その里はヤクザが支配する殺伐とした里となっていた。そのヤクザの用心棒に、ガラが悪く強欲な浪人がいる。市と浪人は対面。「ばけもの」「けだもの」とののしりあう。
 虎とライオン、ピラニアと電気うなぎ、アリと猪木、テーズとゴッチ、こう並べると、誰しもどっちが強い、どっちが勝つ、という興味を引かれるだろう。この映画も同じ、だから公開時「座頭市と用心棒」という題名に引かれて映画館に行った客も多かっただろう。で、どっちが強い、どっちが勝つと、興味しんしんでスクリーンを観ただろう。ここで上記に記したごとくの安易なシナリオだと、客は「な~んだしょうもな」で怒る。この映画、座頭市シリーズ最高の観客動員を記録した。もちろん、カツシン、ミフネの大物の初顔合わせという話題性もさることながら、映画といして面白かったからだろう。
 市と用心棒はどうなったかはここでは書かない。知りたければDVDを観られたし。ただ、二人の間に、一人の女と、一人の男が割って入って、ストーリーにからむ。
 勝新太郎、三船敏郎の二人を見事に生かした岡本喜八の職人芸に敬意をはらおう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

春巻


 絶対に出来立てを食べるべき料理がある。とんかつ、天ぷらといった揚げ物。パスタ、うどん、そばといった麺類。春巻もこの仲間だろう。春巻の命はパリッとした皮。時間が経てば、皮が空中の水分を吸ってやわやわになる。パリッとしない春巻ほどまずいものはない。中華の鉄人が昨日揚げた春巻と、5分前に揚げた小生の春巻では、小生の春巻の方がおいしい。
 豚肉、春雨、長ネギ、干し椎茸、ピーマン、にんじんを炒める。具の野菜は季節のものを適当に選べばいいだろう。味付けは、醤油、砂糖、酒、オイスターソース、ごま油。
 具を炒め終わったらバットに広げて冷ます。熱いまま包んじゃだめ。充分に冷ましてから包まないと、含んでいる水蒸気で皮がしける。包む時はキチキチに包まず、ゆるめに包んだ方がいい。皮がパリッとする。中温でキツネ色に揚げる。さ、あせって食べよう。
 ちなみに春巻は丼物にしてはいけない。この世の終わりが来るぞ。ハルマキドンなんちゃって。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ