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12月31日(月) 良いお年をお迎えください

 大晦日だ。今年もあとわずかでおしまい。いろいろあったが、小生にとっては平安な年だったといえるかな。
 2002年11月にリストラされ、浪々の日々を送っていたが、2006年5月に今の会社に正社員として採用された。小生のような中高年にとっては奇跡ともいえる運の良さだった。その会社で2度目の大晦日を迎える。
 小生をリストラした電機会社は、聞くところによると、小生が辞めてから、業績が見る見る悪化して、今年の10月にあえなくつぶれたとのこと。この情報を伝えてくれた人は「あんたは最良のタイミングで会社を辞めた」といっていた。
 一昨年の今日は退院1週間目だった。家族だけの忘年会をやって、そのままルミナリエに行く予定だった。ところが非常に気分が悪くなり灘で下車。トイレに入ったら大量の出血。タクシーでポーアイの中央市民病院の救急外来へ。即、入院。胃潰瘍による出血。胃潰瘍は持病で、これで4度目の入院。小生年末に体調を乱すことが多い。もちろん、その年の年末年始は禁酒。その後、ピロリ菌の除菌をしてもらい、潰瘍は出ていない。
小生の胃潰瘍はピロリよりも胃酸過多が主たる原因とのこと。胃酸を抑える薬を常用しているが、それよりもイラチ、かんしゃく持ち、短気、頑固、偏屈といった性格が大きくワザしているようだ。もっとゆったりしよう。
 今年は、ちょっと風邪をひいたぐらいで潰瘍の兆候はでていない。良い体調で正月を迎えられる。
 
3月29日にこのブログを始めました。自分でいうのは、なんですが小生は、上記の性格と矛盾しているようですが、ねばり強く、いったん始めるとめったに途中で止めません。だからこのブログもずうっと続けるつもりです。
「とつぜんブログ」を訪問してくださったみなさん。どうもありがとうございました。来年もどうかよろしくお願い申し上げます。
 では、良いお年をお迎えください。
 
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12月30日(日) 光が・・・・・

 
 暮れの30日でしかも日曜。小生は出勤。なんともご苦労なことだ。写真は通勤の途中で撮ったもの。午前7時。神戸の和田岬の上空あたり。
 なんとも神々しい。来年こそは、このように雲間から光が差し込んで、明るい世界となるように願うばかりである。

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12月29日(土) カレンダーから六曜を追放しよう

 来年のカレンダーを用意する。業者からいろんなカレンダーをもらうが、これはと思うものは少ない。会社の小生のデスクの横には数字だけの一番シンプルなものをかけている。
 自宅の小生の部屋には壁掛けのカレンダーはかけない。デスクの上に100均で買った卓上カレンダーを置いている。カレンダーはないが日めくりはかけている。この日めくり、毎年、御教訓カレンダーを愛用。小生、この御教訓カレンダーのセンスが大好きで、自分でも「御教訓」を作って応募しているが、まだ採用されたことはない。
 ところで小生が絶対に使わないカレンダーがある。大安とか仏滅とかの六曜を書いてあるやつ。あのようなカレンダーは絶対に使わない。かような根拠のないもので生活を制限されるのは不合理極まりない。
 だれのことか忘れたが、仏滅三隣亡13日の金曜日火星大接近の日に結婚式を挙げた人がいたとか。その人は幸せに生活しているそうだ。
 冠婚葬祭を制限されるぐらいならご愛嬌ですむが、実質的な損失が発生している。小生は持病の胃潰瘍で4回入院した。そのさい病院内で聞いた話。なんでも、大安に退院したがる人がいるらしい。ゲンをかついで二度と入院せずにすむようにとの願いだろう。で、主治医が告げた退院日が大安でないと、なんだかんだといって退院を伸ばし大安になるのを待っているとか。
 国の健康保険の基金も決して余裕があるわけではないだろう。もし、こうして余分に入院する日を適正にしたら、どれだけ医療費が節約できるか。それも大安とか仏滅とかあるからだ。あんなものをカレンダーに書かなければだれも気にしない。日本中のカレンダーから六曜を抹消しよう。
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12月28日(金) 幽霊が仕事をする

 年の瀬の神戸。朝から冷たい雨が降っている。数日前より体調不良。熱は37度ほどだが、倦怠感に胃がムカムカ食欲不振。腸はゴロゴロ。今日はとうとう会社を休んでしまった。それでも、朝のうちにどうしてもやらなければならない仕事があり、会社に出て最低限必要なことだけを処理して午前10時ごろ帰宅。
 半日有給休暇だと昼まで勤務しなくてはならない。とてもそんな気力はない。早退だと給料からカットされる。結局、有給休暇を取った。有給休暇はたくさん残っているし、これが一番損をしない方法。会社にいないはずの男が仕事をしたことになるので、幽霊が仕事をしたことになる。
 帰宅途中に医者に立ち寄り診てもらう。今年の風邪は消化器系に障害をもたらすとのこと。風邪は人にうつすと治るとかいうが、家族にうつすわけにはいかない。だれにうつしてやろうか。

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12月27日(木) 東京の関西人

 小生は関西人である。西宮で生まれて神戸で育った。今も神戸在住で、これからもずっと神戸を離れるつもりはない。だから関西弁しかしゃべれない。関東地方の方言(標準語とかいうらしい)はしゃべれないし、しゃべろうとも思わない。
 所用で時々東京へ下る時がある。小生だけかも知れないが、関西人は東京へ行くとよけい強く関西弁を強調してしゃべる傾向があるのではないだろうか。
 タクシーに乗った時など、
「お客さん。どちらまで」
「杉並の下井草まで行ってんか」
「はい」
「どれぐらいで着くんや」
「そうだね。この時間帯だったら1時間はかかっちゃうね」
「もうちょっと早よ行ってえな」
「何時に着きゃいいんだね」
「3時には着いてんか」
「お客さん。杉並区に入ったよ」
「西武の下井草の駅からちょっと行ったとこで止めてんか」
「ここかい」
「ちゃうちゃう。行き過ぎやがな」
 と、いうような具合。どうもこういう傾向は関西人だけらしい。他の地方の人たちは方言を出さず、なまりをかくそうと努力するらしい。やはり関西人は、未だに、東京のことを武蔵野のイナカめ、日本の首都は京都やと思っているのだろう。



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明日の記憶


監督 堤幸彦
出演 渡辺謙、樋口可南子、坂口憲二、大滝秀治
 
 映画には「難病映画」というジャンルがある。映画の題名をいうと「ある愛の歌」「愛と死を見つめて」「半落ち」「海を渡る夢」「海辺の家」などなど。病気でいうと各種癌、脳腫瘍、骨肉腫、白血病、筋ジストロフィー、古典的なところでは結核など。この映画はアルツハイマー病である。
 このての映画は、主人公、あるいは主人公にとって大切な人がそういう病気にかかり、何を考えどういう行動をとるかを描く。そして健康な時ではわからない人間の真実、真の愛情といったものがテーマとなっている。というパターン分類をするとこの作品は難病映画の定番といえるストーリーだ。
 主人公佐伯はヤリ手の広告会社の営業部長。働き盛りの50歳。公では大きなキャンペーンをまとめ、私では娘の結婚が間近。公私とも充実していた。ところがモノ忘れ、イライラ、考えられない勘違いなど身体の変調に気づく。生活や仕事にも悪影響がでてきて妻に勧められ病院へ。下された診断は「若年性アルツハイマー病」 それから病状は悪化の一途。通いなれた得意先への道が分からない。部下の名前を忘れる。生活のすべてをメモしなければ満足に生活できない。そんな佐伯の支えとなっているのは妻枝美子。佐伯自身も必死に病と闘うがアルツハイマー病は不治の病。会社では閑職に追いやられて、ついには退職する。
 すべてを忘れた佐伯が最後に手に入れたものとは?ラストが感動的。 
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12月26日(水) コンサルタントって何者?

 世にコンサルタントなる商売の人がいる。このコンサルタントなるものの存在意義がよくわからない。飲食店なら飲食店の、宣伝広告なら宣伝広告の、生産管理なら生産管理のコンサルタントと称する連中がいる。耐震擬装事件の時もコンサルタントと称するじいさんがホテル建設のズルを指南したとか。
 このコンサルタントたちはコンサルタントのプロだが、それぞれの顧客の業種のプロではない。飲食店なら飲食店の人が、宣伝広告なら広告会社が、生産管理なら、製造メーカーの生産管理部門の人が、それぞれの仕事のプロである。
 いわばプロに対してプロでない人があれこれ指南しているわけ。もし、コンサルタントの連中が人に指南できるほど知識があるなら、そんなことをしているより、自分でその仕事をした方がいいのでは。耐震擬装の時のじいさんにしても、人にホテル建設の指南ができるほどの知識と見識があるなら、なぜ自分でホテルを建設しない。
 小生は学生時代に阪神競馬場でアルバイトをしていた。阪急仁川の駅から競馬場まで、予想屋という商売のおじさんたちがずらっと並んで店を出していた。この予想屋さんたちもいわばコンサルタント。この人たちを見るたびに不思議に思っていたのだが、そんなに自分の予想が当たるのなら、人に予想を教えずに自分で馬券を買えばいいのでは、と。
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12月25日(火) 加工費まけてえな

 リストラになった電機会社での話。下請けの金属加工の会社があった。小生は資材購買で外注管理も担当していた。その金属加工の社長さんほぼ毎日納品にくる。受領するのは小生の担当だから、その社長さんとは親しく接しさせていただいていた。従業員が20人程度の小さな会社の社長さんだが、精密な金属加工の技術は非常に優秀で、仕事に対する姿勢も大変に真摯。人物も温厚で従業員思いの社長さんだった。尊敬にあたいする人物だった。
 その社長さんが納品に使っているトラックだが、ボロボロの年代モノのトラック。そのトラックを見るたびに小生の上司は「こんなきたないトラックで納品に来たら不良品を作っていると思われるで」と、イヤミをいっていた。
 ある日ピカピカの新車のトラックで納品に来た。買い換えたのだ。するとくだんの上司は「ええ車やな。こんなええ車買えるんやったら加工費まけてえな」と、いった。
 また、ある日その会社が社員旅行にいった。小生や例の上司にも土産を配った。すると「どこ行ったん。え、城崎温泉。なにカニ食ったて。うまかったか。ええな。そんな金あるんやったら加工費まけてえな」
 社長さんが新しいジャンパーを着てきた。「ええジャンパーやな。そんな金あるんやったら」
 下請けはボロボロのトラックに乗って社員旅行にも行かずいつも同じジャンパーを着ていなくてはいけないらしい。
 その上司はまだその電機会社にいる。小生はリストラされて会社を去った。その会社もつぶれたらしい。
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12月24日(月) 百恵の赤い靴

 小生はトヨタが嫌い。車も嫌いだしトヨタの生産方式も大嫌い。たぶんトヨタの車は一生買わないだろう。
 しかしトヨタの広告は良いものが多い。
「白いクラウン」 クラウン
「足のいいヤツ」カリーナ
 などは車のコピーとしては傑作だと思う。そのトヨタの車のコピーで小生が考える最高傑作が
「百恵の赤い靴」ターセル
 ターセルとは今は生産していない車。百恵は山口百恵のこと。
 ターセルは大衆車というカテゴリーに分類されていた。そのトヨタターセルの新発売告知広告のキャッチコピーが「百恵の赤い靴」である。
 山口百恵は一世を風びしたトップアイドル。だれでも知っている女の子だった。当然、山口百恵というタレントには付与されたイメージ、キャラがある。これはもちろん山口本人のキャラとは関係ない。テレビ、映画などのマスコミを通じて彼女を売り出すために所属事務所のホリプロをはじめ、もろもろの関係者が付与したキャラである。
 当時の山口百恵のキャラ、イメージは、清純、影がある、ちょっとはすっぱ、背伸びした少女、ひたむき、といったところか。
 まず「百恵の」でターセルにこの山口百恵にイメージをおっかぶせる。次に「赤い」赤という色は、活動的な、情熱的なという連想を喚起する。「靴」車のコピーに靴という言葉を使う。ターセルは大衆車である。ちょっと気軽に乗る車だ。従って靴がわりの車という意味にとれる。
 ターセルという新発売されたばかりの車。トヨタはマーケティングのしっかりした自動車メーカーである。ターセルという車を、どういう人たちにどういう乗り方をしてもらいたいかを、しっかりとしたマーケティング戦略を立てキャンペーンのコンセプトを創って出来たコピーが「百恵の赤い靴」である。この広告のタレントは山口百恵以外には考えられない。当時のトップアイドルの人気に頼っただけの広告では決してない。他のタレントでは別の広告になっていただろう。
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12月22日(土) ラーメンとセミの因果関係


 大昔、コピーライターをやっていた時、ラーメンのテレビCMのコンテを作成したことがある。関西ローカルのテレビCMだった。九州のラーメンで、インスタントではなく、半生の袋モノの、今でいうレトルト食品だったと記憶する。なにせ大昔のことなので記憶違いかもしれない。タレントは九州出身で、当時の吉本の人気芸人木村進(3代目博多淡海。その後芸名返上)その時のキャッチフレーズが「おどろきの白いスープ」。九州のラーメンがまだ関西では少なく、白濁したスープが珍しかった。当時はラーメン、いわゆる中華ソバというと鶏ガラスープの醤油味だった。
 あれから長い時間が流れた。小生が住まいおる神戸市東部から芦屋市にかけての国道2号線沿いは、ラーメン街道といわれてラーメン激戦区。数多くのラーメン屋が林立している。この中で昔風の鶏ガラスープ醤油味のラーメンを出す店は極めて少ない。主流は白いとんこつスープ。ラーメンに関してはこのあたり(西宮、芦屋、神戸)は完全に九州文化圏である。
 これはセミも同じ。このあたりのセミは昔はジージージーと鳴くアブラゼミがほとんどだった。それが今はシャアシャアシャアと鳴くクマゼミが主流。アブラゼミはごくまれで、ミンミンゼミ、ニイニイゼミの鳴き声はほとんど聞こえない。
 セミは地球温暖化の影響で南方系のクマゼミが北上してきたらしいが、ラーメンも温暖化の影響だろうか。それともこってり味を好む人が増えたのだろうか。
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12月21日(金) 科学と魔法

 SFマガジン1月号掲載のテッド・チャンのエッセイ「科学と魔法はどう違うか」(大森望訳)はこの問題を大変判りやすく書いていた。さすがテッド・チャン。出色のエッセイであった。
 なにかの実験をしたとしよう。科学はいつ、だれが、行おうと、同じ条件ならば同じ結果が出る。これが魔法ならば、深夜なら出るが、昼間なら出ない。修行を積んだ人なら出るが、凡人ならでない。だから、いわゆる千里眼とか超能力の類は科学ではなく魔法に分類される。
 例えば、コイルに磁石を通せば電流が発生する。これが発電機の原理だが、このことをだれがいつやっても電流は発生する。そのへんの酔っ払いのおっさんがやっても、修行を積んだ偉い坊さんがやっても、私がやってもあなたがやっても、朝やっても夜やっても電流は発生する。これが科学。
 真言密教の秘法を身につけた者でないとダメとか、飛騨の山奥の隠れ里の者でないとダメとか、男を知らない清純な乙女でないとダメとか、月のない真夜中でないとかダメとか、そんなことをいうのではそれは科学ではなく魔法。
 チャンはさらにSFとファンタジーの違いについて言及していた。
 錬金術というものがある。鉛など安物の金属を金に変える術。で、錬金術に成功したとしよう。
魔法で鉛を金に変える術が発見された世界を描くのはファンタジー。科学で金に変える方法が発見されて、その方法が現実のものでない物理理論によるものがSF。チャンはこう解説していた。
 では、現実の物理理論による方法で錬金術が発見されればなんというか。それは、もう、SFでもファンタジーでもなく、新聞のトップ記事というのだろう。
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12月20日(木) とろろ昆布の作り方

 社会人になって最初に勤めた会社は昆布食品の会社だった。また、5年前にリストラされて今の会社に落ち着くまで、契約で別の昆布会社にも勤めていたこともある。両方の会社でとろろ昆布の製造をやらされた。そこで、何かの参考にと、とろろ昆布の製造方法を紹介しよう。
 まず、倉庫から原料の昆布を取り出す。1束20キロか15キロ。これを原藻(げんそう)という。利尻や羅臼といった出し昆布に使うような上等の昆布は使わない。日高、香深、大間、増毛といった昆布がよく使われる。
 この原藻を調味した酢に漬ける。これを漬け前という。数日間置いていた漬け前を機械にかけて砂取りをする。昆布に砂や小石が混ざっていれば削る時の障害になる。砂取りした昆布は油圧の機械にかけて、重さ60kgぐらいの四角い昆布のキューブを作る。これを乗せ前という。乗せ前は鉄のバンドをはめて膨張しないようにしてある。
 削る時は鉄のバンドを外し、昆布のキューブの端を切り落とす。切断面を刃物で削る。削る刃物は非常に鋭利に研ぐ。研いだ刃先を金属のヘラでこすりそり返しを刃先につける。この刃先のそり返しのことをアキタという。
 乗せ前を削りの機械にセットして切断面を刃先のそり返しで削っていってとろろ昆布を削り出していくわけだが、このアキタの立て方がとろろ昆布削りの命。うまい人がやるときれいな半紙みたいなとろろ昆布が削れる。へたな人がやるとスダレみたいなとろろ昆布になる。このへんがとろろ昆布削り職人の腕の見せどころ。
 お手元にとろろ昆布があると袋から出して見ていただきたい。外側はきれいなとろろ昆布で、中は丸めたとろろ昆布が入れてある。
 中身のとろろ昆布は、外から見えないから少々見場の悪いとろろでも良いが、外は客に見えるのできれいなとろろを使っている。見場の悪いとろろはいくらでも削れるが、きれいなとろろを削るのは難しい。小生も「そんなにアンコばっかり削ってもあかんで」と良くしかられた。
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虐殺器官

虐殺器官 伊藤計劃 早川書房

 アメリカ5軍(陸、海、空、海兵、情報)の情報軍・特殊検索群i分遣隊のクラビス・シェパード大尉が主人公。シェパード大尉の任務は暗殺。4人でチームを組んで紛争を鎮めるために、紛争地域に潜入して要人の暗殺を行う。
 任務を達成するためには手段を選ばない。大きな規模の戦闘になることもあるし、女性子供も殺害する。このような任務のため、大尉たちi分遣隊の兵士は心理的肉体的な特殊な処理が施されている。良心をマヒされ、負傷しても痛みを苦痛と感じない。
 シェパード大尉が暗殺の命令を受けているが、何度も失敗をしているターゲットがいる。世界各地の紛争、内戦のある地に必ずいて、大虐殺の黒幕といわれている男。ジョン・ポール。アメリカ人。彼を抹殺しない限り世界に平和が訪れない。ジョン・ポールとは何者?。武器商人か傭兵か悪の秘密結社か。そもそもこのような人物は実在するのか。
 9.11以降、果てしなく続く「テロとの戦い」そしてサラエボでついに広島長崎以降初めて核が使われた。核のタブーが無くなりインドVSパキスタンで本格的な核戦争が勃発。冷戦時にいわれていた核による人類絶滅は神話となった。
 人類は絶滅せず、世界は大きく二つに分かれる。G9と呼ばれる先進国は厳重な管理社会となり、電車の切符を買うのにもスターバックでコーヒーを飲むのにも、生活のあらゆる場面で個人認証が必要とされ、ハシの上げ下ろしまで政府の監視下におかれる。
 それ以外の途上国は内紛、内戦、革命、動乱が各地で発生して虐殺が日常茶飯事となった。このような世界で主人公シェパード大尉はジョン・ポールを執拗に追い求める。
 こうして書くと単純な近未来軍事SFと思われるかもしれないが、この作品、そんな一筋縄ではいかない。テーマは「人間性善説」か「性悪説」というものだろうか。作者がどう結論づけているかはネタばれになるのでここでは書かない。読んでください。ただ、題名の「虐殺器官」は誤植ではない。これが「虐殺機関」ならば主人公が所属する情報軍・特殊検索群i分遣隊のことで、単純なドンドンパチパチの戦争SFになるが、「虐殺器官」である。「器官」とはなにか。ヒントをいう消化器官、循環器官、呼吸器官の器官である。
 傑作だ。楽しみな作家があらわれた。
 
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12月19日(水) あいさつ

 27年いた会社をリストラされ今の会社に落ち着くまでの2年間、5社を渡り歩いた。そのうちの1社にやたらあいさつにうるさい会社があった。
 出社時は「おはようございます」帰社時は「お疲れ様でした」と、おおきな声であいさつしないと叱られる。一度、あいさつの時のおじぎの角度が浅いと、朝礼の時みんなの前でひどく叱られた。
 あいさつとはサインではないだろうか。朝に初めて会った人には「おはよう」といって「私はあなたに敵意はありませんよ」という意志を伝える。それがあいさつだろう。確かにあいさつもできない人は社会人とし欠陥がある。しかしこの会社のように、やたらあいさつばっかりに気を取られている会社は、ようは自信がない連中の寄り集まりなのだ。はっきりと「敵意がありません」「あなたの味方です」「あなたを認めます」と形にして示さないと不安で不安でしかたないのだ。「サムライの集団」を標榜している会社だったが小羊の集団だった。
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12月18日(火) 価値を決めるのは顧客

 陶芸家が作陶していて、出来上がった作品を眼光鋭く見つめ、いきなり地面に叩きつけたりする。不出来の作品を世に出すのが嫌だからだろう。
 あの行為、プロのやることではないと思う。確かに、作品の出来に責任を持つのは、モノを作る人間としての義務だ。しかし、それはあくまで一定のレベルを維持するためのもので、自分で自分のハードルを高くして「決して妥協しない厳しい創作態度」などというのはいかがなものか。
 陶芸家にしても作家にしても画家にしても、何かを創って生活しているプロは、その作品を売ってお金を得ているわけ。と、いうことは必ず顧客がいる。作品の価値を決めるのは顧客である。作者がどんなに気に食わない作品でも、その作品に価値を見いだす顧客がいるかもしれない。
 いや、私は陶芸のプロだ。見る目はある。私が見てダメなものはダメだ。と、いう人がいたらその人は芸術家として失格。芸術とは新しい美の発見である。そんなことをいう陶芸家は古今東西すべての陶器を見て、この世のあらゆる陶芸の美を知り尽くしているというのだろうか。もしそうならば、とんでもない思い上がりである。どんな偉大な芸術家でも人間一人の物指しはたかが知れている。「私が見てダメ」というのはその人の物指しから外れているだけ。別の人の物指しならば、そこに新しい美を発見するかもしれない。
 それでも、どうしても自分が気に食わない作品を世に出すのはイヤだという人はプロを辞めてアマチュアになればいい。アマチュアなら自分自身の楽しみだけで作品を作っているわけだから、思う存分選択して、気に入った作品だけを発表すればいい。気に食わない作品は叩き壊すなりなんなり好きにすればいい。アマチュアに顧客はいない。しいていえば自分が顧客である。
 作品を売って少しでもお金を取ればプロである。プロならば作品の価値を決めるのは顧客である。作者ではない。
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