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風立ちぬ


監督 宮崎駿
出演(声) 庵野秀明、瀧本美織、西村雅彦、野村萬斎、大竹しのぶ、風間杜夫

 今まで何度も引退宣言をしては、新作を創ってきた宮崎監督。この作品を観て、今度は本気だと思った。宮崎さん、この作品で本当に自分がやりたいことを思う存分にやったのではないか。商売っ気抜きで、エンタメ性を極力そぎ落とし、自分のイメージ・テーマを追求したのではないか。
「空を飛ぶ」これは、宮崎監督がずっとこだわってきてテーマでありイメージではないか。「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「魔女の宅急便」「紅の豚」などなど。宮崎監督の作品には必ず「空を飛ぶ」シーンがある。
 と、いうわけで宮崎監督が引退作品に、空飛ぶメカ=飛行機創りに情熱を燃やす男を主人公にしたのは必然だろう。
 主人公は、当時としては世界最強の戦闘機、零式艦上戦闘機の設計者堀越二郎。宮崎作品では初めての実在の人物が主人公。この二郎が三菱で飛行機の開発設計に情熱をそそぐ。そのことをそのまま映像化すれば「プロジェクトX」になるかも知れない。かの宮崎さんがそんなバカなことをするはずがない。ここで二人のキャラを登場させることによってロマンチックな物語へと昇華させているわけだ。
 まず、令嬢菜穂子。関東大震災の時に出会って、その後信州の避暑地で再会。後に二郎の妻となる。結核を患い、先は長くない。この菜穂子と二郎の純愛物語が二郎を飛行機だけを考える飛行機オタクではなく、情感豊かな青年と表現している。
 そして、イタリアの飛行機設計者カプローニ伯爵。二郎はカプローニには会っていない。少年のころ飛行機雑誌で見かけただけ。カプローニは二郎に夢の中で「飛行機は戦争の道具ではない。それじたいが夢なのだ。美しいモノなのだ」カプローニはいわば二郎にとって心の師なのだ。このカプローニの存在によって、二郎が創る飛行機という機械に、夢とロマンを与えている。
 堀越二郎の代名詞ともいう零戦は最後にほんの少しだけ出てくる。それも現実ではなく、カプローニが出てくる夢にだ。大きな編隊で飛ぶ零戦を見てカプローニがいう。
「あれが君のゼロか。美しい飛行機だ」
「はい。でも、一機も戻って来ませんでした」
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しそゼリー


 今年もしそジュースの季節となりました。むしむしじめじめしたこの時期に飲むにはうってつけの飲み物です。湯上りなどに冷た~く冷やしたのをゴクゴク飲むのはえもいわれん快楽です。残った氷をれろれろ口の中で転がすのもいいですね。
 さて、きょうはこれをゼリーにしてデザートにしました。原液のままでは少し濃すぎるので、水で薄めます。これを火にかけ沸騰したら火を止めます。これにゼラチンを入れて溶かして、冷蔵庫で冷やし固めればできあがりです。
 ひんやり、さっぱりとした夏のデザートです。
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阪神沈没


類似書 小松左京「日本沈没」 

クラスエー大陸東端の弧状列島に位置する島国タイガ国。クラスビー大洋を西進する大洋側プレートと大陸側プレートの境目にある。マントル対流の流れに押されたプレートが破砕するエネルギーで巨大地震にたびたび見まわれてきた地震国である。
 地球物理学者福所博士は深度一万メートル、タイガ海溝の底で信じられないもの見た。乱泥流。こんな深海で乱泥流を見られることはありえない。考えられることは、ただ一つ。
 ちょうどそのころ、海洋観測船ワサオで観測していたノーミ博士は、一晩のうちに島が九つ沈没する事実を観測した。
 タイガ海溝から戻った福所博士は、政財界に隠然たる力を持つワダ老人に呼ばれた。
「科学者にとって一番大切なものはなんじゃ」ワダ老人の問いかけに、福所博士は答える。
「コントロールとボールのキレです」
「この国はどうなる」
「大陸側のプレートと大洋側のプレートのバランスの上にこの国の国土はある。大洋側にフジナミ、メッセ、ノノミこの三つの巨大な岩塊に支えられていた。この内の一本が折れた。あとどうなるか子供でも判るでしょう」
「どうなる」
「タイガ国はクラスビー大洋に沈没します」 
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チリコンカーン


 これ、チリコンカーンである。コロンボの好物である。刑事コロンボのシリーズは大好きで、ひととおり見ている。
 コロンボの昼食といえば、たいていこのチリだ。行きつけの店で「いつものヤツ」といえばチリが出てくる。コロンボは、あれでなかなか食いしん坊で、うまいモノには目がない。食い意地が張っていて、犯行現場にある食べ物さえつまみ食いする。そんなコロンボだから、たまには昼食にチリ以外のものを食べてもいいと思うが、お昼に他のモノを食べているのは見たことがない。よほどチリが好きと見える。
 だからチリの味にはうるさい。いつもの店でチリを食う。味が変わっている。店のおばさんに聞けば、いつもの料理人はメキシコへ帰った。代わりの料理人はドイツ人。コロンボ、ハインリッヒなんて名前の料理人が調理したチリは食べる気がしないと店を出た。
 そらそうだろうな、関本健太郎とか梅野隆太郎という名前の板さんが調理した懐石料理なら、おいしそうだが、マウロ・ゴメスとかランディ・メッセンジャーという名の板さんなら、だいじょうぶかいなと思う。逆にゴメスが作ったドミニカ料理ならうまそうだ。
 さて、このチリ、日本人の雫石鉄也が調理したが、コロンボのお気に召すかどうか。
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貯金期の終わり


類似書 アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」

 タイガス帝国は、かって大いに繁栄していた。広大な銀河星域の中でも、カップ連邦や東方の蛮族の国ジャイ王国と覇権を争い、銀河連邦文明レベル9と、極めて高いレベルにある帝国だった。銀河星域を統一し銀河帝国の樹立も夢ではなかった。
 ところが銀河星域全体が、異次元より流れ来た、銀河を遥かにしのぐスケールのパリン大星雲と遭遇。ここで銀河とパリン大星雲の間で、いわゆる「衝突する銀河」が起こった。
 タイガス帝国はパリン大星雲との壮絶な銀河大戦を戦い、大幅に疲弊。銀河連邦文明レベルがゼロとなった。
 パリン大星雲との戦いも終わったある日、タイガス帝国の首都コシエンズ上空に巨大な宇宙船が現れた。そこから降り立ったのは人類よりはるかに高い知能を持つ「上帝」(オーバーロード)だった、コシエンに降臨した2体の上帝、シオカとトメフクは人類を貯金期から、あらたな領域に導いた。それはかって賢人たちが夢見たアンコクジダイへの道だった。
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労多くして益少なし。やっと引き分け

 さて、セリーグ再開や。西岡も帰ってきたし、眼下の敵中日をやっつけて巨人追撃態勢を整えなあかんのに、なにをモタモタしとんや。なんちゅう重い試合すんねんや。9安打しとんのに2点しか取れへん。ランナーは出すけど併殺打でチャンスをつぶしとる。引き分けにすんのんがやっと。こりゃ近いうちにBクラス転落やな。
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とつぜんSFノート 第56回


 現在、発刊されているSF専門誌はSFマガジンだけだが、かっては複数のSF専門誌が発刊されていた時代があった。「奇想天外」「SFアドベンチャー」「SF宝石」「NW-SF」「スターログ」(他になんか忘れてるかな)などという雑誌がSFマガジンと並走して刊行されていた。
 この中で「奇想天外」がいちばん早くからあって、長く続いていたが、途中で出版社が替わったり、雑誌のカラーも途中で変わった。「SFアドベンチャー」はずっと徳間書店が発行していた。
「SFアドベンチャー」この雑誌は、「SFマガジン」のライバル誌というより、小生は「戦友」と見たい。この2誌があったればこそ、今の日本のSFあるといってもいい。この2誌に「奇想天外」も加えるべきだ。
「SFマガジン」は海外のSFの紹介にも力を入れ、日本のSFのみならず、世界のSF界の情報やすう勢の分析にもページを割いていたことは、700号記念の7月号を読めばよく判る。 
 これに対して「SFアドベンチャー」は日本SF専門誌といってもいい。掲載されている作品は日本人作家ばかり。手元に実物がないから調べられないが、小生の記憶ではそうだった。「SFアドベンチャー」も全冊残していたが、阪神大震災で本棚が大破して、創刊号を残して処分した。もし、「SFアドベンチャー」に海外作家の作品が掲載されたことがあったなら、どうかコメントにてお知らせくださればありがたい。
 その創刊号だが、ご覧のようにイラストは永井豪が描いている。その後は生頼範義が表紙イラストを担当して、「SFアドベンチャー」といえば生頼範義の表紙が代名詞ともなった。
 生頼は表紙ばかりではなく、平井和正のイラストも手掛けた。これは、星新一といえば和田誠という感じで、平井和正といえば生頼範義だった。その平井和正が「SFアドベンチャー」の看板ともいえる作家だった。「狼男シリーズ」「幻魔大戦シリーズ」がこの雑誌の大きな「売り」だった。
 また、「SFアドベンチャー」はファンダムからも積極的に作家を登用した。荒巻義雄さんや巽孝之さんがファンジン紹介のページを担当していた。私たち星群が最も活発に活動していた時期であったので、よく誌上で紹介された。また星群同人も松本富雄、石飛卓美、石坪光司、虚青裕といった同人たちが「SFアドベンチャー」に転載されている。
 小生にとっても思入れの深い雑誌なので、事情が許せばまた古書店などを探してみようと思う。
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SFマガジン2014年7月号


SFマガジン2014年7月号 №700 
                 早川書房

雫石鉄也ひとり人気カウンター

1位 端役          グレッグ・イーガン 山岸真訳
2位 サラゴッサ・マーケット 谷甲州

連載
小角の城(第27回)            夢枕獏
絞首台の黙示録(第4回)          神林長平
エピローグ(3)              円城塔
近代日本奇想小説史 大正昭和編(第12回) 横田順彌
SFのある文学誌(第31回)        長山靖生
エンタメSF・ファンダジーの構造(第4回) 飯田一史
現代日本演劇のSF的諸相(第4回)     山崎健太

 この号は通巻700号記念ということで大増ページ。584ページとページ数もビッグなら、お値段も2685円とビッグ。でも、ま、小生はこの値段に見合う内容であったと評価する。
 SF MAGAZINE ARCHIVEということで、創刊号から最近の号までの、小説以外の記事を、そのまま再録している。1959年の創刊以来55年分の膨大な記事の中から、どの記事を抜粋するかは編集部の腕の見せ所だが、これはうまくいっていた。初代編集長福島正実の創刊号の巻頭言から、690号の大森望の「新・SF観光局」まで、通読すれば、この雑誌の生い立ち、成長、成熟はもちろん、日本のSFの成長までもよく判る。
 小生が生まれて初めて買って読んだSFマガジンは、1967年9月号№98。それから47年間、1号も欠かさず毎月SFマガジンを読み続けている。こんな小生にとって、まさに感涙モノの企画であった。
 ただ、通常号に相乗りさせた企画であったため、読んでいて、この記事は企画記事か通常記事かわかり難いところもあった。できたら、別冊の臨時増刊号という形で出して欲しかった。とはいうものの、この雑誌を終生の友と定めた小生にとっては、まことにありがたい企画であった。大変な仕事であったことはよく判る。SFマガジン編集部に感謝と慰労の言葉をおくる。もちろん、この号は永久保存版とする。
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男のシタゴゴロ

 先日、夜の10時ごろ電車で帰宅の途についていた時のこと。小生の隣に、若い男女が座った。二人とも少々酔っているみたい。
 別に聞き耳を立てていたわけではないが、二人の会話が耳に入ってきた。二人とも大学生らしい。テニス同好会の先輩と後輩らしい。男が先輩、女が後輩だ。男が酔眼朦朧とした顔で、「ぼく、酔うてしもた。お前もだいぶん酔ってるな。あぶないからぼくの下宿に泊まりいな」いかなるシタゴコロがあるのか見え見え。
「ありがと。でも、あたし、帰ります」
 女がこういうと、男は「やっぱ、心配やな。ぼくがお前んとこに泊まったる」
すると女は「あたし下宿じゃなくって自宅なの。親がいますけど」
 男は、スーと酔いが覚めたようだ。そして次の駅で降りて行った。そんなに心配やったら彼女の家の玄関の前まで送っていってやれや。 
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史上最大の作戦


監督 ケン・アナキン、ベルンハルト・ヴィッキ、アンドリュー・マートン
出演 ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、リチャード・バートン、クルト・ユンゲルス

 第2次大戦を題材にした映画は多い。「大脱走」「バルジ大作戦」「パットン大戦車軍団」など。これらの映画はいうまでもなく戦争映画に分類してもいいだろう。本作「史上最大の作戦」も戦争映画ではあるが、歴史映画の要素も大きい。
 1944年6月6日。連合軍はナチスドイツに占領されているフランスはノルマンジーに大規模な上陸作戦を敢行。これによって、ヨーロッパの戦局は大きく変化した。
 なぜ6月6日なのか。なぜノルマンジーなのか。そして、この作戦はなぜ成功したのか。アメリカ、イギリスの軍、占領地フランスのレジスタンスたち、そして守備側のドイツ。それぞれに視点に立って、こくめいに、客観的に描写していく。かような映画の場合、連合国側、ドイツ側の描き方に、映画製作者の感情が入ることが多々ある。製作者が米英人の場合、戦勝側米英と敗戦側ドイツの描き方が違う。本作では、感情を交えず、双方を平等に描いていた。観客はあたかも、その場にいて歴史が動く瞬間を体現できる。
 連合軍の大規模な反攻がある。連合国側の末端の兵士たちも、フランスのレジスタンスも、そしてドイツ側も知っていた。それがなぜ成功したのか。たまたまが重なった。それまで悪天候が続いていたが6月6日は、たまたま天候が回復した。名将ロンメル元帥が妻の誕生日などがあり、たまたま油断した。戦車部隊の投入は総統の許可が要る。側近が将軍の要請を伝えると、ヒットラーは、たまたま睡眠中であった。かくしてナチスドイツは敗北と進む。
 後半は、同時多発的に各地で行われた戦闘を、並行して描く。戦闘はいずれに戦場も過酷なもので、双方とも多数の戦死者を出す。この戦闘シーンも迫力があって臨場感がある。
 長い映画であったが、長さを感じなかった。名作である。
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ドイツ風鶏手羽元の煮込み


 鶏手羽元は私の好物です。揚げ物にしても煮こんでもおいしいです。その手羽元の煮こみですが。トウチの風味を生かして中華風にしたり、カツオ昆布ダシで和風に煮る、また赤ワインで煮てフランス風、トマトソースで煮ればイタリア風になりますね。きょうは、ひとつ、ビールで煮て、ドイツ風にしましょう。
 手羽元はフライパンで焼いて軽く焦げ目をつけておきます。玉ねぎを炒めましょう。透きとおってきたら、そこに手羽元を鍋にいれます。あとはビールをそそいで煮ていけばいいのです。ちょっとトマトピューレも入れましょう。ローリエで香りを出します。充分に煮たら塩コショウしてできあがりです。お好みでマスタードでいただくと、とってもおいしいです。
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ノーミは奪三振記録の夢を見るか?


 類似書 フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」

 ディックの類似書は映画「ブレードランナー」の原作なんですね。さて、本書ですが、賞金稼ぎノーミ・デッカートは惑星ラクテンから逃亡したアンドロイドを狩るのをなりわいとしていた。きょうも9人のアンドロイドを追っていたが、アンドロイド・ラッツに反撃にあう。その後ノーミは合計5発の銃弾を受けてアンドロイドたちの返り討ちに会う。ノーミの味方も反撃するが、アンドロイド・ミマを宇宙に追放するのがやっと。うどんをたくさん食べたかったが、ラクテンのアンドロイドに「1点で充分ですよ。お客さん」といわれてしまった。
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スコッチエッグ


 スコッチエッグである。イギリス料理だ。かの国ではピクニック料理の定番だそうだ。イギリス人どもは、お天気の良い日には、これを持って郊外へお出かけ。んでもって、アジアやアフリカの植民地からいかに効率よく搾取するか算段したのだろう。
 ワシは夕食のおかずにした。これを食べながら家族と世界の平和について語ったのだ。紅毛碧眼の南蛮人とは心構えが違うのだ。
 ようするにハンバーグの生地でゆで卵を包んで揚げたものだ。まず、卵をゆでておく。ゆで加減はお好みで。
 生地はほとんどハンバーグと同じ。炒めた玉ねぎを冷まして、あいびき肉に混ぜる。塩、こしょう、ナツメグで味をつける。よくこねる。この生地でゆで卵を包んで、小麦粉、溶き卵、パン粉をまぶして揚げる。180度ぐらいの油音で10分ほど揚げよう。1個づつ転がしながら揚げるときれいに揚がる。表面はカリッとしたらできあがり。
 冷めたスコッチエッグを電子レンジで加熱する時は注意が必要。ゆで卵が丸まま入っているので、爆発するおそれがある。
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戦死者

 この基地から戦死者が出るのは20××年以来3年ぶりである。戦死者は出したが任務完了。5機の機体は帰還しつつある。4人のパイロットがヘッドギアを外した。4人ともホッとした顔をしている。ところがパイロット室に鳴り響くベルの音を聞いて顔を青ざめた。モニターに映る2号機を示す光点が赤に変わっている。2号機は被弾していることになっている。
 五つ並んだコクピット。そのうちの2号機のナカノ中尉が立ち上がらない。ヘッドギアには赤いLEDが点灯している。ナカノ中尉は戦死だ。軍医が中尉の首筋を見た。首筋の、いわゆる「ぼんのくぼ」に小さな赤い斑点が一つできている。これが致命傷だ。こうなればいかなる名医が手当てをしても蘇生しない。
 担当する機体が「被弾」して、損害がパイロットに生命を奪うとコンピュータが判断すれば、ヘッドギアに収納された鋭利な針が、パイロットの首筋に突き刺さる。延髄のツボを突き刺して呼吸中枢を破壊する。即死だ。さらに確実を期するために、針は注射針となっていて、致死量の毒物が注射される。「被弾」した機体を担当したパイロットは確実に「戦死」しなくてはならない。
 生き残った4人は、基地を出て自宅に急ぐ。ナカノ中尉の葬儀が近日中に行われる。
「いま帰った。ナカノが戦死した」
「え、ナカノさんが。しかし、戦場は地球の裏側なのに、『戦死』しなくてはならないの」
 無人攻撃機。パイロットは戦場に行かなくていい。本国の安全な基地から、遠隔操作で機体を操縦して、敵を攻撃する。戦死者を出さずに戦争ができる。合理的で、実にきれいな戦争ができる。戦争はゲームとなった。戦果はモニターに表示される。血みどろになって死ぬ人は見えない。画面の光る点の色が変わるだけ。
 あまりに非人道的だ。無人攻撃機を禁止しようという声が各国から上がった。禁止できなかった。代わりに戦争にもフェアプレーの精神を取り入れることになった。パイロットが安全では不公平だ。

「故ナカノ大尉は軍人の鑑でありました。志願して最も危険な戦場を担当して、このたび名誉の戦死を遂げられました」
 盛大な葬儀であった。国は最大限の丁重さでナカノの死を悼んだ。葬儀には国防大臣が参列し、大統領から弔電が来た。遺体は国立墓苑の一等地に葬られた。遺族には莫大な弔慰金が支給された。
 この葬儀の模様がネットで公開された。
「不公平だ。楽に戦死し、盛大な葬式を挙げてもらって、丁重に葬られ、遺族は手厚く遇される」
「父はナパーム弾にやられた。重いやけどを負って8日間苦しみぬいて死んだ」
「あの家は家族全滅だ。家族5人の遺体は、弔う人もなく放置され白骨化した」
「兄は爆弾の破片が腹に突き刺さり、手当てを受けることなく三日後に死んだ」

 突然、4号機のパイロットの首が飛んだ。胴体だけで葬儀を行った。次の日、3号機のオオバ大尉のベルトに仕込まれたブレードが作動した。計算された動作のブレードは、大尉の肝臓を7センチ切った。大尉は5日後に死んだ。その間、治療は施されなかった。
 作戦終了後、ヤタベ中尉は逮捕された。中尉は「クジに当たった」のだ。ただちに銃殺された。遺族には遺体の引き渡しさえなかった。

 戦争は公平なものとなった。結局、無人攻撃機は廃止された。だれも戦争に行かなくなった。戦争のない世界が訪れた。

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JR 西宮


 JRの西宮である。小生、今はこの駅を使うことはあまりないが、かってはよく使った駅である。小生の生涯で、2度この駅を使った時期があった。
 最初は40年以上昔のことである。小生は自動車の運転免許をとって40年以上経った。もちろん、自動車学校に行った。そこに通うのに、この駅を使った。ずいぶん昔のことだ。
 その自動車学校は、かっての阪急ブレーブスの本拠地、西宮球場の近くにある。ほんとは阪急西宮北口の方が近いが、当時の小生の自宅からはJR(たしか、当時は国鉄だったかな)の方が便利だった。
 小生、運転はうまい方だと自分では思っている。事実、40年以上の運転歴で無事故だ。小事故では駐車場でこすった程度で、他車と接触したことはない。飛ばし屋のくせに違反で捕まったのは、スピード違反で1度と一旦停止で1度。それぐらいかな。そんな小生だが、自動車学校の成績はあまり良くはなかった。何度か追試を受けて卒業した。
 今の自動車学校でどんな教え方をしているのか知らないが、小生は自動車学校で教えてもらったことを忠実には実行していない。例えば自動車学校ではキープレフトと教えてもらった。道の左端を走れということ。ところが、道の左端を走ると、違法駐車の車が有るかも知れない、飛び出しがあるかもしれない。
 カーブをアクセルで曲がるということも教えてもらわなかった。車はハンドルだけでカーブを曲がるものではない。アクセルでも曲がるのだ。
 カーブが見えてきた。ブレーキを踏んでスピードダウン。ハンドルを切ってカーブを曲がる。この時ヘタなドライバーはスピードダウンが充分ではない。カーブを曲がっている途中で、オーバースピードで怖くなって、あわててブレーキ。当然、アクセルから足を離す。この時、駆動輪は惰性で回っている状態。車は惰性で動いている状態が最も不安定なのだ。遠心力で車は外側にふくらむ。横の田んぼに転落、あるいは対向車と正面衝突とあいなる。
 カーブを曲がっている途中では絶対にアクセルから足を離してはダメ。アクセルを踏んでいると、駆動輪にパワーが伝達されている。駆動輪が能動的に回っている。車はこいう状態のときは安定している。
 正しいカーブの曲がり方をいう。カーブが見えてきた。カーブに入るまでにブレーキを踏んで充分にスピードを落とす。できればギアを一段シフトダウン。(オートマチックなら自動的にシフトダウンするが、小生はオートマチックが大嫌い)アクセルを踏んで軽く加速しながらカーブを抜ける。こうすれば安全にすばやくカーブを曲がれる。カーブはアクセルで曲がるのだ。こんなことも自動車学校で教えてもらわなかった。
 次にこの駅を使ったのは、リストラされて就職活動中だ。西宮ハローワークに通うのにこの駅を使った。当時は西宮、尼崎、伊丹、梅田、神戸、灘、三宮と七つのハローワークを使っていた。
 ハローワークで求職したあと、よく西宮から神戸まで2号線沿いに歩いて帰ったりした。今は足を痛めているので、そんなことはできない。
 
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