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とつぜんSFノート 第108回

 今年もあとわずか。小生、自分がSFもんであることを自覚して、もうずいぶん経つ。そうだなあ。50年近い年月がたったかな。ま、これだけ長いことSFもんをやっているわけだから、いまご好誼いただいている、SF仲間諸賢とのつきあいも、40年を超すつきあいとなったしだい。長いつきあいとなった。
 長いといえばSFマガジンとのつきあいも、ずいぶんと長い。
小生が初めて買って読んだSFマガジンは1967年9月号通巻98号。51年のつきあいである。この間、発行されたSFマガジンは1号も欠かさず読んでいる。最新号2019年2月号は731号だから633冊のSFマガジンを読んでいることになる。
 また、2007年より星群の会ホームページで「SFマガジン思い出帳」を連載している。そのため古いSFマガジンを読んでいる。最新のモノは1977年11月号を紹介した。41年ぶりの再読である。さすがにすっかり忘れている。この企画はひと月に1冊だから、小生が死ぬまでやっても現代の号には追いつかないだろう。
 というわけで、SFマガジンは最新号は隔月刊だからふた月に1冊。バックナンバーはひと月に1冊のペースで読んでいる。
 そのSFマガジンだが、最新の2019年2月号はえらいことになっているとか。特集企画は「百合」発売と同時に在庫がなくなった。えらい売れ行き。重版している。SFマガジンで重版は2011年8月号の初音ミク特集以来だ。しかし、この印刷媒体が売れないご時勢で、雑誌が重版だなんて、他の出版社からみればうらやましい限りだろう。今は書店の店頭になく、ネットでも入手が困難だそうだ。小生は定期購読しているから25日に早川から送って来たが。
 しかし、早川書房はときどき大ヒットを飛ばすな。2017年のカズオ・イシグロのノーベル賞特需、そしてこのたびの百合特需。早川書房におかれましてはまことにご同慶のいたりである。
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とつぜんSFノート 第107回

 と、いうわけで、長い旅路の果て、やっと関西にたどり着いた。この時点では第25回日本SF大会DAICN5の実行委員会は小生も入れて3人だった。一番の年長でSFファン歴が最も長いのが小生である。
 新大阪で新幹線を降りて、在来線で大阪まで来て、やっと関西へ帰って来たと実感する。とりあえずどっかで一休みしようということで、確か、阪急三番街の喫茶店に入ったと記憶する。
 コーヒーを飲みながら、これからやるべきことを再確認する。なによりも最優先すべきは人集めである。これは年長者でSFファンに知り合いも多い小生がメインで行わなければならない。
 喫茶店を出た、そこにあった公衆電話(もちろん当時は携帯電話はなかった)で、小生は3人の人物に電話した。小浜徹也(現東京創元社編集部)、高橋章子(現三村美衣)そして清水宏祐の3人である。小浜は当時星群の会員であり京大SF研にも所属している大変に活動的なSFファンであった。高橋は菅浩江と同じく幼くして星群に入会、活発な女性SFファンであった。清水宏祐は1975年の第14回日本SF大会SHICONの実行委員長を務めた。SF大会を実行した経験者である。
 3人とも、唐突な話であるとびっくりしたが、とりあえず、この3人はわれわれの企てを聞いてくれた。もちろん、ただ2年後にSF大会をやるということしか、なんにも決まっていない。当然、賛同も賛成もしていない。当然である。とりあえず、今月中(1984年8月)に、どっかで集まろうということになった。
 清水はSHICON終了後SFファンダムから離れていた。当時はVOC(ビデオ・オーナーズ・クラブ)という映像関係の同好会を主宰していた。当時はビデオデッキを所有している人たちで、かような会をやっていたのだ。それだけビデオデッキを持っている人は多くなかったということ。
 思えば、この小生の電話で清水を9年ぶりにSFファンダムに引き戻したわけだ。その清水に相談する。ホワイトローズという喫茶店がいいと推奨してくれた。

 星群の会ホームページ連載の「SFマガジン思い出帳」が更新されました。どうぞご覧になってください。
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とつぜんSFノート 第106回

 小生はSFファンだ。もうずいぶん長いことSFファンをやっている。そうだな、50年は超えているだろう。昨日今日のSFファンではない。小生はただのSFファンではあるが、今も新作を発表している現役のSF作家でも、小生より年長のSF作家は、眉村卓さんと筒井康隆さんのお二方ぐらいではないだろうか。
 小生がSFを読み始めたころはSFの地位はまだまだ確立されていなかった。SFマガジン創刊から、まだ10年経っていなかった。柴野拓美氏、矢野徹氏、福島正実氏たちの尽力によって、日本のSFはやっと巣から飛び立とうとする雛鳥であった。SFに対する世の偏見はまだ根強く残っていて、初代SFマガジン編集長で「SFの鬼」福島正実氏は、SFに対する偏見は絶対に見逃さなかった。そして、かような偏見を見つけると、こまめに的確に反論していた。その後、福島氏はあまりに妥協のない言動ゆえかSFマガジン編集長の職を辞し早川書房を去った。その後ほどなく福島氏は早世する。
 小生がSFファンになったころの日本のSFはかような状況であった。だによって、小生はSFファンとしての幼少期、SFは渡世の裏街道を行く日陰者であったのだ。
 それから幾星霜、日本のSFは諸先輩方の努力で、日本の文化文芸において確固たる地位を築いた。
 と、ここまで書いて、われながらオジンだなあと思う。いつまで、SFは日陰者との認識をもっているのか。リストラされいくつもの会社を渡り歩いた、お前が自分のことを日陰者と思ってイジケテいるのではないか。と、問われれば、少々、否定はしにくいかも知れない。
 ところが現実の日本のSFは、70年代に筒井さんがいった「SFの浸透と拡散」が充分に行き渡り、SFはことさらSFSFといわなくても、小説や漫画といった印刷媒体、映画、アニメといった映像媒体に、ごく自然に遍在している。今の若いもん(こんなことをいうのはオジンの証拠だ)はSFなんて意識していないのだ。ことさらSFを意識しなくても、ごく自然にSFが身の回りにあるわけ。
 こういう現代において、いつまでも大昔の認識を引きずって、「あ、これはSFだ」「これはSFでない」なんていってるワシら年寄りは老害といってもいいかも知れない。とはいいつつも、いまさら治せん。古狸は古狸のままSFファンをやっていこう。
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とつぜんSFノート 第105回

 真夏の京都は暑い。真夏はどこでも暑いが、京都の真夏は底意地の悪い暑さだ。星群祭は酔狂にもその真夏の京都で行われた。1984年、京都にも真夏はあった。そして、この年も星群祭はあった。
 1984年7月15日第11回星群祭が行われた。会場はいつもの京大会館。う~む。阪神タイガース日本一の前年だ。テーマは「小説のことば」ゲストは石川英輔氏・風見潤氏・志賀隆生氏・柴野拓美氏・新戸雅章氏・巽孝之氏・安田均氏。
 オープン制の前日合宿はこの時も行われた。東山の旅館「きのゑ」に70人で泊まりこんだ。創作教室、麻雀、夕食、酒盛り、自己紹介大会、深夜の女性3人による酒買出し事件、原稿書き、原稿督促、ゲーム、オークション、情報交換、ゴシップ交換、わる口交換、翌日の打ち合わせ、電話連絡、仕事いいつける、仕事いいつけられる、睡眠。と、楽しい一夜をすごしたのである。
 さて、楽しい一夜が開け星群祭当日となった。二日酔頭をかかえて京大会館へ向かう。定刻の午前10時開会。開会宣言で椎原実行委員長が今回のテーマについて説明。
「物質の基本要素が原子であるように、小説の基本要素はことばである。小説というモノを考える時、このことばというモノを考える必要がある」
 この第11回星群祭はパネルディスカッション形式で行われた。
 パネルディスカッション1 翻訳家編
 パネラー/柴野拓美氏、安田均氏、風見潤氏、桐山芳男氏、米村秀雄氏 司会/椎原豊氏
「作家と翻訳家はことばの見つけ方が違う。作家はそれでなくてはならないことばを見つける。翻訳家はいくつかの選択肢から選ぶ」
「原作を原語で読んだイメージを日本語で伝える」
「普通小説とSFでは訳す違いはある。SFにおけることばの特殊性はたくさんある」
 パネルディスカッション2 編集者編
 パネラー/柴野拓美氏、村上栄次氏、椎原豊氏 司会/信次秀郎氏
「小説の体をなしているかをまずチェック。その後アイデア、テーマを吟味する」
「あえて編集カラーは出さない」
「私の目にあったモノを通すから、おのずと編集カラーは出てくる」
「私の雑誌と違うカラーの作品が送られて来る時がある。どういう雑誌か投稿前に知るべきだ」
「文章を書く上で基本的なことを教えるのも編集者の仕事」
 パネルディスカッション3 作家編
 パネラー/石川英輔氏、石飛卓美氏、石坪光司氏、松本富雄氏 司会/村上栄次氏
「なぜSFを書くか」
「そこにSFがあったから」
「自分のイメージを全部伝えたいがムリがある。わりきった」
「別世界を書くのが好き」
「SFを書く時、特別なことばを使わないように気をつけている」
「特殊な状況を一般の人にもわかるように書くのも腕のみせどころ」
 パネルディスカッション4 批評家編
 パネラー/新戸雅章氏、信次秀郎氏、巽孝之氏、椎原豊氏、志賀隆生氏 司会/小浜徹也氏
「ファン創作を読むのは苦か楽か」
「批評を行う時はプロ、アマ区別しない」
「作品より作家を見るように心がけている」
「ファン創作の場合、まれに天才が現れる」
 最後のプログラムは星群祭吉例。ノベルズ批評。事前に参加者、ゲスト全員に配布された星群ノベルズ№9「光の賢者」を俎上に上げて、ゲスト諸氏より忌憚のない厳しい批評が加えられる。なお、この№9掲載の石飛卓美「ミネルヴァの森話」はSFアドベンチャーに転載。ファンジン大賞創作部門受賞を受賞した。
 このころの星群ノベルズはSF作家への登竜門としての役割を果たしていた。
 1980年.星群ノベルズ№5「塔とう名の箱舟」石坪光司「塔-75」SFアドベンチャーに転載。菅浩江「ブルーフライト」SF宝石に転載。
 1983年、星群ノベルズ№8「伝説・永劫都市」虚青裕「影に満ちる領主の星」SFアドベンチャーに転載。
 星群祭というイベントも日本のSFにある程度の貢献を果たしたといえよう。
 
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とつぜんSFノート 第104回

 関西のSF界は上方落語とたいへん親和性が強い。お江戸のSF界はどうかな。不勉強にてよく知らないが、落語好きは横田順彌氏ぐらいではないだろうか。確か横田氏は法政大学落語研究会の出身だった。
 関西では落語好きのSF関係者が多い。小松左京氏は桂米朝師匠と終生変わらぬ親交を深めておられた。堀晃氏、かんべむさし氏、田中啓文氏たちも落語好きで落語への造詣もたいへんに深い。
 また、関西でSF関係の大きなイベントが行われる時には、上方の落語家が呼ばれて1席高座が設けられることが多い。
 1975年神戸で開催された第14回日本SF大会では、桂米朝師匠が「地獄八景亡者戯」を演じた。小生、この時、生まれて初めて米朝師匠の「地獄八景」を生で観た。
 1979年の第4回日本SFショーでは桂枝雀師匠、1985年神戸で開かれた第11回日本SFフェスティバルでは桂春輔師匠、1986年の第25回日本SF大会では桂吉朝師匠が高座を務めていた。
 最近は関西で日本SF大会は開かれていないが、もしDAICON8(だれか関西の元気のいいSFファンがやってくれないかな。小生、足痛、尿酸値高め、高血圧をおしてなんとか参加するぞ)が開催されるのなら、きっとその時の旬の上方落語家の高座を見られるであろう。今ならだれかな笑福亭たまさんあたりはどうかな。
 なぜ関西のSF界と上方落語は親和性が強いのか。これを理解するキーワードは「いちびり」ということではないか。「いちびり」関西弁である。ふざける、ちょうしにのる、といった意味だ。
 上方落語は元は大道芸であった。江戸落語はお座敷芸であるが、上方落語は、初代露の五郎兵衛とか米沢彦八といった芸人が道端に簡単な演台を設けて道行く人に、語りかけ投げ銭を得てた。江戸落語のようにお座敷に座っている人相手ではなく、道行く人の足を止め、耳を傾けさせ、投げ銭までしてもらおうというのである。ハデに陽気にやらなくてはならない。だから上方落語は見台ひざかくしを置き、ハリせん、小拍子を使って、パチパチと大きな音をたて、下座ではカネや笛三味線でハメモノが入るのである。ようするに上方落語はハデで陽気で濃い笑いをとるのである。これを演じる演者の上方の噺家自身も「いちびり」であることが必須条件である。
 SFもまた「いちびり」なジャンルの文芸ではないか。小生が考えるSFのキモは「センス・オブ・ワンダー」だ。「びっくり素敵」といえばいいだろうか。「びっくり」のないSFはSFとはいえないだろう。人をびっくりさせようと思えば、その人は「いちびり」でなければならない。冒頭にあげたSF作家諸氏は失礼ながら、みなさん「いちびり」である。
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とつぜんSFノート 第103回

 遥かな旅路であった。北海道から関西まで。空路を使わず旅をする。その遥かなる旅路すら、われわれが行う第25回日本SF大会DAICON5までの2年間の旅に比べれば、助走にすぎない。
 そんなわけで飛行機に乗りそこなった、われわれ4人は列車を乗り継いで北海道から関西へ帰ることになった。
 札幌から函館までの列車で、列車の冷房が故障するという経験をしたりして、なんとか函館までたどり着いた。
 当時は青函トンネルなんてハイカラなもんはなかった。船である。青函連絡船で津軽海峡を渡った。
 船室は一番安い船室だったと記憶する。船底である。沈没すれば確実に死ねる場所だ。「ポセイドン・アドベンチャー」のように船がひっくりかえれば、助かるかもしれない。
 われわれのいた所は、船底の安い船室の中でももっとも居心地の悪い場所であった。エンジンルームのすぐ近く。船の巨大なディーゼルエンジンのゴトゴトゴトという音と振動が休むことなく響いていた。
 さだかな記憶ではないが、船室は畳敷きであった。そこにゴロリンと寝転がって、ひたすら時間が経過するのを待つ。ゴトゴトゴトゴト。船舶用ディーゼルエンジンの単調な音が聞こえる。退屈なので外に出る。夜の航海であった。真っ暗でなにも見えない。4時間ほどの航海であったと記憶する。
 青森に着いた。もちろん東北新幹線はない。在来線で東京まで。この車中で2年後に行う第25回日本SF大会の方向性を話し合った。4人の基本的な認識は、DAICON5をお祭騒ぎにはせず、サーコンなSF大会とすること。このあたりのことは第99回で書いた
 青森から東京までは遠かった。やっと東京に着いたときは、ホッとした。東京からは、さすがに新幹線に乗った。ほんと、やれやれである。
 新大阪まで3時間とちょっと。青函連絡船で函館から青森に行くより早い。あっという間に新大阪。新幹線のありがたさがよくわかった。
 さて、関西に帰って来た。まずやるべきことは実行委員会の組織作り。この時点では第25回日本SF大会実行委員会の委員は4人だけ。このうち星群のYSは星群の仕事に専念するためSF大会にはかかわらないことになった。あとは小生と山根啓史と山根の同人誌仲間の若いの。
 イベントの実行委員会の組織作りは、人脈が重要である。この3人の中で一番の年長でファンダム歴が長いのは小生である。手持ちの人脈をフルに活用する必要があると考える。
 小生は大阪に着いて、まず3人に電話した。
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とつぜんSFノート 第102回


ハーラン・エリスンが亡くなった。享年84歳。そうかエリスンがもう84歳だったのか。しかも亡くなったのか。
 人間だれでも歳を取るし、亡くなる。しかし、この事実とエリスンはどうも違和感がある。他の人ならいざ知らず、エリスンが歳取ってなくなる。不思議な感じだ。
 今の若い人はベタな恋愛小説の元ネタの作者ぐらいの認識しかないかも知れないが。エリスンの小説をSFマガジンでリアルタイムで読んでいた、小生のごとき古狸SFファンはハーラン・エリスンといえば、アメリカSF界の大スターであった。
 才人とはエリスンのような人をいうのだろう。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、そしてもちろん日本の星雲賞海外部門、主たるSFの賞の大常連にして受賞した賞は凄まじいばかりの数である。エリスンの才能はSFばかりではない。「スタートレック」「アウターリミッツ」「ラット・パトロール」など数多のテレビドラマの脚本を書き、まさに八面六臂の大活躍である。
 人間、賞を取ったら大人しくなるとか。福本豊さんは国民栄誉賞を打診された時「そんなんもろたら立ちしょんべんもでけへん」といったとか。エリスンは違う。立ちしょんべんはしたかしてないか知らないが。アメリカSF界一のカリスマであり、たいへんなごんたくれ。問題児、トリックスターなる立居地は維持していた。
 その戦闘的な姿勢は仕事にもあらわれていて、「危険なビジョン」なんて先鋭的なアンソロジーを編んでいる。
「死の鳥」は読もうと思って買ってある。読まなくっちゃ。
 ハーラン・エリスンさんのご冥福をお祈りする。
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とつぜんSFノート 第101回

 第9回星群祭は星群の会創立10周年の記念で、2日間の拡大バージョンであった。その翌年1983年第10回星群祭は通常の1日バージョンの星群祭であった。日時は1983年7月24日(日曜)会場は京大会館。
 例によって真夏のイベントである。それでなくても暑い7月下旬。場所が京都。京都の真夏は底意地の悪い暑さである。
 第10回星群祭のテーマは「ジュヴィナイルというもの」ゲストは、新井素子、荒巻義雄、風見潤、柴野拓美、巽孝之、豊田有恒、堀晃、眉村卓、安田均の各氏。あいかわずの多彩なゲスト陣である。
 24日の本会に先立って、オープン制の合宿が行われた。宿は祇園のきのえ。ここは星群祭の定宿である。風見潤氏の創作教室、柴野拓美氏のフリートーク。そして当時は星群の同人であった山本弘氏による大ロールプレイングゲーム大会が行われた。もちろん酒つきである。星群の、というか小生の知ってる限り、しらふのSFファンの合宿は寡聞にして知らない。
 さて翌朝、いささか二日酔いぎみの頭をかかえつつ京大会館へ向かう。実行委員長の開会あいさつ。この時の実行委員長はアマチュア時代の水野良が務めた。
 午前の最初の講演者は豊田有恒氏。福島正実氏をはじめ、第一期のSF作家たちが情熱をそそいだ、昔の児童向けSFはあまり良い環境ではなかった、俗悪な「大衆児童文学」と「純児童文学」サイドから白眼視されていた。その昔のSFジュビナイルを支えたのが学習誌であった。また、アニメのノベライズもあまり良い条件ではなかった。
 柴野拓美氏。アメリカのSFにはジュビナイルというカテゴリーはなかった。なぜならSF全部がジュビナイルであったから。SFがジュビナイルでなくなったのは60年代ニューウェーブの洗礼を受けてからだ。
 午前中の最後は風見潤氏。翻訳、翻案の発想の話を交えつつ、ジュビナイルのお話。最近のジュビナイルは、決してSF入門とは同義語ではない。
 昼食。昼休みはファンジン即売が行われた。
 午後の最初は新井素子氏。ある意味新井氏の登場が日本のSFジュビナイルの本格的夜明けであったといえる。その新井氏の講演。話し相手は堀晃氏が務めた。
「いまやジュビナイルというコバルトの新井さんというイメージですが」
「ジュビナイルと意識して書いたことはない。自分と同世代の女の子に読まれたいと思って書いてきた」
 安田均氏。従来の「大人が与えるもの」「大人もの」の、「子供だまし」でもない。生物的にいうと「幼形成体」というイメージではないか。
 辻真先氏が一般参加者として参加されていた。ごあいさつをいただく。 
 荒巻義雄氏は「時代に敏感たれ」とおっしゃった。子供にも判り、なおかつ大人が読んでも面白いもの。なんど読んでも新しい発見があるモノが名作だ。「宝島」が好例。ジュビナイルを書く人は「宝島」を座右の書とすべし。
 巽孝之氏。「子供/大人」を直線と並列でとらえる読み方が必要。
 さて、この星群祭最後の講演は眉村卓氏。ジュビナイルを書く時は、自分の子供時代に頼るが、昔の子供と今の子供は違う。児童文学は、読む側の心理を考えて書かれるが、ジュビナイルはマーケティングを考慮して書かれがちだが、読者の新しい方向性を打ち出す必要がある。
 最後に全員参加のパネルディスカッションを行って、第10回星群祭は無事終了した。
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とつぜんSFノート 第100回

 小生、SFファンとなってずいぶん経つ。そうだな。ファン歴は半世紀に近いかな。子供のころから、この年になるまで、ずっとSFファンをやってきた。
 小生、あくまでSFの愛好家であってプロではない。SFでメシを食っているわけではない。SFは趣味でありアマチュアである。では、小生はなにして食って家族を養っているのか。小生の本業はなにかと聞かれれば、資材購買であろう。
 若いころはコピーライターをしていた。広告制作の足を洗ってから、ずっと資材とか購買仕入れといった仕事をかれこれ30年やっている。今の会社でも購買屋である。
 広告業界から転身して、最初に入った会社では電子部品を扱った。まず最初は在庫管理から。抵抗、コンデンサー、半導体、コネクター、リレー、スイッチ、コイル、基板。電子部品の種類はものすごく多い。それら覚えていかなくてはならない。これらの品物は小さなモノが多い。ほとんどのモノが手のひらに乗る。それを1つ1つ目で見て手でさわって(中には素手でさわってはいけないモノもある)覚えるのだ。コネクターで最もよく扱ったヒロセ電機のサミコンなら、小生は手で握っただけでも型名がわかる。
在庫管理と購買は両輪。在庫管理がまともにできない者は購買もできない。そらそうだろう。在庫量を把握してないで、どうして発注数が決められる。
 在庫管理で最も大切なことは先入れ先出しということ。先に仕入れた品物から払い出していくということ。以前、こんなことがあった。某大手の菓子メーカーでのこと。菓子の原材料の残が少なくなった。購買が発注。納品された。納品された原材料を残の原材料の上に置いて保管。上の原材料から使っていって、下の古いモノは古くなる一方。で、たまたまこの下の古い原材料を使って菓子を製造。品質が悪い菓子となって問題となった。
 かようなことは資材の人間としては絶対にしてはならない。ゆえにモノを発注するのならば、まず倉庫の整理からしなければならない。残と新に入荷するモノをはっきりと区分するようにしなければならないのである。
 さて、購買である。在庫管理業務は社内だけで完結する。購買業務はそうではない。購買とは読んで字のごとくモノを買う仕事である。当然、仕入先がある。購買を行うにおいて、最も大切なことは仕入先といかに良好な関係を築くかということだ。厳に慎まなくてはいけないことは、「買ってやるんだ」という意識を持つこと。買う方がえらく売る方が下ということは決してない。購買と営業はあいみたがい、お互いさまである。こっちは会社の仕事でモノを買う、営業も会社の仕事でモノを売っているのだ。お互い会社のカネでモノを買い、モノを売って会社のカネとしているのである。
 だから、小生、30年購買をやってきて、仕入先には損はさせていない。もちろん小生も自分の会社のカネを使うのだ、極力安く買うのはもちろんである。しかし、仕入先に損をさせてまで仕入れるのは良くない。複数の仕入先に見積もりを出してもらい、極端に安い見積もりを出した仕入先には発注しない。損を出してなければ、そこに発注するが、あきらかに損を覚悟で見積もりを出した業者には発注しない。取引先、仕入先とは長い良好な関係を続けたい。そんなムリをしている所とはいびつな関係になってしまうからである。
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とつぜんSFノート 第99回

 そういうわけで、北海道から関西まで陸路で帰るハメになった。当時は、青函トンネルはない。北海道新幹線はもちろん東北新幹線も全線開通してなかった。これを陸路で札幌から大阪まで帰る。いかにたいへんかご理解いただけると思う。さいわい一行の1人が旅行代理店でアルバイトをしてたので切符の手配はすぐできた。
 まず、札幌から函館まで列車で移動する。この車内で小生、星群のYS,のちにDAICON5の実行委員長になる山根啓史、山根の同人誌仲間の若いの、の4人でSF大会について話し合う。この話し合いが、第25回日本SF大会DAICON5の最初の実行委員会であった。
 4人の一致した認識は、DAICON5をサーコンな(真面目な)SF大会にしようということ。DAICON3、DAICON4はゼネプロ(今のガイナックスの前身)のSF大会であった。武田、岡田らがやったSF大会である。サーコンな大会になるはずがない。お祭騒ぎのSF大会となった。そもそも小生たちはそういうSF大会に疑問を感じてSF大会招致の立候補をしたのだ。立候補は承認された。あとは2年後の日本SF大会をいかなる大会にするか、これから考えるのである。DAICON5が正式に始動した記念すべき時は北海道の列車の中である。
 この4人のうちの小生、YSは星群の会員だ。しかも二人とも会の役職についている。小生は連絡人、YSは編集人。と、いうことであるが、星群の会はDAICON5に関わらないことが確認された。星群の会は日本SFファンダムでそれなりの立ち位置を持っている会である。老舗の創作同人誌で、SF同人誌としては「宇宙塵」に次ぐ地位の同人誌として認知されている。
 そもそも星群の会の創設者高橋正則氏は1971年のDAICON2の実行委員長だった。創作に専念するということ、それに星群祭という独自のイベントを開催していること。それ以後星群の会は日本SF大会とは距離を置くようにしてきた。
 星群の会が日本SF大会に関わったのは2回だけある。1982年東京で行われたTOKON8。自主企画という名目でTOKON で大会内イベントとして星群祭東京出張版をやった。これは日ごろから親交の深い巽孝之氏への義理を果たすためである。巽氏はTOKON8の幹部実行委員であった。
 2回目は2002年島根で行われたゆーこん。この時は星群祭島根出張版をやった。これは星群の会の同人であり、山陰ファンダムのビッグネームファン故石飛卓美氏の要請によるものだった。
 ともかくDAICO5は既成のファングループ、同人誌、同好会、大学のSF研究会などにツテを求めず、独自に有志を募って実行委員会を組織しようということになった。この場にいた4人、関西に帰ったらさっそく、それぞれの友人知人友だち親戚縁者地縁血縁その他、それぞれの人脈を駆使してSF大会の実行委員になってくれそうな人物に声をかけることした。小生はまずあの男のことが思いうかんだ。
 こんなことをあれこれ話し合っているうちになんか妙にむし暑くなってきた。車内の気温はどんどん上昇。これはただごとではないと思っていたら、車掌のアナウンス「N号車(なん号車か忘れたが小生たちが乗っていた車両だ)のエアコンが故障しました。申しわけありませんが他の車両に移動願います」北海道の炎熱列車の始まりである。
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とつぜんSFノート 第98回

 想えばずいぶん長いことSFファンをやっている。小生もこのトシになったのだから、今まで生きてきた時間と、これから生きていく時間を比べれば、だんぜん、今まで生きてきた時間の方が長い。その長い時間のほとんどをSFファンとして過ごしてきたわけだ。
 こんな小生を見ればただのおじさんなわけで、外見でSFファンだと判断することは難しい。別にSFファン特有の斑紋が皮膚に浮かんでいるわけではない。だから、小生に限らずSFファンとカタギの人を見ただけで見分けることはできない。ところがこんなに長い間SFファンをやっていると、同族の臭いというモノは判る。例えば書店の入り口に立ち、ぱっと店内を見渡せば、あ、あいつはSFファンではないかな、と判る。で、その人を観察していると、SFの棚の方に歩いて行く。なぜ判るのか。カタギとSFファンは何が違うのか。これを説明するのはできない。長年の嗅覚のなせるワザとしかいいようがない。
 ではSFファンなる人種はいかなる人種なのか。ごく簡単に述べてみよう。断っておくが、これは50年近くSFファンやってきた古狸だけにあてはまることだ。最近の若いSFファンはよく知らない。
 まず、SFファンは活字中毒。常になにか本(SFに限らない)を読んでいる。昔はSFファン同士の結婚式によく列席した。お色直しでご歓談の時間に本を読んでいるヤツがいる。
 SFファンは酒飲み。SFファンが何人か集まって、用が済めば、まず間違いなく「ちょっと一杯」となる。
 ひとりもんが多い。小生は既婚者だが、小生のお仲間にはやたら独身が多い。中には女性より本を愛しているものもいる。
 貧乏人である。小生もそうであるが、あまり金持ちはいない、だから一杯飲みも上等な店にはあまり行かない。
 スポーツはあまりしない。SFファンはその生態ゆえ、インドア派が多い。スポーツの後爽やかな汗を流しシャワーのあとビールをグググ。こんな人はあまりいない。シャワーのあとビールをググはいるが。それにゴルフをやる人は、小生の知ってるSFファンに一人もいない。
 教養が豊かである。中にはコレクション癖のある人もいる。やたら人脈を作りたがる。イベント好きである。関西限定だが、ジャズ、阪神タイガース、上方落語、この三つ全部あるいは二つ、最低一つが好き。と、いうことで当たっているだろうかな。これ、お前のことやんか。と、いわれればそうかも知れない。

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とつぜんSFノート 第97回

 小生たちSFファンの活動の基盤は本を読むことだろう。映画や漫画アニメばっかり観て、本をまったく読まない者はSFファンとはいえない。SFファンと本の関係は不可分の関係なのだ。
 SFファンは本を読む。だからSFファンには蔵書家が多い。故野田昌宏氏や石原藤夫博士はその頂点であろう。水鏡子のように個人で2000万もかけて書庫を作った人もいる。ハヤカワの銀背コンプリートとかSFマガジン全巻揃いとかを持っている人は少なくないはず。
 以上のように本をためこむSFファンも多いが、小生はかようなコレクション癖はない。SFマガジンは1967年9月号№98から最新号まで全巻そろえているが、他の書籍類は必要最低限しか保管していない。小生は、本は読むために買う。読まない本は買わない。買った本は必ず読む。
 書棚は2本しか持っていない。40年以上SFファンをやっている者としてはたいへんに少ない。この2本の書棚がいっぱいになれば、整理して不要な本は処分する。
 読む本は必ず買っている。図書館で借りることはない。いつまで読めという期限を決められて本を読みたくない。また、人から借りた本を詠むこともない。読む本は必ず自分の本である。そういえば、小生のSF関係の友人はいずれも長いつきあいの人が多い。みなさんとは40年以上のつきあいだ。小生、その長いつきあいの多くの人と、本の貸し借りをしたことは一度もない。
 本の購入は新刊書店に足を運ぶ。ネットでも買えるが、やはり実際に紙の本を手にとってみたい。書店の棚を見て歩くのは本好きにとってはなによりもの娯楽である。古書店にもときどきは行く。古書店でも本を買うが、著者が知り合いの場合、その本は古書店では買わない。必ず新刊書店で買う。古書店でその人の本を買っても、その人には1銭もお金は入らないだろう。
 電子書籍もいいが、いまのところ導入する考えはない。小生のように蔵書をしない者は本の置き場に困ることもないだろう。それにあれは決済はクレジットだろう。小生、ネットでのクレジット決済はやはり不安である。ネットでモノを買うこともあるが、必ず代引きかコンビニ決済にしている。
 と、いうわけで本代にはけっこうお金を使う。小生はギャンブルは宝くじをときどき買うぐらい。服やファッションにも不頓着。お酒は飲む。本代と酒代を節約すれば、そう金は使わない男だと自分では思っている。
 
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とつぜんSFノート 第96回

 きょうは12月29日。きょうもいれて今年もあと3日で終わる。週末料理人、上方落語好き、阪神タイガースファン、神戸人、SFもん、と、いろんな顔を持つ小生だが、基本は何かと考えたら、やはりSFであろう。小生はSFでメシを食っているプロではない。また、名の通ったBNF(ビッグネームファン)でもない。ただの古狸SFファンにすぎない。それでも、小生の大きな部分はSFでできていると自分では思っている。
 今年2017年はそんなSFもん小生にとって、どんな年だったか考えてみた。まず今年からアメリカの大統領がドナルド・トランプがなった。冗談だろ思っていたら冗談ではなかった。確か、小松左京の「復活の日」だったかに史上最低の大統領というのが出てたと記憶する。あの作品、最悪の生物兵器の新型ウィルスが漏洩。全世界に拡散、人類絶滅。さらには大きな衝撃で自動的にICBMが発射される仕組みがあって、地震でそれが作動、生物兵器だけではなく核までも発射され、人類絶滅に追い討ちという作品だった。その仕組みを作ったのが最低の大統領という設定。トランプを見ていると、これが現実になりそうで恐ろしい。
 しかし、ま、今年も人類は絶滅しなかったから、人類の一員たる小生もSFを楽しめる1年を過ごせたわけ。
 まずはSFマガジンだ。今年も6冊のSFマガジンを読んだのだが、隔月刊になって始った劣化はますますひどく、悪化の進行は止まらない。SF専門誌ではなくアニメ・映画といった映像オタク向けのミーハー雑誌と成り果てた。早川書房はカズオ・イシグロのおかげでたんともうけただろう。そのお金をSFマガジンに使って、元のSFマガジンにもどしてほしい。
 SFのお仲間との交際はあいかわらずである。月に一度は飲み会をやっている。ただ、みんな年取ったのかあんまり量は飲めなくなった。話題も、ワシは前立腺の手術した、オレは心臓バイパス手術だ、と、病気や入院、手術の話題が多くなった。ま、生きているだけでも良しとしなくてはいけない。何人か亡くなった友人もいるし。
 小生の会社で、取締役だったおっさんが、退任退職後も顧問かアルバイトか、どんな形でかは知らないが、まだ会社に来ている。おっさん、なんもやることがないんかいな。小生が退職したら、あれもやりたい、これもやりたい、やりたいことがいっぱい。そんなかでもSFファン活動をしたいと思っている。SFを読む、書くはもちろん。イベントにもせっせと出たいし、ファンジンも作りたい。ただ、食うのに精一杯で、まだまだ働かなきゃならん。困ったもんだ。
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とつぜんSFノート 第95回

 と、いうわけで、1984年の7月27日の夜は、小生たちは北海道は定山渓温泉の定山渓ホテルで過ごしていたのである。つい先ほど、日本SFファングループ連合会議にて、2年後1986年の第25回日本SF大会を、大阪で開催するとの立候補して承認されたのである。これで第25回日本SF大会DAICON5は正式に始動したわけ。このことは、時刊新聞や、会場内口コミによって、たちまちSF大会会場内に知れ渡ったのである。
 ホテルの小生たちの部屋には、知人、友人、知ってる顔、知らない顔、なんやかんや押しかけて大盛況となったのである。部屋には、どういう原理か知らぬが泉が出現した。酒の泉である。その泉からは缶ビールやウィスキーがこんこんと湧いて出る。さらには、サラミソーセージ、ビーフジャーキ、亀田の柿の種やらカルビーのかっぱえびせんが、部屋の中に実体化。
 DAICON5の前祝いと、飲めや歌えの大宴会となったのである。まさに酒池肉林、馬食鯨飲、葷酒山門になんぼでも入ってこいの、狂乱の一夜となったのである。
 さて、夏の北海道の、狂乱の一夜が明けた。さすがに少々二日酔いである。少し胸がムカムカするが、小生は実行委員会から参加を要請されていた、全国SFファンジン同人誌のパネルディスカッションに出た。あとはSF大会の定番の企画をひととおり観た。で、小生たちは、自主性制作の映画を観に行った。これが間違いであった。
 次々と上映される映画はめっぽう面白い。素人映画ではあるが、SFファンがつくった映画である。SFファンの急所を突くギャグ演出が大うけ。これ観て終わりにしよ。もう1本観よう。飛行機の時間?まだ間に合うやろ。これ観たらホテルを出ような。おもろいやん。あと何本や。え、あとそれだけ。全部観ようやないか。飛行機?もう、ええやん。どないかなるやろ。ええ、飛行機に間に合わん。しゃあないな。と、いうわけで、小生たち3人は大旅行を敢行することとなるのである。
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とつぜんSFノート 第94回

 そういうわけで、第9回星群祭は、星群創立10周年ということで、拡大バージョン2日間にわたって行われた。会期が2日の星群祭は、この時だけである。
 第9回星群祭は、1982年7月24日25日に行われた。24日の夜はオープン制の合宿が行われた。
 京都の夏は暑い。夏はどこも暑いのだが、京都は盆地だから、ねばりつくような底意地の悪い暑さである。1982年7月24日。この日の京都も暑かったと記憶する。毎年吉例、真夏のSFのお勉強会星群祭である。
 会場は鴨川近くの京大会館。テーマは「書くことの意義」SFに限らず、モノを書いている人にとっては根源的な問いかけだ。
 ゲストは新井素子・荒巻義雄・風見潤・桐山芳男・柴野拓美・高井信・巽孝之・谷甲州・豊田有恒・堀晃・眉村卓・安田均・横田順彌の13人の諸氏。例年になく多人数かつ豪華である。
 さて、そうこうしているうちに、定刻となり第9回星群祭が始った。まず、実行委員長高橋正則氏の開会宣言。ファンライターは作家予備軍か?同人誌やファンジンになぜ書くか?と、いう問いかけをする。
 続いて、基調講演を村上栄次星群本誌編集長が行った。書くことの意義について問いかける。創作活動は自己満足だけで終わってはいけない。発表してこそその創作活動は完結する。
 ゲスト講演の最初は柴野拓美氏。日本最古のSF同人誌「宇宙塵」を主催され、日本SF界を支える人材を輩出してきた。最近、SFの本質について、何度目かの考え直しをし始めている。
 ゲスト講演二人目。桐山芳男氏。古参の関西ファンダムのBNFで、関西海外SF研究会の元代表。私は創作はやらない。SFファン活動はSFをより楽しむためのモノ。時間もかかるし、金もかかる。しんどいこともある。でも、なぜファン活動をするか?楽しいから。
 横田順彌氏。ファンからプロへ。横田氏も古参のSFファンである。なぜファンからプロになったのか。自分を楽しませてくれたSFに対する恩返し。
 堀晃氏。なぜSFか?SFが好きだから。堀氏は会社員と作家の二足のワラジ。会社の仕事が作品に影響を与えることもある。
 これで1日目のゲスト講演は終わり。1日目最後のプログラムは巽孝之氏と村上栄次氏の対談。「科学魔界」と「星群」SF同人誌を編集する二人の対談である。また、巽氏はこのころSFアドベンチャー誌で同人月評を担当しておられた。ファンジン、同人誌は商業誌がやらないことをやるべきだ。商業誌にないもの。新しいSFが誕生する母体が同人誌なのだ。
 これで、第9回星群祭第1日目は終わり。さあ、疾風怒濤、酒池肉林、馬食鯨飲のオープン制合宿へなだれこむ。ビールの雨とウィスキーの吹雪が吹き荒れ、チーズたらと亀田の柿の種。ポテチにぼんち揚げが乱れ飛ぶ。
 酔眼朦朧。千鳥歩行の身体にムチ打ち、合宿所の旅館「きのえ」から京大会館へ身体をむりやり運ぶ。
 2日トップバッターは谷甲州氏。「CB-8越冬隊は汗をかきながら書いた」あの極寒小説を書いた時のエピソード。はるか文明社会から離れてもくもくと書いていた。電卓の電池が切れて計算尺を使いながら書いた。最近、何をやってもSFに結びつく。
 風見潤氏。創作と翻訳の違い。翻訳は難しい原文がハッと判った時が楽しい。創作は自分で開拓してゆく楽しみ。結局、翻訳も創作の一体化したもんだ。
 高井信氏。東京から名古屋へ戻って腰をすえて長編に取り組んでいる。
 新井素子氏。結局、書くことが楽しみなんだわ。原稿用紙を買うのが楽しい。それに字を書くのが楽しい。作品が完成するのが楽しい。本になって出版されるのが楽しい。みんな楽しい。
 安田均氏。SFゲームの第一人者。ゲームとSFがドッキングして、SFがゲーム化され、ゲームをもとにSFが書かれている。アメリカではプロデビューは作品の持ちこみコンテスト応募が主体。ファンジン同人誌に創作が載ることは少ない。
 豊田有恒氏。コケの一念でSFを書いてきた。豊田氏は日本のアニメの創世記シナリオを書いてこられた。シナリオは協同作業の一部。アニメーターたちとのギャップが生じることもある。翻訳は原作を変えたくなる。結局、小説を書くことが残った。趣味が高じてプロになった。才能のあるなしはプロになってからの問題。
 これで、2日目午前の部が終了。午後の部の最初は荒巻義雄氏。荒巻氏は巽氏の前にSFアドベンチャー誌で同人誌月評を担当されていた。新人発掘には非常に熱心。どんなジャンルでも新人が出ることは大切。もちろんSFでも。出でよ大いなる新人。
 そして第9回星群祭最後のゲスト講演は眉村卓氏。「書く」ということは内部から出てくる。内部衝動の問題で教えられるものではない。この内部衝動をいかに育てるかが大切。
 これでゲスト講演はすべて終わり。次なるプログラムは星群祭名物「地獄」の星群ノベルズ批評。テキスト用に用意された星群ノベルズの7編の作品にゲスト諸氏から忌憚のない批評が加えられる。
 第9回星群祭。最後のまとめはパネルディスカッション。書くことは内部衝動のなせるワザ。それは感性によって育てられる。感性は各自が吸収していくべきもの。われわれの場合、SFに対する思い入れから発する。時間を使い金を使い本を読みそして原稿を書く。なぜか。SFが好きだから。

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