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10月31日(水) 永徳VS円空

 テレビ大阪「美の巨人」を観る。今回のクリエイターは狩野永徳。きょうの1枚は「唐獅子図屏風
 高さ2.2メートル、横幅4.5メートル。広大な画面に巨大な2頭の唐獅子が描かれている。この絵はもともと屏風ではなく壁画だったとする説がある。
 永徳にこの絵を発注したクライアントは天下人豊臣秀吉。秀吉は大坂城の臣下と謁見する間にこの絵をかけ、巨大な獅子を背景に臣下の諸大名に唐天竺征服の野望を語ったとされる。
 狩野永徳。400年間日本画壇に君臨した最強のクリエイター集団「狩野派」の4代目当主にして狩野派きっての天才といわれる。織田信長、豊臣秀吉といった時の最高権力者をクライアントに持ち、彼らの権力の象徴たる巨大な建造物のアートディレクションを一手に引き受け、豪壮華麗な桃山文化をプロデュースした人物。
 永徳は来る仕事はすべて受け、ものすごい量の仕事をしたとされている。48歳で死ぬが、仕事のし過ぎによる過労死だったらしい。非常に大量の絵を描いたはずだが永徳の真筆とされる作品は10点あるかないか。なぜか。
 永徳が主に仕事をした場所。安土城、聚楽第、大坂城。これらの建造物は、信長、秀吉の死とともに焼失した。当然、永徳の作品も運命をともにする。現存する作品は幸運が重なって生き残った。「洛中洛外図」は信長から上杉謙信に贈られた。上杉家は後に東北の米沢に領地替えとなり、今は米沢市上杉博物館に。「唐獅子図屏風」は秀吉から毛利家に贈られ、明治に毛利家から皇室に献上された。今は宮内庁が保管している。両作品とも元の持ち主信長、秀吉の手元にあったのならば現存していなかっただろう。永徳はあまりに権力に密着して仕事をしたため、権力者の滅亡とともに作品も失ったのだ。
 円空を思い出した。円空。江戸時代の僧で、主に東日本全域を旅して木彫の仏を数多く残している。ナタで断ち割っただけのような素朴で力強い作風。円空は旅の途中で出会った人々に乞われるままに仏を彫った。円空仏は多くが現存する。
 狩野永徳と円空。絵画と木彫、安土桃山時代と江戸時代。仕事のジャンルも時代もまったく違う二人の芸術家。実に興味深い対比であることか。片や権力者に密着して仕事をした。片や民衆に乞われて仕事をした。永徳の作品はごく少数しか後世に残らなかった。円空の作品は多くが残った。
 権力者は必ず滅ぶ。民衆は滅びない。
 ところで、話はがらっと変わるが、東映任侠映画華やかなりしころの高倉健の「昭和残侠伝」シリーズ。あの映画で健さんの背中で「せなで泣いてる唐獅子牡丹」の唐獅子のモデルは永徳の唐獅子と思うがどうだろう。

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10月30日(火) ベンツのおっさんと自転車のおばさん

 帰り道でのこと。交差点を曲がったところでベンツが止まっていた。その前に自転車に乗ったおばさん。ベンツの運転席の窓からおっさんが首を突き出して、おばさんに何やら怒鳴っている。どうもベンツの進行方向をおばさんの自転車が邪魔したらしい。小生は道のこっち側にいたのでよく聞こえなかった。ベンツのおっさんはいかにもガラの悪そうなおっさん。一方自転車のおばさんはなんとも上品なおばさん。
 おっさんは青筋を立てて怒っている。今にもおばさんにつかみかかりそう。ところがおばさんは意に介していない様子でニコニコして首を振っているだけ。
この間、ベンツが交差点の出口をふさいでいるので、その後ろにズラーと車が渋滞。ところが道をあけろとベンツのおっさんに注意するドライバーは一人もいない。
 そのうちおっさんは怒りがしずまったのか立ち去った。おばさんも何事もなかったごとく自転車をこいで立ち去った。なんとも肝っ玉の座ったおばさんだ。それに比べておっさんがアホに見えた。この勝負おばさんの勝ち。

 NHk「上方演芸ホール」を観る。
 桂梅團治 寝床
 桂春若 夢の喧嘩
 両方とも短縮バージョン。両者とも上手く短くしていた。「夢の喧嘩」は「天狗裁き」のなかば。天狗さんまで出ないでお奉行さんまで。オチは同じ。


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東京タワー オカンとボクと、時々、オトン


監督 松岡錠司
出演 オダギリジョー、樹木希林、内田也哉子、松たか子、小林薫

 1960年代。九州。ボクの両親は、何をしているのか分からないオトンとしっかり者のオカン。オトンは時々家にやって来てボクに絵を教えてくれる。ボクも絵の好きな子供だった。
 オトンに見切りをつけたオカンはボクを連れて炭鉱の町筑豊の実家へ帰った。オカンはボクを女手ひとつで育ててくれた。貧乏なオカンは全財産をはたいてボクを美術の高校に行かせてくれた。大学も東京の美術大学に行かせてくれた。まじめに勉強せず、卒業しても定職につかず自堕落な生活を続けていた。それでもオカンはボクに金を送り続けてくれた。
 そんなボクにも恋人ができ、イラスト、コラム、ラジオの仕事が入り始め借金を返済。生活も安定してきた。ボクはオカンを東京に呼んでいっしょに暮らし始める。
 映画のタイトルの「東京タワー」とは東京のシンボル。と、いうより都会のシンボル。だから大阪に出てきた人にとっては通天閣だし、神戸にでてきた人にとってはポートタワーだ。
 田舎から裸一貫で都会に出てきて、がむしゃらに働いて一代で大企業を創る。という立身出世物語は数多ある。しかしそんな話はこの現代では、なにかやましいことをしているに違いないと思われて白けるだけ。精錬潔白でそんな大企業が創れるはずがないから。
 この映画の主人公「ボク」も田舎から都会に出てきた。ところが大きくなってもオカンのスネをかじる。大学を卒業してもまともに働かない。立身出世男と「ボク」では、「ボク」の方により親近感を感じる人の方が多いだろう。だからこの映画は「ワタシ」の話であり「アナタ」の話でもある。
 オカンは日本人の死亡原因第1位の癌で死ぬが、別に凄まじい闘病生活を送るわけではない。普通の闘病をして、普通に抗癌剤治療を受けて普通に苦しみ普通に亡くなった。
 20世紀後半から21世紀にかけてのごく普通の日本人のごく普通のドラマ。鏡のような映画である。スクリーンに映っているのは「ボク」であり「ワタシ」で「アナタ」なのだ。
 
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10月29日(月) 阪神タイガースの補強

 阪神タイガースの今シーズンの成績は3位。12球団で最低の貧打線。規定投球回数に達した投手が一人もいない。得点より失点の方が多い。これでセリーグ3位は上出来といってもいいだろう。これはひとえに中継ぎ抑えといったうしろで投げる投手のおかげといってもいい。
 セリーグの覇権奪回と85年以来の悲願の日本1を達成するために、大幅な補強が必要なのはいうまでもない。補強のポイントは先発投手と打線。
 先発投手。これは井川が移籍した時点から分かっていることで先発投手の補強に関しては小生も異存はない。
 問題は打線。球団は長距離バッターを欲しがっているようである。これには小生は反対。長打一発の魅力は小生も認めるが長打は確実性がない。確実に1点を取りに行く野球を目指すなら、長距離バッターよりも足の速い3割バッターが必要である。2塁打を打つ2割7分ぐらいのバッターより、単打ばかりでも3割を打てる俊足バッターの方が勝利に貢献すると思うが。
 長打は水物。単打は好打者なら、打とうと思えば10本に3本は打てる。そして盗塁すれば2塁打と変わりがない。
 もし、ここに85年当時のランディ・バース一人と赤星二人がいれば、赤星二人を取るべきである。一発攻勢よりもつなぎの野球を目指すべき。

 ところで話ががらっと変わりますが、ちょっとだけ宣伝させてください。小生の古くからの友人で星群の会出身の菅浩江氏が、東京創元社から新作を出版します。それに関して京都でサイン会を行います。ご都合のつく方はどうか行ってやってください。
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ピッツァ探偵

 
 俺か、俺は探偵さ。探偵といってもあんたが想像しているような探偵じゃない。たまに来る仕事のほとんどは夫の浮気調査か妻の不倫調査だ。
 え、かっては県警のこわもてデカだった俺がなんでこんなことしてるかって。俺がバカであいつがかしこかっただけさ。
 今日は依頼人が来ることになっている。だから日曜にもかかわらず事務所にいてるってわけ。神戸の春日野道商店街のはずれにある古い小さな雑居ビル。1階の一番日当たりが悪い部屋が俺の事務所だ。隣はなにやら怪しげなビデオを作っている連中らしい。時々はすっぱな女の子が出入りしている。スタイルはいいが、あたしバカです、と顔に書いてある女の子だ。
 おっと、もう11時半か。外にメシを食いに行くのは面倒だ。何か作って食おう。何があるか机の上に並べてみた。
 強力粉、薄力粉、ドライイースト、牛乳、マッシュルーム、しめじ、まいたけ、鶏ミンチ、にんにく、オレガノ、パセリ、チーズ。あまりたいしたものはないな。ピッツァでも焼くか。
 ぬるま湯でドライイーストを溶かす。オリーブ油を入れ、粉を加えてこねる。いつもは手でこねるが今日は依頼人が来るかも知れないのでフードプロセッサでかき混ぜる。20秒ほど回したら、ボールに入れて軽くこねる。
 30分ほど発酵させる。バーボンでも飲んでいよう。ワイルドターキーが少し残っていた。ストレートでちびちびやっていたら30分たった。
 生地を薄く延ばす。俺は手でクルクル回したりしない。曲芸は嫌いだ。生地にオリーブ油を塗りみじん切りのにんにくを散らす。炒めた鶏ミンチ、きのこをのせ、オレガノ、パセリをパラパラ。チーズをかぶせて、300度のオーブンで10分焼く。
 ピッツァが焼けた。食おうとした時チャイムが鳴った。まだ12時15分だ。約束は午後1時のはずだ。
 ドアを開ける。女が立っていた。
「約束は1時のはずだ。俺は食事中だ。ちょっと待ってくれ」
「なにバカなこといってんのよ。またアホなハードボイルド小説でも読んでたのでしょう。ピッツァあたしの分もあるでしょうね」

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10月27日(土) 和風肉みそラーメンでございます

 
 今朝は和風肉みそラーメンを作りました。坦々麺をやさしくして和風にしたものと思っていただいて結構です。スープは昆布と鰹節。かえしで味付けをします。かえしはお醤油と味醂を同量壷に入れてねかしてあります。わたくしは関西風の薄口醤油と関東風の濃口醤油の2種類を常時ストックしております。麺は細めでストレートがよろしいようです。
 さて、肉みそ作りに取りかかりましょう。中華鍋にごま油を少量入れてしょうがとにんにくをひとカケづつ加熱して油に香りを移します。玉ねぎのみじん切りを炒めて透明になったら、戻してみじん切りにした干し椎茸を加えます。豚ひき肉も入れて炒め合わせます。
 おみそは坦々麺なら甜面醤と豆板醤を使いますが、和風ですので八丁みそを使います。お砂糖を入れてお酒で溶いて、鍋に加えます。水溶き片栗粉でとろみをつけて肉みそのできあがり。
 ゆで上がった麺を丼に入れ、スープをそそぎ、肉みそをのせて青ネギをパラパラしてできあがりでございます。

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10月26日(金) エイリアンか?


 海辺を歩いていたらこんな物が落ちていた。なんだろう。魚の頭の骨ではなさそう。海の生き物については多少は知っているつもりだが、こんな物は始めて見る。
 カンブリア紀より生き延びたアノマノカリスの骨かな。もし神戸の海でアノマノカリスが発見されたら大騒ぎになるだろう。生きた個体なら須磨水族園で飼うのだろうか。
 いや、ひょっとするとエイリアンの外骨格かも知れない。明石海峡の上空を謎の火の玉が飛んだ。と、いう話は聞いたことはない。もしエイリアンの外骨格なら、いつの間に地球に侵入したのだろう。不気味だ。
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10月25日(木) 高等数学の世界「ポアンカレ予想」!?

 NHKスペシャル「100年の難問はなぜ解けたのか 天才数学者 失踪の謎」を観た。非常に面白かった。センス・オブ・ワンダーに満ちあふれた内容で出色の番組だった。 
 ある天才数学者が失踪した。彼の名はグレゴリ・ペレリマン。2006年度のフィールズ賞受賞者。フィールズ賞とは4年に1度与えられる数学界最高の栄誉。受賞理由は「ポアンカレ予想」を証明したこと。 
この数学の命題はこの100年間、数多の天才数学者が挑戦してきたがことごとく失敗。人生を狂わせてきた。ペレリマンはこれの証明に成功した。ところが彼は受賞を拒否して姿をくらました。彼と同様この難問に取り組んだ数学者たちは彼の失踪を理解できるという。なぜか。
  1904年フランスの数学者アンリ・ポアンカレは以下のことを予想した。
「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である」
 これを一般化すると
「n次元ホモトピー球面はn次元球面に同相である」
 なんのことやらさっぱり理解できない。ジンマシンが出てきた。こういうことだそうだ。
 ロープを引きずったロケットが地球を出発。ぐるっと宇宙を一周して地球に帰還。ロープは付いたまま。ロープの両端を持って手繰る。全部手繰り寄せられたら宇宙は丸い。手繰り寄せられなかったら丸くない。例えば宇宙がドーナツのような形だったらロープはドーナツの内壁にかかって手繰れない。
 このことを証明せよ。という命題。
 このような高等数学は魔力をもっているらしい。でも小生たち凡人は安心していい。この魔力にかかるのは天才的な頭脳を持っている人たちだけ。この「ポアンカレ予想」の証明に何人もの天才が寝食を忘れて没頭。中には一生をこれに費やした数学者もいた。人生を狂わした学者もいた。これはもう仏教的な「業」カルマとしかいいようがない。
 従来この命題は位相幾何学トポロジーの問題とされてきた。トポロジーとは物の形を軟らかくとらえて分類しようという学問。例えば皿、スプーン、球は同じ仲間、カップ、ドーナツは違う仲間。番組ではこのあたりのトポロジーの解説はCGを使って非常に分かりやすく解説していた。
 ペレリマンはこの命題をトポロジーではなく物理学と古典的なニュートン微分積分で証明した。
 ペレリマンを始め番組に登場する数学者たちの「ポアンカレ予想」に取り組む姿勢は非常にストイックで求道者を思わせる。数学もここまで来ると、哲学的というか、禅に通じる感じさえする。
 このような数学の難問があと6題あるとか。
 
以下番組とは別の話。
高等数学研究室の留守番をたのまれたこんにゃく屋のおやじ。そこに旅の数学者がやってきて、トポロジーの問答をふっかける。おやっさん、なんのことやらさっぱり分からない。だまっている。
「これは超難問6題に取り組んでおられて頭がいっぱいなのだから口がきけないのだろう」と数学者はかってに解釈。手話で問いかける。
ハッ
ホッ
ヘッ
「へへー。参りました。大先生には私ごとき足下にも寄れません」
旅の数学者は平伏して出ていった。
 おやっさん。こんにゃく屋だけに商売もんのこんにゃくをコネコネ手でいじくっていただけ。数学者はそのこんにゃくの形を見てトポロジーの返答と勘違いしたわけ。

 




  

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私のタヌキ

 その時はしたたかに酔っていた。酔っ払った末に見た幻かと思った。
 深夜1時近く、最終電車から降りた私は、駅から家への道を千鳥足で歩いていた。このあたりは新しく開発された新興住宅地で、同じような建て売りの一戸建てが行儀よく並んでいる。私の家もそのうちの一軒だ。
 歯が抜けたように造成中の土地が所々にあって、そこは草むらになっている。その草むらでそいつを見た。
 大きさは30センチぐらい。緑色で胴体は短い毛でおおわれている。前後の足には毛がなく、後ろ足は鶏の足のよう。前足はごく小さなトカゲのような足が申し訳程度についていて、シッポは細かい鱗でおおわれている。顔はリスザルに似ていて、妙に人間っぽい表情で、何かをいいたげにこちらを向いていた。そしてかたわらの草むらの中に消えていった。数十秒のできごとだった。
 私は動物好きで、人より動物にくわしいつもりだ。しかし、先ほどの動物はまったく知らないし、見たことも聞いたこともない。家で動物の図鑑を見たが、そんな動物は載っていない。 
 結局その晩は酔いもあって、図鑑を見たあとすぐに寝てしまった。
 翌朝、妻に起されて目を覚ます。ちょっとだけ昨日の酒が残っている。ねぼけた状態から脳が完全に目を覚まして、昨日のことを合理的に解釈しようとした。結論としてアレは酔っ払って見た幻ということで納得しようとした。でなかったら私の知らない動物がペットとして飼われていて、逃げ出したものだ。実に奇妙で不思議で釈然としない目覚めとなった。
 トイレから出て手を洗っていると、テレビの前で妻が何事か叫んでいる。
「ちょっとちょっと。このへんが映ってるわ。あ、これ長岡くんのうちじゃない。すご~い。わっタヌキだ。かわいい」
 なにがすごいのかわからないが、確かに息子の友だちの長岡さんの家がテレビに映っている。ニュースの合間にやっている「わたしのビデオレター」という番組で視聴者が自分で撮ったビデオを紹介する。
 長岡さん宅の庭に毎夜タヌキがやって来てすっかりなつき、今では人の手から直接エサを食べるようになった、という内容のビデオである。
 興味がないので新聞に目をやった時、「あ、長岡くんだ。タヌキにエサやっている」という息子の声につられて、再びテレビの画面を見ると、昨夜のあの動物が映っていた。緑色の奇妙な動物が息子の同級生の手からエサを食べている。
「この動物を見たことあるのか」
「このへんは山も近いし、自然がたくさん残っているからタヌキはよく見るわ」
「そうだよ、おとうさん。学校の裏の林でもよく見かけるよ」
「この動物って、へんないい方ね。あなた動物好きなのにタヌキを見たことないの」
「もちろん俺はタヌキを知ってるし見たこともある。しかし、こいつはタヌキじゃない」
 そういった時、妻と息子の目が点になった。おとうさんは何をいいだすんだ。あなた、おかしくなったんじゃないの。心配だわ。
「タヌキじゃないとすると、これはなんなの。あなたはこれがウサギかイタチに見えるの」
「お前らはこのけったいな動物がタヌキに見えるのか」
 私の問いかけに二人ともうんと首を縦に振って、実に心配そうに私を見た。
「じゃあ、おとうさんはこれが何に見えるの」
「わからん。こんな動物は知らん。こいつは俺が酔っ払って見た幻だ」
「あなた、本当にだいじょうぶ。このところ残業や接待でお疲れだから。今日は会社休んだら」
「バカなこというな。今日は大事な会議があるんだ。行くぞ」
 家を出て駅に着くまで、気をつけて道端の草むらなどを見て歩いたが、昨夜のヤツはいなかった。午前中は会議。午後は得意先まわり。夜は得意先の購買担当者と3軒ハシゴ。いつものパターンで一日が終わった。
 昨夜と同じように酔っ払って駅から家への道を歩く。途中、小さな川がある。橋の上から川面を見ると、座布団のような物が数匹群れて泳いでいる。エイか。バカな、こんな海から遠い川にエイがいるはずがない。
「ただいま。おい。要川にエイがおったぞ」
「静かにしてよ。毎晩毎晩酔っ払って帰ってきて。弘が起きるじゃない。それにエイじゃなくコイでしょ」
 妻はそういうと恐い顔をして三つの目で私をにらんだ。私はモタモタと3本の足から靴をぬぎ、玄関に寝転がった。
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10月24日(水) 阪神沿線と阪急沿線

 
写真は阪神電車深江駅前。このあたりは駅を中心に半径100mほどの地域にパチンコ屋が5軒もある。阪神のレールの南に1軒北に4軒。深江駅は普通しか止まらない駅。そのような大きくない駅の周辺に5軒ものパチンコ屋。多いように思うが1軒も潰れずに共存している。震災前は3軒だけだったが、地震で全壊した稲荷市場の跡地に1軒、さらに駅の南にもう1軒できて、今の5軒になった。もう一駅西の青木駅前のパチンコ屋は2軒。深江駅前には、なぜこんなにパチンコ屋が多いのだろう。
 この地点からほんの少し東に行けば芦屋市。芦屋市は条例で風俗関係の店は営業できない。従って芦屋市内にパチンコ屋は1軒もない。芦屋市の住民にもパチンコをしたい人がいるのだろう。だから少し西で、ごく近くの神戸市内のこのあたりにパチンコを打ちに来るのではないだろうか。
 芦屋といえば、ええし、セレブ、金持ち、豪邸というイメージを持たれるムキもおられるだろう。それは芦屋の一部分。阪急より北の六麓荘などの地域がいわゆる「芦屋」で、南の阪神電車沿線はごく普通の庶民的な街。文化的には神戸市東灘区につながっているのではないだろうか。
 阪急電車沿線の北側、西からいうと神戸市の御影、岡本、芦屋市の六麓荘、西宮市の苦楽園。このあたりが谷崎の「細雪」でおなじみの阪神間金持ち地帯。もちろんこの金持ち地帯にはパチンコ屋はない。
 このように阪神電車沿線と阪急電車沿線は全く違う文化圏。それがいっしょになった。どうなることやら。
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ジャズ大名

監督 岡本喜八
出演 古谷一行 財津一郎 神埼愛 殿山泰司 

筒井康隆、山下洋輔、岡本喜八。この3人の鬼才が集まって映画を作ったらどういう映画になるか?こういう映画になった。
時は幕末。3人の黒人ミュージシャンが日本に漂着。場所は駿河の小藩庵原藩。黒人たちは城の座敷牢に隠される。藩主海郷亮勝は音楽好きで好奇心も強い。家老の反対を押し切り3黒人と面会。1丁のクラリネットをもらう。
 庵原藩は海と山に挟まれた東海道の交通の要衝。物情騒然とした幕末。藩主亮勝は幕府薩長どっちに付くか決めかねている。双方から城内を通過させてくれと要請されると、双方にOKする。そのうち城内の建具をとっぱらい往来自由の道路と化す。東名高速の前身である。貧乏な庵原藩はそれしか生き残る道はなかった。時を同じくして亮勝の奥方の不義が発覚。
クラリネットを吹けるようになった亮勝は3黒人のところに入り浸り。ぶんちゃかぶんちゃか「じゃず」を演奏する。家中の者もそれにつられて、思い思い楽器、鳴り物を持って「じゃず」の演奏に参加。城を上げての一大ジャムセッションを繰り広げる。
ずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃずじゃじゃじゃじゃっじゃ。
そのころ城の上層部自由通路では、幕府、薩長が戦いを繰り広げている。時代は激しく動いて行く。そんな外界の動きをよそに、というか逃れるようにというか、城の下層部座敷牢周辺のジャムセッションはますますヒートアップ。最初は渋い顔をしていた堅物の家老まで、得意の陣太鼓を打ち鳴らしセッションに参加。さらには「え、じゃないか」「え、じゃないか」のおかげ参りの衆やら、百姓一揆の連中、旅の雲水の集団まで加わって、亮勝、3黒人を中心に忘我の極地の大群衆は狂騒状態となって「じゃず」に没頭する。
 外界では時代は変わって明治となる。
 後半の城内のジャムセッションは見ものである。激しく動く時代に関わりたくない/関われない/関わるすべを知らない、人たちがみんな城の下層部で「じゃず」に没頭。亮勝をはじめなぜ彼らが「じゃず」に逃げざるをえなかったのかよく分かる。その彼らが演奏が異様な迫力で迫ってくる。時を同じくして城の上層部の通路では時代がどんどん変わっていく。この2重構造がおもしろく、下層部で「じゃず」に没頭する人々の哀しみが浮き彫りになる。
少しだけ哀しくて、う~んとおかしくって楽しい、爽快な傑作。☆マークでお勧め。   
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10月23日(火) 21世紀を夢見た日々・日本のSF50年

 NHK教育のETV特集「21世紀を夢見た日々・日本のSF50年」を観た。番組のオープニングで「ウルトラQ」のオープニングが映されたので、もしやと思って危惧した。マスコミがSFをこういう取り上げ方をした場合、とっつき易い映像メディアのSFばかりに焦点を当てることが多く、SFの本流である活字SFが添え物的に扱われることが多かったが、この番組はSFの持つ様々な側面をバランス良くとらえていた。
 まずベルヌ、ウェルズから話を起していき、日本で最初のSF作家を星新一氏としていた。これはSF入門の定石。SFに関して話を始める時の極めてオーソドックスなつかみといえる。
 この番組を観て最大の収穫は、日本SF創世記の生の姿がそのまま見られ聞けたこと。福島正実氏の肉声を始めて聞いた。また日本SF作家クラブ創立時の中華料理屋「山珍居」でのやりとりを、若いころの星さんや小松さんの肉声で聞けた。また、伝説として聞いていた原子力研究所の見学会の様子などもわかった。星さんが伝説どおりの冗談をいっていた。
 今の日本SFを語るという鼎談が行われていた。漫画家・作家の折原みと氏、アニメ監督の今敏氏、そしてお名前は失念したがCMディレクターの人。この人選は大いに疑問。なぜ作家ということで折原みと氏を出したのか。女性作家ということなら菅浩江氏、新井素子氏あたりをなぜ出さなかったのか。
 第1期の作家は小松左京氏、筒井康隆氏、眉村卓氏、豊田有恒氏、石川喬司氏と、いま健在の作家は出演して発言していた。第2世代の代表として鏡明氏が出ていた。このあたりの人選について、あの人が出てないこの人が出てないとなると、人それぞれできりがない。しかしこのようなテーマで番組を作るときにどうしても欠かせない人を欠かしている。柴野拓美氏である。柴野さんはまだまだ健在で、今夏の世界SF大会でのゲスト・オブ・オナーを勤めておられる。出演は可能であったはず。なぜ柴野さんを出して発言してもらわなかったのか疑問だ。
 創世記の作家たちの話は聞けた。しかし現在の第1線のプロパー作家たちはなぜ取り上げなかった。あえて無視したのか時間の都合で取り上げられなかったのか。谷甲州氏、田中啓文氏、山本弘氏など、こういった作家たちも取り上げるべきだった。
 後半は現代の日本アニメ、秋葉原あたりのいわゆるオタクっぽいモノをSFの到達点としていたが、これらはSFの派生物の到達点であって、SFの到達点ではない。
 コーヒーを思い浮かべてもらいたい。日本になかったコーヒーなる飲料が諸先輩たちの努力で日本に定着。発展してきた。で、コーヒーからコーヒー牛乳やらコーヒーゼリーなどの飲食物が派生して出てきた。で、「日本のコーヒー50年」という番組で現代のコーヒー牛乳やコーヒーゼリーを、コーヒーの一つの到達点として番組を終えたら、コーヒーの愛飲家はどう思うだろう。なぜ今のレギュラーコーヒーを取り上げないかと思うだろう。この「日本のSF50年」がこれと同じことをやっていた。
 アニメなどに時間をとるななどという偏屈なことはいわない。小生もすぐれたSFアニメは立派なSFとして評価する。番組で取り上げられていたアニメはどこに出してもはずかしくない立派なSFだ。アニメに取る時間を少し削って本流の活字SFにも時間を取ってもらいたかった。
 とはいえ、このようなSF大会の大ホール企画のような番組を放送されたことは、いちSFファンとして非常にうれしくNHKに感謝したい。もちろんDVDに取って永久保存版とした。

 
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10月22日(月) 655番のお客様、2番の窓口に

 神戸中央郵便局へお金を入金に行く。5時以降に行ったがすいていた。入金の書類を書いてお金といっしょに窓口に渡すと、係員が「順番にお呼びいたしますから、番号札をお取りください」といった。順番といっても周囲に小生一人しかいない。おかしいなと思いつつ機械から番号の紙を取った。655番だった。イスに腰掛ける間もなく、「655番のお客様、2番の窓口にお越しください」とマイクで呼ばれた。2番の窓口は最初にお金を渡した窓口。この、機械から番号札を取るという行為にはどういう意味があったのだろう。
 たぶんマニュアルかなんかで決まっているのではないか。先客から順に受け付けるため番号札を客に持たせると。混雑している時は、このやり方でいい。しかし、すいている時は直接窓口に来た客から処理していけばいいのでは。
 決められたことを手順どおりにこなすだけ。民間企業になって22日も経つのにお役所仕事の典型のようなことを郵便局はまだしている。このようなお役所仕事の弊害をなくすため、郵便局は民間企業になったのではありませんか。小泉さん。一事が万事、こんなことでは民間になったメリットはありませんよ。混雑している時は混雑しているやり方で、すいている時はすいているやり方で。臨機応変に対処していけばいいのではないですか。西川さん。
 小生は長年、製造会社の生産管理部門で働いてきた。そこで常に会社からいわれていたことがある。
 今しているその仕事はどういう意味がある。生産工程の中でどういう位置付けか。その仕事を省いたらどうなる。その仕事の前にこういう仕事をくっつけたらどうなる。後につけたらどうなる。別の仕事で代えることはできないか。並行してやっている別の行程の仕事といっしょにできないか。
 どんな仕事でも常に疑問を持ちながら行うことが大切。何も考えず、昨日と同じやり方で同じように仕事を処理していく。これではなんの進歩もない。
 このように常に新たな改善を実行して、常に前進を続けることに民間の最大のメリットがある。はたして神戸中央郵便局の職員で、客に番号札を取らせる、という仕事に疑問を持った職員が何人いただろう。もし一人もいなかったら小泉さんの口車に乗せられて、大騒ぎして郵政民営化した意味がない。
 

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10月21日(日) 秋のお弁当

 
朝からお弁当を作っていました。お昼に食べます。お天気がいいので、これを持ってどこかに行楽に行きましょうか。
 
ご飯は栗ごはん。栗は焼くと鬼皮がむきやすいです。お米はCAFEMINKazさんのレシピを参考にしてもち米とうるち米をブレンドしました。
 おかずは

 かいわれとエノキのおひたし
 鶏もも肉の味噌漬け
 しめじの佃煮

 おひたしは、かいわれとエノキを昨晩から、昆布かつおだし、薄口醤油、味醂に漬けておきます。
 鶏もも肉は24時間以上味噌につけておきます。漬ける味噌は、味噌を味醂で溶いて、おろしにんにくをほんの少し加えるとおいしゅうございます。
 佃煮はしめじをから炒りして、醤油、酒、味醂でさっと煮ます。しめじはそのまま煮るより、フライパンでから炒りしておいた方が良い香りがでます。

 さっ、お弁当もできたし、どこに行きましょうか。
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10月20日 牛丼のセンス・オブ・ワンダー


 小生は吉野家の牛丼のファンである。若いころはよく食った。いまでも外で手軽に昼食をすます場合は吉野家によく入る。BSE騒ぎで吉野家の牛丼が食えなかった時は心配した。
 この吉野家の牛丼を自宅で作ってみようと思って色々試してみるが、なかなかあの味はでない。どうも赤ワインの使い方がポイントらしいが。
 牛丼屋が効果的に使われている映画で思い出す映画がある。押井守の劇場版「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」である。この映画で牛丼屋のシーンが出てくるが、不条理でシュールな画面が続く中に、ポッと牛丼屋という日常的な風景が大変に効果的なアクセントとなっていて、センス・オブ・ワンダーを感じたしだい。そういえば前作の「オンリー・ユー」には恒星間航行をしている宇宙船の中に畳敷きの部屋があって、そこでラムや諸星一家がスキ焼を食うシーンがあったが、あれもなかなかセンス・オブ・ワンダーだった。押井守はSFをよく分かっている。
 それはそうと今日の牛丼。どうだろう。さっそく食う。うまい。吉野家に負けてないかも。
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