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とつぜんコラム №207 ハード面は良くなった。ソフト面は?

 新しい年が始った。小生が子供のころの正月の新聞には、バラ色の未来があふれていた。真鍋博や小松崎茂のイラストで未来の日本が描かれていた。東京と大阪を3時間で結ぶ夢の超特急。本州と四国を地続きにする夢架け橋。ビルの谷間を縦横に走る高速道路。
 未来はバラ色だった。未来は、将来は、何年後かは、必ず今より、豊に、楽に、楽しく、より良い世界、より良い日本、より良い生活が待っている。だから、いま、がんばろう。いまは苦しくても、いまは貧しくても、必ず良くなる。未来を信じて生きていこう。
 で、未来になった。新幹線も明石海峡大橋も出来た。では、世界は、日本は、私たちの生活は良くなったか。どうだろう。
 インターネットによって即座に世界中の情報が入手できる。携帯電話の普及で、いつでもどこでもだれとでも、簡単に意思の疎通ができる。おばあさんは川に洗濯に行かなくても家でらくらく洗濯機で洗濯できる。おじいさんは山に柴刈りに行かなくても、コックをひねれば火が出る。
 確かに便利にはなった。便利にはなったが、豊かにはなったであろうか。そして世界は、日本は、良くなったであろうか。確かに生活は良くなった側面はある。しかし、それはハード面が良くなっただけでソフト面はどうだろうか。
 いや、「世界」や「日本」という「容器」を見れば「良く」はなっているであろう。うん。確かに「良く」はなっているようだ。で、聞くが、その「容器」に入っている、肝心の「人間」はどうなのだ。「良く」なっているか。ハード面は良くなっている。医学生理学の進歩によって、たいていの病気は治る。癌もいずれ完治するようになるであろう。「人間」のハード面は、故障しても修理可能で、耐用年数は大幅に伸びた。文明社会では。では「人間」のソフト面はどうだろう。
 災害、戦争、疫病、飢饉、事故。人類はいままで幾多の危機を乗り越えてきた。だから、あなたが、わたしが、ここでこうしているのだ。もし人類がバカならとっくに絶滅して、ここでこうして駄文を書いているのは進歩したゴキブリかもしれない。
 と、いうわけで今までは生きてきた。ではこれからはどうであろうか。だいじょうぶ。人類の英知と知恵で乗り切るであろう。で、あれば良いが、はたしてそうだろうか。人類に英知と知恵はあるのだろうか。
 今まではなんとかできた。災害にしても戦争にしても疫病にしても、これから起こるモノと比べてみれば限定的といっていいのではないか。今まで最大の戦争といえば第2次世界大戦であろう。あの戦争でも戦火のない土地もあったのだ。14世紀流行ったペストにしても今なら抗生物質によって対応が可能だ。
 今までは。これからはどうであろうか。だいじょうぶだろうか。だいじょうぶではないのではないか。
 第3次世界大戦が起こってもだいじょうだろうか。ま、普通に考えてだいじょうぶではない。起こればだいじょうぶではないが、起こすほど人類はバカではない。そうだろうか、そんな楽観できるほど人類は賢いだろうか。昨今の情勢を見るに暗澹たる気持ちにならざるを得ない。自分さえ良ければ良い。わが国さえ良ければいい。
 まったく困ったものだ。
                             

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とつぜんコラム №206 かって経験したことのない

今年2018年が終わろうとしている。平成で過ごす最後の年の瀬だ。この2018年とはいかなる年であっただろうか。
 国内に関しては、災害の多い年であった。大阪北部と北海道を襲った地震。夏に相次いでやってきた台風。それに7月の猛暑と豪雨。地震はともかく、台風と猛暑は「かって経験したことのない」という枕言葉がなんどもついた。まさしく災害大国日本である。そして地震、豪雨、猛暑、台風といった定番の災害の背後に、巨大な影のように潜む大きな不安、南海トラフ地震がある。かような大きな不安をかかえる日本で東京オリンピック、大阪万博と二つの国際的な大きなイベントが行われることになった。いいのだろうか。東京と大阪に投票した委員はそのことを知っているのだろうか。
 豪雨、猛暑、台風といった災害は年々過酷になる。2019年も「かって経験したことのない」災害が日本を襲うだろう。「経験したことのない」ことの経験は日本人は豊富である。この経験を生かしてしっかり対処しなくてはならない。
「かって経験したことのない」は日本の災害だけではない。今年も世界はアメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプに振り回された。こんなアメリカの大統領は「かって経験したことのない」大統領である。他国の大統領とはいえ、日本とアメリカの関係をかんがみれば、日本にとっては、アメリカの大統領は天候気象といった自然現象と同じである。人智の及ばない自然災害と同じで、猛威をふるう影響力をただただ耐えなければならない。トランプ以前のアメリカ大統領。直近のオバマも入れて、みな理想とロマンを持っていた。暗殺されたケネディが大統領として大きな人気を得たのは、その若さとともに、遥か地平線の彼方を見渡すような壮大なロマンを感じさせたからだろう。トランプに比べればあのブッシュ息子大統領でさえ知性と教養が見える。かような人物を大統領に選ばざるをえないのは、いかな大国アメリカといえども、それだけ余裕がなくなったということか。ことはアメリカだけではない。右傾化の傾向は世界的な傾向だ。特にヨーロッパは顕著でメルケルさん1人ががんばって、なんとかヨーロッパを支えているといっていいだろう。
 いずこも、我さえ良ければ、我社だけ良ければ、我国さえ良ければということだろう。「人類の英知で世界平和」などと夢みたいなことを本気でいう人はいないだろう。人類なんてものは、そもそも英知なんか持ってなくて、猿が両手を使えるだけなのかもしれない。困ったものだ。
 


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とつぜんコラム №205 会社をクビにならない

かって、この国はサラリーマンのユートピアであった。昭和の時代、かの植木等が、こう歌っていた。
「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ。二日酔でも寝ぼけていても、タイムレコーダ、ガチャンと押せばどうになかっこはつくもんさ。チョコラチョイト、パーにはならしねえ」
 そう、めったにクビにはならなかった。そして年功序列。入社して大過なくすごせば、給料は上がるし、それなりに出世もした。
 これらは過ぎし昭和の時代とともに、過去へと流れ去ったのである。今は、二日酔で出社するなんてもってのほか。タイムレコーダをガチャンと押した後も必死で働かなければパーになる。いとも簡単にクビになる。昔に入社して馬齢を重ねただけの年寄りは、リストラにあうか、良くて窓際に追いやられ閑職の飼い殺しである。
 賃金を得て生計を立てている全労働者にうちで、非正規労働者の占める割合は40パーセント。非正規でなくても、正規社員でさえもリストラされる。つまり、現代の労働者は使い捨ての消耗品である。
 才覚があって独立して会社を興せる人、文才、画才、商才、芸才があってプロとして稼げる人はいい。また、農業や漁業に転身できる人。そいう人は少ないであろう。都市生活者のほとんどは、いわゆる「会社」なるものに入社して、賃金を得る以外に生計の道はないであろう。
では、「会社」なるものに居るにはどうすればいいか。答えは極めてシンプルである。クビにならない。これにつきる。
 小生、いまの会社で13社目である。自分から辞めた会社もあるが、ほとんどはクビになったのである。
 最初は昆布食品の会社だった。それからコピーライター養成講座を修了してコピーライターになって5社を渡り歩いた。そしてK電気に入社。資材購買業務を27年やってリストラされた。その後、購買の専門家として5社を転々として、今の会社に入って10年目である。山ほどクビを経験してきたわけ。
 自分でいうのもなんだが、小生、自分ではクビになるほど無能とは思えない。コピーライターとしても購買係としても使いモノにはなっているだろう。それでもクビになったのである。では会社をクビにならないためにはどうすればいいのか。
 まじめにコツコツ仕事をしていたら、きっとお天道様が見ていらっしゃる。大きな間違いである。お天道様なんか、そんなモノは見ていない。それどころかまじめコツコツな人は真っ先にリストラされる。
 では、大変に有能でバリバリ仕事してる人。中途半端にバリバリだと危ない。リストラされる。ものすごく有能で圧倒的にデキル人。こういう人は出世するかもしれない。しかし、専務副社長どまりでトップにはなれない。トップは社長の息子がなるのである。そしてオヤジの代からの幹部はうっとうしいからクビ。いずれにしてもクビになるのである。
 どうしたらいいか。クビにしにくい/クビにできない社員になることだ。クビにしにくい=クビにしやすくない、ということである。だまってまじめにコツコツ。こんな人ほどクビにしやすい社員はいないだろう。バリバリ社員はたいてい口もバリバリである。自分が仕事ができるから、自信があるからズバズバモノをいう。こういう社員は会社がクビにしたい社員である。
 どうする。この会社でこれができるのが私だけという状況を作り出すことである。会社は組織で動いているから、この仕事はあんただけのモノではない。と、してあなたのスペアを作ろうとするだろう。極力、そういう事態にならないように常日頃のタネまき地まわしが肝要である。
 クビにできない。これがベストである。大藪春彦師匠の登場人物のように会社の幹部を恐喝して会社を食いモノにするというのもいいが、あれはある種おとぎ話である。あなたがいなければ会社がつぶれる。こういう状態になればしめたものだ。
 いずれにしても会社にとってあなたは消耗品なのだから、せいぜい消耗させないようにしたいものだ。がんばろう。ご同輩。

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とつぜんコラム №204 病気とのつきあいかた

 仏教でいう人間が持っている四つの苦悩。生老病死。生老死は平等だ。万人だれにでも訪れる。この三つからさけられる人はいない。ところが「病」これだけは不平等だ。病気ひとつしないで年を取る人もいるし、病気ばかりしている人もいる。病院にはまったく縁のない人もいるし入院ばかりしているひともいる。小生は、基本的には元気だが、入院経験は豊富だ。
 病気は思いもかけぬ人に、思いもかけぬ形でやってくる。このあいだ友人が入院した。1型糖尿病だそうだ。別件で血液検査を受けたら血糖値が異常に高いことが判った。その人はそれまで血液検査は優等生で、どこの異常はなかった。それが血糖値が異常。その人は先代桂春蝶みたいなやせがたでとても糖尿病には見えない。小生は、太りぎみでメタボ、健康診断のたびに糖尿病予備軍といわれ続けている。それでもなんとか糖尿病にならずにすんでいる。
 彼は、小食だ。小生のように大食いで気がゆるむと暴飲暴食にはしるのなら自業自得だが、小食でやせがたの彼がなぜ糖尿病に?
 糖尿病といっても2種類ある。もし小生がなるのなら2型糖尿病だが彼は1型糖尿病だ。2型はたぶんに不摂生のはての自業自得なところもあるが、1型は不幸不運な病気である。すい臓の機能が低下して血糖をコントロールするインシュリンの出が悪くなる。最悪、インシュリンがまったく出なくなる。となると血糖が血管内に大量にたまり合併症を引き起こす。すい臓が頼りにならないからインシュリンを注射しなければならない。1型糖尿病は治らないから一生注射が欠かせない。
阪神タイガースの岩田投手がこの1型糖尿病だ。先日、久しぶりに先発したが好投。例によって打線の援護なく残念ながらチームは負けた。1型糖尿病患者の励みとなるので岩田投手にはぜひがんばってほしい。
 糖尿病とひとくくりにいうが、1型と2型とは結果は同じだが、まったく違う病気といっていいのではないか。2型は生活習慣病で、1型は原因不明のすい臓の機能低下によっておこる病気だ。だから糖尿病患者となると不摂生な人との誤解を受けるが、1型は原因不明で治癒不可能な難病である。ほんとは糖尿病ではなく別の病名を考えて欲しいとその人はいっていた。
先日、見舞いに行った。入院して血糖値測定とインシュリン注射を自分で完全にできるように病院で教育訓練を受ける。教育入院だ。小生は2年前に一ヶ月もの入院を経験した。できれば入院なんてものはせぬほうがいい。もし入院したら、1日でも早く退院できるようにがんばることだ。
 病気。だれもなりたくない。しかし、多くの人がなんらかの病気になる可能性がある。もし、病気になれば一刻も早く治療を始めることだ。そして早く治すとの強い意志を持つことが肝要である。病は気からというが、気が原因の病もあるが、そうでない病がほとんどだろう。気で治せる病気もあるが、気で治せない病気もある。友人の1型糖尿病などは気で治せない。かような病気は、ある種「個性」として受け入れ、穏便につきあっていかなければならない。小生の2年前の入院は憩室からの大腸出血だった。憩室は病気ではない。体質である。だから小生はこれからずっと大腸に憩室をかかえて生きていくわけ。これからも出血するかもしれない。出血すれば憩室炎という病気だ。病気との付き合い方も人生の重要な課題である。  
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とつぜんコラム №203 選挙でより良い政治家を選べるかな

 日本がイラン原油の輸入停止を決めた。アメリカのイラン制裁の適用除外を求める交渉をしていたが、それが不調になったため。これによって日本国内でガソリンなどが値上がり、物価全般へも悪影響がでる心配がある。
 日本はイランにはなんの意趣遺恨もない。だからイランからもどんどん原油を輸入すればいいと思うが。そうではないらしい。なにせアメリカさまのご意向である。日本としてはアメリアの意向には逆らえない。
 この国、日本には「外交」というモノはない。なんでもアメリカのいう通りしておけばいいのだから。外務大臣の席には、ハンコを押す芸だけができる猿が座っていてもいい。外務官僚が書類を持ってくる。「大臣、アメリカがこんなことをいってますが」それに、「承認」のハンを押せば事足りる。で、大臣報酬をもらい、自分の群れの子分たちにモンキーバナナでも配り、配偶者のメス猿と猿酒でものんでいればいいのである。
 なぜ日本に有能な外務大臣が育たなかったのか。外交は票にならないからではないか。
 外国と丁々発止とタフな交渉をし、親方アメリカの意向も組みつつも、少しでも日本の利益になるように仕事をする人。
 オラの村にどぶ川が有る。あそこに橋があれば農協の事務所へ行くのが便利だなや。村の村一番の秀才といわれた郵便局長の息子が代議士の先生さまをやっていなさる。先生さまに頼んでみるべ。で、小さなどぶ川に小さな橋がかかった。
 タフな外務大臣もおらほの村の先生さまも同じ選挙区。で、この村の人はどっちに投票するだろうか。残念ながら先生さまに投票する人の方が多いのではないか。
 トランプとわたりあって日本製自動車の関税を5パーセント下げさせた外務大臣は落選して、どぶ川に板きれ1枚渡した先生さまが当選したりするのである。
 代議士とか議員とかいう人たちに良い印象を持っている人は多いだろうか。なにかのイベントにやって来て美辞麗句をならべた長々としたあいさつをし、なんぞあると、なれなれしく寄って来て握手を求めてきたりする。選挙区の有力者の息子の就職や入学の口利きをして、それらの票を見返りに求める。山奥の狐と狸ぐらいしかいない土地に、なんとか文化会館とかいう箱ものを造る情報を事前のキャッチ。親族にその土地を入手させて、計画が始動して土地は大値上がりして大もうけ。で、できれば、なんとか文化会館建設に尽力された、なんとか先生と自分の銅像ができないかな。ま、代議士議員先生って、こういうイメージを持っている人が多いのではないだろうか。
 もちろん、かような利益、名誉とかいったものは一切求めず、政治家として、より良い仕事をしてやろうと、仕事に励んでいる議員諸氏もいるだろう。かような政治家が多くいれば、日本も少しは良い国になっていくだろう。できれば、こういう人が多く当選してほしい。でも、どぶ板先生さまが、多く当選しているのが現実ではないか。こういうことを考えると、選挙という方法で為政者を選んでいいのだろうかと疑問に思う。なんせ、あのトランプを大統領に選んだのはアメリカ人たちが行った選挙の結果なのである。
 日本も自民党に国のかじ取りを任せたのも日本の選挙民だ。その自民党のトップに安倍さんが再選される可能性が高い。まだ、しばらく安倍晋三さんに日本を任せなければならない。最近、経年劣化が進んでいる安倍さんに任せていいものだろうか。選挙という方法以外で為政者を選ぶ方法はないものだろうか。
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とつぜんコラム №202 防災を考える

 暑い。連日の猛暑である。暑さに強い小生も、さすがに苦痛である。連日、熱中症で病院に搬送され、死者も出ている。こうなると、この猛暑は大きな災害というべきだろう。
 災害といえば、このところ災害続きだ。7月だけでも豪雨、逆走台風、そしてこの猛暑。いづれも、かって経験したことのない災害である。
 平成の時代ももうすぐ終わる。平成は災害の多い時代であった。大きな地震だけでも阪神大震災、東日本大震災と2回も経験した。大正には関東大震災があった。昭和の時代は、大震災という大きな地震はなかったが、大きな戦争、そして2度の原爆、巨大な不幸に見舞われた。こうして見ると、日本は実に災害の多い国だ。よくこんな災害の多い国に平然と暮らしているものだ。
 火事とケンカは江戸の華などという。江戸は火事の多い街であった。世界史的に見ても大きな火災に何度もあってきた。木と紙で出来た建物ばかりで、照明に裸火を使うのだから、火災がおきて当然といってもいい。
 だから、江戸では火災をおこさない。火災に強い建造物を考えるといったことはなされなかった。火事がおきることを前提とした街づくりが行われた。だから江戸はいくたびかの大きな火災から立ち直り復興した。
 このことは江戸の事例だけではなく、日本の国の防災ということを考えてもいいだろう。日本は、これだけ災害が多く、しかも毎年、経験にない、記録にない、といった大きな災害が起きる。「防災」という認識では対処できないのではないか。災害を防ぐ。災害が発生したらそれに耐える。ということでは大きな被害がでるだろう。矛盾という言葉がある。どんなモノでも貫く矛と、どんな矛でも防ぐ盾。それがこと、災害ということならば、災害を矛、防災が盾ならば、盾は必ず破られる。
 防災の盾は人間が考える。かって経験したことのない災害が発生すれば人間が造った盾は貫かれるだろう。
「防災」ではなく「受災」という考えではどうだろうか。災害は防ぐことはできない。被害を最小限に抑えることはできるが、災害を100パーセント防ぐことは人間の知恵では不可能といっていい。
 災害を防ぐのではなく、受けるのだ。受けて、そして流す。災害が来ることを前提として、人命を損なわず、通過するのを待つ。
 日本人は災害に慣れている。巨大な災害にあって家を失い財産を失くした人は「えらいことですわ。しゃーおまへん。ははは」と笑っている人がよくいる。日本人は強くたくましいことがよく判る。けっしてへこたれていない。絶対にあきらめていない。必ず立ち上がる。そういうことを前提として、目の前の瓦礫の荒野をまのあたりにして、いったん現状を受け入れ、そして復興する。
 日本人はあきらめないのだ。災害が襲ってくるのはしかたがないい。それをいかにして受け流すかかが大切ではないか。 
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とつぜんコラム №201 そんなに信用していいのかな

 このブログでなんどかいってるが、小生はオートマチックが大嫌いである。会社の車や借り物以外、車はマニュアル車しか運転したことがない。長い間、小生の愛車だったホンダ・インテグラは、もちろん5速マニュアル。窓は手でくるくる回してガラスを上げ下げしてた。ラジオのアンテナは手で伸ばしていた。
 ところが、昨今、車の進歩か退歩か知らぬが、かような小生の好みからどんどんかけ離れていく。車が前方の障害物を察知して、勝手にブレーキをかける。将来的には完全自動運転で、行き先を車に指示するだけで、あとは寝ていても安全に目的地に着くとか。
 小生は料理が趣味である。中華料理は食べるのも料理するのも好きである。その中華の炒飯をよくする。炒飯は強火で炒めるのがコツだ。鍋の温度が下がらないように気をつけなければならない。だから鍋返しであおったりしてはダメ。えいやっ、と鍋返しをすれば確かにかっこいいが、あんなことをすれば鍋の温度が下がってよろしくない。鍋は極力火に接触させておかなければダメだ。ところが家庭用のガスレンジは勝手に火力を落とす。センサーが鍋底の温度を察知してガスの炎を小さくする。こんなことではうまい炒飯はできない。だから小生は、炒飯専用にひと口のガスコンロを持っている。
 オーブン料理をする時、自動で加熱すれば失敗しなくていいが、小生が思う加熱具合にならないことがある。だから、オーブンも自分で温度と加熱時間を設定して使っている。
 土曜の夜は映画のDVDを観るのが楽しみだ。ところがいきつけのレンタルビデオ屋が閉店になった。このままではDVDのお皿で映画を観るのではなく、ネット配信で観なくてはいけないだろう。と、なると支払いはクレジットでの決済ということになる。ネットでの買物ではクレジットカードを使うのはいやだ。万が一情報が悪用されれば、小生の少ない財産は大きな被害をこうむる。
 パソコンも、クラウドとやらで、個々のパソコンにはアプリもデータも入れないで、雲の上にあるなんやよう判らんものの中に置いて、そこで一括管理、個々のパソコンは単なる端末にすぎなくなるとか。
 こんなに機械を信用していいのだろうか。自動運転の車は絶対に事故を起こさないのか。もし雲の上で異変が起きて、そこがパーになったら地上の世界はどうなる。
 てなことを書くと、お前は進歩から取り残されている縄文人だ。東海道を数時間で駆け抜ける電車があるのに、早籠で上方から江戸まで行こうというのか。確かに新幹線の方が早籠よりも速くて楽だ。しかし早籠が事故を起こしても、せいぜい駕籠かきが足をくじき客が籠からころこんで落ちて頭にたんこぶをこしらえるぐらい。
 ゴトゴトを水車で粉を挽いていたのが、電動のモーターで粉を挽くようになった。その電気は原子力で作っている。その電気作っている所が事故を起こせば、取り返しのつかないことになるのはご承知に通り。
 科学技術の進歩、文明の発達は、確かに人類に計り知れない利益と恩恵をもたらした。縄文人もどきの小生でも、こうしてパソコンで原稿を書いている。小生は若いころコピーライターをしていた。そのころはワープロとかパソコンなんてもんはなかった。原稿用紙に2Bの鉛筆でコピーの原稿を書いていた。書き損じたら消しゴムでごしごしこすって修正していた。それが、今はBack Spaceキーを押すだけ。実に簡単である。ところが、さんざん苦労して書いた原稿がちよっとした手違いで全部パーになるおそれがある。手書きの原稿なら、居眠りしててコーヒーをこぼしたって原稿全部がパーになることはない。
 科学技術とか文明の利器は確かに便利ではあるが、完全に信用しないことだ。人間はミスをする。機械は故障する。完璧な機械、施設、システムなんてものはない。しょせんは人間が創ったモノだ。
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とつぜんコラム №200 金を出してるのはわれわれだ

 小生は、若いころコピーライターをやった経験がある。コピーライターは文章を書く仕事。小説家も同じく、文章を書く仕事だ。ところがこの両者似て非なるもの。
コピーライターが書く文章には、必ずクライアントがいる。そこにコピーライターのテーマ、思想、心情を込めることはご法度。クライアントの意向をいかにくみ取って、作品にそれを反映させるかがコピーライターの重要な能力である。小説家も編集者の意向を無視できないが、自分の考えを作品にこめることができる。
コピーライター、というより、デザイナー、イラストレーター、フォトグラファー、アートディレクターなどなど、およそ広告制作にかかわるクリエイターはクライアントに頭が上がらない。クライアントの意向は絶対である。クライアントが、こうしろといえば、必ずそうしなければならない。なぜか。クライアントは金を出しているからである。クリエイターはクライアントが出す金で、おまんまを食い、酒を飲み、女房子供を養うのである。かような関係においてクライアントがへいこらしてクリエイターが、でかい面してえらそばるなんてことは絶対にない。
ところがこの原則がまったく通じない世の中がある。え、どこって。みなさんのようく知ってる世界である。そこでは、金をもらって事をなしている連中が好き放題やりたい放題、それでいて妙にエラそうにしているのである。お金をもらう方が好き勝手。お金を出すほうが、それでもさして怒りを覚えるでもなく平然としている。
この国はわれわれ納税者が出す金で動いている。官僚、為政者といった連中は、われわれの出した金でメシを食い、子供を東大に進学させ、ゴルフをして、生きているのだ。われわれがクライアントで連中がクリエイターなのである。
 森友問題などは、じつにけしからん話で、国民の財産たる国有地をタダ同然の値段で、おかしげな学校法人に払い下げ、その経緯をウソをウソで塗り固めてごまかそうとする。こやつらは何を/誰を守ろうとしているのか。国民の下僕たる官僚どもは、納税者たるわれわれクライアントの意向を汲み、その意志を為政に反映させるべきではないのか。
 為政者のトップに君臨するご仁の意向に沿うような行政をおこなったのであろう。ま、ようするに今の首相安倍さんの方を向いて、それこそ流行りの言葉でいえば忖度していたわけだ。
 その安倍さんだが、いわゆるモリカケ問題でおおきくミソをつけた。そらそうだろう、お友だちにだけえこひいきする首相はとても合格とはいえないだろう。お隣の韓国では前大統領が、同じようにお友だちをえこひいきして、たいへんな国民の怒りをかい、大統領をクビになり有罪判決まで受けた。このことを思うと、日本の納税者はなんと寛容なことかと思う。
 安倍さんは外交でポイントを稼ごうと思っていろんな国を訪問、あちこちで首脳会談を繰り広げているが、これも、ま、金をたんにバラまいているだけだろう。その金はわれわれ納税者の金なんだけど。で、アジアの頭痛のタネ。北朝鮮の問題は、安倍さんは圧力一辺倒。肝心の拉致問題はトランプさんや文さんにお願いして金さんに伝えてもらうしか手はない。そのトランプさんとて、米朝会談だか米団治会談だかざこば会談だかで、はたして安倍さんのお願いを聞いて、金さんにちゃんと伝えてくれるかどうか判らぬ。ひょっとすると日本だけおいてきぼりをくらうだろう。で、大あわててで交渉して、金さんが乗ってくれて、吉弥会談、いやいやせいぜい八光会談ができたとしても、金だけむしりとられて、あとはなんも変わらん、ということになるかも知れない。
 かような連中はしかっり見張っておく必要があるだろう。なんせ金を出しているのはわれわれなんだから。
 
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とつぜんコラム №199 スマホを捨てて本を手にとろう

 アメリカの奴隷制度をあつかった小説「地下鉄道」に、こういう記述がある。
「銃を持った黒人より、本を読む黒人のほうが危険だ」暴力を振るう奴隷よりも、知識、教養を身につけた奴隷のほうが支配者たる白人にとって厄介である、ということだ。
 支配者、権力者にとって良い国民とは、何も考えず、疑問をいだかず、為政者のいうことは、気候や天候のように人間が異を唱えることができないモノと思う国民ではないか。
 21世紀の現代、世界のほとんどの国は、いわゆる民主主義という主義でもって権力者を選択している。
国民が為政者権力者を、複数の候補者の中から、ベストと思う人物を国のトップに選ぶのである。
このやり方は、果たして最良の方法であろうか。例えば、今のアメリカの大統領ドナルド・トランプ氏が、世界で最も存在感があり影響力が強い国のトップにふさわしいであろうか。他国のことだから、とやかくいうべきではないかも知れないが、かのご仁はとても大統領には適当ではないと思う。しかし、トランプ大統領はアメリカの国民が選んだ大統領である。かの大統領の誕生は、民主主義の大きな欠点をさらけ出したといえる。アメリカ人の多くが「本を読む」人であったなら、果たしてドナルド・トランプ氏は大統領になっていたであろうか。
小生は電車の中では本を読んでいる。今朝の電車、今朝に限らないが、電車の中で本を読んでいる人は少ない。ひどいときは、乗っている車両で本読みは小生1人ということも多々ある。では他の人たちは何をしているのか。多くの人はスマホをいじっている。スマホで何をしているのか判らぬが、ま、多くはゲームをしているのだろう。電車の中だけではない、病院の待合、散髪屋の待合、人と待ち合わせている時、などなど。今の日本で、ちょっとしたすき間の時間、あき時間、何をして時間をつぶすか。スマホでゲームやってることが多いだろう。
読書離れが叫ばれて久しい。「本を読む」人が絶滅危惧種となっている。かわりにスマホでゲームが増えているわけだ。それは、あたかも貴重な琵琶湖のフナやモロコが、ブラックバスなどの外来種の増殖によって駆逐されているのに似ている。
日本でも「本を読む」人が少なくなってどうなったか。モリカケ問題。財務省のセクハラ、自衛隊の日報のごまかし。安倍1強の弊害が噴出しているのに、国民はさして怒っているようには見えない。内閣の支持率が下がっていることで、かろうじて国民の意志がわかる。ちょっとでもいいから、スマホから手を離そう。そして本を読もう。  
 
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とつぜんコラム №198 新入社員たちよ、経験を積め

 新社会人の諸君、就職おめでとう。君たちがこれから一日の多くの時間を過ごす会社なるところは学校とはまったく違う所であることをまず認識していただきたい。
 クラブ活動を経験した人ならば、先輩、同輩、後輩なる存在は先刻承知かも知れない。会社にも、もちろん、先輩も後輩もいる。会社に生息するかような生き物は、クラブの同種の生き物とは少々違う。
学校のクラブ活動ならば、最悪の事態がせいぜい試合に負ける程度のことだが、会社での業務では、最悪、多くの人たちが、おまんまの食い上げということになる。ぼく一人がヘタうったからって、そんなことはないでしょう。と、思うかもしれない。しかし、そんな「ぼく」が何人もいたら会社は倒れる。会社が倒れるということは、君が思っている以上にたいへんなんだ。被害は君の会社1社にとどまらない。君の会社に融資している銀行、株を所有している株主、君の会社に納品している商社、君の会社から仕事をもらっている協力業者、これらの会社がみんな大きな被害をこうむるのだ。銀行株主はさることながら、納品業者、協力業者は最悪連鎖倒産ということになるかも知れない。それらの会社に関連するところもさらには連鎖倒産するかも。君一人のヘタでこれだけの大きな被害が出るのだ。そこのところをしっかり認識してもらいたい。つまり、会社で君が行う業務には必ず責任が伴うということ。
と、おじさんは偉そうなことをいうが、おじさんたちだって、べつだん、ヘタうったらって責任をとってハラを切るなんて思っていない。そんなことをいっていたら、神戸製鋼やら日産やらJRやら、昨今の企業のええかげんさを見れば、日本国中ハラキリだらけだ。かようなおじさんもワザとズルしてやろうと思ってヘタするわけではない。では、おじさんたちは何が目的か。利潤を上げることが目的だ。ようするに会社企業なんてものは、利潤を上げることが至上の目的である。君たちはそのことを、しっかり頭に置いて、ズルやヘタをうたないようにしてもらいたい。もう一度いう、企業の目的は利潤を追求することだ。君のこれからの会社での仕事は、それを考えの中心において実践すれば、それなりのサラリーマン人生をおくれるであろう。
こんなことをいうと、会社の仕事ってたいへんなんだ。どうしよう。確かにたいへんなところもある。とはいいつつも、普通の頭脳の持ち主であれば、たいていの仕事は三ヶ月もすれば覚えられるものである。かくいう小生は今まで13社の会社を渡り歩いてきた。業種でいえば、食品、広告、電子機器製造、薬品など。職種でいえば、食品製造、コピーライター、購買仕入れ、生産管理など。この中で一番長く小生の本業といっていいのは購買仕入れである。それなりの仕事をしてきた。
 では、どんな仕事でも素人でもできるかと問われれば、できると答える。さっきもいったように、たいていの仕事は三ヶ月もすれば覚えられる。では素人とプロはどこが違うのか。トラブルが起きた時の対処の仕方である。仕事なんてものは毎日同じことのくり返しである。今日することは昨日と違わない。明日も今日と同じことをするだろう。実際、こんなことは小生のごときアホ頭でもすぐ覚えられた。ところが仕事にはトラブル、クレーム、突発事態、故障が付き物である。こういう時に素人とプロの違いがあらわれる。素人はどうしていいかわからず、先輩に聞くなりマニュアルを見るなりして、なんとか対応する。結果的に処理できたとしても時間がかかるだろう。プロならば、即、対応できる。なぜなら長年その仕事に携わっているプロならば、そういうことは長いサラリーマン生活で一度や二度は経験している。ああ、あの時には、こうしたな。だったらこうしよう。と、いうわけである。1年に1度起きるトラブルならば1年以上の経験があれば対処できる。5年に1度なら5年以上、10年に1度なら10年以上の経験というわけ。
 新卒で入社しても、最近は3年以内に会社を辞めていく者が多いとか。正直3年程度ではさしたる経験はできない。せめて5年はがまんできないだろうか。経験を積むことが大切である。
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とつぜんコラム №197 いつまでも若くはない

 やれやれやっと平昌オリンピックが終わった。これで毎週楽しみにしているテレビ番組が観れる。「ブラタモリ」「上方落語の会」などはオリンピック期間中お休みであった。BS1なんかひどいもんでオリンピックしか放送してない。ウチのテレビはBSも映る。やいNHK、オリンピック.期間中のBS代まけろ。しかし、オリンピックのたんびに思うのだが、確かにかような運動会に興味のあるムキもおられよう。しかし、小生のように、あなもんになんの興味も持たない者もいるのだ。それを国民あげて応援しているような報道はいかがなものかと思う。だいたいがどこのだれがメダルを取ったからとて、小生のハラはふくらまない。そんなことをいうんだったら阪神タイガースが勝ってもハラはふくらまん、と、いわれるだろう。その通りである。そこはお互いさまといいたいところだが、残念ながらそうではない。オリンピックの選手には強化に血税がかかっている。阪神タイガースの強化には税金は1銭も使われていない。オリンピックの選手とプロ野球の選手といっしょにするなといわれるかも知れないが。おんなじようなもんではないか。
 スポーツの選手はもともと好きで始めたものだろう。いわば趣味がこうじたもんだ。だったら好きな人たちばかりで自費を出し合ってやってもらいたい。なぜかようなことに国費を費やすのか理解できない。
 あと2年もすると東京でもオリンピックが開催される。関西でないのが不幸中の幸いだが、その東京のオリンピックに想像するだに恐ろしいお金が使われる。東京でオリンピックをやるのには反対はしない。だが、私の納めた税金を使うのは嫌だ。やりたけりゃ、やりたい人がお金を出し合ってやればいい。
 そもそもオリンピックをやってなんの効果がある。国威発揚?日本はもうそんな国ではないだろう。スポーツの振興。なぜスポーツを振興する。国民の健康増進のためか。だったらもっとやることがあるだろう。
  東京がオリンピックなら大阪は万博だとばかり、大阪で万国博覧会をやろういう話がでている。昭和の時代の夢よもう一度ということか。時は流れる。時代は変わる。もう1960年代70年代ではない。20世紀ではないのだ。21世紀なのだ。いつまでもいけいけどんどんではないのだ。
 膨大なお金を使って、たくさんの人を集めて、人類の夢だとか進歩と調和だとか、かようなバラ色の夢を語るより、この21世紀は地道に歩むことを考えるほうが大切だと思う。
なにごとにも旬というものがある。想えば日本の旬は1980年代。いわゆるバブルといわれていた時代が日本の旬だったのではないか。日本はもう旬を過ぎた国だ。国としては壮年期を過ぎて初老から老年期にさしかかっている国だと思う。身体は老年期なのに気持ちは青年期のつもりでムリをすればロクなことはない。老年期には老年期にするべきことがあるはずだ。ようは国民ひとりひとりが平安で健康な人生がおくればいいのだ。
かような意義があまり見出せない巨大イベントはそろそろ見直すべきではないのかな。
 
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とつぜんコラム №196 これからの労働組合

 毎日、寒い日が続いている。この寒さが去れば春だ。待ち遠しいことだ。春といえば、労働者にとっては春闘の季節だ。小生も、以前いた会社では労働組合の副委員長の経験もある。いつの春闘だったかな。阪神大震災の前だから、もう20年以上昔のことだ。6月になっても妥結しない超ロングランの春闘をしたことがあった。
 今の会社にも労働組合はある。小生は契約社員となったので組合員ではなくなったが。
 労働組合。このブログをご覧の諸賢で組合員はどれぐらいおられるだろうか。たぶん、たいへんに少ないのではないか。労働組合の組織率。全労働者の中で組合員の占める割合は年々減少している。2017年の統計では組織率は17.1パーセント。ここ6年連続で組織率過去最低を更新している。つまり、組織された労働者は100人中17人しかいないわけ。あとの労働者は組織されていない一匹狼なわけだ。もし、なにかあって会社と事を構えなければならなくなっても、1人で会社と対峙しなければならない。
 ことほど左様に労働組合というものは、希薄な存在となっているわけ。だいたいが、首相が連合をさしおいて、自ら経団連あたりに賃上げを要求する。労働者の賃金を上げること。それは労働組合の最も大切な仕事ではないのか。まったく、労働組合の面目まるつぶれではないのか。このようなことは、ここ数年続いている。今度から、連合がいち早く経団連に要求を出すべきだと思う。
 なぜ、かように労働組合の影が薄くなったのか。労働環境が大きく変わったのが要因ではないだろうか。
 非正規従業員の増加も大きな要因である。そして、終身雇用制の崩壊が大きい。昔は、いったん会社に就職すると、定年までその会社に勤務していた。労働者の一生で勤める会社は一社。1つの会社しか知らないで会社員人生を終わる人がほとんであった。
 それが今はそんなことはない。複数の会社に勤務する人は決してめずらしくない。かくいう小生は今の会社で13社目である。
 今の日本の労働組合は会社単位である。日教組などの例外もあるが、ほとんどの日本の労働組合は、会社ごとに労働組合があって、その会社に入社すれば、その会社の組合に入ることになる。この会社の組合は気に食わないからといって、隣の会社の組合には入れない。
 1つの会社にずっと在籍するのではなく、会社を変わる。こういう状況においては、会社単位の労働組合に入る意味があまり無いのは理解できる。
 現代の労働者は労働組合をさして必要と思わなくなったということだ。しかし、労働組合は必要なモノである。例えば時間外に労働する場合、経営者は労働者の代表と3-6協定というモノを結ばなければならない。労働組合かあるいはそれに替わる組織がなければ、労働者に時間外労働をさせることは労基法違反である。
 労働者にとって必要欠くべからざる組合。日本の労働組合も、会社単位ではなく、西欧のような職種単位の組合に変革しなければいけないだろう。経理ばかり、営業ばかり、溶接工ばかり、販売員ばかり、そういう労働組合がこれからは必要となる。
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とつぜんコラム №195 2018年になすべきこと

 あけましておめでとうございます。新しい年、2018年が始まりました。ことしはいかなる年になるでしょうか。
 昨年、2017年は、二人の男に世界は振り回されました。世界、と
いうより、日本はといった方が正鵠を得ているでしょう。
 二人の男、トランプと金正恩の二人です。二人とも核とミサイルをふりたててチキンレースを繰り広げているわけですから、周辺の国にとってはたまったものではありません。この臆病者の二人はなにをそんなに恐れているのでしょう。金正恩はアメリカが攻撃してくる、トランプは金がアメリカ本土にICBMを撃ちこんでくる。それを怖がっているのではないでしょうか。しかし、北朝鮮はアメリカ人を一人も殺していないし(公式には)、アメリカは北朝鮮人を一人も殺害してません。双方とも、攻撃してくるに「違いない」「もし」攻撃してきたら。攻撃の「兆候」が見られる。「違いない」「もし」「兆候」といった、憶測で恐がりあっているのですね。ですから、アメリカ、北朝鮮の双方に、恐くない、大丈夫、と確約させれば、矛を収めるかと思います。ですから、今年、2018年は、恐怖と対立から、安心と理解が、この2国間、のみならず全世界に広まることを願わずにはいられません。
 国内に目を向ければ、日本の企業の劣化が進んでおります。品質第一で誠実な風土が一番のセールスポイントだった、日本の企業。これが大きく揺らいでおります。日産の無資格者検査。神戸製鋼、三菱マテリアルのデータごまかし。さらには、あの福知山線脱線事故の教訓をいかしていないJR西日本の新幹線台車亀裂。ほんとういうと、北朝鮮のミサイルなんかより、これこそが本当の国難ではないでしょうか。死に至る急性の病気なら、本気になって治療に取り組むでしょう。でも、いま、日本の産業界に蔓延している、この病気はゆっくりと進行する慢性の病気です。放置すればこの国はいずれ死にいたります。
 昨年は上記に挙げた企業での劣化が発覚しましたが、今年は、さらに、もっと多くの企業で、より深刻な病気がでてくるでしょう。少し前までは、確かに日本の企業は、品質、信頼性ということにおいては、世界でトップクラスでした。TQC活動に取り組み、あるいはISO9001取得に向けて、全従業員が一丸となって、自分たちがつくる製品、提供するサービスのさらなる向上をめざして、がんばっておりました。
 国際競争力を高めることを、至上目標と定めて、品質向上とコスト削減に励んでおりました。品質向上は達せられました。今でも日本の工業製品の品質性能は世界のトップクラスです。ところが価格競争に負けまいとして、コスト削減が品質性能の向上よりは上位になったのです。
 日本の製造現場ではコスト削減。それがなによりも優先するようになったのです。下請け企業への採算を度外視した発注。より安価な部品を調達して製品を組み立てる。無理なリストラによって、必要な人員まで解雇してしまい、未熟な労働者による作業。少ない人員でより多大な仕事をこなすため、過重な時間外労働。かような重篤な症状が日本の企業に発症し、いま、この国の産業は重い慢性の病に罹患しているのです。
 新しい年になりました。日本の産業界は原点に立ち戻り、誠実な製品造りにいそしむべきでしょう。とりあえず、この慢性の病気の治療にとりかかるべきです。
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とつぜんコラム №194 必要なコストはかけるべきだ

 1999年、日産は深刻な経営危機におちいっていた。そんな時、フランスからやってきたのが、カルロス・ゴーンだ。
 ゴーンは辣腕をふるって、わずか1年で、日産の業績をV字回復された。この時は、多くの人がゴーンの手腕をほめた。
「コストカッター」ゴーンは徹底した合理化と経費節減を行った。その結果が、驚異的な業績のV字回復となってあらわれた。もちろん、大幅な人員削減が行われ、日産社内ではリストラの嵐が吹き荒れたことだろう。
 このことによってゴーンは超一流の経営者と見なされていたが、実は彼は超一流どころか、経営者としては三流の経営者であったのだ。化けの皮がはがれ馬脚をあらわしたのである。今、日産はゴーンの愚行の深刻な後遺症に苦しめられている。
 日産は完成車の検査を無資格者が行っていた問題で、大いに信用を失墜させている。これはゴーンの「コストカッター」のつけが今になって回ってきたのだ。極端なリストラによって、完成車の検査担当となるべき有資格者は大幅に減って、無資格者検査という製造業としては絶対にやってはいけないことをやってしまったわけだ。こういうことをやって日産の業績を回復させたゴーンを上等の経営者であると褒め称えるのは、まことに笑止である。かれは多くの労働者を路頭に迷わせ、その上会社の信用を大きくおとしめた、三流の経営者にすぎなかった。
「コスト削減」「経費節減」企業の業績を上げるためには、金科玉条のようにいわれているが、かようなことをやっても、一時は業績が上向くかもしれないが、どこか無理をしているわけで、かならず目に見えない弊害を発生させているわけ。潜伏期間を経て必ず発病するのである。このたびの日産の件はその証左である。
 必要なコストは必ず必要なのである。かけなくてはいけない経費はかけなくてはいけない。いてもらわなくてはいけない人には、絶対にそこにいてもらわなければダメだ。
 会社の業績が落ちた。やれコスト削減だ経費節減だ人減らしリストラだ、 と、無理して不自然なことをして多くの人を泣かせて法令に違反して、業績が回復したとしても、天網恢恢疎にして漏らさず、必ず、その報いは来るのである。
 日産だけではない。スバル、神戸製鋼、三菱マテリアル、東レなど日本を代表する製造業のズルが続々とあらわになる。高度成長経済だ、バブルだ、ジャパン・アズ・ナンバーワンだと、かっては日本の製造業は世界に冠たる産業であった。そのころは、かなりムリをして会社を動かし利潤を上げ、売り上げを伸ばしてきたのだろう。イケイケドンドンの時代なら、勢いと間で、突っ走ることもできただろう。しかし、今は違う。日本の後塵を拝していた中国、韓国といって国々の製造業が、完全に日本を追い抜き世界のトップグループを形成している。液晶技術では世界一だったシャープが台湾の企業の軍門に下ったのはご承知の通り。
 ここは、日本の製造業も原点に立ち返るべきではないのか。コストをかけるべきところは潤沢にかけ、無理な経費節減やリストラは、企業の基礎体力を低下させるだけと認識して、愚直に正直に、モノ造りに励むべきではないか。
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とつぜんコラム №193 国難である

安倍首相は、先だっての解散総選挙を「国難突破のためだ」といって実行したが、たぶん北朝鮮情勢のことをいっているのであろう。確かに、北朝鮮問題はこまったことだが、もっと深刻でやっかいな問題が、静かに密かに進行している。これこそが、ほんとうの「国難」ではないかと思う。
日本は資源のない国である。原材料となる地下資源はないに等しい。食料の自給率もたいへんに低い。そんな資源のない日本は、外国から原材料を輸入して、それを優れた生産技術で加工して、優れた性能品質を有する製品として、海外に輸出して成り立ってきた国だ。そんな日本を根底からくつがえす事態が起こっている。
日本は農業国ではない。工業国といっていい。製造業、モノ造りが日本の生命線といっていい。その生命線にほころびが出てきている。
シャープは液晶では世界のトップランナーであった。それが今や外国企業の軍門に下った。日本のモノ造り企業の代表でもあった東芝は巨額の赤字をかかえて完全に死に体。日産、スバルといった技術で売っていた自動車メーカーは、完成車の検査を無資格者にやらせていた。そして、あの鈴木商店の衣鉢を継ぐ神戸製鋼は製品の検査データの改ざんという製造業では許されないことをやった。特に神鋼の場合、素材メーカーであるだけにその悪影響は広くおよぶ。
「世界の工場」たる日本の企業がこのていたらくである。これを「国難」いわずなんという。
 かっては、その現場の従業員が「全員」「自主的」に時間外に集まってQCサークルをやって、いかに品質を上げるか、より良い製品を造るにはどうしたらいいかを話し合って、その成果を発表したりしていた。(小生もK電気時代QCサークルのリーダーをやらされたがあれは強制である。あくまで「自主的」な活動であるから時間外手当はでない)
 日本の工業製品は、優れた加工技術、ゆるぎない品質管理で、非常に優れた製品を造っていたのである。これがおろそかになっている。これでは日本は何を売り物にするべきか判らない。
 製造業だけではない、モノ造り技術の基礎となる、自然科学の分野も、未来は明るくない。今のところ、物理、化学といった自然科学の研究では、日本はノーベル賞学者を何人も輩出し、実績を上げている。しかし、大学の自然科学系の研究予算は年々減っていく。例え、予算が出たとしても実務に直結する、ようするにすぐお金になる研究には予算がでるが、長い目で見て成果があらわれる、基礎研究にはなかなか予算がでない。
 問題はお金だけではない。若い研究者が苦しい状況に立たされている。学部から大学院に進学しても、限界は修士までといわれる。院に4年いて博士号をを取ると、そんなカサ高い人は民間の企業はなかなか採用しない。かといって大学に残って、準教授、教授となるには限られた席しかない。予算は出ない、若い人が残らない。こんなことでは、日本の科学研究はお先真っ暗。ノーベル賞学者の輩出なんて過去の栄光になってしまう。
 基礎研究はおろそか。製造現場の士気はゆるんでいる。「科学技術立国」日本といわれた国は遠いはるかな昔のこととなるだろう。
   
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