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ハクモクレン


 会社の近くのハクモクレンの木ですが毎年きれいな花を咲かせてくれます。3月15日はまだかたいつぼみでした。この木は毎日前を通るので、満開になるのを楽しみにしているのですが、ことしはいつまでたっても半分ぐらいしか花が咲きません。満開になればここで紹介しようと思っていましたが、どうもダメなようです。代わりにその木から少し離れた木を撮影しました。それがこの写真です。この木はまだ元気です。この木はもうご寿命でしょうか。
 
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阪神、4連勝ならず

う~む。4連勝とはいかんかったな。西岡のスリーランで先制したのに、この3点を能見が守られへん。去年もそやったけど春先の能見はあかんな。4点献上してもた。雄平に打たれすぎやな。
 敗因は先発能見やけど、初回の3点だけで追加点取れへんかったんが痛かったな。
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金環蝕


監督 山本薩夫
出演 仲代達矢、宇野重吉、三國連太郎、永井智雄、高橋悦史、神山繁

 与党民政党の総裁選挙。総裁=首相となる。その総裁選挙は20億になんなんとする札束が乱れ飛んだ。両陣営とも金が必要。で、官房長官の秘書が町金の「金融王」石原参吉に借金を申し入れてきた。
 日本電力開発。政府出資95%。国民の血税でまかなっている会社である。九州福竜川に巨大なダムを建設することになる。巨大プロジェクトである。建設会社はなんとしても工事を請け負いたい。
 と、いうわけで、こやつらが真っ正直に、まっとうな落札で請負会社を決めるわけはない。電力開発の総裁は、今までなにかと「世話」になっている青山組に任せたい。で、ライバル会社の竹田建設は、首相夫人から、官房長官まで巻き込んで「実弾」攻勢。この疑獄を金のタネにしようと金融王やら政治ゴシップ新聞の記者がうごめく。
 電力開発もいちおう極秘でコスト計算しているが、まじめに仕事してるのは現場の技術者だけ、竹田建設に鼻薬をかかされている上層部は建設費の水増しに一生懸命。もちろん建設費は筒抜け。
 竹田建設は政府の内部にもくいこんでいる。「竹田建設をよろしく」と添え書きをした首相夫人の名刺の存在がウワサされたり、官房長官秘書官が不審な死をとげたり。そして衆議院予算委員会。「国会の爆弾男」「マッチポンプ」神谷議員が国会で爆弾を炸裂させる。
 池田勇人、佐藤栄作、田中角栄といった実際の自民党政治家を思わせるキャラが笑わせられた。まったくこいつらは国民の血税を使ってなにやっとんだ。ハラが立つより、こっけいで、また、あまりにあけすけな汚職ぶりなんで爽快感すらあった。
 
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阪神開幕以来3連勝。早くも独走体勢か

 きょうの先発は藤浪。その藤浪ぜんぜんペケ。1回早々5安打3失点。しかし、藤浪は岩田と違ごうて味方が点とってくれる。4回ゴメスの完璧なツーランが反撃のノロシ。この回4点。次の5回はマートン、梅野、新井のタイムリーで5点。9対3と突き放す。その後両軍点の取り合いで、結局10対8で阪神勝つ。
 開幕してからメッセンジャー、岩田、そして藤浪と3人の先発投手。こんなかで藤浪が一番あかん。その藤浪に勝ち星。藤浪がもっとって岩田が持ってへんもんてなんやろな。
 これで開幕以来3連勝。やっぱり阪神優勝や。
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肉巻きおにぎり


 ハラへった。日本人がハラへったときになに食えばいいか。それはもう、なんちゅうても米のメシに限る。なにせ瑞穂の国の住人だからして米を食わにゃならんわい。南蛮渡来のパンなんぞというものをなんぼ食っても日本男子のハラはふくれん。
 ハラがへればでっかいおにぎりにかぶりつこう。で、おにぎりに肉でもくっついとったらいうことない。おにぎりを肉で巻いて食う。おかずとメシがいっぺんに食えて合理的なり。
 おにぎりをにぎる。それを豚バラ肉の薄切りで包んで、フライパンで焼く。醬油、味醂、砂糖でつくったタレを塗る。これでできあがり。さて、かぶりつこうかいのう。
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阪神、開幕2戦連続サヨナラ勝ち!

やっぱ初もんの外国人にはあかんねんな阪神打線。中日の新外国人ピッチャーバルデスをなかなか打てん。阪神がバルデスを打てんように、中日は阪神先発岩田を打てん。
 打てん打てんでたこ焼きや開店。まんまるいのをずらっと並べる。とうとう10回。きのうに続いてまたまた延長戦。で、同点で呉昇桓、そして松田。で、関本デッドボールで押し出しサヨナラ。これで松田2勝目。阪神、開幕2戦連続サヨナラ勝ち。ま、勝ったからええねんけど。もっと早よ点取って楽に勝ってええな。
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鮭とほうれん草のパイ包み焼き


 スズキのパイ包み焼きという豪華なフランス料理がある。一度やってみたいと思っているのだが、一匹まるままのスズキは手に入りにくいし、小生は釣りをしないので自己調達もできない。それにウチの小さなオーブンではあんなものは焼けないだろう。
 で、簡単な魚のパイ包み焼きを作ったしだい。魚は入手しやすい鮭の切り身。それにほうれん草をあわせた。パイシートは市販の冷凍のものを使った。
 作り方はいたって簡単。鮭はバターソテー、ほうれん草はゆでておく。パイシートは解凍しておく。
 パイシートに鮭とほうれん草を乗っける。それにマヨネーズをかけてチーズを乗せる。パイシートで包んで、表面に溶き卵を塗って、200度のオーブンで20分ほど焼く。これででき上がり。かんたん簡単。
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開幕早々ええ試合見せてもらった

 球団創設80周年の開幕戦。じつに結構な試合を見せてもろた。ええ試合やった。逆転サヨナラちゅうドキドキする勝ち方。いやあおもろかった。
 7回までヒット打ったんは鳥谷だけ。寒い貧打で負けるのかなと思うとったら、後半で固め打ち。終わってみたら9安打野手は梅野以外全員安打。
 で、鳥谷2安打。ゴメス同点打。マートンサヨナラヒット。打つべき人が打ったらやっぱ強いなタイガース。今年の阪神は強いで。優勝や。
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とつぜんSFノート 第65回

 桂米朝師匠が亡くなった。改めて大きな喪失感を感じている。さまざまな人が追悼のコメントを発しているが、みんな一様に、小生と同じ思いを持っているようだ。
 亡くなった翌日の記者会見で、桂ざこば師匠が、泣きながら「うまいこと亡くならはった」といっていた。また実子の桂米團治師匠は「大往生だった」といっている。
 上方落語に関しては、ご本人はどう思っておられたのか判らぬが、ファンの目で見れば、見事にお仕事を完成され後顧の憂いなく旅立たれたのではないだろうか。多くの弟子を育成され、孫弟子、曾孫弟子、玄孫弟子までいる大きな一門を形成された。そのお弟子さんたちもそれぞれの落語を確立されている。また、「地獄八景亡者戯」「百年目」「はてなの茶碗」など古くて埋もれていた噺を掘り起こし、判りやすくアレンジして、現代でも通じる古典落語として復活された。研究者として多くの書物を残し、かつまた、DVDなどで映像としても米朝落語を後世に残された。これによって小生たちファンはこれからも桂米朝落語をいつでも楽しめる。ざこば、米團治両師匠のいうとおり「うまいこと亡くなった」「大往生」その通りではないか。
どんな偉大な人でも必ず死ぬ。何人たりとも死はまぬがれない。米朝師匠は89歳というご高齢。また以前より病床についているとのこと。いつ亡くなっても不思議ではなかったのだが、こうして今、この世に桂米朝師匠がいないという現実には大きな違和感を感じる。
 小生はいち上方落語ファンにすぎない。客席から師匠の高座を楽しんできただけである。そんな小生でも桂米朝師匠と同じ時代に上方落語ファンであったことは大きな幸せであった。子供のころから米朝師匠の落語に親しみ、この年になるまで上方落語ファンであったのは米朝師匠の存在を抜きには考えられない。
 晩年はご高齢につき師匠の落語を生で楽しむことはできなかったが、生きて動いてしゃべったはる師匠を見ているだけでうれしかった。小生が最後に観た師匠はこの時だったが、米團治師匠に付き添われて米朝師匠がステージにあがっただけでも客席は大喜び、師匠がなにかいうたびに大うけだった。
 桂米朝師匠は人間国宝で落語の名人上手というだけの存在ではなかった。真の意味での「文化人」まさに「知の巨人」というべき人だった。テレビのバラエティ番組のひな壇から、知識(?)の切り売りして生計を立てている「ブンカジン」ではなく、まごうことなき真の文化人だった。
 落語はもちろん、歌舞伎、文楽、能、狂言といった古典芸能、梅棹忠夫、石毛直道といった京大系の学者、大親友の小松左京をはじめとして、堀晃、かんべむさしといった関西のSF作家、それに大阪は船場、北浜といった商業、道頓堀、ミナミの興業、松島、飛田といった色町、京都は祇園のお茶屋遊び、関西の聖から俗に渡る非常に広い分野に通じている巨人だった。米朝師匠は、関西の文化の軸=ハブだったのではないか。その関西の文化の軸が抜け落ちた。その影響がこれからくるだろうか。
 
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残ったのはどっち

「こちら着陸ギア故障。着陸不可能。周回軌道で待つ」
 救援船がやっと来た。その最初の通信がこれだ。信じたくない/聞きたくない。
「小型ロケットの燃料残りわずか。一人しか乗れない。なんとか着陸できないのか」
「当方、乗員12名。12名の命を危険にさらすわけにはいかない。なんとか二人乗って離陸せよ」

 目的地は惑星ラシハマだった。ラシハマに開港した第2国際宇宙空港の管制官に任命された。ただちにラシハマに赴任せよとの命令。1か月前に結婚した妻と二人で旅たった。新婚旅行代わりといっていい。新居はラシハマにするつもりだった。
 ラシハマまであと0.7光年の空域でトラブル発生。エンジンに燃料を供給するパイプのフランジが緩んでいる。フランジを固定しているナットが1個抜け落ちた。配管を固定している金具の直径が規格よりわずかに小さいことが判った。配管と固定金具のあいだにほんの少し隙間が空いた。燃料が配管を通るたびに振動が発生。その振動でナットが緩み外れた。七つのナットで固定されているフランジとフランジのあいだに隙間ができて燃料がそこから漏れた。しかもナットそのものに緩み止め加工が施されていなかった。
 官給品のロケットを使ったのが失敗だった。マイロケットはラシハマで新しいのを買うつもりだったので新地球で手放した。役所の購買担当者め値切ったな。これ以上飛べば燃料が空になる。そうなると着陸もできなくなる。もよりの無人小惑星に不時着した。それから200時間が経った。酸素はあと14時間、冷凍庫の食糧もあと一食分しか残ってない。

「お前が乗れ」
「いやよ。あなたが乗って」
 ロケットには一人しか乗れない。残存の燃料では二人乗れば離陸できない。私か妻かどちらかがこの星に残らなければならない。
「貴船に小型ロケット用の燃料はあるか?」
 どちらかが救援船に行き、燃料を補給して再び星に着陸、残った方を乗せるつもり。今度は二人乗っても離陸できる。
「当方、小型ロケット用の燃料は積んでない」
 こちらのロケットは片道飛行しかできないわけだ。
「他に救援船はいないのか」
「半径1光年の空域では本船だけだ」
 1光年以上離れた所からだと、フルスピードで駆けつけても20時間以上はかかる。酸素がもたない。残った方は確実に死ぬ。
 妻がナイフを持った。自分の腕を切ろうとした。
「やめろ。なにをする」
 飛びついてナイフをもぎとった。
「腕を傷つければロケットの操縦ができないわ」
「バカなこと考えるな」
「ではどうすればいいの。あなたか私かどっちかが死ぬのよ」
「お前が死ぬことはない」
「あなたが死ぬことはないわ」
 いくら話し合っても結論がでる問題ではない。救援船から通信。
「急いでくれ。スペースデブリの群れが接近している。この空域を早急に離れる必要がある」
「あなたが行くべきよ。あなたが行かないとラシハマの宇宙空港が機能しないわ。早くいって管制官になってね」
「お前は妊娠してるんだ。お前の身体はお前だけのものではないぞ」
「急いでくれ。タイムリミットはあと46分だ」
「判った。貴船に外科医はいるか」
「当方の船医は元々は外科が専門だ」

「三人でまたここに来れるとはあの時は思わなかったな」
 三歳になった息子をだいてロケットを降りた。ラシハマ第2国際宇宙空港の管制官の任期は3年だ。任期を終え、新地球への帰還の途中、3年前に不時着した無人小惑星に立ち寄った。ラシハマで買ったマイロケットは最新型で高性能なスポーツタイプのものだ。
「そうね。早く冷凍庫をあけましょうよ」
 息子を妻に預けた。妻は義手で息子をだいた。義足で歩いて行って、3年前に置いたままにした冷凍庫を開けた。1食分の食料とともに、私の両足と妻の両手が冷凍されて保管されている。
 あの時、計算したら足2本と手2本分の重量を軽減すれば離陸可能と判明した。私がロケットのハンドルとレバーを、妻がペダルを操作して救援船までたどり着いた。
「さ、この足と手を持って帰って接合手術を受けよう」
「そうね。手はやっぱり本物がいいわ」 
 
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改札でとうせんぼ

今朝、JRの改札を出るとき、自動改札の機械がキンコンカンコンと鳴って、ワシを通せんぼしおった。駅員が来て通してくれた。ワシの定期はICOCAだがまだ期限切れまで4ヶ月もある。かってこんなこともあったが、今回のMRIは1月23日に受けたが、この時はちゃんと気をつけて定期免許証カード類は全部身体から外してMRI室に入った。どうも機械の誤作動だったようだ。
 ワシが立ち止まっている間、後ろから非難の視線が突き刺さった。朝の通勤時、会社へ急ぐ人々、それが駅の改札でモタモタしてつヤツがいる。なにしとんねんこいつ、早よ行かんかえボケ、と思っているだろう。ワシでもそう思うだろう。しかし、ワシが悪いんと違う。機械が悪いのだ。そもそもあの自動改札ちゅうのんは鉄道会社の都合でできたもんだ。ICOCAは機械にかざすだけで改札を通れる便利便利といってるが、昔は改札に立っとった駅員に定期を見せるだけやった。駅員に見せるか機械にかざすかの違いだけやないの。駅員は誤作動しないから昔の方がいいと思うのだが。
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思い出のマーニー


監督 米林宏昌
出演(声) 高月彩良、有村架純、松嶋奈々子、寺島進、根岸季衣、黒木瞳

 うん、この作品はジブリのアニメとしては、「千と千尋の神隠し」以来の10代前半の少女の成長の物語だ。
 主人公は12歳の少女杏奈。ワケありな少女で根暗で内気暗い女の子。母はいるがどうも実の母ではないようだ。ぜんそくを患っている。
 この根暗少女杏奈が夏休みの間だけ、空気の良い田舎に転地療養に行く。そこは海辺の町で、入り江の湿地の向こうに洋館が建っている。その洋館の子らしいマーニーという少女と友だちになる。マーニーは日本語はしゃべるが、金髪の外国人の美少女。
 お互いのことは他の人にはナイショということで、二人は毎日のように会う。お互いの秘密をしゃべっているうちに、杏奈の悲しい身の上が観客にもわかる。そして映画の後半にはマーニーの正体があきらかになる。
 主人公は杏奈だが、マーニーは副主人公といっていい存在で、このマーニーなる少女は何者かがこの映画にキモだが、それはここではいえない。ヒントは杏奈の瞳。
 杏奈は映画が進むにつれてキャラが変っていく。根暗少女だったのが、だんだん明るくなり、後半は快活な女の子になっている。この杏奈を成長させたのはマーニーとの出会いであることは間違いない。
 杏奈とマーニーとの二人の関係は、女どうしのアブない関係に見えないこともないが、この映画はそんな百合族的な映画ではない。
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鯛のポワレ オレンジソース


 実は小生は柑橘類は苦手である。温州ミカンの精根尽き果てたようなう~んとヒネのものならおいしく食べられる。ところが新鮮な柑橘類はあまりいただけない。はっさくやグレープフルーツ夏みかんなどは、見ただけで唾が出てアゴの関節が痛くなる。柑橘類だけではない。イチゴもつぶして練乳をかけないと食べられない。
 では酸っぱいモノは全部ダメかというとそうではない。鍋モノのポン酢は平気だし、寿司も普通に酸味を利かす。どうも生の果物の酸味がダメらしい。それ以外なら、酢豚も寿司も梅干しも平気らしい。
 そんなわけで調理したのがこの料理。今が旬の鯛をポワレして、親のカタキのオレンジのソースでいただこうというわけ。
 まず鯛をポワレする。フライパンにオリーブ油を取って、鯛の切り身を入れる。必ず皮目を下にすること。魚の皮はパリッと焼きたいもの。魚は皮はパリッ身はしっとりふんわりと焼くのがうまい焼き方。皮目を焼きながら時々油をスプーンで身にかけてやる。これをアロゼという。ころあいを見てバターを投入。最初からバターを入れておくと焦げる。
 鯛を焼くのと同時進行でソースを作ろう。フレッシュなオレンジを絞ってもいいが、小生は今回は果汁100%のオレンジジュースを使った。ジュースを小鍋に入れ、コンソメスープの素を砕いて入れる。あとバターを溶かし入れて塩コショウする。これでソースは完成。
 皿にソースを入れて、ポワレした鯛を乗せる。添えの野菜はゆでた絹さやだ。さてこれで鯛のポワレ、オレンジソースの完成。小生でもおいしくいただけた。
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ハントンライス


 これは金沢の「B級グルメ」ハントンライスといいます。不勉強なこって私は知りませんでした。新幹線が開通して、さっそく金沢に行かれたまろさんのブログで知りました。
 私は食べたことがないので、ネットなどで調べて調理してみました。ケチャップライスの上に半熟の薄焼き卵をかぶせて、その上にエビと白身魚のフライを乗っけてタルタルソースとケチャップをかけたものです。
 洋食屋さんのおいしいモノ大集合といった感じのごはんです。長崎のトルコライスや福井県越前市のボルガライスと似ています。
 ライスの味つけと上にかけるソースとしてケチャップを使うのですが、私はケチャップ100パーセントですと、甘すぎるのでトマトペーストを混ぜました。甘みひかえめなおいしいソースになりました。ライスの具ですが、マッシュルームですとか鶏肉とか入れようと思いましたが、玉ねぎだけのシンプルなものにしました。上にごちそうが乗っかるのですから、さらにごちそうを加えると、少々重いごはんになってしまいます。
 タルタルソースは玉ねぎ、ピクルス、ケッパー、ゆで卵を細かく刻んでマヨネーズに混ぜ込んで作りました。
 たいへんにおいしく、そしてなにより楽しいごはんです。フライとケチャップライスと薄焼き卵ができる方ならだれでできます。一度お試しあれ。
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桂米朝師匠が亡くなった

「これが地獄のメインストリート、メイド筋」
「御堂筋?」
「いいや冥途筋」
「にぎやかな通りでんな」
「あっちは地獄の興業街」
「寄席もやってまんな」
「こっちの寄席見たら娑婆の寄席なんてあほらしゅうて見てられまへんで」
「うわ、枝雀吉朝の二人会」
「この二人の落語生で聞くのんひさしぶりでんな」
「歌之介、先代の『死神』歌之介でんな。春蝶、先代でんな。文枝松鶴、5代目と6代目でんな。ん、桂米朝」
「米朝師匠はまだ生きてはんのんちゃいますか」
「よう見てみなはれ。肩の所に『近日来演』と書いてありまっしゃろ」
 その近日がいずれ来ることは覚悟していたが、こうして現実に米朝師匠に冥途筋の寄席に出演されると、さみしさは想像以上である。
 先日のかんべむさしさんの講演で「かんべむさし」を作ったものという話をされていたが、そのデンでいうと「雫石鉄也」を作ったものは、SF、上方落語、阪神タイガース、神戸、といったところだろうか。その中で小生に上方落語の面白さを教えたのは米朝師匠であった。
 小生が生まれて初めて買ったレコードは、フォーククルセダーズでもビートルズでもベンチャーズでもない。桂米朝のレコードだった。東芝EMIで桂米朝上方落語全集というのが出ていた。そのレコードを少ない小遣いを貯めて1枚づつ買っていった。
小生の母は漫才が好きで、子供のころ家のテレビによく演芸番組がうつっていた。小生も見ていたが、小生は漫才も見たが、どっちかというと落語の方が好きになった。初めて聞いた落語が米朝師匠だったといわけ。
 生まれて初めて生で米朝師匠の落語に接したのは1975年の第14回日本SF大会でだった。場所は神戸文化ホール。演目は「地獄八景亡者戯」口演の前に小松左京氏との対談があり、めくりをめくるお茶子さんを筒井康隆氏がやっておられた。いま、考えるとなんとも豪華な面子である。
 それからサンケイホール(ブリーゼになる前)で行われていた米朝独演会や一門会には可能な限り足を運んだ。で、結局、2012年7月の「小松左京に出会う会」で見た米朝師匠が生きて動いてはる米朝師匠の最後となった。あの時、確か桂三枝師匠の六代文枝襲名披露があったはず。米朝師匠そっちではなく、こっちにこられていた。そのお友達の小松左京氏も先に逝っておられる。冥土筋にもラジオ局はおまっしゃろ。小松さんとまた「題名のない番組」やってください。
 桂米朝師匠、どうもありがとうございました。私を上方落語ファンに育ててくれたご恩は忘れません。もし上方落語に接することがなかったら、私の人生は少しさみしいものになっていたかもしれません。ご冥福をお祈り申し上げます。
 
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