雫石鉄也の
とつぜんブログ
京の茶漬け
「京の茶漬け」という落語がある。京都の知人宅を訪問した大阪の男。ええかげん話しこんで帰ろうとすると、相手になっていたその家の嫁さんが「まあ、ええやおへんか。ぶぶづけでも、どうどすか」という。「いえいえ、けっこうでおます」と帰る。こんなことが何度かあって、この大阪の男、いっぺん、あのぶぶづけを食ってみたれと思った。
いつものように、時分時に話し込んで、さて帰ろうとすると、「ぶぶづけでも、どうどすか」「ほな、よばれまっさ」
これ、京都の人はほんまにお茶漬けをごちそうしてやろうとは、思っていない。この時の嫁さんの心の中は以下の通り。
「まあ、いややわ、この人。時分時に来はって。早よ帰って欲しおすな。あ、帰らはる。ええわ。もっとおっても何も出てこやへんゆうために、ぶぶづけでも勧めてみよかしら」
つまり、食事時に来ても何も出ん、というサインが「ぶぶづけでも、どうどすか」なのだ。
京のおなごはんの代表みたいな人杉本節子さんの本によれば、お茶漬けは、京都の商家の賄い食で、決して客に出すものではない。商売人がちゃっちゃと手早く食事をする時に食べるもの。台所に残っていたパンのへたを客に勧めるようなものだ。
だから「ぶぶづけでも、どうどすか」といわれたら、「あんたに食わすもんはない。はよ帰れ」といわれているのだ。それを「いただきます」といったら、イナカもんめとバカにされる。なんなら、昼の11時半ごろ京都の知人宅を訪問したら判る。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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わたし、3歳頃から30年以上京都に住んでましたが、知り合い宅を訪問してもされても、そんな経験をしたことは一度もありません。
米朝師匠の噺でしか知りませんが京都人大阪人各々の気質、事情、心理作戦が描かれ意地悪なやり取り我慢比べが面白く茶漬け好きです。
箒を逆さまに置くと言う意思表示も、最早分らないでしょう。さざえさん
意地悪といったもんではなく、はんなりと、かわす、というところではないですか。
以前読んだ西村京太郎氏の小説の中に、「京都の人はキュウリを祇園祭の間食さない。何故ならば祇園祭りを司る八坂神社の紋章が、輪切りしたキュウリの切り口に酷似しており、それを口にするのは不敬と考えているから。」なる記述が在りました。そういった風習を知らず、「へー。」と思った訳ですが、生まれも育ちも京都の知人(30代)にこの話をした所、「そんな話は聞いた事が無い。一定年齢以上の人はそういった考え方を持っているのかもしれないけど・・・。」との事。「ぶぶづけ」の話も、年代によっては大分異なるのかもしれませんね。
P.S. 書き込み戴いた件、「ズバリ聞きます!」シリーズは当該記事のコメント欄にレスを付ける形にしておりますので、今回もそうさせて貰いました。
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