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400円ラーメン勝負

 そのラーメン屋の右隣がタクシー会社。左隣が鉄工所である。正午になった。鉄工所でガス切断をしていた工員が、酸素とアセチレンのコックを閉めて、立ち上がった。腰に手を当てている。
「ああ、あ。昼か。テテテ。腰が痛い」
 工員は隣のラーメン屋に入る。入り口で顔なじみのタクシーの運転手といっしょになる。
「おお。滑川さん。きのうの馬、とったか」
「あかんわ」
「そやから、昼はここのラーメンか」
「そや。あんたもあかんかったんやろ」
「なあに。大穴や。万馬券とったで」
「うそこけ。そんな大富豪がなんでこんなとこでラーメン食うんや」
「こんなとこで悪かったな」
 二人の会話を聞いた、この店の店主が声をかけた。カウンター席が八つとテーブル席が2卓。カウンターの2席をのぞいて満席である。二人はカウンターに座った。
「ふたりとも半チャンラーメンやな」
「うん」
「そや」
 二人が待っていると、入り口が開いて作業服の男が入ってきた。
「なんや。徳さん。いまんごろ来て満員やで。なにしてたんや」
「うん。ちょっと溶接用フラックスワイヤーを入れ替えてたら、手間取ってな。それよりなんや、たいそうな車が停まったで」
「きよったか」
「だれが来るねん。大将」
「うん。山原たらいうえらそうなおっさんが、ここへラーメン食いに来るねんて。12時前にこな待ってもらわなあかんゆうたのに」
「おい、あれ。ロールスロイスやないけ」
 ラーメンの前に巨大なピカピカの車が停まった。ロールスロイスの最新型「ファントム」だ。
 ショーファーが運転席から降りてきて、後部ドアに回る。初老の男が降りてきた。和服を着ている。総髪で射すくめるような目。口はヘの字に引き結んでいる。60代の前半の年かっこうで、たいへんに厳しい顔。ひと目で厳格な人物であることがわかる。
 ショーファーが店に入った。初老の男はその後ろを悠然と歩いている。店に前には5人ほど並んでいる。
「店主。山原剛山先生がおつきだ。席はどこだ」
「12時前に来てくれといったやろ。並んでくれ」
 ショーファーが目をつり上げていった。
「このお方をだれと思ってるんだ。天下の山原剛山先生だぞ」
 山原剛山。人間国宝。陶芸家。画家。書家。100年に1人の天才。芸術家であるとともに稀代の食通。帝王の舌を持つ男。北大路魯山人を遥かに凌駕する食通で芸術家といわれている。関西の超高級住宅地芦屋市の六麓荘に会員制料亭月岡茶寮を経営している。剛山が指揮する月岡茶量の料理は。至高とか究極とかいう言葉を超える料理といわれている。
 剛山はときどき、ラーメン屋とか牛丼屋ハンバーグ屋といった店にやってくる。剛山がそこの料理をひと口食べて、コクリとうなずけば、その店は明日から大繁盛。剛山がひと口食べて箸を置けば、明日から客足が途絶え、ほどなく閉店の憂き目を見る。
 山原剛山。日本の味覚を支配する男ともいわれている。
「剛山先生に行列に並べというのか。バカもの」
「だれであろうと列に並んでくれ。イヤならよそへ行け」
 店主に一喝されれてショーファーは少したじろんだ。
「中川、並ぼうではないか」
 20分待って、二人は席に着いた。
「店主、特別、気合を入れてつくれよ」
 カウンターに座った剛山が店主にいった。
「俺はだれに食べさせるラーメンでも気合を入れて作る。あんたがどんなエライ先生か知らんが関係ない。もちろんあんたのラーメンも気合を入れて作る」
 ラーメンが2杯できた。ショーファーと山原剛山の前に置かれた。剛山、ひと口麺をすすると箸を置いた。
「どうやらお気にめさなかったようだな」
「こんなもの食うに値しない」
「だったら食うな」
「山原剛山もなめられたものだ」
「そうかい。だったら勝負しないか。あんたがラーメンを作れ。オレのラーメンと勝負だ」
「私はラーメンを作らない」
「別にあんたが作らんでも、あんたが料理人に指示して作らせりゃいいんだ」
「面白い」
 二人のやりとりを見ていた、工員とタクシー運転手がいった。
「大将、この先生が作るラーメンはとんでもなく豪華なラーメンになるぞ。大将、負けるぞ。俺たちはこのラーメンで充分おいしいんだ」
「このラーメン一杯いくらだと思う」
 店主が剛山に聞いた。
「2000円ぐらいか」
「ラーメン単品だと400円。炒飯小のセット半チャンラーメンで500円だ」
 勝負は1週間後と決まった。場所はこのラーメン屋。
 勝負の日、剛山は4人の連れを連れてきた。そのうちの1人を見て、ギャラリーたちは「おお」と声を上げた。
 昔、テレビの料理バラエティ番組として人気があった「キッチンの巨人」その中華の巨人として有名な中華料理の巨匠が剛山の連れてきた料理人だ。
 テーブルの上に6400円が置かれている。
「3200円取ってくれ。俺も取る。これを持って二人で、そこのコープさんに買い物に行く。8人分のラーメンの材料を買ってくるんだ。審査員6人と俺と先生のぶんだ。1杯400円のラーメンで勝負だ」
 店主と中華の巨人はほどなく戻ってきた。手にはCOOPのレジ袋を持っている。
 山原剛山が連れてきた3人はいずれも食通として有名な人物。店主が用意した審査員はこの店の常連客。
 始めにAと書かれた鉢のラーメンが8杯並べられた。6人の審査員と店主と剛山が食べた。次にBが並べられた。
「うまい方の札を上げろ」
 剛山がいった。全員Bだ。
「完敗だ。店主、なにが望みだ」
「あんたマスコミにも顔がきくんだろ。ウチのことを放送や記事にしないようにいってくれ」

「大将、半チャンラーメンね」
「あ、おれは叉焼麺と唐揚げ、それにビールもつけて」
「昼間っからビールか。それにぜいたいやな」
「ワシ、昼から休みや。さっきパチンコで勝ってな」
「それにしても大将、ええ宣伝になったのに」
「ええねん。ワシはあんたらに安うてうまいメシを食うてもろたらそれで満足やねん」
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