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ぼっかけ丼


 神戸は長田の名物にぼっかけというのがあるねん。牛スジ肉を甘辛く煮たもん。ワシこれが好きやねん。お好み焼きまんじゅうカレーうどん、いろんな料理に使えるすぐれもんや。
 で、きょうは決定版ちゅうことで丼にした。ぼっかけのスジ肉の相方はこんにゃくが勤めることが多いけど、丼やから玉ねぎを相方に使うた。スジとはいえ牛やねんから、牛丼ちゅうことや。牛丼やったら玉ねぎの方があうやろ。
 牛スジの処理は、いつもぼっかけ料理でやっているのと同じ。下ゆでして、酒、味醂、醤油、砂糖で2時間ほど煮る。スジが煮えるまえに玉ねぎを加えて、できあがりや。
 あまかろう煮た牛肉と、ほかほかの白いご飯の組み合わせ。紅しょうが添えて、七味パラパラ。最高やで。
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カキフライ


 冬うまいもんは色々あるが、カキはその代表だな。それにカキは冬だけのもんで、暖っこうなると食べれんようになる。今のうちに食うとかにゃ。ちゅうわけでカキを食う。カキの食い方はさまざまやが、やっぱ一番ええのんはフライやな。
 カキは片栗粉をまぶす。黒い汚れが出る。塩水で洗って汚れを落とす。こうしてカキの下処理をしておいて、テーブルを整えておく。揚げたてを食べたいからな。ご飯はよそっておく。赤だしは温めておく。キャベツの千切りとレモンのクシ切りは皿にのせておく。
 パン粉、小麦粉、卵を用意する。パン粉はフードプロセッサにかけて細かくしておく。小麦粉は強力粉が具合がええ。卵は溶きほぐしておく。
 油を180度に熱しておく。カキに軽く塩こしょう。小麦粉をまぶし、余分な粉をはらって、卵にくぐらす。パン粉をつけ、軽く手で握り、油に投入。ええ色に揚がったらできあがりや。外はサク、中はジューシー。うまいで。
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デパートはぼくたちのワンダーランドだった

「あしたは、そごうへお買い物に行こな」と、土曜の夜にでも母がいえば、やったあ,という気分。もう、うれしくてうれしくて、ワクワクして眠れなかった。
 日曜になる。よそ行きのべべ着て阪神電車に乗る。ゴトゴト。御影につく。御影で普通から特急電車に乗り換え。電車は岩屋で地下に入る。このあたりから、ワクワクはいっそう高まる。三宮に到着。走るように改札を抜ける。
 阪神三宮駅を出て、すぐ南にそごうの入り口がある。そこで弟と二人で母を待つ。早よ早よ。母が来る。
 そごうに入る。寅さんのセリフじゃないが、「べにおしろいつけた、シロキ屋クロキ屋のねえちゃん」のきれいなおねえちゃんが「いらっしゃいませ」すると、そこはもう別世界。わくわくうきうきの夢のワンダーランド。きれいなモノ、舶来もん、欲しいもんがいっぱいある、非日常の世界。
 学用品売り場で、この4月に小学校に入学する弟のランドセルを買う。ぼくの電気えんぴつ削りも買うてもらう。おもちゃ売り場の前。前から欲しかったアレを母におねだり。「そやな。お誕生祝いの前渡しちゅうことにしとこか」エポック社の野球盤を買ってもらう。
 お昼になった。「お昼はここで食べてこか」7階の大食堂に行く。大きなショーウィンドウの中には、おいしそうな料理がいっぱい。母が作らない、フォークとナイフで食べるような料理もある。迷いに迷って決める。
 きれいなおねちゃんがAランチを持ってくる。ごはんじゃなく、ライスがついてくる。ライスはこうやって食べるんやで、とフォークの背にご飯を乗せて、弟に教える。「食べにくいわ。お兄ちゃん」
 昼食もすんだ。「なあ屋上行ってええやろ」「ええよ」「やったあ」屋上の遊具で遊ぶ。弟は遊び続ける。快晴の日曜日。北の六甲山の緑が美しい。屋上には熱帯魚売り場もある。ぼくはそこで魚を見る。この世のものとは思えない、宝石のような小魚がいっぱい水槽の中を泳いでいる。
「おかあちゃん。うちもこんな魚飼おうな」「熱帯魚なんてお金持ちしか飼えません」「ぼく大きくなったら絶対熱帯魚飼うねん」「さ、帰ろか」
 母は地下でパルナスのピロシキを買う。あしたの朝食だ。また、阪神電車に乗って家に帰る。

 あのころのデパートはぼくたちのワンダーランドだった。

 東京の西武有楽町店に続いて、京都の阪急河原町店が閉店する。デパートはその役割を終えたのだろう。
 
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とつぜんSFノート 第3回


 だれがいったか知らないが「SFの黄金時代は12歳である」名言であると思う。だいたい、SF者は、この年頃にSFとの幸福な出会いをしていることが多い。何人かのSFの友人に聞くと、小学校高学年ぐらいから、自分が空想好きで、宇宙だとか未来だとかいうお話が好きであるとの自覚があったとのこと。小生も同じだ。 
 子供はだいたいそうだが、小生は絵を見るのが好きな子供だった。もともと、昆虫とか小魚などの生き物が好きで、そういうものがいっぱい載っている図鑑をながめては喜んでいた。そのうち、生き物以外の絵にも興味を持つようになった。ロケットとかロボットとか宇宙とかの絵だ。
 今時、そんな能天気な企画は笑いもんになるだけだが、昔の、新聞や雑誌の新年号の企画の定番といえば、「未来の世界」「未来の日本」「未来の生活」といった「未来」もんだった。未来になれば、労働は全部ロボットがやり、人々は働かなくともいいのでレジャーを楽しみ趣味に時間を費やす。ボタン一つでなんでもできる。バラ色の未来である。このころの「未来の」という枕詞がつくイラストでは、小松崎茂、長岡秀三(星)、真鍋博たちがいた。こういった人たちの絵を飽きずに見ている子供だった。
 月面に植民地ができ、清潔な都市の上空を一人乗りの空飛ぶプラットホームに乗って自由に移動する。東京・大阪を3時間で走る弾丸列車が走り、四国を本州には夢の架け橋が完成して地続きとなる。
 このうち実現したのは、弾丸列車と夢の架け橋だ。小生も神戸人だから、夏の海水浴は手近な所で、須磨の海へよく行く。須磨の浜に座って西を見ると、明石海峡大橋が間近に見える。この光景が、昔見た「未来の日本」の「夢の架け橋」そのままだ。小生、いつも須磨に行くたびにこの光景を見て「未来」を感じるのである。明石海峡大橋や新幹線は現代では未来でもなんでもない。ところが、須磨の海岸から見る明石海峡大橋はなぜか「未来」に見えるのである。
 こういう「未来」だとか「宇宙」だとか「ロケット」だとか「ロボット」だとかいうものが大好きな少年だった小生は、絵を見るだけではなく、そういう言葉が使われているお話を読むようになった。
 そのころの学習誌。「時代」「コース」「友」といった学年別学習誌である。それに付録が付いていた。その付録に小さな本があって、それらの本に子供向けにアレンジした小説が載っていた。その本をパラパラめくると、上記の小生が大好きな言葉がチラチラ出てくる。読んでみた。ものすごく面白かった。そして、それらの小説が「空想科学小説」と呼ばれることを知ったのである。
 この「空想科学小説」が、「SF」というローマ字2文字で表記されるジャンルであることを知ったのは、小生が高校生になってから。ちなみに小生は、いまでも「空想科学小説」という呼称が好きだ。「SF」よりも「空想科学小説」の方がセンス・オブ・ワンダーがあり、ロマンがあるように思うのだ。
 かって探偵小説といわれていたミステリーは、推理小説は、松本清張に代表される社会的な色付けが濃くなり、探偵小説という呼称を使わなくなった時期があった。最近は、探偵小説という呼称を意識して使っている作家もいる。結構なことだと思う。SFもこれと同様な動きがでてこないものかと思う。
「空想科学小説」の復活を望む。昨年亡くなった、バリントン・J・ベイリーなどの、いわゆるワイドスクリーン・バロックの作家などが、まさしく空想科学小説の作家ではないのか。
 ともかく空想科学小説が大好きだった小生は、ある日書店で1冊の本を手にして、その本を一読、その世界に吸い込まれてしまった。それから40年以上、吸い込まれっぱなしである。小生は、たぶん一生吸い込まれたままであろう。
 1965年発行の「SF入門」出版社は早川書房で、編者はSFマガジン初代編集長福島正実。同名の本が2001年に、日本SF作家クラブ編で出たが、小生を40年以上昔に吸い込んだのは写真の本。元は真鍋博のカバーがついていたが紛失してしまった。
 ともかくこの本を繰り返し読んだ。 

星群の会ホームページ、雫石鉄也の「SFマガジン思い出帳」が更新されました。どうぞご覧になってください。
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がんばれ№2、№3

 トヨタが揺れている。一時は世界1の自動車メーカーの座に着いたが、VWグループに抜かれてトップの座から転落。また、品質の問題で、頼りのアメリカ市場で販売・生産中止。トヨタの車に乗ると、踏み込んだアクセルペダルが戻らず暴走する。怖い怖い。
 トヨタは品質が売り物であった。その品質でミソを付けるとトヨタの車にはなんの魅力もない。造る車が100点満点、横綱でトヨタは世界の頂点に君臨してのではない。トヨタの80点主義といわれ、抜群に成績は良くないが、まあ、良くできる子。9勝6敗か8勝7敗を繰り返しながら大関を長く務める。そんな車ばかり造ってきたわけ。東大を目指す優等生や横綱はトヨタにはいない。
 こっちからあっちへ、安全に快適に移動する、こういう目的を達するにはトヨタ車はいいだろう。しかし、運転する楽しみ、単なる移動手段ではなく、移動になんらかの付加価値をもとめる人はトヨタ車には魅力を感じない。そのトヨタが売れていたのは、巧みなマーケティングと広告もさることながら、品質に負うところが大きい。その品質がこのていたらくではどうしようもない。
かんばん方式」という、非道な生産方式を編み出し、下請け、協力会社をいじめ、時間外のQC活動で従業員をただ働きさせて、膨大な利益を得てかってはトヨタ銀行などといわれた。そのおごり、傲慢がここに来て、ヤキがまわってきたというべきだ。
 他の自動車メーカーはこれを好機として、ぜひがんばってもらいたい。常勝軍団、無敵の横綱、他を圧するトップ、こんなもんをのさばらせておく、業界、スポーツ、ジャンルはろくなもんではない。切磋琢磨、群雄割拠してこそ成長があり、見ていても面白い。相撲は関脇が強い場所は面白いといわれる。№2、№3がもっとがんばらなくては。ホンダ、ニッサン、マツダの奮起を望む。ついでいうけど、阪神も。巨人を今年も優勝させてはいけない。
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まず、当たり前のことをして一人前のことをいえ

 春闘の季節である。昨今の経済情勢をかんがみて、労働側はベースアップの要求を封印して、定期昇給の確保を最優先項目としている。それに対して経営側は「賃金より雇用」との主張を繰り返す。
 ようするに経営者たちは、「雇ってやるだけでもありがいと思え。賃上げなんてぜいたくをいうな」というわけだ。しかし、経営が苦しいからといって、給料を上げないと、とうぜん労働者の所得が減るわけだ。所得が減るとモノをかわなくなる。企業の収益が減る。このあたりの理屈がわからないらしい。経営者たちは、自分たちの会社が作っている製品はだれが買っていると思っているのだろ。御手洗さんはキャノンのデジカメはだれが買っていると思っているのか。経団連の経営者仲間だけがキャノンのデジカメを買って、キャノンという会社が回っていると思っているのか、御手洗さん。
 経営側は雇用最優先といっているが、そんな一人前のことをいう前に、もっと当たり前のことを労働者に約束すべきである。
 働いたら、働いたぶんはきっちり給金をだす。こんな当たり前のことさえできていない経営者が多いという現実を見つめてもらいたい。
 みなし管理職とかいうごまかしで、過酷な時間外労働を課してそのぶんの賃金を払わない。極端な人員削減が、残された労働者に負担がかかり、なおかつ労働者の仕事への意欲に甘え、サービス残業の黙認をする。また、行過ぎた経費節減により、社内に横行する自腹切りを見て見ぬふり。
 働いたぶんはちゃんと賃金をだす。会社の仕事のお金は会社が負担する。こういう当たり前のことを、ちゃんとやってから「賃金より雇用」などと一人前のことをいうべきである。
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火の鳥 鳳凰編


手塚治虫     虫プロ商事

 大手塚のライフワーク「火の鳥」その「火の鳥」は、未来の諸作と過去の諸作の二つに分類される。小生は未来の「火の鳥」では「未来編」が一番好きだ。これはSF者たる小生の急所を突いた作品だから。では、「火の鳥」シリーズで一番の傑作はなにかというと、小生はこの「鳳凰編」だと思う。賛成してくれる人も多いのではないか。
 際立つキャラクター。めくるめくストーリー。厳然たる歴史的事実。明確なメッセージ。この「鳳凰編」は歴史物語の傑作の条件をすべてそなえている。
 主人公は二人の仏師。我王と茜丸。物語の前半、我王は悪逆非道な盗賊。茜丸は純粋な若い芸術家。後半は、我王は、乞われるまま仏を彫り、生きとし生きるもの全てに慈愛の心で接する菩薩のような存在。茜丸は権力者に取り入り、大仏建立のプロデューサーとして辣腕をふるう野心家。この二人がお互いを照らす鏡として、対立し、競う。我王は民衆のために創作する。茜丸は権力者と己の野望のために創作する。この対立するキャラクターが物語の強力な推進力となる。
 奈良時代。旱魃、日照り、疫病。民衆は天変地異に苦しんでいた。仏教は政治の具となっていた。天皇は朝廷の権威の象徴として巨大な大仏建立を決定する。国を挙げての一大プロジェクト。我王は、建設費の調達をする師良弁上人に従って奥州へ。ところが良弁は即身仏になった。なぜか。我王は悩み苦しみ、そして悟りを得る。
 大仏は民衆の苦しみを意にかいせず建設が進む。工事の監督者は茜丸。大仏は完成する。盛大な開眼法要が営まれた。そして最後の工事。大仏殿の鬼瓦の制作は、我王、茜丸の二人が競作し優れた方が採用されることになった。
 奈良の大仏さんとして、貴重な観光資源として、信仰の対象としての奈良東大寺の盧舎那仏像。この像の建設の背景として手塚はこういう物語を創った。
完成直後の大仏を手塚はこう描写している。
「目のはいった、大仏は、まるで当選お礼のダルマのように、貴族民衆をにらみおろした」
 下から大仏を俯瞰するコマがあるが、その時の大仏の表情は、ものすごく冷酷な権力者のような表情に手塚は描いている。
 政治の具となった仏教。茜丸も結局は、その具の一つとして使われ、そして死ぬ。我王は死なない。深山にすみ、木や岩に仏を彫り、強靭な生命力でいつまでも生きる。
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自民党はもうあかんで

 自民党はもうダメだ。政権に復帰するどころか、このままズルズルと衰退していくだろう。
 国会が始まって、大方の予想通り、野党自民党は、与党民主党の鳩山首相と小沢幹事長のお金の問題を、一生懸命追及している。絶好の攻撃材料だからあたりまえだろう。しかし、あたりまえのことをしていては、事は簡単にはいかない。自民党には知恵者がいないわけだ。あたりまえの戦略しか考えつかないわけ。
 こんどの国会は自民党にとって起死回生の絶好のチャンスだった。そのチャンスをむざむざつぶしてしまった。
 国会は政策を議論する場である。その政策そっちのけで、民主党の上げ足取りに終止している自民党。政治とお金の問題を自民党が追及したとて、国民にとっては「そしたらお前らどうやったんや」「自分らのやってきたことを棚にあげて、ようそんなことゆうわ」といわれるだけ。そのことによって、民主党の支持率に多少の影響はするかも知れないが、自民党支持率アップの材料とはならないだろう。
 この国会で自民党が、小沢氏と鳩山氏のお金の問題を、おくびにも出さず、純粋に政策論争だけを展開していたら、「おっ、自民党も変わったやないか」と見る人も多いだろう。残念やったね自民党。
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お年玉つき年賀ハガキ3等が当たったけど

 お年玉つき年賀ハガキ。毎年、切手シートぐらいは当たる。今年は、珍しいことに3等が当たった。こいつは春から縁起がいいわい。どんなええもんが当たるねんやろと期待に胸ふくらむ。
 郵便局に行けば、商品カタログをくれた。そこからお好みの品をリクエストする。お菓子の詰め合わせやら、佃煮やら、梅干しやら色々載っている。期待したほどのもんじゃないな。もっとええもんやと思うたけどな。魚沼産コシヒカリ2.5キロちゅうのんをリクエストした。
 当たったから文句ゆうたらバチが当たるかも知れんけど、当選したハガキを郵便局に持っていったら、「あなたはこのハガキの宛名のご本人ですか」「あ、そうですか。だったらあなたが雫石鉄也さんであることを証明するモノを何か提示してください」
 ごじゃごじゃとうるさいことをいう。たかがあの程度のもんをもらうのにたいそうなこっちゃ。だいたいが、あの年賀ハガキの賞品は誰に/何に当たるんやろ。ハガキそのものに当たるのか、ハガキの受取人に当たるのか。どういうタチのもんや。
 ハガキそのものに当たるのやったら、ハガキを持ってきた人にだまって賞品を渡せばええ。受取人に当たるのやったら、受取人以外の人が来たら、委任状を出せゆうんやろか。受取人が急死したら賞品はどうなるんや。また、使い残って白紙の年賀状が当たったらどうなんねやろ。
 ワシのオヤジは急死やった。だから、しばらくは亡くなったオヤジ宛てで年賀状がだいぶん届いた。ずいぶん昔のことで忘れたが、あの年賀状の中にもなんか当とったやろ。あの賞品はどないしたのやったかな。
 あ、あの時分は郵政は民営じゃなかった。昔の郵便局は、あないなうるさいことゆわへんかったな。
 
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ディア・ドクター


監督 西川美和
出演 笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、香川照之、笹野高史、八千草薫、

 山間僻地の村の診療所に研修に来た若い医者相馬。この過疎の村に医者は一人だけ。中年の温厚な医者伊野。伊野は看護師の大竹とともに、村人全員の健康を守る。産科、整形、消化器、外科、たった一人の医者だから、すべての科目の診察と治療を行わなければならない。
 伊野は労をいとわず、こまめに往診し、村人たちも伊野を頼りにする。そんな伊野に信服した相馬は、研修が終ればこの診療所に赴任することを希望。それを聞いた伊野は重大な告白をする。
 伊野の患者に胃病の老婆がいる。彼女の娘は都会で医者をしている。伊野の診断では老婆は胃潰瘍ということになっている。帰郷している女医の娘にもそう説明した。娘は忙しく年に一度しか帰郷できない。次に来るのは1年後だと伊野にいう。その直後伊野は失踪する。
 伊野はなぜ失踪したのか。村人に頼りにされ、村になくてはならないただ一人の医者の伊野が。頼りにする人々がいる。信頼に応え真摯に仕事を行う人がいる。それでいいではないのか。ところが、それではいけない理由が伊野にある。前半に伊野と村人との交流をあたたく描かれている。そのため、失踪した伊野の孤独感が際立つ。田んぼに脱ぎ捨てられた伊野の白衣がたまらなく哀しい。ラスト、娘の病院に入院している老婆が、一人の病院職員に笑顔を向ける。その笑顔に救われた。
 映画初主演の鶴瓶がうまい。余、香川、笹野、八千草といった、ベテラン芸達者たちが周りを固めている。

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冬野菜カレー

 
 冬のカレーを作ろう。冬野菜カレーだ。冬野菜の代表といえば大根。このカレーの主役は大根。ところが大根は姿を見せていない。実はこのカレー、水を一滴も使っていない。
 このカレーのスープは大根おろしである。大根おろしを鍋に入れて火にかける。これで冬の野菜を煮る。白菜、ブロッコリー、かぶ、にんじんを入れた。
 食べた。まずくはなかったが、格別おいしくはなかった。なんだか、カレー味の大根おろしをご飯にかけて、ゆでた野菜を食べている感じ。
 大根おろしを汁だけにして、それでカレーのスープを作った方がよかった。白菜はフライパンで焼いた。かぶ、ブロッコリー、にんじんはゆでた。焼いた白菜が一番おいしかった。他の野菜も焼いたほうがよかったかな。
 大いに改良の余地が残るカレーであった。
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きのこ鍋

 
 小生はきのこが好きだ。鍋物には必ずきのこを入れる。では、今夜はいっそのこと。きのこがメインの鍋にした。思う存分きのこが食べられる。
 きのこはノンカロリーで大変にヘルシーな食材。血圧高め中性脂肪要注意の小生にとってありがたい食材だ。
 ポン酢で食べるちり鍋にしようか、寄せ鍋仕立てにしようか考えた。うん、寄せ鍋にしよう。昆布と鰹節でダシを取る。濃い目のダシを取りたい。昆布は羅臼、鰹節は厚削りのものを使った。アクを取りながらしっかり煮出す。味付けは小生特製の「かえし」を使う。
 さて主役のきのこだが、椎茸、えのき、しめじ、まいたけ、マッシュルーム、
エリンギを使った。これできのこ6種。今回は使わなかったけれど、これに、松茸、ふくろ茸、トリュフを加えたら9種。野球チームができる。ちょっとオーダーを組んでみよう。

 山里キノコーズ
1番 センター えのき
   長打力はないが確実に安打を打つ。常に3割以上をキープ。足も速い。
2番 2塁 しめじ
   バントの名手。内外野を守れるマルチプレイヤー。
3番 1塁 椎茸
   3割30本は確実に打つ。打球の速さはピカ1。
4番 レフト 松茸
   日本を代表するホームランバッター。年俸が高いのがネック。メジャー志向だが、
   はたしてアメリカで通用するか?
5番 ライト トリュフ
   元メジャーの貫禄充分。プライドが高いのが難点。日本の野球になじめるか。
6番 3塁 エリンギ
   新外国人。メジャーでの実績は充分。近年、新加入。救世主となった。
7番 ショート ふくろ茸
   台湾出身の育成上がりの苦労人。守備だけでも客を呼べる選手。
8番 キャッチャー まいたけ
   日本一パスボールの少ないキャッチャー。肩も強い。いざとなったら手がたくさん。
9番 ピッチャー マッシュルーム
   球団初の外国人開幕ピッチャー。小柄だが150キロ台後半の豪速球。苦しくなれば
   自分を投げる。 

 どうです。強そう。今年の阪神とどっちが強いかな。
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せきをする男

 私が毎朝乗る電車は二番電車だ。朝早い。乗る車両は最後尾と決めている。数年前に大きな脱線事故があってから先の方の車両に乗る気がしない。
 朝が早い電車だから乗客は少ない。同じ時間、同じ車両。乗っている顔ぶれはいつも同じ。顔なじみといってもいい。とはいっても別にあいさつはしない。視線があっても会釈もしない。毎朝、同じ電車に乗り合わせているという接点しかない人たちだ。
 座る場所まで同じ。今時、ソフト帽をかぶっている男。分厚い本を熱心に読んでいる老人。連結部に近い座席に座って眠っている青年。電車に乗っているあいだ、ずっと携帯電話とにらめっこしている男。
 私はいつも、片側に三つあるシートのうちの、一番後ろよりの端っこに座って新聞を読んでいる。 
 毎朝、私と同じシートに座る男がいる。私は後ろよりだが、男は前よりにいつも座る。そのシートには、毎朝、私たち二人が座るだけ。お互い顔は知っているが、どこのだれとも知らないし、もちろん言葉を交わしたこともない。
 ごほごほ。男がせきをしている。風邪でもひいたのか。新型インフルエンザだったら嫌だなあ。
 次の日、男はいなかった。休みらしい。やはり風邪だったのか。
 ごほごほ。ソフト帽の男がせきをした。
 次の日、ソフト帽男は電車にいなかった。
 ごほごほ。本読み老人がせきをした。同じシートの男が出てきた。
 連結部青年がせきをして、次の日休んだ。携帯男がせきをして、次の日休んだ。
 なんだか熱っぽい。風邪らしい。幸いインフルエンザではないようだ。ごほごほ。せきが出る。
 その日は会社には出勤したが、昼から早退した。夕食も食べずに寝た。次の日も一日寝ていた。その次の日の朝、すっかり風邪は抜けていた。全快。さ、出勤しよう。
 いつもの駅で、二番電車を待つ。電車が来た。いつもの場所に座る。横を見る。いつもの男がいた。視線があった。お互い会釈した。
 目的地に着いた。降りよう。ソフト帽男は私と同じ駅で降りる。改札の所で顔があった。
「おはようございます」
「おはようございます」
 双方、ごく自然にあいさつを交わした。改札を抜けると、手を振って別れた。
 
 いつもの二番電車が来た。ドアが開く。乗る。いつものメンバーが全員そろっている。
「おはようございます」
 みんな大きな声であいさつをした。
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SFマガジン2010年1月号


SFマガジン2010年1月号№646  早川書房

雫石人気カウンター
1位 息吹          大森望訳 テッド・チャン
2位 明日も明日もその明日も 浅倉久志訳 カート・ヴォネガット
3位 クリスタルの夜     山岸真訳  グレッグ・イーガン
4位 第六ポンプ       中原尚哉訳 パオロ・バチガルビ
5位 ウィケッドの物語    内田昌之訳 ジョン・スコルジー

 SFマガジンは昔は、毎年2月号が特大号といって、通常号よりぶっとい号を出していた。近年それが無くなった。今号は久々の巨大SFマガジンとなった。536ページとぶっとさも巨大だが、お値段も2500円と巨大だ。単行本でこのお値段だと、かなり厚いハードカバーだから、雑誌でこの価格は少々お高いような気もするが。
 創刊50周年記念特大号と銘打ち、今号はPART・Ⅰ海外SF篇。少し前まで最近のSFマガジンは、連載と企画もんが多く読み切り短編が少なく、読むところが少ないとこのブログで不満を述べたが、今号はさすがに読み応えたっぷりで満腹した。
 掲載作は次ぎの通り。

息吹 テッド・チャン
クリスタルの夜 グレッグ・イーガン
スカウトの名誉 テリー・ビッスン
風来  ジーン・ウルフ
カクタス・ダンス シオドア・スタージョン
秘境の都  ブルース・スターリング 
ポータルズ・ノンストップ コニー・ウィリス
《ドラコ亭夜話》 ラリイ・ニーヴン
フューリー アレステア・レナルズ
ウィケッドの物語 ジョン・スコルジー
第六ポンプ  パオロ・バチカルビ
炎のミューズ ダン・シモンズ
凍った旅 フィリップ・K・ディック
明日も明日もその明日も カート・ヴォネガット
昔には帰れない R・A・ラファティ
いっしょに生きよう ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
記憶屋ジョニー ウィリアム・ギブスン

 以上17編。このうち小生が読んで面白かったのは上記の5編。「息吹」「クリスタルの夜」は久々にSFを読む醍醐味を味わった。特に「息吹」はSFでしか書けない話でセンス・オブ・ワンダーを感じた。さすがチャン。
「明日も明日もその明日も」は初期の筒井康隆をほうふつとさせる。ヴォネガットらしいユーモアな短編。「第六ポンプ」暗く陰惨な話だが、妙なおかしみがある。サラリーマンの悲哀もある?「ウィケッドの物語」ロボット3原則ネタでまだまだ話が書けるのだ。
 他に「ポータルズ・ノンストップ」いわば楽屋話だがウィリスらしくなかなか読ませる。ただ今の若いもんが、ジャック・ウィリアムスンなんて古い作家を知ってるかな。
 編集部おすすめの「炎のミューズ」はしんどかった。こんなもんシェクスピアに興味が無いと読んでも面白くないだろう。シモンズがお好きな文学うんちくをくだくだと垂れ流しているだけ。
 ところで、今号、読みではあったが、もひとつ編集方針がよく判らんかった。50周年記念と称して、早川はこの号で何をいいたかったんだ。今の海外のSFを俯瞰したかったのか。だったらディック、スタージョンといった作家の代わりにもっと入れるべき作家はいるだろう。ソイヤーなんかが抜けている。
 また、SFマガジン50年の歴史が語りたかったのか。だったらクラーク、アシモフ、ハインラインといった御三家やシェクリー、シルバーバーグは?またバラードといった「にゅーうぇーぶ」もさけて通れまい。
 どっちつかずの編集であった。とはいえ、まったく久しぶりにお腹いっぱいになったSFマガジンであった。ゲップ。さて、2月号PART・Ⅱ日本SF篇に取りかかるとするか。
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とつぜん対談 第12回 ブラックバスとの対談

 今日の対談相手は外国出身の方です。とはいっても日本に来られて長く、帰化されていますので、日本語は非常にご堪能。なにかと話題になることが多く、「ギャング」と心ないいい方で呼ぶ人もいますが、ご本人は極めてまじめなお方です。今日は悩み多い心のうちを語ってもらいました。

雫石
 こんにちは。ごきげんいかがですか。

ブラックバス
 こんにちは。私、日本に来てからきげんの良い日は1日もないです。きょうもゆううつな気分です。

雫石
 お察しします。失礼ながらブラックバスさんは決して評判は良くないですね。

ブラックバス
 そうなんです。なんでぼくがギャングなんですか。

雫石
 たくさん魚を食べて、日本在来の魚を駆逐するからじゃないですか。

ブラックバス
 ぼくは別に悪意があって日本の魚を減らしているわけじゃないんですよ。

雫石
 でも、あなたがいるから日本の魚が減っているわけでしょう。琵琶湖なんか危機的な状況になりましたよ。

ブラックバス
 ぼく、大食漢なんです。食べても食べてもお腹がすくんです。それにぼく魚しか食べられないんです。そこにいる日本の魚を食べちゃダメというんでしたら、ぼく、なにを食べればいいんです。

雫石
 あなたがもともと日本にいない魚だから問題なんでしょう。

ブラックバス
 ぼく、別にこんな国に好んで来たわけじゃありません。

雫石
 では何しに日本に来たのですか。

ブラックバス
 最初は食用で連れてこられたらしいんです。でも、引きが面白いって、ゲームフィッシィングの対象になってしまったんです。

雫石
 だったら殺されなくていいんじゃないですか。人間の遊び相手でしょう。

ブラックバス
 キャッチ・アンド・リリースとかいって、ぼくを釣って、また逃がすけれど、針にかかると痛いんですよ。試しに口に針をひっかけてみたら判ります。

雫石
 でも、バス釣りやっている人は、遊んでくれてありがとうと感謝して、あなたを湖にもどすのでしょう。

ブラックバス
 ぼくは人間となんか遊びたくないです。バスプロなんて、ぼくを痛めつけて食べてる人がいるなんて、許せません。

雫石
 バスプロだけじゃなくて、釣具メーカーやら、湖周辺でブラックバス関連で生計を立てている人も大勢おられますが。

ブラックバス
 もともと日本にいないぼくを頼りにするなんてどうかしてます。それに命あるものは遊びの対象にしてはいけません。

雫石
 でも、人間は魚や獣をたべますが。

ブラックバス
 命をつなぐため命を取るのはやむをえません。生命は他の生命を奪わなければ生きていけませんから。それが生命の「業」ですから。

雫石
 他の釣りをする人もいますが。

ブラックバス
 釣りをする人にいいたいのです。釣った魚は必ず食べなさい。例えそれがお遊びの釣りでも、食べられれば、釣られた魚も、くやしいことはくやしいですが、ほんの少しだけ納得すると思うのです。本当は魚を獲るのはプロの漁師さんだけにして欲しいのですが。

雫石
 では対談はこのへんで。最後に今のご希望は。

ブラックバス
 故郷のアメリカへ帰りたい。ぼくは来たくて日本に来たのではありません。
ぼくをアメリカへ帰してください。
 
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