goo

とつぜんリストラ風雪記 20

とつぜんリストラ風雪記19 
 兵庫キャリア交流プラザで同期となった人たちとは、非常に仲良くなった。同じ境遇で、同じ痛みを持っている人たち。2004年の7月から10月までの4ヶ月間、この人たちと机を並べて、中高年になっての再就職という、困難な目標を達成するべく、みんなでがんばった。ある種同志的な結びつきを持ったグループだった。
 このグループはメーリングリストを作って、再就職活動の情報交換をしていた。交流プラザ終了後も、このグループのつながりは続き、何回か宴会をしている。またメーリングリストは4年後のいまもあり、近況報告をやりとりしている。今年も忘年会があったが、残念ながら小生は、都合があって不参加となってしまった。みなさんお元気な様子。なによりだと思う。

2004年7月26日(月)
 中津の日本T社で面談。人材派遣会社。W金属という会社を、派遣先として紹介される。板金関係の購買仕入れとのこと。

7月27日(火)
 阪神4連敗。先発投手が早々に崩れて、4番の金本が打線のブレーキというパターンが、このところ続いている。いかんなあ。

7月28日(水)
 兵庫キャリア交流プラザの初日。カリキュラムはパソナと同じようだが、パソナがマンツーマンだったが、交流プラザは20人ほどが、一室で机を囲んで行うゼミ形式。このメンバーは最後まで同じメンバーだから、うちとけやすい。
 最初に自己紹介と、どういう就職活動を行ってきたかを発表する。みなさん、それぞれ事情があって、会社を辞め、再就職活動に励んでおられる。同じ境遇の人たちだから、共感を覚える。このメンバーはみんないい人ばかりで、友人となる。

7月29日(木)
 大阪は堂島のP社で面談。ビルの小さな部屋の事務所で、社長のおじさんと女の子の二人だけの小さな人材紹介会社。空調機器メーカー大手のDの関連会社を紹介してくれる。少々手ごたえを感じる。

7月30日(金)
 交流プラザ。今日は職務経歴書作りをやらされる。職務経歴書の書き方は、パソナでも教えてもらったし、小生は実際に作成して、使用して就職活動をしてきた。しかし、パソナではマンツーマンだったので、自分で作成したものを添削してくれるだけ。
 交流プラザでは、メンバー全員が作成して、それを人数分コピーして見せあう。人の作成した職務経歴書が見れるわけ。これは大変に参考になった。人さまざまだ。

8月1日(日)
 金本がフルイニング連続試合出場の記録を打ち立てた。アニキおめでとう。しかし阪神は試合に負けた。

8月2日(月)
 交流プラザ。職務経歴書の書き方のカリキュラムが今日で終わり。じっくり、たっぷりと学んだ。これは大事なことである。
 求職者が応募先企業に接触するのは、まず書類で接触する。履歴書は事実をそのまま記載するだけだから、あまり自己PRの余地はない。結局、職務経歴書がポイントとなる。この書類によって面接まで進むか、書類審査だけで落とされるかの分かれ目になる。
 職務経歴書といっても、何年何月から、何部何課で何業務を担当する。と、いつから何をやったかを羅列するだけではだめ。
 どういう仕事して、どういう業績を上げたか。できれば数字を挙げて記載する。自分がその仕事を担当するにあたって、何を工夫し、何を改善改革したか。具体的に記載する。
 こういう仕事をやってきて、その仕事を志望企業でも担当することを希望するのか。もしその仕事に就けば、今までの経験を生かして、仕事の深度をさらに深めるべき努力するのか、気分を新たに、全く違う発想で仕事に取り組む所存なのか、仕事に対する姿勢を表明すれば、採用担当者の印象を良くなる。
 ようは、何をしてきたか。どうしてきたか。これからどうするつもりか。そして、自分が入社すれば志望先企業にどういうメリットがあるか。以上のようなことを、要領よく手短に、できればA4二枚でまとめるべし。
 最悪はダラダラと長文で自慢話を列挙した職務経歴書。長い書類を書いても、まず読んでもらえない。自慢話も反感を買うだけ。自己PRと自慢話は違う。自己PRは客観的。自慢話は主観的。

8月4日(水)
 交流プラザ、今日はメンタルへルスについての講義。女性の講師。失業中は何かとストレスが多いから、メンタル面の健康管理も大切。失業が長引くと鬱になりがち。ところで、この時の講師はなかなかの美人であった。

 
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )