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天冥の標Ⅶ 新世界ハーブC


 小川一水  早川書房

 第6巻から直結する続編である。救世群は原種の冥王斑ウィルスをばら撒くという禁じ手を使った。そのため冥王斑非感染者のほとんどが死滅。小惑星セレスの地下に20歳以下の子供ばかりが生き残った。その数5万人。
 10代の子供たちが、リーダーを決め、役割分担を決め、食料を生産し、エネルギーを都合して、必死に生き残ろうとする。幹部となった子供は、重い責任とシジフォスの苦行にも似た仕事に追われる。リーダーに反抗して戦いを仕掛けてくる者もいる。救世群の大人も狙っている。
 それから年月が流れた。子供たちも年老いた老人といっていい年になった。そして「子供たち」が築いたこの地は「メニーメニー・シープ」という。そう、このⅦ巻はⅠ巻へとつながるのだ。
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負けの左手


類似書 アーシュラ・K・ル・グィン「闇の左手」

 遥かな過去に放置された人類の植民地コーシエン。雪と氷に閉ざされたコーシエンは忘れ去られた惑星である。でも、この惑星でも、遺伝学の実験の落し子が生きていたのである。
 奪三振に特化して進歩したノーミはバレに打たれただけだったが、コーシエンのミュータントたちはどうしたわけか、ホームへのDNAが抜け落ちていた。ハイセンショリのピッチャーも火に油。
 植民地コーシエンを訪れた外交団はあきれて帰って行った。
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歳内の好投が勝利を呼んだ

 やっぱ、スタメンにゴメス、梅野がおらなあかんねんな。この二人がおらへんと負けて、スタメン復帰すると勝つ。げんずるしいもんやなあ。去年はこの二人おらへんかったけど、どないして勝っとたんやろ。
 二神が投げるぐらいやからローテーションの谷間やな。スワローズ相手とはいえ、それで勝ったんやからもうけもんや。それも敗戦処理で登板した歳内が思いのほかの好投でピンチを脱出。この存外の歳内の好投が阪神に流れを呼んでその裏の逆転につながったんやな。
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笑福亭生喬の「竹の水仙」を聞く

 昨日は阪神の野球がないから録画しておいた毎日放送「らくごのお時間」を見る。笑福亭生喬師匠の「竹の水仙」
 明日、7月30日は笑福亭松喬師匠の命日だ。一周忌。ほんとうは27日に行われた「松喬十六夜第八夜 追福笑福亭松喬一周忌」落語会に行きたかったが、なんやかやあって断念。お弟子さんの生喬師匠の落語を聞いて松喬師匠をしのぶ。
 さて演目の「竹の水仙」は、落語では「抜け雀」映画では「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」と同じパターンのお話。どこの馬の骨とも知れないおっさんが、実は××であったというお話。おっさんの外見と、おっさんの正体のギャップがこの手の話しの面白さのキモだが、この「竹の水仙」では大酒のみの宿屋の2階の客が実は名工左甚五郎だったという。笑いを取るのは、宿屋の主人の七変化。最初は甚五郎を客として接する。正体を知らず、文無しだと判るとぞんざいな扱いとなる。そして正体を知ったときにびっくり。それがおかしいわけ。この場合、甚五郎と主人だけではダメ。参勤交代の途中、甚五郎が作った竹の水仙を目にして、その値打ちが判る細川の殿様。殿の命で竹の水仙を買うため主人と交渉する細川家の家臣が登場する。
宿屋の主人、甚五郎、家臣、殿様、この4人の演じ分けが必要。特に宿屋の主人をどう演じるかが、この噺のポイントだろう。
 生喬師匠は実に見事にこの演じ分けをやっていた。鷹揚な甚五郎。欲はあるが、あくまで小市民的な欲で、想像外の価格にびっくりする宿屋の主人。殿様と主人の間で中間管理職的右往左往する家臣。ちょっと浮世離れした殿様。よく知ってるパターンの噺ながら爆笑させられた。みごとなり生喬師匠。故松喬師匠の落語をしっかり受け継いでいる。亡き松喬師匠の良き供養となったのではないか。
生喬師匠、口演後アナウンサーのインタビューに応じる。「なぜ松喬師匠に入門したのか」との問いかけに「落語の基礎をしっかり勉強したかったから」「おまわず笑ってしまう落語をしたいから」とのこと。
これは大正解だったのではないか。松喬師匠は、その師、6代目笑福亭松鶴師匠に「笑福亭の落語を一番うまいこと受け継ぐ」といわれた噺家だった。6代目が太ゴシックなら松喬師は明朝だった。落語を基礎からきっちり勉強するには最適な師匠だったのではないか。
もし、生喬師匠が桂枝雀師匠に入門していたら、うまくいってなかったのではないか。逆に桂雀々師匠が松喬師匠に入門しててもうまくいってなかっただろう。
 残念ながら、松喬師匠はなくなったが、三喬師匠や生喬師匠たちお弟子さんたちが松喬落語をしっかり受け継いでいる。  
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コーシエンのプリンセス


類似書 エドガー・ライス・バローズ「火星のプリンセス」

 スワ南軍のヤギ・カーター大尉は、連敗の荒野をさまよっていた。とある洞窟にはいった彼は、ふと気がつくと惑星コーシエンに来ていた。
 地球より重力の低いコーシエンではヤギ大尉のストレートがさえる。コーシエンの荒野でトラトラ族と戦ったヤギは、久しぶりに4列に付いたアライ・タルカスをやっつけ、スワの美女デジャー・オガワを救い出した。
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シンシナティ・キッド


監督 ノーマン・ジェイソン
出演 スティーブ・マックィーン、エドワード・G・ロビンソン、カール・マルデン


 日本映画を代表するアクションスターといえば千葉真一だろう。アクションが売りの千葉がアクションではなく演技だけで注目された映画は。「仁義なき戦い 広島死闘編」だろう。あの映画の千葉真一はすごかった。
 ハリウッドを代表するアクションスターは、この映画の主演スティーブ・マックィーンだろう。千葉の「広島死闘編」に当たるのが、マックィーンの場合、この映画「シンシナティ・キッド」ではないか。それまで、「荒野の七人」「大脱走」などでスタントマンなしでアクションを演じてきたマックィーンが、ポーカーという静かな戦いを演技力だけで表現した。その後、「パピヨン」で、さらなる名演技を見せてくれる。
「パピヨン」では名優ダスティン・ホフマンが相手だったが、この映画では往年のギャング映画の大物エドワード・G・ロビンソンを相手に白熱の名演を見せる。
 シンシナティ・キッドは今が旬の天才ギャンブラー。ポーカーの名手でニューオリンズからミシシィピ一帯に名を知られている。若手の賭博師ではあるが自信満々得意絶頂。きょうもコイン投げ博打を挑んでくる少年を、軽くやっつけて「もっと修行することだ」と説教しつつ博打場に入る。
 この街に伝説の超大物がやってくる。「ザ・マン」と異名をとる老ギャンブラーでスタッド・ポーカーの達人ハワードだ。
 キッドはハワードにスタッド・ポーカーの勝負を挑む。テーブルを囲むメンバーは次々に脱落。最後はキッドVSザ・マンの一騎打ちとなる。
 最後の二人の勝負は、日本の剣豪小説のおもむきがする。剣聖ともうたわれる老剣客に挑む、こわいもの知らずの若い剣士。上泉伊勢守に挑む宮本武蔵といったところでしょうか。
 キッドVSザ・マン。これはひょっとするとマジの対決だったかもしれない。超ベテランの大物俳優ロビンソンに挑む、今が旬の俳優マックィーン。スタッド・ポーカー勝負の演技をしつつ演技そのものも火花が散る対決をしていたのかも知れない。
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そうめん(梅の香のつゆ)


 
 先週、シャブスキーのたれでそばを食べたら、おいしいかも知れないと試して見た。失敗であった。梅の香りとそばの香りがバッティングしてダメだった。わざわざそばにする意味はなかった。
 今度はそうめんでやってみた。これはイケた。おいしい。おいしいが、わざわざ手間をかけて特製のタレを作る必要はなかった。普通のつゆに練り梅を溶かしても良かったのでは。
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フクハラ年代記


類似書 レイ・ブラッドベリ「火星年代記」

 クリーンナップ3人の3連続タイムリーで3点先制。阪神の冬はイワザキが投げ始めたら終わった。火星をめざすヒロシマのロケットの噴射口から出る熱気は、阪神にロケットの夏をもたらしたのだ。その後、カネダ、エノキダもヒロシマロケットの噴射にやられた。
ウエモトが前世紀に実行したツーランでいったん鎮静化に成功したが、その後の福原もまたスクイズにやられる。
火星を目指す阪神のピッチャーは全員自責点がついた。それでも阪神は火星へ火星へ。金星を目指していたジャイアン号も遭難したとの報に接したが。
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アジご飯


 アジである。日本人にとって、イワシ、サンマと並んで最もおなじみの魚。安くてうまい。年中、魚屋の店頭にならんでいるが旬は夏である。
 アジは大きさも手ごろで、さばきやすいので魚の2枚おろし3枚おろしの練習にはちょうど良い。魚屋さんまかせにせず、自分でさばける魚は自分でさばこう。
 さて、きょうのお昼はアジづくしと行こう。メニューはアジフライ、アジご飯。アジのアラのみそ汁。
 さばいたアジの中骨は捨てないで、昆布といっしょにしばし煮だす。これがみそ汁のダシになる。みそは八丁みそがあう。鰹節でもいりこでもない、独特のうまみのみそ汁となった。
 アジフライはいつものアジフライである。さて、写真はアジご飯である。米と分量の水、それに昆布を1枚。これを土鍋に入れる。アジの切り身をその上に並べる。炊き込みご飯にするのだから、小骨はていねいに取っておこう。醤油、酒、塩で味付け。ショウガも入れる。
 これを火にかける。炊飯器で炊けば簡単だが、土鍋で炊いた方がおいしい。強火で加熱。蒸気を噴き出したら、弱火にして10分炊く。10分経ったら火を止めて、15分ほど蒸らす。
 蒸らし終わったら、ゴマ、しそ、きゅうりを加えて、ざっくり混ぜ合わせればできあがり。アジの滋味がおいしい。
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とつぜんSFノート 第57回

 

 真夏の京都。いつもの宿屋へ急ぐ。さあ、今から一年中で一番楽しい夜がやってくる。もうみんな来ているだろう。柴野さんはすでに京都のホテルに到着されている。あとでごあいさつに行かなくては。
 星群祭の合宿である。星群祭前日は京都市内に泊まって一晩過ごす。旅館の時もあるし、共済の宿泊施設やお寺のときもある。京都の例会で毎月会っている人たちはもちろん、そうたびたび会えない人たちとも、酒を飲みながら夜を徹して語り合える。こんな楽しいことはない。
 宿屋に着く。石飛さんはもう来ていた。ビール片手にもうすっかりできあがっている。出雲なまりの大きな声でしゃべっている。大広間では亀沢さんが、次回作の構想などを、星群東京のメンバー相手に語っている。熱心に、とつとつとしたおしゃべりだ。亀沢さんの誠実な人柄がよく判る。
 さて、楽しい一夜も終わって朝となった。途中、喫茶店でモーニングサービスなどを食べて京大会館に着く。会場には、すでに何人かの参加者が来ていた。その中に一人年配の方がいる。その年発行の星群ノベルズを読んでおられる。この星群ノベルズは、星群祭にてゲストの諸氏から講評してもらうテキストとなるのだ。この年配の方は遠方東北から参加した菅原豊次さん。石巻のお医者さんである。
 ここで名前のあがった、石飛卓美、亀沢邦夫、菅原豊次のお三方は、星群地方三羽ガラスといわれた。3人とも星群屈指の書き手である。また3人とも、創作活動と並行して、SFファンダム活動を熱心に行っていた。
 石飛さんは山陰、亀沢さんは東海、菅原さんは東北、それぞれの地方を代表するBNFで、かの地においては指導的な立場のSFファンであった。また、私自身にとっては大切な友人であった。この3人は、今はもう、この世におられない。3人とも鬼籍に入られた。
 菅原豊次さんは2011年3月11日、宮城県石巻市の自宅で東日本大震災に被災。ご自宅は大津波に呑みこまれた。1ヵ月後奥様とともにご遺体が娘さんによって確認された。
 菅原さんは内科医を開業されているかたわら、嬉野泉のペンネームでSF創作にも健筆をふるわれ、同人誌「ボレアス」を主宰されていた。
 石飛さんはビールの好きな人だった。いつも缶ビール片手に出雲弁で楽しくおしゃべり。なにせ元気で楽しい人だった。合宿ともなると、お酒と石飛さんが一人いるだけで、ほかには何もいらなかった。
 町会議員も務めた町の名士で、椎茸栽培のかたわらSFを書いた。また、SF以外にも大阪のスポーツ新聞の少しすけべなページにコラムを長い間執筆していた。飛浩隆さんの友人で、山陰SFファンダムの中心的人物で、毎年、山陰で行われるSFイベント「雲魂」の実行にも尽力をつくされた。私も、昔は愛車ホンダ・インテグラを駆って毎年出雲まで行っていた。
 重い病気に罹ったことは聞いていた。今年の年賀状には「病気療養中」と記していた。必ず治って、また、お会いできると楽しみにしていた。それが、この5月26日に亡くなったとの報を受けた。
 石飛さんは、病身をおして闘病記を書いていた。写真はその石飛卓美闘病記である。壮絶な闘病記だ。
 亀沢さんは誠実な人だ。年に数度しかお会いできないが、会うと、自作のことSFのことなどを、とつとつとした話し方で話された。
 数年前から年賀状が来なくなった。それまで年賀状のやり取りを欠かしたことのない人だった。それが、数年前に脳出血を患われたと聞いた。年賀状だけではなく、毎年、夏には必ず星群の合宿には来ていたのに、ここ数年、お顔を見ていない。心配していたが、その心配が的中した。
 今年のSF大会に参加している友人が、東海SFの会の人から、亀沢さんの訃報を聞いたとの連絡を受けた。この7月に亡くなった。
 菅原さんは3年前だが、石飛さん、亀沢さんと立て続けに友人を亡くした。石飛さん63歳、亀沢さん62歳。死ぬにはあまりに若い。私も馬齢を重ねているから、何人かの友人知人を亡くしている。阪神大震災の時は一度に5人の知人を亡くした。でも、2ヶ月ほどの短時間に、立て続けに特に親しい友人を二人も亡くすのは、さすがにこたえた。この3人は、特に楽しい時間を共有した人たちであっただけに、楽しい思い出とともに彼らのことが想い出されて、つらい。悲しい。
 あらためて、菅原豊次さん、石飛卓美さん、亀沢邦夫さんのご冥福をお祈りする。私とて、生まれてからの時間より、そっちへ行く時間の方がずっと短い。いずれお会いします。また楽しくSFの話しをしましょう。また星群祭をしましょう。柴野拓美さんや小松左京さんといったゲストで、先に行っておられる方もおられるし。 
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阪神、強し。マエケンを打って勝つ

 アツイなか帰ってきて、風呂入って、メシ食って、霧ヶ峰くんが必死で働いとう部屋に入ってテレビをつけると、2点負けとう。しかも広島先発はマエケン。こりゃ負けやなと思うとった。
 ところがどっこい、そのマエケンから3点取って、さらに1点追加して勝った。それもきょうはクリーンアップは打点ゼロ。それでも勝つねんから、こりゃ、阪神、ほんまに強いねんな。
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人の評価

「拙僧、あんなに感動したのは生まれて初めてです。準備がすめば、再びお山へととって返し、上人さまに弟子入りするつもりです」 
 若い学僧は、興奮さめやらぬ顔でいった。彼は総全宗高造寺派の高僧呉習に会いに行った。高造寺はこの国最大の宗派総全宗の総本山である。
 総全宗は現政権にとって、目の上のコブ。現政権は独裁体制である。建国の父ともあがめられている初代大統領の孫がこの国の支配者である現大統領だ。国の決めごとのすべては大統領の一存で決める。
 この大統領の方針にことごとく異を唱えているのが総全宗だ。その総全宗の理論的指導者が呉習だ。
 若い頃から厳しい修行を修め、徳を積んできた呉習は、人々の尊敬を集め、その教えは人民の心の拠り所となっている。
 大統領は、それまで密かに呉習暗殺を企んだが、呉習の死は人民の怒りの火元となり、反大統領派による革命の導火線となる。
 殺してしまっては、革命の象徴となる。スキャンダルを創って、呉習を俗物のクソ坊主におとしめるのが一番だというので、元総全宗の修行僧だったが、大統領にいいくるめられた学僧が呉習に接触したのだ。
「私が間違ってました。上人さまにお会いして、私は目を覚ましました。撃つなら撃ちなさい。私はもう大統領のいうことは聞きません。呉習上人さまの教えに殉じて殺されるなら本望です」

「とんだ俗物です。大統領、ご安心ください。あの坊主、金、名誉、女、地位、どんなモノにも心を奪われません。とりすました顔で、ひたすら瞑想してました。一見、神々しく、さすがの私もつい引き込まれそうになりましたが、ヤツにも弱点がありました」
「はい。ヤツの弱点は醤油せんべいです」
「そうです。醤油せんべいです。醤油せんべいで国が救えるのなら安いモノでしょう。大統領閣下」
「ヤツは凸凹県の松川製菓というメーカーの醤油せんべいが大好き。ところがヤツは閣下を政権から追放するまでと願をかけ、せんべい断ちしてました」
「私が、松川の醤油せんべいを持って行って、ヤツの前でポリポリ食ってやりました。するとヤツは一枚くれ、なんでもいうことをいうことを聞く。いちころでした」
「閣下、松川製菓の株式を全株買い占めされるといいですよ。これでヤツは大統領閣下のいいなりです」

 その国の内戦は泥沼と化した。超大国Aが大統領の肩を持った。もう一方の超大国Bが総全宗のバックについた。B国はダミーの商社を通じて、大統領直属の国有企業となった松川製菓の醤油せんべいを密かに入手、呉習に提供していた。
 国連が調停に乗り出した。国連派遣の特使として△□国の××氏が呉習師に会いに行った。そして事務総長に報告に来た。
「××さん、ご苦労様でした。で、呉習師はどんな人でした」
「おいしかった」
「え、なんです」
「あんな、うまい人を食ったのは初めてでした。どうもごちそうさまでした」
 国連事務総長は思い出した。△□国には食人の風習があることを。
 高造寺の本堂には、食い散らかされた人の骨が散らかっていた。
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おーい 勝ってこーい


類似書 人造美人 星新一(お-い でてこ-い所載)

 連勝が去って、重たい試合となった。
首位からあまりはなれていない阪神でも勝てなかった。このところ勝ててない能見ががんばっていたのだが。9回にピンチを作ったのだ。
 梅野がたびたびワンバンドのフォークボールを止めたのだが。最後になって後逸した。
「能見はいつ以来勝ってないんだろ」
「ずいぶん昔だね」
 その時ファンの一人が声を高めた。
「おい、この穴は、いったいなんだ」
 ローテーションに大きな穴があいた。
「エースの抜けた穴かな」
 そんなことをいった者もあった。
「お-い。勝ってこ-い」
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くノ一忍法帳


 山田風太郎      講談社

 ものすごく久しぶりに山田風太郎を読む。いやあ、やっぱ山田風太郎はすごいな。奇想天外という言葉は山田風太郎のためにあるのではないか。
 大坂夏の陣。徳川家康の孫で豊臣秀頼の妻千姫が炎上する大坂城から坂崎出羽守に救出された。この時、5人の侍女が千姫に従って大坂城を脱出した。
 この5人の侍女がただ者ではない。真田幸村の手の者で信濃忍者。この5人真田の謀略で、秀頼の胤を腹に持っていた。豊臣の血を絶やさぬためである。
 家康の孫ではあるが身も心も豊臣の女になっていた千姫は、秀頼の子を産ませ家康に復讐を誓う。
 家康は千姫を溺愛。千姫は生かして、秀頼の子が生まれる前に、5人のくノ一を始末せよと、伊賀は鍔隠れの里の5人の忍者に命じる。
 こうして5人VS5人の壮絶なバルトが繰り広げられる。途中から長宗我部盛親の女房が参戦する。この長宗我部の女房というのが凄い豪傑。豪力無双の大女にして鎖鎌の達人。しかも豊臣がたきっての名将長宗我部盛親の遺児を腹に抱えている。なんか梶尾真治の傑作「サラマンダー殲滅」で出てくる女傑ドゥルガーを思い出した。
 物語の性質上、出てくる忍法もセックスがらみのモノがおおい。伊賀忍者がくノ一におおいかぶさり強姦。くノ一、あそこをギュッと絞めて虜にする。忍法天人貝。伊賀忍者、粘性の強力な精液を分泌。それで膜を作ってするりと逃れる。忍法肉鞘。そうはさせじ、逃してなるものかと、くノ一の胎内の胎児が伊賀忍者のあそこの先をむんずと握って離さぬ。忍法羅生門。と、まあ、こんな忍法が繰り広げられる。
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20年目の阪神高速


 あと半年で、阪神大震災から20年目となる。あの時生まれていた子供は成人する。ついこの前のような気がするが、もうそんなに時間が経ってしまった。
 この写真は、神戸市東灘区深江本町の現在である。下の道は国道43号線。上の道が阪神高速だ。夏の平和な風景だが、20年前の冬は、このあたりは「戦場」だった。
 1995年1月17日。ちょうどこの場所、この高速道路が600mにわたって横倒しとなった。阪神大震災の象徴的な写真の場所がここである。
 先日、大手前大学で行われた、堀晃さんの講演会に出席した。関西のSF作家のことを話題にされていたが、もちろん小松左京氏のことも堀さんは話された。
 小松さんは「日本沈没」で、東京を襲った巨大地震の描写をした。その中で、高速道路は倒れるシーンを描いた。このことについて、土木関係の学者たちから「日本の高速道は地震などで倒れない」とクレームがつけられたとか。ところが、震度7の揺れに阪神高速は耐えられなかった。
 あの日、小生は家族を連れて車で神戸を脱出しようとした。43号線に近づいたら、もうもうとした土煙の向こうに、なにか巨大な壁のようなものが道をふさいでいる。信じられないものを見た。目の前に阪神高速がそそり立っている。センターラインが見える。43号線から阪神高速のセンターラインが見えることは絶対にありえない。その絶対にありえないモノが見えた。車での脱出はあきらめて、近くの小学校に避難した。最初に入った部屋は、大勢の人が寝ている。みょうに静かだ。その部屋は遺体安置所だった。
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