TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポ家初孫成長記 その39 『初孫5歳誕生日』 

2017年09月15日 | 初孫成長記
初孫の成長をいつまで見守ることができるのか疑心暗鬼でしたが、何とか5歳の誕生日までトッポパパも頑張れました。
諸般の事情により、顔出しは控えさせていただきますが、大過なくスクスクと順調に成長しています。
トッポママ、力作の洋服のプレゼントに、大喜びでハイ!ポーズ!です。



家族からいろいろプレゼントを貰い、大喜びです。



そのうちの一つは、子供に大人気の『生まれてWOOMO(ウーモ?)』とかいうおもちゃ?です。



なにやら、ダチョウの卵ぐらいの大きな卵です。



娘に取説を読んでもらい、お腹で温めはじめる孫です。



開梱し、ピンのようなものを外すとスイッチが入り作動する仕組みのようです。



しばらく、なでたり動かしたりしていると中から声?が聞こえ反応しています。
しばらくして突然、中から殻をつっつき、殻が壊れ始めました。



作動後、順調なら20分ぐらいで孵化するようです。



殻が壊れて中から、WOOMOが顔を出します。
孫も興奮状態です。



大きな小鳥?の誕生です。



動かすと話をしたり、目の色が変わったり、いろいろなソフトが組み込まれているようです。



目の色で、小鳥の感情を読み取るそうです。
トッポパパはタマゴッチには何とついていき、子供に買った記憶がありますが、最近のおもちゃはハイテクというか、高級品です。
この先、もっと大きな卵から、恐竜の子供が生まれてくるかもしれませんね。



去年のお人形が、ちょっとかわいそうです。
今の子供は、たくさんのおもちゃに囲まれて、幸せ?ですね。



以来、片時も小鳥を離すことなく、WOOMOの成長を見守っています。



まあ、元気で5歳の誕生日を迎えられたので、よし!としましょう。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その214 『横浜平沼水天宮例大祭』 その5

2017年09月14日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
今年は水天宮平沼神社、御鎮座170年記念例大祭で、また5年に一度の特別な御神輿を担ぐ祭りでもあります。
祭りの最後は神輿のお宮入りです。



最初は子供神輿が登場です。
トッポパパと同じ小学校の5年、6年生が担いでいます。



この日は10基ぐらいの神輿が出ているようで、盛り上がっています。



横浜駅も近いこともあり、マンションなどが多く、その関連の神輿もあります。



以下はネット情報の抜粋です。
そもそも神輿というものは、普段は神社にいる神さまの魂がお祭の中で、その巡幸の途中で休憩したり、または宿泊する場所などへ進むに当たって、一時的に鎮まるとされる輿のことです。
平たくいうと、神様を乗せる乗り物ですね。



神輿を担ぐ理由は祭りによって様々なのですが、一般的には、神様の魂を神輿に乗せ、街中をめぐり、神様が持っている偉大な力を振りまいてその地域を清める意味があるそうです。



「輿(こし)」とは、人を乗せ人力で持ち上げて運ぶ乗り物のことで、神様が乗るので「神輿」、さらに「御」をつけて「御神輿(おみこし)」と呼ぶこともあります。



神輿をぶつけたり、水をかけたり、激しく揺さぶるのは、偉大な力を散布し、神様の力をたくさんいただけるように・・・という意味もあるそうですよ。



お神輿を担ぐ時「わっしょい!わっしょい」「エッサ!エッサ!」「セイヤ!ソイヤ!」言うかけ声をよく耳にします。
「わっしょい」の語源として、「和を背負う」つまり「わ(を)しょい」また「和一処」「和一緒意」などの説があります。
この場合の和とは日本を和(のちの大和)と呼んだ時の名残りだと考えられており、日本(大和)の団結を象徴した掛け声といわれています。



神輿の歴史は諸説あるそうですが、 平安時代になると奈良、京都などでも神輿が作られるようになります。
いわゆる村祭りなどで神輿を担ぐようになったのは室町時代と言われています。



本来は氏子が担ぐものとされていましたが、時代とともに担ぎ手の減少で、現在では助っ人の担ぎ手も多いようです。



神輿を担ぐ掛け声や笛や太鼓の音は、日本人には特別の響きがあります。
ご年配の方はお疲れのようでしたが、ご苦労様です。



お祭りが終わると、秋の気配を感じます。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その214 『横浜平沼水天宮例大祭』 その4

2017年09月13日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
氏子の神輿が平沼神社での御霊入れが行われるまで、まだ多少時間があるので焼き鳥を食べながら里神楽を見ることにしました。



神楽の知識は、お祭りの山車のお囃子程度しかないので、ネット情報で学びました。



神楽は、現在、日本全国で伝承されており、宮中で行われる御神楽と、民間で行う里神楽の2種類に大別することができますが、里神楽は、巫女、神主、山伏といった人々によって伝承されてきました。



演目は「天之返矢(あめのかえしや)」というもので、古事記に基づいたお話だとわかりました。



「天之返矢(あめのかえしや)」のあらすじは、国譲りの使いとして派遣された天若日子(あまのわかひこ)が、命令を果たして帰ってこないので、鳴女(なきめ)と云う雉(きじ)を遣わして天若日子に催促しました。
ところが、天若日子が雉を射殺してしまいます。
この射殺した天羽羽矢(あまのははや)が高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の前に落ちてきます。
高皇産霊尊は、その矢を突き返したところ、天羽羽矢が天若日子に命中したという神話の舞です。



『神楽』の起源は、日本の民俗芸能のなかでも古い起源を持っています。
本来は、神座に神を迎えて清めや祓いなどを行って、生命力の維持を祈る神事を指しますが、その神事において行われる芸能を「神楽」と呼ぶようになりました。



起源については様々な説がありますが、特に里神楽においては、古事記や日本書紀に記されている「天岩屋戸」神話のなかの天売受女尊の舞とされています。



神楽の原点は、踊ることで神を招くことのようです。



傾ける角度等によって豊かな表情を見せる『面』も見どころなのでしょう。



色彩豊かな金糸・銀糸の刺繍を施した『衣装』も、神楽の見どころです。



ネット情報の受け売りなので、説明に間違いがある場合はご容赦ください。

続く................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その214 『横浜平沼水天宮例大祭』 その3

2017年09月12日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
明治初期に神社の社格制度が制定され、平沼の鎮守様として指定村社に列せられると共に、名称も水天宮から、平沼神社と改称されましたが、一世紀以上経った今日まで水天宮様の名称で親しまれ、氏子や崇敬者からは水天宮平沼神社と称され有名となっています。



平沼神社の神輿です。
戦後、担ぎ手の不足から一時期牛で引かれていた為、牛車の上に置かれています。
現在では、記念事業が行われた年に担がれ、例大祭(9月3日から9月5日)の間と、大晦日から初水天宮(1月5日)までの間のみ、一般公開されています。



暗くなり始めると、あちこちで宴会の準備で屋台も忙しくなります。



例年ここに露店を出しているような、名物焼き鳥屋さんです。



トッポパパも30分並んで、やっと買うことができました。



みなさん10本20本と買うので焼き手も大忙しです。



これだけ並んでいるのを見ると、一番人気のお店なのでしょう。



こちらのたこ焼き屋も、負けず劣らず長蛇の列でした。



お面とか光る魔法の棒?などが売られていますが、以前は誰が買うんだろうと思っていましたが...............
二日間で孫に両方とも買わされました。



夜のお祭はとても雰囲気があります。 



続く..........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その214 『横浜平沼水天宮例大祭』 その2

2017年09月11日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
日が沈みかけると、多くの人が集まりお祭り気分が盛り上がってきました。



露店も忙しくなってきました。



金魚すくいも相変わらず人気です。
孫が2匹ゲットして、トッポ家の水槽もだんだん賑やかになります。



露店も200m近く並び、焼きそば・お好み焼き・じゃがバター・とうもろこし・とり皮焼き・ホルモン焼き・りんご飴等など勢揃いです。



水天宮境内では神楽の舞台で、軽快な音が響き始めした。



学生さんの和太鼓の演技です。





水天宮の世話人も忙し装です。



中学生だと思いますが、テンポ良い軽快な響きに拍手喝采です。



昔の村祭りのような雰囲気で、楽しいお祭りです。



続く.........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その214 『横浜平沼水天宮例大祭』 その1

2017年09月10日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポ家の近くの横浜水天宮平沼神社で例大祭が9月3-5日に開催されました。
結構にぎやかなお祭りだと聞き、久しぶりに訪問しました。
混雑するようなので開催される前に、水天宮の写真を先に撮りました。
鳥居は昭和9年に皇太子殿下(現在の天皇陛下)御降誕奉祝記念事業として建てられた石製の鳥居です。
紹介は水天宮のオフィシャルサイトの引用です。



大正2年に建てられ拝殿です。
水天宮平沼神社は、横浜市の表玄関、横浜駅東口一帯の高島町(現在は一部みなとみらい)、平沼町、西平沼町、緑町(現在は一部みなとみらい)の氏神様として、天保10年、平沼新田を開拓された平沼九兵衛翁が新田の守護神としてお祀りし創建されました。
また横浜市街地の神社で、関東大震災と横浜大空襲の2つの大難を免れた事は、極めて稀でした。



社伝に依れば当時、平沼新田は塩田で有り、塩田作業中の村人が、入江に流れついた祠を見つけ、沖に返そうとすれども祠は何度となく岸に戻ってくるので、九兵衛翁に、その事を伝えると、九兵衛翁は、守護神が無いこの地に祀れとの神様の御啓示であろうと感謝し、岸に上げて平沼新田の守護神としてお祀りしました。
祠の内には、九州久留米の水天宮様の御神札が祀られていたので、水天宮と称し、安産・水の神様として氏子を始め広く横浜村の人々に、横浜の水天宮様として崇敬されました。



さほど広くはない境内ですが、境内に平沼稲荷神社、稲荷神社、竈三柱神社、平沼天満宮があります。
比較的新しい水天さんです。



お参りをする前に、こちらで手口を清める手水舎です。



竈三柱神社です。
火、竈の神様をお祀りし、火伏せ・災除け・家を守護する神様としてお祀りされ、荒神様と呼ばれています。
右に観えるのが、天満宮で京都の北野天満宮の神様をお祀りし、学問向上・芸道上達・雷除けの神様としてお祀りされ、天神様と呼ばれています。



水天宮なので、河童の石像です。



伏見稲荷の神様をお祀りしている稲荷神社です。
五穀豊穣・商売繁盛の神様としてお祀りされ、崇敬され、お稲荷様と呼ばれています。



神楽殿です。
例大祭中は里神楽他いろいろな催し物があるようです。



続く................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その213 『横浜市電保存館』 その4

2017年09月09日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
これだけ市電が並んでいると嬉しくなります。



線路の分岐器とレール運搬用台車です。



関東大震災直後の馬車道付近です。
不安解消は市電の復興からだと、市電の復興活動が行なわれ、一ヶ月後に路面電車は再開しました。



故吉村栄氏の吉村コレクションが、展示されています。
40年かけて制作、収集された鉄道模型の一部を展示しています。



ジオラマも展示されていました。



横浜の街を背景に地下鉄、私鉄、JRの車両が縦横に走っています。



昭和30年代の横浜を背景に市電の模型車両も走っています。



運転ショーを見たり、自分で運転したりして楽しめます。



暑気のころのMM21です。



市電シュミレーターがあり、画面を見ながら実際の運転感覚で楽しめます。



平日で混雑はありませんでしたので、子供に帰って遊んでいる爺、婆でした。



横浜に生まれ育ったので、訪問してよかったと思いました。
次回は近所の秋祭り!の紹介です。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その213 『横浜市電保存館』 その3

2017年09月08日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
チンチン電車と呼ばれた市電は、横浜市が運営していた路面電車です。
正式名称は、横浜市営電車で1904年(明治37年)から1972年(昭和47年)まで、横浜市中心部をメインに運行されていました。
1000型は初のボギー車で、震災復興事業として20両購入されました。
後期は自動ドアに改造されました。



戦時中は女性運転手も多かったのですね。



1100型は新式中型ボギー車で、その後ロマンスシートとつり革も用意されました。



戦中、戦後は、かかすことのできない市民の足でした。
子供のころ、母につれらて出かけたことを覚えています。



駅名標識も残されています。



鉄道車両やトローリーバスに用いられた集電装置で、パンタグラフと呼称で呼ばれました。



1600型の最大の特徴は昇降口が4枚折り戸になっていました。
ただ、中扉が嫌われたのか車歴が若いにもかかわらず、廃止まで生き残れなかったそうです。



昔は、ビールといえばキリンだったように思います。
キリンレモンと三ツ矢サイダーが子供のころ、夏の贅沢な飲み物でした。
親父が晩酌で飲んでいました。



しかし、その後日本は自動車交通の時代へと移り変わりました。
道路は自動車で溢れ、それとともに路面電車の利用者が減少し、路線は年々廃止されることとなり、ついに1972(昭和47)年3月31日、横浜の路面電車は最後の運行を迎えました。



続く....................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その213 『横浜市電保存館』 その2

2017年09月07日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
展示されている最も古い車両は500型車両です。
車両は中に乗り込むことも許可されているので、中に入ってみます。



500型は関東大震災の復興事業の一環として昭和3年に60輛が製造された車輛です。
木製の床を踏みしめるとギシギシと音がしますが、歴史を感じさせてくれます。
運転席の床面にあるボタンを踏むと、チンチンと軽やかな金属音が鳴り響くことから、『チンチン電車』と呼ばれるようです。



ソファの端にある丸みの帯びた手すりは、工芸品のような手彫りで手触りの感触がいいです。



度重なるニス塗りが重厚感を醸し出し、電球カバーもいい感じです。



現在走っていたら、レトロ調の市電として人気がでそうです。
 


初代横浜駅です。
明治5年(1872)に開業した初代・横浜駅は現在の桜木町駅の所にありました。
造りは木骨石張りの2階建てで、中央がコンコース、左棟が出札所、上・中等待合室、2階に貴賓室、事務所などがありました。
当時は横浜港と並び日本の表玄関であり、文明開化日本の象徴でした。



二代目横浜駅です。
大正5年(1916)、現在の横浜駅と桜木町の中間にある高島町に開業しました。
しかし関東大震災で焼失してしまいました。



昭和3年(1928)の完成時には東洋一を誇った3代目横浜駅です。



トッポパパが大学生の頃、横浜駅の前の広場を歩き、市電を利用した記憶があります。



続く.............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その213 『横浜市電保存館』 その1

2017年09月06日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『ちんちん電車』の愛称で親しまれた市電が保存展示されている『横浜市電保存館』を訪問しました。



正面入り口です。



入り口を入るとすぐ、市電運転台写真撮影コーナーがあります。
早朝で訪問客がまだ少なかったので、ちょっと記念撮影です。



横浜の歴史を示す展示がありました。
江戸時代の、まだ新田開発(埋め立て)始まる前の横浜です。



遠浅の砂州に囲まれた、小さな村だったようです。



江戸時代後期、ペリー率いる黒船の来航に因り、鎖国が解かれ、開港とともに横浜が大きく変貌していきます。



明治初期のバードビューの想像図のようです。
品川ー横浜(桜木町)間の汽車も描かれていますので、現在の横浜の基礎がわかります。



横浜の埋め立ての歴史です。
トッポ家は横浜と桜木町に挟まれた右上の最初の新田開発地域の下部分にあたるようです。
こうしてみると、現在のMM21はすべて埋立地だとわかります。
大桟橋ふ頭と山下ふ頭の間の、細長い埋め立て地は関東大震災後の復興期に、市内の瓦礫でつくられた山下公園です。



市電のジオラマです。



駅名表示灯に懐かしさを覚えます。



横浜市電は、明治37(1904)年から昭和47(1972)年まで約70年間にわたって“ちんちん電車”の愛称で親しまれ、横浜市民の足として活躍しました。



7両の市電車両、停留所標識、敷石を当時の姿で保存されています。



続く........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その212 『保土ヶ谷キャンドルナイト』 その3

2017年09月05日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
数千のキャンドルが灯り、幻想的な空間がひろがります。





池に設けられた篝火が揺れ、雰囲気を盛りあげます。





見ることはできませんでしたが、笛をはじめ日本に古くから伝わる楽器を使った若手実力派ミュージシャンによるライブも行われました。





高層ビルに囲まれたキャンドルナイトより、森の中のほうが静けさもあり雰囲気がよかったです。





装飾を施した灯りは輝く花のようです。



それでは保土谷公園よりお別れです。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その212 『保土ヶ谷キャンドルナイト』 その2

2017年09月04日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
夕暮れとともに、人が動き始めました。



夏の神様をステージまでお連れする という設定で仮装行列が始まりました。



キツネは神と同じ力の神通力を与えると言われているそうです。!



人間にはできない祈祷やお祈りができるということで、儀式などにキツネのお面が使われるようになったそうです。



キャンドルや提灯の淡い光が ぐっと幻想的な雰囲気を盛り上げてくれます。



階段や水路周辺もキャンドルがきれいに並べられています。



噴水広場からトンネルを通って辻広場へぬける芝生に広がるキャンドルの灯りです。



夏の終わりと、秋の始まりを感じさせます。



猛暑が続きましたが、これから過ごしやすい秋に向かうでしょう。



神さま行列はキャンドルの中を通ってステージへ向かいました。



続く............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その212 『保土ヶ谷キャンドルナイト』 その1

2017年09月03日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポ家より、そう遠くない保土ヶ谷公園でキャンドルナイトが催されると聞き、出かけてきました。



まだ日没までに葉、少し時間があり増すが、広場にはセレモニーようの準備が進められています。



今夏のキャンドルナイトのキーワードは「緑の森の小さな影」だそうです。



獅子舞も用意されているようです。



趣向を凝らした、ライトで浮かび上がる花飾りに光が灯されました。



結構大きな公園で、隣に神奈川県の甲子園に向けた予選が行われる保土ヶ谷球場、テニスコート、子供のプールやお遊び広場など、結構充実した設備を持つ公園です。



夕暮れが近づくと、ボランティアの人たちがキャンドルにひとつひとつ灯りをともしていきます。



5000-6000ほどあるキャンドルに火を灯すだけでも大変です。



あたり一面にもキャンドルの灯りが広がります。



続く....................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その211 『赤レンガ・アフリカリゾート』 その4

2017年09月02日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
向かって左手が1号倉庫、右手が2号倉庫です。
1号倉庫は1913 年竣工ですが、それよりも先の1911年に2号倉庫が竣工されました。
日本初の荷物用エレベーターや消火スプリンクラー、火災の拡大を最小限に抑えるために庫内を区切るように設置された防火扉などが整備されていました。
関東大震災では甚大な被害を受けた横浜でしたが、この耐震構造が功を奏し、2号倉庫は大幅な損壊を免れました。



赤レンガ倉庫は、倉庫であるための機能が優先されて単純明快な外観ですが、避雷針本体は、鋳造の台座と鋳造の飾り棒でできていて、建物の魅力をひきだしています。
飾り棒の先端から台座の下端までの長さは約3mあります。



水分補給も終わりましたので、アフリカリゾートを出て、周辺を少し歩いてみます。



ワールドポーターの汽車道デッキです。



ワールドポーターの2階に、『カリヨンの広場』があり、記念撮影スポットになっています。
カリヨンとは、複数の鐘を組み合わせて旋律を演奏できるようにしたものです。



汽車道デッキにあるオブジェですが、汽車道に関係あるものですかね。



赤レンガの前の芝生広場も、道がきれいに整備されたようです。



最後に、『MARINE & WALK YOKOHAMA』にて、海外で話題のエンジェルウィングス(天使の羽)がお披露目されています。
エンジェルウィングス(天使の羽)の前で撮影をした方たちに幸せになっていただきたいという願いが込められ、世界各国でInstagramを始めとしたSNSで話題となっています。
エンジェルウィングスはコレット・ミラー氏によって描かれました。
右下にサインが確認で来ます。



最後に爺さんの天使では気持ち悪いでしょうから、美女の天使を載せました。
裏手に子供用のエンジェルウィングスもあるようです。



それでは赤レンガよりです。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その211 『赤レンガ・アフリカリゾート』 その3

2017年09月01日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポパパの水分補給でちょっと休憩です。



アフリカのフラミンゴのようです。



ブログに載せる写真を撮るという名目で、あちこち歩き回るのが運動不足解消になっているのでしょう。
なんとかまだ元気に過ごしています。



フラミンゴの周りには、水辺もつくられています。



何の花かは知りませんが、暑さに負けずしっかり咲いています。



フードは、アフリカで定番の肉料理やジビエやスイーツが用意されています。
ワニの足をアフリカのスパイシーな調味料アリッサと一緒にローストした「ローストクロコダイル」が人気です。
20年ほど前に、南アフリカのケープタウンで食べたことがありますが、確か鶏肉のような味でした。



日本ではなかなか食べることの出来ない珍しいメニューが揃っています。



ハンモックで休憩する人が多くいます。



そして、ベイブリッジも眺められます。夜はライトアップされ、また違う雰囲気を楽しめるそうです。



続く...................................................。