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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その215 『横浜開港の歴史を訪ねて、三塔物語』 その3

2017年09月18日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
象の鼻防波堤越しに大桟橋が臨めます。



この写真だと分かりやすいと思いますが、大さん橋の付け根から、左手方向へ延びているのが象の鼻と呼ばれる防波堤です。
2009年(平成21年)に明治期の防波堤が復元され、象の鼻パークとして開園しました。



明治期の象の鼻防波堤です。
まっすぐ沖へ伸びているのが東波止場(イギリス波止場)で、象の鼻の前身の波止場が西波止場(税関波止場)でした。
2本の突堤が幕府によって建設され、横浜港が開港しました。
1867年(慶応3年) 西波止場が弓なりに湾曲した形に築造され、その形状から象の鼻と呼ばれるようになります。



現在の大さん橋の前身は、1894年(明治27年)に完成した鉄桟橋です。
明治の末頃から1970年頃までは『メリケン波止場』とも呼ばれていました。
2002年(平成14年)に完成した現在の大さん橋は構造的には“桟橋”ではなく“岸壁”なので、平仮名混じりの「大さん橋」が正式な表記となりました。



大さん橋へ向かう道路と山下公園に向かう道路の角に建つ『シルクセンター』です。
横浜が開港後、多くの外国の船が来航し、横浜居留地には多くの外国人商社が居を構え、日本人商社も設立されました。
それらの商社を通じ、横浜港の貿易は大きく発展し、開港から昭和の初めまで、貿易の輸出品の多くが、生糸でした。
日本全国から横浜へ運ばれ、1909年には、日本は中国を抜いて世界一の生糸輸出国になりました。
こうして、日本の蚕糸業は、日本の経済を支え、近代化に大きく寄与したのです。



そして、シルクの街・横浜からは、日本の各地に外国文化が波及していきました。
シルクセンターの対角に建つ、横浜貿易協会です。
建物は1929年(昭和4年)築で、設計・施工は大倉土木(今の大成建設)です。
創立以来、一世紀に渡り横浜市内を中心に日本の貿易及び関連事業にかかわる活動を展開しています。
同じ建物の中に、45年近くの歴史がある、情緒あふれる横浜を感じられる老舗の北欧料理店、スカンディヤ (SCANDIA)があります。



シルクセンターの前にある横浜開港資料館へ向かいます。



資料館前の広場に建つモニュメントです。
この場所でアメリカ側全権を持つ、M・C・ペリー(東インド艦隊司令長官)と『日米和親条約(神奈川条約)』が1854年に調印されました。



ただこの時点では、横浜(神奈川)の開港ではなく、条件付きで下田と、函館の2つの港のみを開くことになります。
『日米和親条約』とその後の『日米修好通商条約』については、後でもう少し触れてみます。



続く........................................................。