TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その213 『横浜市電保存館』 その3

2017年09月08日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
チンチン電車と呼ばれた市電は、横浜市が運営していた路面電車です。
正式名称は、横浜市営電車で1904年(明治37年)から1972年(昭和47年)まで、横浜市中心部をメインに運行されていました。
1000型は初のボギー車で、震災復興事業として20両購入されました。
後期は自動ドアに改造されました。



戦時中は女性運転手も多かったのですね。



1100型は新式中型ボギー車で、その後ロマンスシートとつり革も用意されました。



戦中、戦後は、かかすことのできない市民の足でした。
子供のころ、母につれらて出かけたことを覚えています。



駅名標識も残されています。



鉄道車両やトローリーバスに用いられた集電装置で、パンタグラフと呼称で呼ばれました。



1600型の最大の特徴は昇降口が4枚折り戸になっていました。
ただ、中扉が嫌われたのか車歴が若いにもかかわらず、廃止まで生き残れなかったそうです。



昔は、ビールといえばキリンだったように思います。
キリンレモンと三ツ矢サイダーが子供のころ、夏の贅沢な飲み物でした。
親父が晩酌で飲んでいました。



しかし、その後日本は自動車交通の時代へと移り変わりました。
道路は自動車で溢れ、それとともに路面電車の利用者が減少し、路線は年々廃止されることとなり、ついに1972(昭和47)年3月31日、横浜の路面電車は最後の運行を迎えました。



続く....................................................................。