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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その215 『横浜開港の歴史を訪ねて、三塔物語』 その2

2017年09月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
象の鼻パークへ向かって歩き始めて、ちょっと高くなった芝生の上(開港の丘)に横浜開港150年の記念碑があります。
2009年に開催された『開国博Y150』のマスコットキャラクター『たねまる』を御影石で復元した記念碑(高さ1.2m、幅2.7m)です。



象の鼻地区は1854年3月31日、ペリー提督が2度目の来日で初めて横浜に上陸した場所です。
『たねまる』は開港資料館にあるタマスクの木の芽が船に乗っているイメージとのことです。
後で開港資料館にも寄りますので、タマスクの木とは何か調べてみます。



記念碑の下には市民から寄せられたメッセージなどを納めたタイムカプセルが埋められ、開港200年の2059年に開けられる予定です。
こちらは記念碑の裏側ですが、こちらの方が背景がよいと思うのですけどね。



横浜市歌です。
わが日の本は島国よ 朝日かがよう海に 連りそばだつ島々なればあらゆる国より舟こそ通え ...............この横浜市歌は小学校の教育が行き届いていたのか、横浜市民のほとんどの人が歌えます。
横浜市歌は1909年(明治42年)7月1日に行われた、横浜港の開港50周年記念祝祭にて披露されて以来、市民に歌い継がれています。
作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は、当時東京音楽学校(現、東京藝術大学)助教授だった南能衛(よしえ)氏です。
現在も市立の小学校では、校歌とともに歌唱指導されています。
トッポパパもこの歌の作詞が森鴎外だとは、初めて知りました。



横浜の港の始まりは象の鼻地区から。それを記念して横浜開港150周年の開港記念日に象の鼻パークがオープンしました。



小泉アトリエの建築家・小泉雅生さんが『横浜の歴史と未来をつなぐ象徴的な空間~時の港~』という理念のもと、象の鼻地区の設計を手掛けました。



1859年(安政6年) 東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)の2本の突堤が幕府によって建設され、横浜港が開港しました。
1867年(慶応3年) 西波止場が弓なりに湾曲した形に築造され、その形状から象の鼻と呼ばれるようになります。
象の鼻防波堤は明治中期の姿に復元され、ガス灯を模した照明灯が設置され、関東大震災で沈んだと考えられる防波堤の一部は、そのままの形で保存・復元されています。
今は、横浜港を見渡すことがで出来る、新たなビューポイントになっています。



横浜税関敷地内に敷設された手押し車両用の「鉄軌道と転車台」の跡で、象の鼻パーク整備中に発見されました。
明治20年代の後期に整備されたもので、関東大震災の瓦礫に埋もれた状態でしたが、そのため保存状態が良かったといわれています。
ガラスの蓋を通して見る事が出来ます。
明治期の遺構ですが、横浜にはこの様な遺構が多く残っているようです。



明治時代にここを走っていた手押し車輌などの向きを変える転車台の跡だと分かります。



続く...........................................................。