諏訪湖を望む丘の上に、由布姫を祀った供養塔がある『小坂観音院』を訪ねてみました。
樹齢七百年以上のサワラ並木を通ると山門にたどり着きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/f7/8046415562839cbde1149f7e77203d6e.jpg)
井上靖の著書『風林火山』では、諏訪頼重の娘『由布姫』は、武田信玄の側室となって勝頼を生み、この観音院で暮らしましたが、病のため25歳でこの世を去ったとされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ba/f004d3ccbe8d36121634478613e85b4f.jpg)
1963年に、大河ドラマの原作となった井上靖の小説に基づき、ここの境内に供養塔が建てられようです。
ここは諏訪氏の祈願所として信仰を集める古社で、由布姫が勝頼を出産した後、病身となり甲府から諏訪へ戻り療養したと伝えられています。
井上靖の風林火山の小説では、信玄、山本勘助が足繁く通った物語の重要な舞台です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2a/0c5f1160378bd2c323a577b9ce88ef97.jpg)
実際に、江戸時代には高島藩主の祈願所となり、歴代藩主から手厚い保護を受け、改造や再建が繰り返されたそうです。
諏訪湖畔から観音院までの地名に『殿先』『お花畑』といった、昔の名残りの名前がいまでも残されているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/93/aaa8d6b49463a83a9ed01a7b3bd6b0f8.jpg)
武田信玄が信濃の攻略に踏み出したた時、最初の標的が諏訪の豪族諏訪頼重です。
諏訪頼重は信玄の妹、禰々(ねね)をめとっていましたが、信玄に殺害されてしまいます。
信玄が諏訪攻略とともに得たものが頼重の娘、『由布姫』です。
信玄との間に勝頼が生まれたものの、父を殺した仇敵である信玄との愛憎が、小説『風林火山』の山本勘助を通して描かれているのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/1d/7287d6f6a06369e8ce5ae6825fa87570.jpg)
同行者は歴史よりも、こちらに興味があるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/c3/7e5b0d560740238544908e509b99aafb.jpg)
歴史の中では、14歳で信玄の側室になり、子供を育て、天下国家を憂いながら25歳で没した由布姫です。
禰々も16歳で病没したそうですが、この時代の人は男女を問わず凝縮した人生を歩んでいたのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a5/ea73b2a52824052cd2d5127bab802b37.jpg)
力石に挑戦している人を見ていると、今の時代は幸せなのでしょう。(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/d5/2f7d14c6537e3e411103b9bbecf4bb3d.jpg)
こちらは、由布姫に挑戦の、いつもの愉快な小父さんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/5a/cec7070f943a8ff3136de97a49de0c47.jpg)
柏槇(びゃくしん)の古木です。
樹齢1200年の古木ですが、上のほうは、まだまだ青い葉がついています。
この古木は風林火山よりはるか昔からこの地にあり、歴史を見守ってきたのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/b1/f4e6a3fcb3a18ca998cb7d863d9f8ac1.jpg)
次回は、もう少し歴史を訪ねて、風林火山にたびたび出てくる『高島城』を訪ねてみます。
樹齢七百年以上のサワラ並木を通ると山門にたどり着きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/f7/8046415562839cbde1149f7e77203d6e.jpg)
井上靖の著書『風林火山』では、諏訪頼重の娘『由布姫』は、武田信玄の側室となって勝頼を生み、この観音院で暮らしましたが、病のため25歳でこの世を去ったとされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ba/f004d3ccbe8d36121634478613e85b4f.jpg)
1963年に、大河ドラマの原作となった井上靖の小説に基づき、ここの境内に供養塔が建てられようです。
ここは諏訪氏の祈願所として信仰を集める古社で、由布姫が勝頼を出産した後、病身となり甲府から諏訪へ戻り療養したと伝えられています。
井上靖の風林火山の小説では、信玄、山本勘助が足繁く通った物語の重要な舞台です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2a/0c5f1160378bd2c323a577b9ce88ef97.jpg)
実際に、江戸時代には高島藩主の祈願所となり、歴代藩主から手厚い保護を受け、改造や再建が繰り返されたそうです。
諏訪湖畔から観音院までの地名に『殿先』『お花畑』といった、昔の名残りの名前がいまでも残されているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/93/aaa8d6b49463a83a9ed01a7b3bd6b0f8.jpg)
武田信玄が信濃の攻略に踏み出したた時、最初の標的が諏訪の豪族諏訪頼重です。
諏訪頼重は信玄の妹、禰々(ねね)をめとっていましたが、信玄に殺害されてしまいます。
信玄が諏訪攻略とともに得たものが頼重の娘、『由布姫』です。
信玄との間に勝頼が生まれたものの、父を殺した仇敵である信玄との愛憎が、小説『風林火山』の山本勘助を通して描かれているのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/1d/7287d6f6a06369e8ce5ae6825fa87570.jpg)
同行者は歴史よりも、こちらに興味があるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/c3/7e5b0d560740238544908e509b99aafb.jpg)
歴史の中では、14歳で信玄の側室になり、子供を育て、天下国家を憂いながら25歳で没した由布姫です。
禰々も16歳で病没したそうですが、この時代の人は男女を問わず凝縮した人生を歩んでいたのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a5/ea73b2a52824052cd2d5127bab802b37.jpg)
力石に挑戦している人を見ていると、今の時代は幸せなのでしょう。(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/d5/2f7d14c6537e3e411103b9bbecf4bb3d.jpg)
こちらは、由布姫に挑戦の、いつもの愉快な小父さんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/5a/cec7070f943a8ff3136de97a49de0c47.jpg)
柏槇(びゃくしん)の古木です。
樹齢1200年の古木ですが、上のほうは、まだまだ青い葉がついています。
この古木は風林火山よりはるか昔からこの地にあり、歴史を見守ってきたのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/b1/f4e6a3fcb3a18ca998cb7d863d9f8ac1.jpg)
次回は、もう少し歴史を訪ねて、風林火山にたびたび出てくる『高島城』を訪ねてみます。